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富士霊園を訪ねて 墓地と墓参の意味を考える

◯徒然日誌(令和6年5月29日) 富士霊園を訪ねてー墓地と墓参の意味を考える 

 

ちりは、もとのように土に帰り、霊はこれを授けた神に帰る(伝道の書12.7)

 

晴れた気持ちのよいこの5月24日、筆者は藤沢の親しい信徒ら3人で、「富士霊園」に眠る信徒配偶者の墓参に行き、ひと時祈りの時間を持った。そして同時に、富士霊園の一角にあるUCの納骨堂施設「本郷殿」を参詣した。そしてこの日、改めて墓参とは何か、墓とは何か、そこに死者の魂はいるのか、そもそも死とは何か、といった素朴な問題を考えて見た。 

 

【墓碑銘】 

 

ところで筆者は4年前の6月、暑い日射しの午後、「多磨霊園」に葬られている内村鑑三の墓所を訪問した。また、ここ数年、毎年8月15日には「鎌倉霊園」に眠る世話になった旧知の知人の墓所に墓参を続けてきた。筆者にとってこの1年に1回の墓参は、先祖の霊を含む霊界の死者に深く思いを馳せる良い機会であり、いわば死者全体への慰霊を象徴する墓参でもあった。 

 

内村の墓碑銘には、「I for Japan,Japan for the World,The World for Christ,And All for God」(私は日本のため、日本は世界のため、世界はキリストのため、全ては神のため)とあり、鎌倉霊園の知人の墓碑銘には、「心かよう友と共に」とあった。また富士霊園の信徒配偶者の墓には、シンプルに「○○家の墓」とだけあった。 

 

ちなみに、晩年クリスチャンになった勝海舟は、「青山霊園」に葬られている三男梅太郎の義母アンナのために「骸化土霊帰天」と墓碑銘を刻んだ。これは伝道の書12章7節「ちりは、もとのように土に帰り、霊はこれを授けた神に帰る」の漢文である。また墓石の裏には、ハバクク書2章4節の一節「義人必由信而得世」が記されてあり、これは「義人は信仰によって生きる」という意味である。このように墓碑銘には死者の信条が端的に表現されている。しかし77才で永眠した洗足池の勝海舟の墓石には「海舟」とだけあり、一切の肩書きや墓碑銘はない。 

 

墓石には、「○○家の墓」といったシンプルなものから、「南無妙法蓮華経」「慈悲」「一期一会」といった仏教的なもの、「主と共に」「神は愛なり」「永遠に」などといったキリスト教的なものまで色々ある。このように墓碑銘には死者と生者の死生観が端的に表現されているのである。ちなみに筆者の富士宮市営朝霧霊園の墓石には、「信仰希望愛」と刻んだ。 

 

【富士霊園】 


今回墓参した冨士霊園(Fuji Cemetery)は、静岡県駿東郡小山町に位置する富士山に近い霊園で、三菱地所グループの公益法人である。墓の数(区画数)は約7万区画、総面積は213万㎡(213ha)で日本最大の霊園であり、事務員の話だと、まだ空きが15%くらいはあるという。園地内は季節の花を植栽して「日本さくら名所100選」に選出された緑豊かな環境にある。埋葬されている著名人には、本田宗一郎(本田技研工業創設者)、藤山一郎(国民栄誉賞受賞・歌手)、市川房枝(政治家)らがいる。 

 

富士霊園にあるUCの納骨堂は、団体家族墓苑地域の一番隅の所にあり、知人の話によれば、UCに対して偏見があり、なかなか三菱地所の許可が降りず、国会議員の世話になったということだった。墓所まで差別されるのは、慚愧(ざんき)に耐えない。納骨堂を見るのは始めての体験だったが、貸金庫のような形になっており、墓所というより、文字通り何の変哲もない単なる遺骨の保管場所であった。このような納骨堂では、墓参してそこで祈るという雰囲気ではなく、できれば墓所を確保したい。 

 

一方、旧知の知人の墓がある鎌倉霊園は、鎌倉市の丘陵地にある高級霊園で、約4万1000区画、総面積約55万㎡(55ha)で、富士霊園の4分の1位の広さである。園内には、川端康成、山本周五郎、萬屋錦之助、鶴田浩二(俳優)、秋山真之(軍人)といった有名人が眠っている。 

 

また内村鑑三が眠る多磨霊園は、府中市多磨町にある都立霊園(日本初の公園墓地)であり、以後の日本の墓地のひな型となった。面積は都立霊園としては最大の128万㎡(128ha)で、東京ドーム27個分に相当する。賀川豊彦、新渡戸稲造、与謝野晶子、北原白秋、高橋是清、大平正芳、東郷平八郎、山本五十六など各界の著名人が数多く葬られている。 

 

更に勝海舟の親族が葬られている青山霊園は、東京都港区南青山二丁目にある東京都立霊園であり、26万㎡(26ha)の広さである。大久保利通、犬養毅、池田勇人、北里柴三郎などそうそうたる著名人が眠っている。 


左から、鎌倉霊園、多磨霊園、青山霊園


これらの有名な霊園は、安いものでも一区画200万円以上、高いものだと1000万円を越える。それでも日本一の区画と面積を誇る富士霊園は、比較的求めやすい値段であり、また普通の公営霊園であれば50万円くらいで、更に求めやすい。 

 

【墓所・墓参とは】 

 

歌手の秋川雅史さんが歌った曲「千の風になって」という歌が大ヒットしたが、この歌はアメリカで話題となった詩『Do not stand at my grave and weep』を日本語訳して歌詞としたものである。この歌は、墓の供養を旨とする仏教界に衝撃を与えた。その理由は、歌詞の中に次の言葉があったからである。 

 

「私のお墓の前で泣かないでください。そこに私はいません...千の風になって、あの大きな空をふきわたっています」 

 

この歌は、亡くなった人が、遺された人に語りかけるかたちをとり、そしてその死者が「自分はお墓の中にはいない。あの大空(霊界)に行っている」と言っているのである。さすがにキリスト教国アメリカならではの死生観が顕れている。 

 

<墓所とは> 

 

墓所、即ち「お墓」とは何だろうか。墓地等について定めた「墓埋法」という法律では、「墓地」は都道府県から認可を受けた敷地のことを指し、「墓所」とは墓地の中にお墓を建てられるよう整備をしている区画、というように定義付けられている。その墓所に墓石を建てるといわゆる「お墓」ということになる。 

 

一般的に、日本の仏教や神道では先祖を「仏」または「カミ」(神)として崇拝し、お墓は「霊魂が眠る場所」といった考え方がある。このため、彼岸やお盆など記念日にお墓参りや法要を行い、先祖代々のお墓を継承して守ってゆく慣習が根付いている。 

 

一方、キリスト教では、死とは肉体と霊魂が分離することであり、肉体から分離した霊魂は地上に留まることはなく、霊界に赴く。スウェーデンボルグ流に言えば、霊的身体の「霊界への移住」に他ならない。UC創始者は次のように言われた。 

 

「死は、胎児が子宮を破って出てくるのと同じです。この制限された世界から神の愛の位置に帰っていくのが第二の出生、即ち死というものです」(天聖経第七篇「地上生活と霊界」P710)

 

従って墓に埋葬・納骨されたとしても、実際にはそこには死者の霊魂はいないということになる。墓に納骨された死者のお骨は、死者の人格の象徴と言えるが、あくまで死者の霊魂とは別な物質である。従って、お墓は故人の魂が眠る場所ではなく、故人に思いを馳せるための「記念碑」ということになる。 即ち、故人を偲ぶための「記念碑的象徴」、ないしはその人の「生きた証」という意味合いになる。つまり、墓所は「メモリアル」(記念碑)であり、いわば地上での死者の「戸籍」であり、納骨は「入籍」を意味する。 

 

このようにキリスト教では、死者の霊魂は霊界に行くと考えるため、かならずしもお墓は必要ではなく、納骨堂に遺骨を納めるスタイルが普及している。そう言えば、キリスト教の聖人らが、しばしば教会聖堂の地下室に安置されている。また、先祖を仏や神として崇拝する思想もないので、お墓で供養を行うという感覚はない。もちろんキリスト教でも故人を偲ぶ追悼式や集会は行うが、それらの催しは必ずしもお墓でなく、教会などお墓以外の場所で行われることが多い。 

 

確かに最近は、海での「散骨」や墓石のない「樹木葬」といった埋葬も多い。天照皇大神宮教(てんしょうこうたいじんぐうきょう)という宗教では、死者の魂は天照皇大神と共にあるので、地上での墓を持たないという慣習があり、またヒンズー教では、魂の抜けた亡骸には未練を持たず、墓を作らず、遺骨は荼毘に付し、砕いて天国に通じるという聖なるガンジス川に流すと言われている。(森本達雄著『ヒンズー教』P16) 

 

しかし、たとえ死者がそこにいなくても、地上での戸籍ともいうべき墓所という記念碑があることは、死者の生きた証として、また地上人が死者に思いを馳せる場として、やはり重要な施設であると言える。そして、墓所を大切にするということは、死者(先祖)を丁重に扱うという心の表れでもある。 ある信徒の霊的体験によると、「墓には先祖の霊はいない。しかし親族がお花を持ってお参りに行った時には、急いで霊界から墓の方に来る」といったエピソードもある。 

 

<墓参とは>

 

こうしてお墓は、死者と生者のメモリアル(記念碑)であることを述べたが、では墓参、即ち「お墓参り」とは何だろうか。墓参とは、日本の風俗、一種の宗教儀礼であると共に、死者を回顧し思いを馳せる慰霊であり、死者との精神的・霊的交流の機会である。また生者の精神的な区切りであるとも言える。 

 

前述したように、筆者は多摩霊園の内村鑑三や鎌倉霊園の知人の墓に詣で、そして今回、信徒配偶者の富士霊園に墓参した。そして、それなりの時間をかけ、思いを込めての墓参は、筆者に一つの安堵感や精神的な区切りをもたらしてくれたことは確かである。かの信徒の証のように、死者がそこに降りて来るか否かはともかく、生者にとっては心情的、精神的な安堵感をもたらす。そしてまた、自分への関心が向けられたことで、死者の霊の喜びになり、生者への協助につながることは確かである。 

 

かの小泉純一郎元首相は、毎年ある女性の命日に墓参を欠かしたことがないという。小泉氏は、離婚後、新橋の若い芸者と恋に落ちたが、小泉家は代々政治家を家業としており、そのハードルは高いものがあった。結局その女性は、叶わね恋と知り自殺したという。墓参を続ける小泉氏の心境は果たして如何なるものだろうか。また内村鑑三も前妻加寿子の命日に毎年墓参していたという。 

 

【アブラハム、モーセ、イエスの墓について】 

 

エルサレムにはヴィア・ドロローサという「悲しみの道」がある。イエス・キリストが、総督ポンテオ・ピラトから死刑宣告を受け、十字架を背負ってピラトの官邸から刑場のゴルゴダ(されこうべ)の丘まで十字架の道を歩いたとされている約1kmの道行きであり、途中に14のステーション(留)がある。毎週金曜日の午後3時、信徒らは、この道を辿りながら、イエスの受難に思いを馳せながら、聖墳墓教会の中にある「イエスの墓」まで歩くのである。あたかも私たちが、死者に思いを馳せながら行う墓参のようである。 

 

さて聖書には、イスラエルの族長たちの墓が記されている。 

 

ユダヤ教の伝承、並びに旧約聖書の『創世記』によれば、「民族の父母」と呼ばれているアブラハム、サラ、イサク、リベカ、ヤコブ、レアの6人がマクペラの洞穴(どうくつ)に葬られている。 

 

「その後、アブラハムはその妻サラをカナンの地にあるマムレ、すなわちヘブロンの前のマクペラの畑のほら穴に葬った。このように畑とその中にあるほら穴とはヘテの人々によってアブラハムの所有の墓地と定められた」(創世記23.19~20)

 

マクペラの洞穴は、ヨルダン川西岸の都市ヘブロンにある宗教史跡であり、もともとサラを埋葬するためにアブラハムが同地を含んだ畑をヘト人エフロンから買い取った地である(創世記』23章)。同史跡はユダヤ教徒やキリスト教だけでなく、イスラム教徒からも神聖視されており、聖人・偉人の墓はしばしば聖地とされている。 ちなみにカトリックの総本山サン・ピエトロ大聖堂は、12使徒のペテロの墓の上に建てられているという。

 

しかし民族の解放者モーセの墓は知られていないと聖書にはある。 

 

「こうして主のしもべモーセは主の言葉のとおりにモアブの地で死んだ。主は彼をベテペオルに対するモアブの地の谷に葬られたが、今日までその墓を知る人はない」(申命記34.5~6)

 

またイエス・キリストの墓についても諸説ある。ルカ書によればヨセフという議員が「岩を掘って造った墓に納めた」とある。 

 

「ここに、ヨセフという議員がいたが、善良で正しい人であった。この人がピラトのところへ行って、イエスのからだの引取り方を願い出て、それを取りおろして亜麻布に包み、まだだれも葬ったことのない、岩を掘って造った墓に納めた。イエスと一緒にガリラヤからきた女たちは、あとについてきて、その墓を見、またイエスのからだが納められる様子を見とどけた」(ルカ23.50~55)

 

一般にキリスト教徒に信じられているところでは、イエスの墓の場所はエルサレムの「聖墳墓教会」、あるいは「園の墓」である(但し、異説あり)。聖墳墓教会は復活教会とも呼ばれ、イエス・キリストの墓とされる場所に建つ教会であり、キリストが埋葬された後に復活したと信じられている墳墓がある。現在聖墳墓教会はキリスト教の6つの教派(ギリシャ正教会、ローマカトリック教会、アルメニア使徒教会、コプト正教会、エチオピア正教会、シリア正教会)によって共同管理されている。 

 

しかし、ヘブル人への手紙「だから、イエスもまた、ご自分の血で民をきよめるために、門の外で苦難を受けられたのである」(ヘブル13.12)などの聖句から、処刑場は城壁外にあったのではないかとの疑念が出され、聖公会などはダマスコ門に近い旧城壁外にある岩場の「園の墓」(Garden Tomb)をイエスの墓所と信じている。 

 

だが「聖墳墓教会」「園の墓」のどちらにもキリストの遺骸は無い。ニカイア・コンスタンティノポリス信条に従えば、イエス・キリストは十字架上で死に、葬られ、復活し、40日後に天に昇ったとされる。したがって、いったん葬られた場所は存在するが、遺骸は地上には残されていないというのである。こうしてイエスの墓はモーセと同じく定かではない。 

 

以上、今回富士霊園への墓参に際し、この機会に、「墓」「墓参」「死者に思いを馳せること」について改めて論考した。(了)   牧師  吉田宏

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