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聖書的霊性とは何か③ 唯一神思想について

🔷聖書の知識117 聖書的霊性とは何か③ 唯一神思想について


わたしは主である、わたしのほかに神はない。わたしは光をつくり、また暗きを創造し、繁栄をつくり、またわざわいを創造する(イザヤ45.6~7)


前回は、聖書的霊性の第二の特質として、一貫した思想性の内「メシア思想」について論考しました。今回は、聖書の第二の思想というべき「唯一神思想」について考察いたします。イスラエル一神教です。


神が唯一の存在であることは、聖書の随所に記されており、神はモーセを通して「わたしのほかに、なにものをも神としてはならない」(出エジプト20.3)と語られ、これを担保する意味で「刻んだ像を造ってはならない」(出エジプト20.4)と命じられました。 また、イザヤ書(第二イザヤ)では「私の他に神はいない」と何度も語られています。(イザヤ44.9、45.5、45.14、45.21)


即ち、唯一神思想とは神は一人であるという思想であり、偶像崇拝とは神でないものを神として礼拝することです。この思想は、歴史的には一神教として顕れてきました。正に神の唯一性は、聖書を貫く顕著な思想であります。


【創世記の世界ー唯一創造の神】


創世記1章1節の「はじめに神は天と地を創造された」という有名なこの聖句は、神が「所与の神」「唯一の神」として先ず存在し、そしてその神は「創造の神」である、という聖書の神観を端的に表明しています。この聖句は、唯物論はもちろん、多神論、汎神論、理神論、二元論、進化論、無神論を駆逐する力強い言葉です。かの同志社大学を創立した新島襄は、この一句で回心したと言われています。また日本の各神社の神々を欠かさず拝んでいた内村鑑三は、神が唯一であることを知り、一人の神だけに礼拝すればよくなって、解放されたと告白しました。


ちなみに創世記は、ヘブライ語で「ベレシート」と呼ばれ、これは「はじめに」という意味で「起源・誕生・創生・原因・根源・始まり」の意味になります。 ベレシート(はじめに)という通り、創世記には物事の始まりが記されています。即ち、宇宙の始まり、人類の始まり、罪の始まり、救いの始まり、そしてイスラエルの始まり(創世記12.1)であります。


創世記冒頭の言葉が示すように、 聖書の神の顕著な特質は「唯一神」であり、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、この同じ神を信じる一神教であります。従って聖書を貫く神について、先ず一神教の歴史から始めることにいたします。以下、この唯一神の神観が、如何に始まり、どのように形成され、どのように確立し、どのように広がってきたのか、を考えたいと思います。


【イスラエル一神教と古代オリエントの多神教】


先ず、歴史上の一神教の発端は、アブラハムを起源とし、イスラエルは唯一の神ヤハウェを信じる民となっていきますが、オリエント、ギリシャを始め世界は多神教に染まっていました。


<イスラエル一神教>


一神教はイスラエルにその起源を有しますが、その具体的な始まりはアブラハムの召命(創世記12.1)からと言っていいと思います。イスラエル族長時代の「アブラハム・イサク・ヤコブの神」(出エジプト3.6)であります。


イスラエルは創造主としての神を「エロヒム」(神)と呼び、契約の神、救済の神、民族の神としては「ヤハウェ」(主)と呼びました。トーマス・マン著『ヨセフとその兄弟』(新潮社)には「カルデア人アブラハムはそのまま神を発見した男であって、神は喜びのあまりにアブラハムの指に接吻し、『これまでは如何なる人間もわれを主にして最高の者とは呼んでくれなかった。今や、われは最高の主と言われるのだ!』と小躍りして喜ばれた」(『ヨセフとその兄弟』筑摩書房P409)とあります。またUC創始者は「アブラハムを立てるために、多くの涙を流されたあと、神は初めて着地された」と言われました。 


しかしながら、当時のイスラエルを囲む古代オリエントは多神教の世界であり、古代世界は99%が多神教の世界だったと言われています。その多神教の世界の中にあって、ただ一人、イスラエルだけが唯一の神を礼拝いたしました。


<オリエント世界の多神教>


メソポタミヤ文明とエジプト文明を併せてオリエント文明と呼びますが、古代メソポタミヤの多神教は、シュメール、アッカド、ヒッタイト、バビロニアへと受け継がれました。 


当時バビロンには、シュメールの神々の王「エンリル」、知恵の「エンキ」、バビロンの最高神でエンキの長子「マルドゥク」、イナンナの別名で豊穣と愛(欲)の最高女神「イシュタル」、など千を超える神々がいたと言われています。特に女神「イシュタル」はカナンではアシュタルテ、ギリシャではアフロディア、ローマではヴィーナスとそれぞれ呼ばれ、女神信仰の源流になりました。


エジプトでは太陽神アメン・ラー、冥府の神オシリスやイシス、例外的にアクエンアテンの唯一神アテン、カナンでは嵐と雨の神バアル、海の神ダゴン、豊作のモレク、ギリシャにはゼウスを中心としたオリュンポス十二神、インドでは宇宙の根本のブラフマー、維持神のヴィシュヌ、破壊神のシヴァ、そして日本には神社の八百万の神々がいました。


次の聖句のように、かのソロモンでさえ異教徒の神々を拝したことが語られています。


「これはソロモンがシドンびとの女神アシタロテに従い、アンモンびとの神である憎むべき者ミルコムに従ったからである。そしてモアブの神である憎むべき者ケモシのために、またアンモンの人々の神である憎むべき者モレクのためにエルサレムの東の山に高き所を築いた」(1列王記11.5~7)


【一神教の起源と歴史】


このような多神教世界の中で、神はアブラハムを召命されました。イスラエルの一神教は、アブラハムに端を発し、モーセで成立し、バビロン捕囚前後に確立(体系化)したと考えられます。


上記絵画*アブラハムと3人の天使 十戒を受けるモーゼ(共にギュスターブ・ドレ画)


<拝一神教>


前述しましたように、天地創造の神は、はじめにアブラハムを召命されました。これが一神教の始まりです。しかし、族長時代のイスラエルが理解していた「アブラハム・イサク・ヤコブの神」(ヤハウェ)は、厳密な意味での排他性を持つ唯一神ではなく、他国の神も認める氏族的、民族的な「拝一神教」だったと言われています。


拝一神教とは、唯一神教が他の神々の存在を認めないのに対して、他の神々の存在を前提とし、その民族内では一柱を神として崇拝する神観念であります。従ってこのヤハウェと呼ばれる神は、イスラエルにおいて、即ち民族内においては唯一の神(民族神)であっても、他国の神々まで否定するものではないものとして認識されていました。その神認識において、古代イスラエルは未だ「拝一神教的神観」であったと言えるでしょう。


古代イスラエルにおける「拝一神教」の成立から真正な「唯一神教」の確立へという経過は、その歴史を通じて一連の信仰上、思想上の様々な革新が繰り返され、積み重なる形で実現したものであると言われています。ちなみに日本の天照大神を中心とする日本の神々の形は「単一神教」と言われています。単一神教とは民族内において一つの神(天照)を中心としますが、その天照を中心とした神体系内において他の神々の存在も認めるというものです。従って神の数から宗教の類型を見た場合、多神教→単一神教→拝一神教→一神教という形になります。


<モーセの時代>


次にモーセによって一神教は理念的に成立しました。出エジプト記20章3節「私の他に何ものをも神としてはならない」はその原点であり、シェマの祈り「イスラエルよ聞け、我々の神、主は唯一の神である」(申命記6.4)は、イスラエルが最も大切にしてきた言葉です。


しかし、モーセの十戒から申命記改革まではいまだ理念的な唯一神教に留まり、実際はなお拝一神教的神観だったといえるでしょう。「妬む神」(出エジプト20.5)という表現は他の神の存在を前提とした概念であり、十戒の一戒は、文言上他民族の神までは否定せず、民族内においては、神は唯一であるが、他民族の神の存在を否定しないものだと考えられます。


【一神教の確立】


そうして申命記改革期からバビロン捕囚を経て第二イザヤ(イザヤ書40~55章)において、排他的唯一神の観念が確立していきました。


<申命記改革>


イスラエルの南北朝時代に、バアル信仰や偶像崇拝を非難する預言者が続出し、前9世紀のエリア・エリシャ、前8世紀のアモスらが、アッシリアの帝国的支配が台頭する中で、「民族を超える普遍的な神」を模索していきました。特にバビロン捕囚前後のエレミヤ、エゼキエル、イザヤらは、普遍的な超越神を求め、その中からユダヤ教が芽生えていきました。


南ユダヨシア王(前639~609)の治世第18年(前622)、祭司ヒルキアにより「律法の書の巻物」(申命記またはモーセ5書)が発見されたとの記録があります(2列王22.8)。 これを読んだ王は、国民の前でこれを朗読し、ヤハウェと契約を結び大規模な宗教改革を行いました(2列王23.1~3)。その改革は、地方聖所を廃しヤハウェ祭儀をエルサレム神殿に集中する「祭儀集中」であり(2列王23.8~9)、もう一つは、あらゆる異教的な要素を排除する「祭儀浄化」であり、「排他性のある神観念」が確立されていきました(2列王23.11~12)。


申命記そのものは、申命記改革前から捕囚期前後にかけて申命記派とでも呼べる人々によって書かれたと考えられ、それが申命記の理念と精神を引き継いだ人々によって受け継がれてきました。また、いわゆる申命記史書(ヨシュア記・士師記・サムエル記・列王記)は、統一的な神学構想のもとに申命記史家によって同時期にまとめられたと言われています。


前597年の第一次バビロン捕囚、前 586年の第二次捕囚、前578年の第三次捕囚という絶望的な受難に直面して、なおヤハウェへの信仰を貫こうとする人々は、ヤハウェの無力への懐疑や不信を持つ者に対して、これを論駁し、ヤハウェ信仰の正当性を主張しなければなりませんでした。申命記改革の継承者たちは、国家滅亡と捕囚という破局が、ヤハウェの敗北でも無力でもなく、イスラエルの不信仰の罪、契約違反の罰であると解釈したのであります。


<第二イザヤにおける唯一神>


イザヤ書は大きく三つの部分に分かれ、第一部は1~39章、第二部は40~55章、第三部は56~66章と言われ、それぞれ第一イザヤ、第二イザヤ、第三イザヤとよばれることがあります。


第二イザヤ書(イザヤ書40章~55章)はバビロン捕囚が前提となっており、ここに主権、国土、国民、神殿を奪われた喪失感と救済への期待感、この民族的受難をどう考えるかという思索の中で、唯一神をあがめる神観が明確になっていきました。 そして最も典型的な唯一神教的神観が、イザヤ書43章~46章に明記されています。イザヤ45章5節~6節には「わたしが主、私をおいて神はない。光を造り闇を創造し、平和をもたらし災いを創造する者」とあり、その他、イザヤ43章10節、44章6節、46章9節などの聖句には「わたしの他に神はいない」との一神教の神観が顕れています。


受難の原因を自分たちの背信と不信仰に対する罰と捉えて(苦難の神義論)、戦争に負けた神ヤハウェを弁護し(弁神論)、この確信に基づいて律法に従う信仰の共同体が生まれました。そして、受難の民族を救う世界的・普遍的な唯一の神の観念が生まれてきたというのです。 即ち、「ヤハウエのみが唯一の神で他に神はいない」との観念です。天地を創造された普遍的、超越的な神は、アッシリアを使って北イスラエルを打ち、バビロニアによって南ユダを打たれ、ペルシャを用いて解放されたというのです。捕囚はイスラエルの罪の結果(イザヤ40.2)であり、またバビロンからの解放は第二の出エジプトとも譬えられ、ペルシャのクロス王がモーセの役割を担ったと考えました。


ホセア、イザヤ、エレミヤは、アッシリア、バビロニアを偶像崇拝に陥ったイスラエルに罰を与える道具と見ましたが、第二イザヤは、神はペルシャ王クロスを用いて解放の道具としたと主張します。ヤハウェこそ唯一の神で世界に他の神は一切存在しないというのです(45.5~7)。 ここに神観の革命的な一点突破の飛躍とも言える排他的唯一神教の神観が確立しました(山我哲雄著『一神教の起源』筑摩書房) 。


宗教学者の山我哲雄は、イスラエルの唯一神教が成立する経過として下記の「5段階の神観の革命」を指摘しました。


a.ヤハウエを民族共同体内の唯一の神として崇拝する出エジプト時代(拝一神教)

b.エリア、エリシャ、BC8Cの文書預言者らによる、異邦人(アッシリア)を用いてイスラルを罰するという世界神として描く理念的な普遍神観念

c.申命記改革時代の祭儀集中、祭儀浄化に見られるより排他性を持った神観

d.国家の滅亡、バビロン捕囚の受難をイスラエルの罪の結果と見て、普遍性のある唯一神の神観

e. ヤハウエ以外の神の存在を原理的に否定する、第二イザヤによる普遍的、排他的な唯一神観の宣言。


こうして一神教は確立されました。世界が多神教に溺れている時、一人イスラエルだけは、神が唯一であることを一貫して主張し、これを世界に広めました。今でこそ私達は、神が唯一であることなど普通のことだと思うかも知れませんが、当時の世界では革命的な神観でした。イスラエルのわずかな民から始まった一神教は、今や、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教など世界の60%が受け入れるまでになりました。人類に唯一神の思想を送り出した功績は、イエス・キリストを生み出したことと並んで、ユダヤ人の最大の人類史的貢献であると言えるでしょう。


イスラエルは苦難の民として多くの苦難・艱難を経てきましたが、創始者は、苦難・患難の意味について、次のように語られました。


「神様はなぜそのような患難をつくっておかなければならないのでしょうか。それは真の神様、歴史的に苦労した神様と同参したという価値を与えるためです。信じられないような患難の中でも神様を愛し得る真の息子、娘を探すために、そのような艱難の時が来るというのです」


【論考ー神道は多神教か一神教か】


さておしまいに、神道の神とは何か、多神教か一神教か、そして日本人は、神は一人のお方であること、即ち唯一の神であることが果たして理解できるのだろうか、という問題を考えたいと思います。


前記しましたように、創世記1章1節は、一人の神がいましたまい、その神が創造主であること、即ち「神が宇宙を創造された」ことを宣言しています。しかし、神が一人であり、この神が創造主であるという観念は、日本をはじめ多くの民族には理解出来ない神の観念でした。


<神道の神、仏教の神>


ちなみに日本の神道には「創造」という観念はありません。古事記の冒頭には、「天地初めて發けし時、高天原に成りし神の名は、天之御中主神(アメノミナカヌシ)、次に高御産巣日神(タカミムスビ)、次に神産巣日神(カミムスビ)」と記してあります。 このように、神は「高天原に成りし」とあり、神が出現する前に既に高天原があったのであり、神が高天原を創造したのではありません。少なくとも文言上、そのように読めます。


また国学者の本居宣長は、著書『古事記伝』で、神道の神を次のように定義しました。


「さて凡て迦微(かみ)とは、古御典等(いにしえのみふみども)に見えたる天地の諸の神たちを始めて、其を祀れる社に坐す御霊をも申し、又人はさらにも云わず、鳥獣木草のたぐひ海山など、其余何にまれ、尋(よの)常ならずすぐれたる徳のありて、可畏き物を迦微とは云ふなり」


ここには4種の神が定義されています。即ち、記紀(古事記・日本書記)に出てくる神、地域神社の神々、自然万物の神、人間の神の4種です。本居宣長は、「尋(よの)常ならずすぐれたる徳のありて、可畏き物」が迦微(かみ)と呼ばれ、これらは神社の祭神となったというのです。つまり神道の神は八百万の多神教で、勿論、これらの神々は創造神ではありません。


一方、仏教、特に原始釈迦仏教にはそもそも神という観念はありませんでした。釈迦の原始仏教は「輪廻からの解脱とその方法」を説き、ものごとの本質を「縁起・空・無常」と見る教えで、本来無神論的、あるいは汎神論的であり、また霊界や霊魂の存在についても言及していません。


仏教に一神教的な神観念が生まれるのは、紀元後の大乗仏教からで、宇宙究極の実体を意味する「久遠仏・如来」といったヤハウェの神に近い考え方が生まれました。南無阿弥陀仏の「阿弥陀如来」は、正にユダヤ・キリスト教の神と同じと言っていいでしょう。 この仏教の神観は、1世紀当時のキリスト教やゾロアスター教の影響、もしくはその対抗意識から生まれたものではないかという説があり、仏教は混合宗教の性質になっていきました。ちなみに創価学会の生命論は一種の汎神論であり、宇宙・仏即大生命と捉え、個が死ねば大生命の中に溶け込み、一定の時間の後に新たに別な命に転生するという教理であります。


<天之御中主神(アメノミナカヌシ)は宇宙の創造神か>


他方、神道には一神教の思想が見られるという見解があります。吉田神道、平田胤篤の思想、久保有政氏の造化三神における三位一体観念などがその代表例です。


天之御中主神(アメノミナカヌシ)は、日本神話の神で『古事記』の冒頭に記されている天地開闢に関わった五柱の別天津神(ことあまつかみ)の一柱で、最初に現れた神であります。『日本書紀』では国之常立神 (クニノトコタチ)が初めての神となっていますが、『古事記』では、アメノミナカヌシは天地開闢の際に高天原に最初に出現した神であるとしています。そしてその後、高御産巣日神(タカミムスビ)、神産巣日神(カミムスビ)」が現れ、すぐに姿を隠したとし、この三柱の神を「造化三神」といい、性別のない「独神」といっています。


アメノミナカヌシの神名は、天(高天原)の中央に座する主宰神という意味であり、宇宙の根源の神であり、宇宙そのものといった意味になります。平田篤胤はキリスト教の「万物の創造神」という観念の影響を強く受けたと言われ、その著書『霊之御柱』において、この世界の姿が確定する天孫降臨以前の万物の創造をアメノミナカヌシ・タカミムスビ・カミムスビの造化三神によるものとしました。この三神は復古神道においては究極神とされ、なかでもアメノミナカヌシは最高位に位置づけられています。


また平田篤胤の門人の渡辺重石丸(いかりまる)は、篤胤の神道思想にみられるキリスト教との習合をさらに徹底し、アメノミナカヌシこそが全知全能の宇宙の主宰神(God)であると説く「真天主教」(しんてんしゅきょう)を唱えたことで、神道思想史上注目されています。


日本は八百万の神々の国であると誰もが思っていますが、決して雑多な神々の国ではなく、少なくともアメノミナカヌシを中心に、神々を秩序付けようとする試みがありました。 即ち、儒教の天、道教の太極、仏教の大日如来という宇宙の真ん中に位置する全知全能の神という概念の影響を受けて、アメノミナカヌシを宇宙の真ん中に位置する宇宙の主宰者的な神と位置づけ、アメノミナカヌシを中心に神道の神々を体系化しようとしました。


<アマテラス(イザナギ系)とアメノミナカヌシ(ムスビ系)>


日本では、古来から主宰神の座を巡って、アメノミナカヌシと天照大御神(アマテラス)の主導権争いがありました。ある神道研究家の話によれば、明治以降の神道は、「アメノミナカヌシの復活と挫折の歴史」だといいます。


古事記ではアマテラスを頂点として神々が体系化されていますが、本来、日本土着の「イザナギ系」と大陸系統の「ムスビ系」の二系列があるという見解があります。 歴史学者の溝口睦子氏は著書『アマテラスの誕生』の中で、記紀神話に「イザナギ・イザナミ系」と「ムスヒ系」の二元構造があると指摘しました。


日本書記の「神代上」はイザナギ・イザナミ系で、国生み物語、アマテラス・スサノオ・オオクニヌシ物語、日本土着の神話・伝説、母系海洋的世界観、多神教的世界観が見られるとしました。一方「神代下」はムスヒ系で、タカミムスビなどの造化三神や天孫降臨神話など、5世紀の北方系支配者起源神話、男系大陸的・一神教的世界観が見られるとしました。 即ち、神代上は、日本土着の神話・伝説を集成して構成された神話体系であり、神代下は5世紀になって取り入れた北方系の、支配の起源を天に求める思想、即ち支配者起源神話に範をとった建国神話であるとし、その象徴が天孫降臨神話であり、そしてこの二つは、国譲り神話で結びついたというのです。             


更に溝口氏は、5世紀~7世紀のヤマト王権時代は、国家神は外来思想の「タカミムスビ」(男性神)だったと主張し、5世紀の北東アジア北方系の思想・文化と日本土着の文化は、天を基軸とした文化と海を基軸とした文化、即ち絶対神を持つ文化と多神教的な文化の違いがあったと指摘しました。つまり、天皇制思想は、弥生に遡る日本土着の文化から生まれたとする定説に対し、溝口氏は、日本が統一王権を形成し始めた5世紀ころ、北方ユーラシア遊牧民の支配者起源神話に源流を持つとしました。


そして天武期に、タカミムスビからアマテラスへの皇祖神、国家神の転換があったというのです。そして国家神として選ばれたのは、それまで皇祖神の地位にあったタカミムスビではなく、土着の地方神、太陽神であったアマテラスだったといいます。 連や伴造などの特定の有力者は、外来の一部貴族が信奉するタカミムスビではなく、全ての人に馴染み深く、弥生以来しっかり根を張った土着のアマテラスを選んだのである、いわば、「国家権力の思想基盤を、外来の神から弥生以来の土着神に据え直した」と溝口氏は主張しました。即ち、土着多神教的な神が外来の一神教的な神を飲み込むことになったというのです。


従って、神道の神概念の特質には、本来アメノミナカヌシに象徴される一神教的な性格が根本的にあるというわけです。 アメノミナカヌシの復権を主張する神道研究家の小島徹郎氏は著書『大嘗祭改革運動の提言』の中で、「アメノミナカヌシを日本民族の深層意識の中から蘇生復活させ、国家の中心にお迎えしたい」(P9)と持論を述べています。 即ち、日本の目に見えない大問題は、「民族神(国家神)と普遍神の位置が逆になっていることだ」(P22)と指摘し、「たった一人のホントの神様(=アメノミナカヌシ)を、八百万神々集団の中に押し込めてしまう」ことへの懸念を吐露した上、「アメノミナカヌシを天地地祇、八百万神々と同列に処遇している現行大嘗祭の扱いはあまりに醜く、改めるべきだ」(P57)というのが小島氏の主張で、筆者も異論はありません。 


また国際基督教大学の中沢新一教授は、アメリカ先住民(インデアン)には、創造主、無数のスピリットの中にグレートスピリットの存在を認める一神教的な「高神」への志向性が認められるとし、同様に、神道には「多神教の要素の中に一神教への志向性がある」と指摘しました。即ち神々の中に、より大いなる神、最も大きい神、神々の存在を規定する神、アマテラスの神の前にある神という一神教に向かう契機があると主張しました。


いずれにせよ、日本の神々は唯一の神に至る「途中神」であり、神道には一神教への郷愁が潜在しているというのです。


<キリスト教の神への憧憬>


果たして、遠藤周作が『沈黙』の中で言ったように、日本はキリスト教にとって「底知れぬ泥沼」の不毛の地であるのでしょうか。


この問に対して兵庫県高砂教会牧師の手束正昭氏は、「日本は非キリスト教的キリスト教国」、即ち「潜在的キリスト教国」であると主張されています。日本は神がこよなく愛された地であり、日本人のDNAにはキリスト教信仰への憧憬がある、即ちその深層には、既にキリスト信仰が横たわっていると述べられました。(『日本宣教の突破口ー醒めよ日本』P426~433) 。ケニー・ジョセフ著『隠された十字架の国・日本』にある通り、神道とユダヤ教との間には、古来密接な関わりがあり、そのヴェールをはがし、「非キリスト教的キリスト教国日本」の発掘によって、日本福音化の大きな可能性と希望が開けるというのです。


筆者も、この考え方には共感するものがあります。日本の潜在意識にある一神教が復活するかも知れない、日本は一神教に豹変する可能性がある、キリスト教の禁教時代に流された殉教の血と相俟って、日本に唯一神という目を入れることは夢ではない、と信じるものです。


以上、聖書的霊性の構成要素である「唯一神思想」について論じてきました。この聖書を貫く一神教の思想は、今や世界を席巻し、日本列島にまで到達しました。この神によって召された日本で、早晩豊かな一神教の実が実ることを祈り、そして信じるものです。


次回は、贖罪思想について考察することにいたします。(了)

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