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預言者とは 預言者概論

🔷聖書の知識97-預言者とは-預言者概論


わたしはまた主の言われる声を聞いた、「わたしはだれをつかわそうか。だれがわれわれのために行くだろうか」。その時わたしは言った、「ここにわたしがおります。わたしをおつかわしください」(イザヤ6.8)


今回から、旧約聖書の預言者に入っていきます。今回は、各預言書に入る前に、先ず、そもそも「預言者とは如何なる存在か、如何に召され、如何に民に認知されるのか」という基本的な問題を考えたいと思います。


【預言者とは】


預言者(prophet)とは、霊感により啓示された神の言葉を人々に伝え、あるいは解釈して神と人とをつなぐ者で、神の召命を受けた人であります。祭司が預言者となる場合もあり、しばしば共同体の指導的役割を果しました。イスラエルでは、預言者に召されるとうことは、苦難の人生を余儀なくされること、つまり神のために死になさいということを 意味すると言われています。


預言と予言も英語ではprophecyで同一ですが、日本では「予言」が、未来のことを前もって語ることであるのに対して、「預言」は、文字通り、神の言葉を預かる者で、倫理性をともなった神の言葉を神に代わって民に伝えました。


ただ聖書の預言には、未来を対象とするものも少なからずあるため、「前もって語る人(予言)」の側面を含むのも事実です。即ち預言者は、その置かれた時代において、神の言葉を語る説教者でありますが、同時に来たるべき時代について語る「予告者」でもあり、彼らは時代を超えて歴史を洞察し、またそれについて語る力を神から与えられていました。


預言者は一神教の神と人間を結びつける中間的存在であり、多神教の宗教では存在しないのではないでしょうか。


また、旧約聖書では神がかり状態のなかで幻を見、それを伝えるシャーマンのような「見者」(けんじゃ)と神のことばを語る「預言者」(ナービー)とは一応区別されますが、これもかならずしも明瞭に分けられるわけではありません。


【ユダヤ教における預言者】


旧約聖書では、モーセが最大の預言者とされていますが、実際の預言者の時代はサムエルと共に始りました(前1100年頃)。しかし本格的には南北王朝に分裂して以降であり、最初その前触れとなったのがエリヤとエリシャでした。そうしていわゆる預言書を残した預言者(the writing prophets)の系譜が始まります。


世の中が乱れ、祭司たちがその役割を果たせなくなっていった時代に、神は預言者を起こされました。 預言者は祭司のように、「祭儀」という媒介をもたなかったので、極めて直接的に神ヤハウェとの交わりを持ち、神から直接的に言葉を受け、その時代状況に照らした預言を行いました。


<預言書を書いた預言者たち>

このように預言書を書いたイスラエルの預言者(the writing prophets)は、王国が南北に分裂して以降に登場し(前930年頃)、バビロン捕囚を経て、旧約聖書の歴史の終わり(前400年)まで彼らの働きは続きました。


上記しましたように、これらの預言書を残した預言者の先駆けとなったのは北イスラエルのエリヤ・エリシャですが、この二人はいわゆる預言書を残していません。


彼らはいわゆる「預言」者たちであり、 預言者たちは、神から預かった言葉を民に伝えました。「主は言われる」、「主のことばがあった」などというフレーズがよく使われ、また彼らは、自分が語っていることをよく理解していました。


<ヤムニア会議>

ヤムニア会議(90年代)によってユダヤ教正典は最終的に確定しました。ここで決定されたヘブライ語聖書の配列では、①律法(トーラー)、②預言者(ネビーイーム)」、③諸書(ケスービーム)となっています。


そしてヘブル語聖書の預言書は、「前の預言書」(ヨシュア、士師、サムエル、列王)と、「後の預言書」(イザヤ、エレミヤ、エゼキエル、ダニエル、12小予言書)に分かれています。そしてこれから見ていく預言書は、後の預言書であります。


この後の預言書には、「大預言書」(the Major Prophets)と、「小預言書」(the Minor Prophets)がありますが、これは優劣の区分ではなく、預言の分量(字数)が多いか、少ないかの区分であります。


イザヤ書、エレミヤ書、哀歌、エゼキエル書、ダニエル書が大預言書であり、 ホセア書からマラキ書までの12書が小預言書(the Minor Prophets)と言われています。


12の小預言書には、ホセア書、ヨエル書、アモス書、オバデヤ書、ヨナ書、ミカ書、ナホム書、ハバクク書、ゼファニヤ書、ハガイ書、ゼカリヤ書、マラキ書があります。


<働きの時期と内容>

働きの時期による分類としては、①捕囚期前(アモス、ホセア、ヨナ、イザヤ、ミカ、エレミヤ、他)、②捕囚期(エゼキエル、ダニエル)、③捕囚期後(ハガイ、ゼカリヤ、マラキ)という見分け方があります。


そして預言者たちが語ったメッセージの一貫した内容は、①神の主権と聖なる性質の宣言、②王(政治)の腐敗への糾弾とイスラエルの不信仰への悔い改めの要求、③神の裁きと滅亡・捕囚の警告、④イスラエルと敵対する異民族・周辺国への裁き、⑤患難時代とメシア来臨の予告、⑥イスラエルの民の回復とメシア的王国、などとなっています。


特に、「王(政治)の腐敗への糾弾とイスラエルの不信仰への悔い改めの要求」こそ預言者としての最も重要な役割であり、サムエルはサウルを、ナタンはダビデを糾弾しました。


神の代弁者として、自らも神との契約に生き、民にも契約に生きることを叫び求めました。当に預言者は時代の見張人でありました。


従って多くの預言者は、その時代の王や民から、しばしば迫害され捨てられる運命を背負いました。王・国家権力・預言者・祭司、そしてに民に対して、「腐敗と不信仰の悔い改め」を要求したからであります。


「荒野に一人叫ぶ者」、これこそ預言者の姿でした。ですから神の召命に対して、モーセは「口下手」だと言って断り、エレミヤは「若い」と言って躊躇しました。


しかし預言者はまた、呪い(審判)と同時に悔い改めし者、耳を傾けし者への救い、即ち神の「祝福」も忘れませんでした。預言者は神の代弁者であると同時に、民の代弁者でもありました。


「さあ、わたしたちは主に帰ろう。主はわたしたちをかき裂かれたが、またいやし、わたしたちを打たれたが、また包んでくださるからだ」(ホセア6.1)


【その他の宗教の預言者】


キリスト教における預言者の位置付けとして、ニカイア・コンスタンティノポリス信条では、「聖霊は預言者をもってかつて語った」と告白し、預言者を神の使いとして認めています。


イスラム教では、旧約聖書の預言者たちや、新約聖書のイエス・キリスト(イーサー)も歴代の預言者として認め、「ノア、アブラハム、モーセ(ムーサー)、イエス(イーサー)、ムハンマド(モハメッド)」を五大預言者として位置づけ、そしてムハンマドこそ最後の最大の預言者であるとしています。またキリスト教から派生したモルモン教では自派の指導者(大管長)を預言者としています。


日本では、鎌倉仏教の日蓮や、無教会主義キリスト教の内村鑑三や矢内原忠雄などが、預言者的人物とされ、この他、大本の出口王仁三郎や、真光系の岡田光玉、阿含宗の桐山靖雄なども預言者とされることがあります。


【預言者の召命】


では預言者は、どのように神に召命され、如何なる権威を以て民の前に立ち、何故民は預言者として彼らを認知・受容したのでしょうか。以下、モーセ、サムエル、エレミヤについて検証していきます。


<モーセの召命>

モーセはイスラエル最大の預言者でありました。「イスラエルには、こののちモーセのような預言者は起らなかった」(申命記34.10)とある通りです。


出エジプト記に「モーセはミデヤン荒野の神の山ホレブで、しばの中の炎のうちに主の使いを見、神はしばの中から彼を呼ばれた」(3.1)とあります。 この時神は、エジプトで苦しむイスラエルの解放者としてモーセを召されました。


しかしモーセは、「わたしは、いったい何者でしょう。わたしがパロのところへ行って、イスラエルの人々をエジプトから導き出すのでしょうか」 (出エジプト3.11) 「ああ主よ、わたしは言葉の人ではありません。わたしは口も重く、舌も重いのです。どうか、ほかの適当な人をおつかわしください」(出4.10~13)と言って尻込みします。


しかし神は、「わたしは必ずあなたと共にいる」と語られ、弁舌にすぐれた「アロン」をモーセに与えられ、また、「さまざまの不思議」をもってエジプトを打つことを約束され、「三大奇跡の権能」を与えられて、これらを召命の「しるし」とされました。

そして「わたしはあなたの口と共にあり、彼(アロン)の口と共にあって、あなたがたのなすべきことを教え、彼はあなたに代って民に語るであろう」と諭されました。(出4.10~13)


こうしてモーセは、始めはしぶしぶ、やがて決然と立ち、そして民はモーセが神に召された解放者、即ち預言者であることを受け入れました。


<サムエルの召命>

母ハンナの誓願によってナジル人として誕生したサムエルは、文字通り生まれながらに「主に仕える者」でありました。祭司のエリの息子ホフニとピネハスが主の前によこしまであり、打たれて死ぬことになりましたので、主はサムエルを召され、忠実な祭司(預言者)となっていきます。


なお、エリの息子と同様、サムエルの息子ヨエルとアビヤも父の道を歩まないで、「利にむかい、まいないを取って、さばきを曲げた」(1サムエル8.3)とあります。これらは、士師や預言者の職務の世襲化への警告と見ることができ、基本的に祭司は世襲されましたが、預言者は預言の能力を持つ者に限られたのです。


「そのころ、主の言葉はまれで、黙示も常ではなかった」(1サムエル3.1)とありますが、ある日主は幼いサムエルに「サムエルよ、サムエルよ」と3回呼ばれました。(3.4~9)


はじめは祭司エリの言葉と思っていましたが、遂に「しもべは聞きます。お話しください」(3.10)と神に応答することになりました。


サムエルは育っていき、主が彼と共におられて、その言葉を一つも地に落ちないようにされたので、イスラエルのすべての人は、サムエルが主の預言者と定められたことを知り、認知することになります。(3.19~20)


主はふたたび聖所があるシロで現れ、主の言葉をもって、サムエルに自らを現され、サムエルの言葉は、あまねくイスラエルの人々に及んだというのです。


こうしてサムエルは、生まれながらの神の人として、神と民に預言者として認定されました。


<エレミヤの召命>

「ユダの王ヨシヤの時、主の言葉が祭司ヒルキヤの子エレミヤに臨んだ」(エレミヤ1.2)とあり、またエレミヤへの主の言葉はユダの王エホヤキムの時にも臨み、バビロン捕囚まで及びました。


主は、「わたしはあなたをまだ母の胎につくらないさきに、あなたを知り、あなたがまだ生れないさきに、あなたを聖別し、あなたを立てて万国の預言者とした」(1.4)とエレミヤを召されますが、「ああ、主なる神よ、わたしはただ若者にすぎず、どのように語ってよいか知りません」(1.6)と、モーセと同様に尻込みしました。


しかし主は「あなたと共にある」と言われ、「見よ、わたしの言葉をあなたの口に入れた。わたしはきょう、あなたを万民の上と、万国の上に立てる」(1.10)と言われ、そして「見よ、わたしはきょう、この全国と、ユダの王と、そのつかさと、その祭司と、その地の民の前に、あなたを堅き城、鉄の柱、青銅の城壁とする」(1.18)と語られ、預言者としてエレミヤを召命されました。


モーセにもヨシュアにもエレミヤにも語られた「我、汝と共にあり」との言葉は聖書を貫くキーフレーズであります。乙女(若い女)が生む男の子(キリスト)にも「インヌマエル」(=神我らと共にいます)と語られた通りです。(イザヤ7.14)


このように、神は強い意思をもってエレミヤを預言者として召されたというのです。そしてエレミヤの受難の険しい道が始まりました。


こうして神は3人3様の仕方で、イスラエルの預言者を立てられましたが、共通することは、「神の絶対的意思による召命」であります。冒頭の聖句はイザヤが召された時の聖句です。そして、エリヤには奇跡の賜物が、イザヤには予言の賜物が、エゼキエルには幻の賜物が与えられました。


以上、預言者についての基礎知識を概観してきました。次回から旧約聖書に出てくる預言書を順次解説していきます。次回はイザヤ書です。(了)



上記絵画*ダビデ王と預言者ナタン(ヤコブ・バッケル画)