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申命記 注解 モーセの遺言

🔷聖書の知識80-申命記注解ーモーセの遺言


イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である。あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない。きょう、わたしがあなたに命じるこれらの言葉をあなたの心に留め、努めてこれをあなたの子らに教え、あなたが家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、これについて語らなければならない。(申命記6.4~7)


【申命記の概観】


申命記は、新しい世代に対する律法の解説書であり、申命とは、「繰り返して命じる」という意味です。伝承では死を前にしたモーセが、カナンの地を目前に、モアブの荒れ野で民に対して行った3つの説話をまとめたものであるとされています。


いわば、新しい世代に対する遺言とも言えるもので、唯一の神を愛すること、神の戒め(律法)を守ること、この2つが繰り返し語られています。


1章から4章が過去の回顧で、40年にわたる荒れ野の旅を振り返り、神への忠実を説いています。5章から26章が律法の解説で、前半の5章から11章で十戒が繰り返し教えられ、後半の12章から26章で様々な律法が与えられています。


27章から30章の第3の説教には,イスラエルと神の間の契約の厳粛な更新,また祝福とのろいに関する記述があり、未来の展望が語られています。31章から34章が、指導者交代・ヨシュアの任命・モーセの歌・モーセの死と埋葬が描かれて、モーセ五書の幕が閉じられます。


【申命記の起源と神学】


以下、申命記の起源とその神学について論考いたします。


<起源>


古代以来、伝承では申命記を含むモーセ五書はすべてモーセが書いたとされていました。即ち、ユダヤ教正統派やキリスト教福音派では申命記の著者がモーセであり、実際に失われてヨシヤの時代に再発見されたとされています。


しかし、近代に入ってから、旧約聖書とイスラエルの歴史に関する学術的な研究がすすむと「列王記下」の終盤と「歴代誌」34章であらわれた「ヨシヤ王治下での宗教改革」と申命記を結びつける説が、18世紀初頭に唱えられました。即ち、紀元前621年、ヨシヤ王は聖所から偶像崇拝や異教の影響を排除しましたが、その過程で大祭司ヒルキヤの手によって律法の書物が発見され、これが申命記だというのです。


こうして申命記の起源については、ユダの王ヨシヤによる宗教改革 (前621) に関する「列王紀下」 (22~23章) の物語との関係が指摘され、この宗教改革の基準とされた「律法の書」は申命記であると確認されています。従って、このヨシア王の宗教改革を「申命記改革」と呼んでいます。故に,その起源は異論もありますが、ほぼ「前8世紀末ないし前7世紀」に求められます。


<神学>


「ユダヤ教は申命記と共に始まる」と言われています。申命記の神学は,唯一神ヤハウェの完全な恵みによって「選ばれた神の民」の神学であり,それはシェマ・イスラエルすなわち「イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である」 (6.4~5) という聖句に象徴されます。


申命記は、王国の制度が部族の自由を脅かし,アッシリアの圧迫が増大するという新しい状況のもとで,「ひとりの神」,「一つの民族」,「唯一の祭儀」という宗教を中心とする「種族連合」の理念を再び力強く掲げたものでした。


【38年間の荒野の様子】


「ホレブからセイル山の道を経て、カデシ・バルネアに達するには、十一日の道のりである。第四十年の十一月となり、その月の一日に、モーセはイスラエルの人々にむかって、主が彼らのため彼に授けられた命令を、ことごとく告げた」(申1.2~3)


上記申命記冒頭にある通り、ホレブ(シナイ)を立ってカナンの南口であるカデシ・バルネアまで本来なら11日で着くところ(約240㎞)、エジプトを出てから40年目、ホレブを立ってから38年目に到達したとあります。


しかし、この38年の荒野での動向については、民数記で少し触れられているだけで、ほとんど記載がありません。この間、次の通り世代交代が起こりました。


「カデシ・バルネアを出てこのかた、ゼレデ川を渡るまでの間の日は三十八年であって、その世代のいくさびとはみな死に絶えて、宿営のうちにいなくなった。主が彼らに誓われたとおりである。まことに主の手が彼らを攻め、宿営のうちから滅ぼし去られたので、彼らはついに死に絶えた」(申2.14~15)


[イエスの三大試練と申命記]


イエスのサタンによる三大試練は、申命記の聖句によって退けられました。


第一の試練「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」(マタイ4.3)とのサタンの試練に対して、イエスは申命記8章3節の「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである」を引用して退けられました。


第二の試練「もしあなたが神の子であるなら、下へ飛びおりてごらんなさい」(マタイ4.6)に対して、申命記6章16節「主なるあなたの神を試みてはならない」をもって試練を分別され、そして第三の試練「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」(マタイ4.9)に対して、申命記6章13 節「主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ」をもってサタンに勝利されました。


こうしてイエス様が申命記を自在に引用されているところを見れば、イエスが律法にいかに精通されていたかが分かります。


三大試練の原理的な意味は、サタンから挑戦された神の三大祝福復帰を象徴するものでした。第一の試練の勝利によって第一祝福(個性完成)を復帰されました。第二の試練の勝利によって、本神殿であり、新郎であり、また人類の真の親として来られたイエスは、すべての信徒たちを、分神殿と新婦、そして子女の立場に、復帰することができる条件を立てて、神の第二祝福の復帰の基台を造成されたというのです。第三の試練にも勝利され、被造世界に対する主管性を復帰し得る条件を立てることによって、神の第三祝福に対する復帰の基台を造成されたのです。(原理講論P412~416)


【主要な聖句】


以下において、申命記において重要と思われる聖書箇所について触れておきます。


<一神教の確立>


次の聖句は、バビロン捕囚を経たイスラエルにおいて名実共に排他的一神教、即ち神は一人で他に神はいないということを宣言したものと言われています。


「あなたにこの事を示したのは、主こそ神であって、ほかに神のないことを知らせるためであった」(申4.35)


「それゆえ、あなたは、きょう知って、心にとめなければならない。上は天、下は地において、主こそ神にいまし、ほかに神のないことを」(申4.39)


<選民イスラエル>


次の聖句は、神がイスラエルを選び、宝の民であることを示されました。


「あなたはあなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地のおもてのすべての民のうちからあなたを選んで、自分の宝の民とされた」(申7.6)


<律法の核心>


以下は、律法の核心とも言うべき聖句です。イスラエルは、幼児期からこの聖句を教え込まれ、ずば抜けたノーベル賞の受賞は、この聖句に帰せられると言われています。


「イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である。あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない」(申6.4)


「イスラエルよ、今、あなたの神、主があなたに求められる事はなんであるか。ただこれだけである。すなわちあなたの神、主を恐れ、そのすべての道に歩んで、彼を愛し、心をつくし、精神をつくしてあなたの神、主に仕え、また、わたしがきょうあなたに命じる主の命令と定めとを守って、さいわいを得ることである」(申10.12~13)


<メシア預言>


申命記には、次のようなメシア預言があります。


「あなたの神、主はあなたのうちから、あなたの同胞のうちから、わたしのようなひとりの預言者をあなたのために起されるであろう。あなたがたは彼に聞き従わなければならない」(申18.15)


「わたしは彼らの同胞のうちから、おまえのようなひとりの預言者を彼らのために起して、わたしの言葉をその口に授けよう。彼はわたしが命じることを、ことごとく彼らに告げるであろう」(申18.18)


上記の聖句は、ベテロなどによって新約にも引用されています。


「モーセは言った、『主なる神は、わたしをお立てになったように、あなたがたの兄弟の中から、ひとりの預言者をお立てになるであろう。その預言者があなたがたに語ることには、ことごとく聞きしたがいなさい」(使徒3.22)


<利息の規定>


利息の規定が記されています。同胞には利息をとってはならないとされていますが、外国人には貸金の利息が認められ、利息が合法化されました。この規定が、ユダヤで金融業が発達した重要な理由だとされています。


「外国人には利息を取って貸してもよい。ただ兄弟には利息を取って貸してはならない。これはあなたが、はいって取る地で、あなたの神、主がすべてあなたのする事にあ祝福を与えられるためである」(申23.20)


<祝福と呪い>


神はイスラエルに祝福と呪いを告げています。即ち、戒めを守れば祝福が、守らなければ呪いを置くというのです。


「見よ、わたしは、きょう、命とさいわい、および死と災をあなたの前に置いた。すなわちわたしは、きょう、あなたにあなたの神、主を愛し、その道に歩み、その戒めと定めと、おきてとを守ることを命じる。それに従うならば、あなたは生きながらえ、その数は多くなるであろう。しかし、もしあなたが心をそむけて聞き従わず、誘われて他の神々を拝み、それに仕えるならば、あなたがたは必ず滅びるであろう。 わたしは、きょう、命と死および祝福とのろいをあなたの前に置いた。あなたは命を選ばなければならない」(申30.15~17)


【モーセ、カナン目前で死す】


モーセはカナンに入れませんでした。メリバの盤石を二度叩いたことが原因となって、カナンに入ることを神から拒否されました。


しかし主はあなたがたのゆえにわたしを怒り、わたしに聞かれなかった。そして主はわたしに言われた、『おまえはもはや足りている。この事については、重ねてわたしに言ってはならない。おまえはピスガの頂に登り、目をあげて西、北、南、東を望み見よ。おまえはこのヨルダンを渡ることができないからである。しかし、おまえはヨシュアに命じ、彼を励まし、彼を強くせよ。彼はこの民に先立って渡って行き、彼らにおまえの見る地を継がせるであろう』」(申3.26~28)


そして最後に神はモーセにこう言われました。


「あなたはエリコに対するモアブの地にあるアバリム山すなわちネボ山に登り、わたしがイスラエルの人々に与えて獲させるカナンの地を見渡たせ。あなたは登って行くその山で死に、あなたの民に連なるであろう。これはあなたがたがチンの荒野にあるメリバテ・カデシの水のほとりで、イスラエルの人々のうちでわたしにそむき、イスラエルの人々のうちでわたしを聖なるものとして敬わなかったからである。それであなたはわたしがイスラエルの人々に与える地を、目の前に見るであろう。しかし、その地に、はいることはできない」(申32.49~52)



以上、申命記の解説でした。申命記で繰り返し述べられたことは、神がエジプトからイスラエルを強い御手を持って購い出されたこと、その唯一にして主なる神を愛すること、神が命じた掟(律法)を守ること、この3つに要約されるでしょう。次回は、モーセの後を継いでヨシュアに率られたイスラエルが、カナンに入り征服していく物語である「ヨシュア記」を解説いたします。(了)

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