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🔷国を贖う「贖罪の羊」とは何かーリンカーン、キング、そして安倍晋三の死を哲学する

3 時間前
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🔷徒然日誌(令和8年10月14日)  国を贖う「贖罪の羊」とは何かーリンカーン、キング、そして安倍晋三の死を哲学する


彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。神はこのキリストを立てて、その血による、信仰をもって受くべきあがないの供え物とされた。(ロマ3.24~25)



  リンカーン大統領


プロローグ


2022年7月8日、安倍元首相が暗殺されてから4年を過ぎた。今回、この愛国者の死を、アメリカ第16代大統領エイブラハム・リンカーンの暗殺(1865年4月14日、56才)、マーティン・ルーサー・キング牧師の暗殺(1968年4月4日、39才)との対比、特に国を贖う「贖罪の羊(供え物)」という視点から論考したいと思う。


1、贖罪とは何か


先ず、今回の命題である「贖罪」について、その意味と意義を考えたい。キリスト教における「贖罪」とは何か。これは、聖書の中心的な教えであり、イエス・キリストの十字架によって、人間の罪がどのように取り除かれ、如何にして神との関係が回復されるのかという、キリスト教救済論の根本概念である。


➀「贖罪」の四つの意義


贖罪とは、「犠牲や代償を捧げて罪をあがなうこと」であり、特にキリスト教では、イエス・キリストが十字架上の死によって、全人類を神に対する罪から贖ったと考えた。内村鑑三は「神の子の贖罪の恩恵による罪からの解放、これがキリスト教の本質であります」と言っている。(『余はいかにしてキリスト信徒となりしか』P279)


贖罪という言葉は、もともと他人の負債を身代わりになって支払うことを意味し、転じて他人の罪を身代わりになって償うという意味になった。とりわけ古代オリエントでは、贖罪とは「他人に渡った奴隷を代価を払って買い戻すこと」を意味し、出エジプト記はイスラエル民族が奴隷から解放された「贖いの書」として位置付けられている。 ユダヤ・キリスト教的な伝統においては、「神に対して人間が犯した罪が償われて、両者の敵対関係が和解されること」を意味するようになった。


即ち、贖罪とは、イエス・キリストがご自身を捧げることによって、人間を罪と死の支配から贖い、神との和解と、新しい命へ導かれる神の御業であり、a.贖い、b.罪の赦し、c.和解、d.聖化・新しい生命、の4つの概念が含まれる。


a. 贖い

贖いとはギリシア語で「リュトローシス」といい、「償い」「解放」「救い」を意味する名詞であり、「人の子がきたのも、多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである」(マルコ10.45)とある通り、キリストは人間を罪の支配から解放するために、ご自身を与えられたという。


前述のように、古代社会において、贖罪は「戦争の捕虜」や「借金で奴隷になった人」に対し、身代金を支払って買い戻し、自由の身にすること(身請け)を指していた。しかしキリスト教では、罪の奴隷となっていた人類を、キリストが自らの命(代償)によって買い戻し、神と和解したという教理的な「救済」を意味する。


b.罪の赦し

罪の赦しとは、神が人間の罪を赦し、かつ罪責を取り除いてくださることである。「わたしたちは、御子にあって、その血によるあがない、すなわち、罪過のゆるしを受けたのである」(エペソ1.7)とある通りである。


c.和解

和解とは、罪によって隔てられた神と人間との関係が回復されることであり、2コリント書5章には次のようにある。


「神はキリストによって、わたしたちをご自分に和解させ、かつ和解の務をわたしたちに授けて下さった。すなわち、神はキリストにおいて世をご自分に和解させ、その罪過の責任をこれに負わせることをしないで、わたしたちに和解の福音をゆだねられたのである」(2コリント5.18~19)


d.聖化・新しい命

聖化とは、罪を赦されるだけでなく、罪の支配から解放され、神に従って生きる「新しい人間へと変えられていく」ことであり、2コリント6章には次のようにある。


「わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。.....わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。もしわたしたちが、キリストと共に死んだなら、また彼と共に生きる。」(ロマ6.4~11)


つまり、贖罪は単に「罪を贖う(帳消しにする)」という意味だけではなく、罪が赦され、神との関係を回復し、人間を新しい命へ導く救いの出来事である。即ち、重生、復活、永生の業である。


では、神は犠牲なしに罪を赦すことができなかったのか。神が全知全能であり、愛なる神であるなら、なぜ犠牲を必要とされたのか。それは何故なら、罪の赦しには、罪がもたらした結果への償いが必要であるからである。


人間は堕落して罪(原罪)を持つようになり、神とサタン、即ち善と悪の中間状態におかれるようになった。このような中間位置から神のみに相対するようになるためには、「人間自身が一つの条件を立て」天の側に分立されなければならない。堕落人間は、神が送られた救世主イエスを「信じる」という条件によって贖われ、罪から解放されるのである。


原理講論には、「どのようなものであっても、その本来の位置と状態を失ったとき、それらを本来の位置と状態にまで復帰しようとすれば、必ずそこに、その必要を埋めるに足る何らかの条件を立てなければならない。このような条件を立てることを『蕩減』というのである。」 (原理講論p.273)とある通りである。更に次のようにある。


「キリスト教の教理によれば、私たちは十字架の代贖を『信ずる』というごく小さな蕩減条件を立てることにより、イエスと同一の死を経て再び生きたという条件を立てたと見なされて、救いの大いなる恩恵を受けるようになる。また、洗礼を受けたという蕩減条件を立てることにより、イエスと聖霊によって重生したという立場を復帰することができるのであり、聖餐式において一切れのパンと、一杯のぶどう酒をとるだけで、イエスの聖体を食べたという、より大きな価値の恩恵を受けるのである。  (原理講論p.275)


こうして原理には「蕩減」というキリスト教にはない重要概念があり、蕩減とは人間の「責任分担」としての償いであり、贖罪されるための条件と言える。平たく言えば、失敗したものをやりなおして過去を清算する(帳消し)条件のことである。


2、永井隆に見る贖罪思想


原爆で倒壊した浦上天主堂


長崎医科大学(長崎大学の前身)で放射線医学を研究した医師で、敬虔な浦上天主堂のカトリック信者だった永井隆(1908~1951)は、長崎の「浦上天主堂」真上に炸裂した原爆について、著書『長崎の鐘』(アルバ文庫)の中で深く洞察し、「贖いの供え物」の思想を語っている。


永井は、終戦と浦上潰滅との間には深い関係があるのではないか、つまり戦争という罪悪の償いとして、日本最高の聖地浦上が「贖罪の羊」として選ばれ、犠牲の祭壇に屠られたのではないかと次のように問いかけている。 


「信仰の自由なき日本に於て 、迫害の400年、殉教の血にまみれつつ信仰を守り通し、戦争中も永遠の平和に対する祈りを朝夕絶やさなかった浦上教会こそ、神の祭壇に献げらるべき唯一の潔き子羊ではなかったのでしょうか。」   (『長崎の鐘』p.146)


ちなみに浦上は日本でも最もカトリック信徒が集中していた歴史的地域で、約12000人の信者の内、約8000人が原爆の犠牲になって死んでいる。永井は、1945年11月23日、浦上天主堂の廃墟で営まれた原爆犠牲者の合同葬儀で、「浦上の聖なる犠牲」という考え方を述べ、浦上の信徒たちの犠牲を、神の摂理という観点から受け止めようとした。


3、「贖罪の羊」としての死ーリンカーン元大統領、キング牧師、安倍晋三元首相の殉国


アメリカ第16代大統領エイブラハム・リンカーンは、1865年4月14日、劇場で暗殺され(享年56才)、マーティン・ルーサー・キング牧師は、1968年4月4日、宿泊先のバルコニーで暗殺され (享年39才)、安倍晋三元首相は、2022年7月8日、演説中に暗殺された(享年67才)。この三人の死は、如何なる意味を持ち、どう位置付ければいいのであろうか。


➀エイブラハム・リンカーン元大統領の死 


リンカーン. ゲティスバーグの演説


リンカーン(1809 ~1865、在任1861~1865 )は、ケンタッキーの貧しい開拓農民の子で、苦学し独学した。27歳で弁護士資格を取り、州議会議員、連邦上院議員を経て共和党大統領になった。南北戦争(1861年4月12日~1865年4月9日)中の奴隷解放宣言(1863年)、ゲティスバーグの演説(1863年11月19日)が有名である。だが1865年4月22日、戦勝直後に銃弾に倒れた。


なお、奴隷解放を成し遂げたリンカーンであるが、母と9才の時死別し、4人の息子のうち3人の息子が病気で夭逝するなど、家庭的には辛酸をなめた。


a.市民宗教の体現者

リンカーンの両親はバプティスト派の敬虔な信者で、子供のころから母親に聖書物語を聞いて育ったと言われている。リンカーンは聖書に精通し、議会での演説に聖句の引用を多用し、アメリカを愛する心情を「政治宗教」(=市民宗教)と呼び、まるで牧師が聖書を説くように国民に語りかけた。


軍隊に安息日を遵守する法令を制定し、国民の断食日・感謝日・祈祷日を定めるなど、市民宗教の高揚に努めた。また奴隷解放に尽力し、南北戦争を北の勝利に導いた。暗殺される前の演説で、アメリカが神の加護の下にあると共に、また裁きの下にもあると警告し、「全能者には人知を超えた計画がある」と語っている。


ワシントンがアメリカの祭司であるとすれば、リンカーンは預言者だった。独立宣言、合衆国憲法、そして聖書を尊び、アメリカを「丘の上の街」にするという市民宗教(アメリカ教)への帰依を国民に求めた。神学者のベラーは、リンカーンを「市民宗教の神学者・模範者」と呼んだように、まさに正真正銘のキリスト教を体現した政治家だったのである。


b.リンカーン神話ー贖罪の羊、合衆国の救世主

1965年4月14日、銃弾を浴びて亡くなったリンカーンは、一人の政治家から「合衆国の救世主」としての神話的人物へと変貌し、アメリカの理想を体現した聖者になった。リンカーンの暗殺を、イエス・キリストの十字架になぞらえ、多くの聖職者は、「アメリカの罪を贖う犠牲」であり、「国家を再生させるための犠牲」と解釈し、リンカーンを「アメリカを清める贖罪の羊」と喩えたのである。


リンカーンの葬儀を司式した牧師は追悼の辞の中で、「約束の地カナンに入る直前に神に召されたモーセのように天へと引き上げられました。リンカーンはアメリカの『贖罪の羊』であり、キリストのように自身の血でアメリカを清めて国民に和解をもたらしました。」と述べた。


またホワイトハウスの東の間で行われた葬儀で、説教を担当したフィニアス・ガーリー牧師は、その説教「神への信仰」の中で、リンカーンの死を「暗殺者の邪悪な手によるものだが、それ以上に神の崇高な計画の一部である」と語った。彼は、平和が到来するまさにその瞬間に、国家の自由と連邦の存続のために「最たる命が犠牲(Sacrifice)として捧げられた」と語り、国民にその犠牲を無駄にせず神の導きを信じるよう訴えた。


このように、当時のキリスト教的知識人たちは、南北戦争という未曾有の悲劇と大統領の死という暴挙を「無意味な悲劇」として終わらせないために、「イエス・キリストの十字架の贖罪」のイメージをリンカーンに重ね合わせることで、引き裂かれた国家を精神的に再統合しようとしたのであった。


しかし、リンカーンの死をキリストの十字架に準えることはできるが、キリスト教の正統的な贖罪論に見られるように、イエスと同じ意味で人類の罪を贖ったと考えられるわけではなく、むしろ キリストになぞらえられた政治指導者である。即ち、アメリカは奴隷制度という重大な罪を犯したので、南北戦争は、その罪に対する神の裁きとして理解でき、南北戦争終結直後の死は、国家が犯した罪を深く自覚し、悔い改め、新しい国家へと生まれ変わる契機となったというのである。


②マーティン・ルーサー・キング牧師の死


キング牧師


アメリカの公民権運動指導者マーティン・ルーサー・キング牧師は、1968年4月4日、テネシー州メンフィスの「ロレーヌ・モーテル」のバルコニーで、白人逃亡犯のジェームズ・アール・レイによって銃撃され、39歳の若さで亡くなった。キング牧師の死の知らせは全米に衝撃を与え、各地で暴動や抗議活動が発生し、1983年に彼の誕生日付近の1月第3月曜日が「キング牧師誕生日」(MLKデイ)として連邦の祝日に制定された。               

ちなみにキング牧師の公民権運動とは、黒人を人種差別と法的な不平等から解放し、白人と平等な市民としての権利を実現しようとした運動である。 そして、キング牧師の暗殺は、その運動のさなかに起きた悲劇だった。


では、キング牧師の暗殺は、国を贖う贖罪の供え物だったのだろうか。キング牧師自身が敬虔なキリスト教バプテスト派の牧師であったため、彼の死をキリストの受難や、アメリカという国の人種差別という「原罪」を贖うための犠牲として捉える向きは少なくない。


彼の死は、それまで公民権運動に消極的だった白人社会や政府に強い衝撃と罪悪感を与え、結果として、暗殺のわずか1週間後に「1968年公民権法」(フェアハウジング法)が議会を通過した。この劇的な変化を、彼の血がもたらした「贖罪の成果」と見ることが出来なくもない。


キング牧師は、キリスト教の信仰を社会的正義の実践へと結びつけた牧師であり、彼の生涯と死は、キリスト教信仰が個人の救いだけでなく、社会の不正義にどう向き合うかという問題を問いかけている。


③安倍晋三元首相の死の意味



2022年7月8日、近鉄大和西大寺駅前で参議院選挙の応援演説中だった安倍晋三元首相が、山上徹也被告(45)により手製の銃で銃撃され死亡した。


この安倍晋三元首相(以下、親しみを込めて「安倍さん」と呼ぶ)の死について、これをどう捉えるかについては、政治的視点、社会的視点、犯罪的視点など色々論議されるが、筆者は職業柄、安部さんの死を耳にした時、聖書の「一粒の麦」(ヨハネ12.24)のフレーズと共に、「贖罪の羊」(ヨハネ1.29)という次の言葉がよぎった。


「安倍さんは、日本が生まれ変わるために、日本という祭壇に供えられた祭物である。そして私たち自身が生まれ変わるために、教会の祭壇に捧げられた贖罪の羊である」


ちなみに「贖罪の羊」の聖書的根拠として最も知られているのは、旧約聖書のレビ記16章に記されている贖罪の日と「二頭の雄やぎ」である。神への贖罪のいけにえとして屠られる雄やぎと、罪を負って荒野へ送られる雄やぎ(スケープゴート)である。(レビ16.6~10)


a.贖罪の供え物

あの日筆者は、激しい喪失感のあと、「安倍さんはリンカーンのように伝説になるだろう。日本の守護神になる」との思いが沸き上がってきた。


安倍さんには、まだまだ大きな仕事をして頂きたかったが、惜しまれ、悔やまれての死に様は、リンカーンやキング牧師を見るまでもなく、むしろ「伝説」への一歩と言えなくもない。教父テリトリアヌスは、「殉教の血は教会の種子」と言ったが、安倍さんの殉国は必ず大きな実を実らせると確信する。(参照-追悼文・安倍晋三元首相の死に思うーこうして彼は伝説になった→ https://note.com/humble_lion7426/n/n02747226a2fa )


そして、あの時感じたインスピレーションは、今もなお筆者の中に息づいている。この安倍事件は「深い神の計りごと」、即ち「神の霊妙なご計画の中にある」ということ、そして家庭連合(以下、「UC」と呼ぶ)が「スケープゴート」にされ、未曾有のバッシングの中で葬られてしまうことは、「決して安倍さんの本意ではない」という二つの霊感である。筆者は、岸信介、安倍晋太郎、安倍晋三という「三代の霊統」は、戦後日本の思想的、政治的バックボーンであり、UCの善霊(守護霊)として導いて下さると確信している。


ちなみにスケープゴート(scapegoat)とは、本来の責任や原因とは関係のない人(UC)が、集団の不満や怒りのはけ口として、身代わりや生贄のように一方的に責められたり罪を着せられたりすることであり、まさにUCは国家の生贄として葬られた(解散させられた)と言ってよい。しかしこの犠牲は、やがて日本を再生する殉国になるだろ。


前述のように、ホワイトハウスの東の間で行われた葬儀で、説教を担当したガーリー牧師は、リンカーンの死を「暗殺者の邪悪な手によるものだが、それ以上に神の崇高な計画の一部である」と語り、リンカーン自身も「全能者には人知を超えた計画がある」と語っているが、筆者もまた、安倍さんの死は「神の霊妙な計画の一部」であると信じている。


令和5年の月刊Will8月号で長尾敬前議員は、 「総理を殺めた山上容疑者に、「『でかした、暗殺が成功して良かった』、などと発する輩が社会的制裁を受けることなく日常生活を送っている」と怒りを露にし、そして、「見守って下さい。総理が蒔いた種を必ず花を咲かせ実を結ばせます。」(P145)と決意を述べた。(参照-安倍晋三元首相の一周忌に寄せてーUCバッシングの転換点と新たな伝説の始まり→ https://note.com/humble_lion7426/n/n8c1f67a1d6ce )


b.日本を再生するための贖罪の羊

2025年10月21日に発足した高市早苗内閣の誕生と、高市自民党による衆議院選挙の歴史的勝利(2026年2月8日投開票、単独過半数の316議席を獲得)は、「聖霊の降臨」(執行草舟氏の言)であり、まさに安倍さんの降臨であった。今後安倍さんは、最も近かった高市首相に「国家を清め、再生するための贖罪の犠牲(Martyrdom / Sacrifice)」として再臨復活し、日本の再生を成し遂げるだろう。



高市政権は、安倍さんの死を 、戦後日本が抱えてきた精神的な課題(世俗化や伝統的価値観の希薄化)に対する警鐘、あるいは「日本再生のための保守政治再建の礎」として位置付け、安倍イズムを復活させ、完成させるだろうし、また好むと好まざるに係わらず、そのように宿命付けられている。現に高市早苗議員は、「安倍さんがたびたび夢枕に現れる」(令和5年Will8月号P39)と述懐している。


そして安倍さんが目指した「戦後レジームからの脱却」という保守政治の大目標や、伝統の尊重といった路線が、彼の死という巨大な喪失を経て、より強固なものになるだろう。高市首相がその政治的遺志を強く継承するリーダーとして首相の座に就いたという文脈において、安倍氏の犠牲が最終的に「日本を本来の姿へと再生させるための歴史的転換点(礎)」となる感がする。


現に保守系の言論空間(『正論』『Hanada』『WiLL』など)においては、安倍さんの死を単なる過去の悲劇に留めず、高市政権の誕生にいたる「思想的な道標(正統性の根拠)」として意味付けようとしているし、多くの保守派知識人は、安倍さんを 「戦後レジームからの脱却」や日本の「伝統的価値観の復権」のために戦い、道半ばで倒れた「殉教者(Martyr)」の精神性と重ね合わせて論じている。


まさに高市政権は、安倍さんの外交・安全保障、経済政策(アベノミクス)の継承者、安倍さんの遺志の正統な結実であり、また高市首相自身も追悼の場で「戦う政治家」の姿勢を引き継ぐ覚悟を述べている。


以上、「国を贖う『贖罪の羊』とは何かーリンカーン、キング、そして安倍晋三の死を哲学する」とのテーマで、三者の死の意味と影響について論考した。


あれから4年を過ぎた今、安倍さんの死は、安倍さん自身とUCを国家の生贄としてその祭壇に捧げ、日本の摂理的使命を果たすための「贖罪の羊」だったと心底思われる。まさに日本とUCが生まれ変わるための、神の「崇高な計画の一部」だったと言うしかない。


「あなたは主、全地に君臨されるいと高き神。神々のすべてを超え、あがめられる神」(詩篇97.9)


(了)      吉田宏記

 
 
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​家庭連合ポーランド宣教師
   吉田 宏

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