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聖書の奥義とは何か⑤ 洗礼ヨハネの奥義 ヨハネは使命を全うできたか

🔷聖書の知識178ー聖書の奥義とは何か⑤ー洗礼ヨハネの奥義-ヨハネは使命を全うできたか


あなたがたに言っておく。女の産んだ者の中で、ヨハネより大きい人物はいない。しかし、神の国で最も小さい者も、彼よりは大きい。(ルカ7.28)


マラキ書4章に次の一節があります。


「見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす。彼は父の心をその子供たちに向けさせ、子供たちの心をその父に向けさせる。これはわたしが来て、のろいをもってこの国を撃つことのないようにするためである」(マラキ4.5~6)


このマラキの預言にある通り、エリヤの使命を持って「主の道を直くする」ために世にきたのが正に洗礼ヨハネでした。彼は光ではなく、光についてあかしをするためにきた(ヨハネ1.8)預言者と言えるでしょう。


伝統的なキリスト教では、ヨハネはキリストの証人、キリストの先駆者として特別の尊崇を受け、カトリック・正教会・聖公会などで信仰を勝利した聖人として尊敬されてきました。しかし、果たしてそうなのか、ヨハネに向けられたイエスの審きの言葉とも思える冒頭聖句(ルカ2.8)をどう解釈すればいいうらのか、即ちヨハネは自らの使命を全うしたか否かの真相、ヨハネの光と影について考察いたします。


【洗礼ヨハネの誕生物語】


洗礼ヨハネ(以下、「ヨハネ」と呼ぶ)の誕生のいきさつについては、4つの福音書の中で唯一ルカ書だけが書き記しており(ルカ1.5~66)、それによると、アビヤの組の祭司ザカリヤとアロン家の娘エリサベツを父母として生まれました。


ふたりとも神のみまえに正しい人であって、主の戒めと定めとを、みな落度なく行っていましたが、エリサベツは不妊の女であったため、彼らには子がなく、そしてふたりともすでに年老いていました。


ザカリヤは、くじで当番になり、聖所にはいって香をたくことになりましたが、聖所で御使(ガブリエル)の声を聞きます。


「恐れるな、ザカリヤよ、あなたの祈が聞きいれられたのだ。あなたの妻エリサベツは男の子を産むであろう。その子をヨハネと名づけなさい。彼は母の胎内にいる時からすでに聖霊に満たされており、そして、イスラエルの多くの子らを、主なる彼らの神に立ち帰らせるであろう。彼はエリヤの霊と力とをもって、みまえに先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に義人の思いを持たせて、整えられた民を主に備えるであろう」(ルカ1.14~18)


ザカリヤは思いもよらぬ御使の言葉に、ただちに信じることができなかったため、罰を受けて唖になってしまいました。


しかしそののち、妻エリサベツは身籠ることになり、月が満ちて、男の子を産みました。八日目に、親族が父の名にちなんでザカリヤという名にしようとしたところ、母親は、「ヨハネという名にしなくてはいけません」と言い、父親も書板に「その名はヨハネ」と書きました。すると、立ちどころにザカリヤの口が開けて舌がゆるみ、語り出して神をほめたたえたというのです。


近所の人々はみな恐れをいだき、またユダヤの山里の至るところに、これらの事がことごとく語り伝えられ、ヨハネ誕生の物語は一躍有名になりました。

父親は聖霊に満たされ、神を讃え、幼な子は成長し、その霊も強くなり、そしてイスラエルに現れる日まで、荒野にいました。


つまり、ヨハネは母の胎にいる時から聖霊に満たされ、既に神の召命を受けていたというのです。


しかし、イエスと同様に、宣教に出発をするまでのヨハネの30才くらいまでの足跡については、ほとんど聖書には記録されていません。従って、ヨハネ誕生の奇跡やナジル人として厳しい修行をしたことは推測されますが、その詳細を知ることはできません。


【洗礼ヨハネの宣教の開始ーバプテスマを施す】


マタイ書には「そのころ、バプテスマのヨハネが現れ、ユダヤの荒野で教を宣べて言った、『悔い改めよ、天国は近づいた』」(マタイ3.1) と洗礼ヨハネの宣教の開始を記しています。


またマルコ書には「バプテスマのヨハネが荒野に現れて、罪のゆるしを得させる悔改めのバプテスマを宣べ伝えていた。そこで、ユダヤ全土とエルサレムの全住民とが、彼のもとにぞくぞくと出て行って、自分の罪を告白し、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けた」(マルコ1.4~5)とあります。


そしてルカ書には「彼はヨルダンのほとりの全地方に行って、罪のゆるしを得させる悔改めのバプテスマを宣べ伝えた。それは、預言者イザヤの言葉の書に書いてあるとおりである」(ルカ3.3)とあります。イザヤの言葉とは40章3節の次の引用です。


「呼ばわる者の声がする、『荒野に主の道を備え、さばくに、われわれの神のために、大路をまっすぐにせよ。もろもろの谷は高くせられ、もろもろの山と丘とは低くせられ、高底のある地は平らになり、険しい所は平地となる」(イザヤ40.3~4)


ヨハネは、葡萄酒や強い酒を一切飲まず(ルカ1.13)、らくだの毛ごろもを着物にし、腰に皮の帯をしめ、いなごと野蜜とを食物としていた(マタイ3.4)という荒野の修行者ではありますが、父は司祭で、母はアロン家の娘の一人であり、神官としての社会的地位は、大工の息子イエスよりも格段に高いものがありました。


ちなみにヨハネはナジル人だったと言われています。ナジールは、「聖別された者」を意味し、ナジル人とは、特別な誓約を神に捧げた者のことで、民数記6章に規定があります。誓約の間は葡萄酒を口にしないこと、髪を切ってはいけないこと、死者に近づいてはいけないことが定められています(民数記6.1~8)。サムソン、サムエルはナジル人でした。


ヨハネは、ただ人々に洗礼を授けただけではなく、ヨルダン川の地方を歴訪して、「悔い改めて神に立ちかえる」教を説きました。洗礼は、罪を洗って神に立ちかえる手段として説かれ、ユダヤ全土にその名声がとどろき、多くの弟子を得ました。ユダヤ最高法院が放置できないほどの存在になるには、何年間かを要したはずであります。


【イエス、ヨハネから洗礼を受けるーヨハネ、イエスを証す】


マタイ書3章に、イエスがヨハネから洗礼を受ける場面が出てきます。

イエスの洗礼(ギュスターブ・ドレ画)


「そのときイエスは、ガリラヤを出てヨルダン川に現れ、ヨハネのところにきて、バプテスマを受けようとされた。ところがヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った、『わたしこそあなたからバプテスマを受けるはずですのに、あなたがわたしのところにおいでになるのですか』。しかし、イエスは答えて言われた、『今は受けさせてもらいたい。このように、すべての正しいことを成就するのは、われわれにふさわしいことである』。そこでヨハネはイエスの言われるとおりにした」(マタイ3.13~18)


ヨハネは「私こそイエスから洗礼を受けるはずだ」と言っているように、当初、ヨハネは自分よりもイエスが優れた預言者であると説き、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ1.29) と証言してイエスを神の子(キリスト)と証しました。


「わたしは悔改めのために、水でおまえたちにバプテスマを授けている。しかし、わたしのあとから来る人はわたしよりも力のあるかたで、わたしはそのくつをぬがせてあげる値うちもない。このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう」(マタイ3.11、マルコ1.7、ルカ3.16、ヨハネ1.27)


こうしてイエスはあえてヨハネから洗礼を受けましたが、本来この洗礼は、今までヨハネが整えてきた基盤、来るべき主のために準備してきた民をイエスに引き渡す儀式だったのでした。そしてヨハネは当初イエスを「世の罪を取り除く神の小羊」と証し、正にヨハネは、整えられた民を主に備えるイスラエルが待ち望んだエリアの再来だったのです。このヨハネの活動は「罪の許しに至る回心の洗礼」と称され、民はこぞって洗礼に与りました。


なお、ヨハネ書1章35節では、イエスの最初の弟子としているシモン・ペトロとアンデレは、元は洗礼者ヨハネの弟子であったとしています。


【ヨハネ、エリアであることを否認】


しかるにヨハネは、自分はキリストでもエリアでもなく、主の道をまっすぐにせよと「荒野で呼ばわる者の声』であると告白しました。


「さて、ユダヤ人たちが、『あなたはどなたですか』と問わせたが、その時ヨハネが立てたあかしは、こうであった。すなわち、彼は告白して否まず、『わたしはキリストではない』と告白した。そこで、彼らは問うた、『それでは、どなたなのですか、あなたはエリヤですか』。彼は『いや、そうではない』と言った。『では、あの預言者ですか』。彼は『いいえ』と答えた。そこで、彼らは言った、『あなたはどなたですか。わたしたちをつかわした人々に、答を持って行けるようにしていただきたい。あなた自身をだれだと考えるのですか』。彼は言った、『わたしは、預言者イザヤが言ったように、主の道をまっすぐにせよと荒野で呼ばわる者の声である』」(ヨハネ1.197~23)


上記聖句のように、ヨハネは自らがエリアであることを明確に否定しました。しかるにイエスは、下記聖句の通り、ヨハネがエリアであることを証言されました。


「そして、もしあなたがたが受けいれることを望めば、この人こそは、きたるべきエリヤなのである」( マタイ11.14)


「しかし、あなたがたに言っておく。エリヤはすでにきたのだ。そのとき、弟子たちは、イエスがバプテスマのヨハネのことを言われたのだと悟った」(マタイ17.12~13)


このように、ヨハネとイエスはエリアについて正反対の認識をしており、このことは、メシア来臨の前にエリアがくると信じていたイスラエルにとって大変困惑すべきこととなりました。


イエスは貧しい大工の家庭で成長した一人の無学な青年でしたが、ヨハネは、名門祭司ザカリヤの子として生まれました。またヨハネ誕生の奇跡は皆が知るところであり、荒野で行った素晴らしい信仰生活を見て、ユダヤ人たちは彼がメシヤではないかと思うほどに(ルカ3.15)素晴らしい人物に見えたのであります(ルカ3.15)。


従ってユダヤ人が、イエスの証言よりもヨハネの言葉をより信じたのは無理からぬことでありました。こうして自分はエリヤではないと主張した洗礼ヨハネの、神の摂理に対する無知は、ユダヤ人たちがイエスの前に出る道をふさいでしまう主要な原因となったのであります。


【洗礼ヨハネの逮捕】


しかし、ヨハネはガリラヤの領主ヘロデに、不敬罪で逮捕されてしまいました(マルコ1.4)。領主ヘロデは、兄弟の妻ヘロデヤを娶ったことでヨハネから非難され、また自分がしたあらゆる悪事について、ヨハネから批判されていたので(ルカ3.19~20)、彼を獄に閉じ込めてしまったというのです。


これは、ヨハネの活動が目障りになっていたユダヤ最高法院にとっても好都合であり、願ってもないことであったというのです。しかし、ヘロデは民衆の動向を恐れて彼をすぐには処刑しませんでした。


イエスはヨハネが捕えられたと聞いて、ガリラヤへ退かれ(マタイ4.12)、「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」(マルコ1.14)と ガリラヤで神の福音を宣べ始められました。


しかし結局ヨハネは、つまらない余興のダシにされて殺されてしまいました(マタイ14.6~12)。イエスはこのことを聞くと、舟に乗ってそこを去り、自分ひとりで寂しい所へ行かれたと聖書は記録しています(マタイ14:13)。


もしヨハネが主の証人としての使命が全うされていたなら、このようなつまらない死を遂げることはなかったはずであります。このヨハネの意外な死は、イエスとは別々の道を行ったヨハネの運命を暗示しているかのようです。


【洗礼ヨハネのつまづき-別々の道】


キリスト教にとって、洗礼ヨハネがイエスに躓いたとか、主の証人になりきれず失敗したとかということは、およそ信じられない事実であります。何故なら、ヨハネは偉大な主の証人として称えられるべき人物として信じられてきたからであります。しかし、以下の聖書箇所は、明らかにヨハネがイエスに躓き、イエスと別々の道を行ったことを暗示しています。


先ず、ヨハネ書3章に、ヨハネが獄に入る前、「イエスは弟子たちとユダヤの地に行き、バプテスマを授けておられた。ヨハネもサリムに近いアイノンで、バプテスマを授けていた」(ヨハネ3.22~23)とあり、「ヨハネの弟子たちとひとりのユダヤ人との間に、きよめのことで争論が起った」(ヨハネ3.25)とあるように、ヨハネはイエスと別行動をとり、別グループを作っていたことが分かります。そしてヨハネは、 「彼は必ず栄え、わたしは衰える」(ヨハネ3.30)とまで言っています。もし、ヨハネがイエスに従って運命を共にしておれば、共に栄えるはずだというのです。


更にルカ書7章には、ヨハネの不信と躓き、イエスのヨハネへの審判が如実に示されています、


ヨハネはイエスの元に弟子を送り、「きたるべきかたはあなたなのですか。それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか」と尋ねさせましたが、このフレーズはヨハネの迷いと不信を如実に物語っています。


イエスは様々な癒しや奇跡を示され、「行って、あなたがたが見聞きしたことを、ヨハネに報告しなさい。盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はきよまり、耳しいは聞え、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている。わたしにつまずかない者は、さいわいである」(ヨハネ7.22~23)と、審きの言葉を語られました。


そしてイエスは、ヨハネこそ主の前に道を整えるエリアであることを強調された上、「女の産んだ者の中で、ヨハネより大きい人物はいない。しかし、神の国で最も小さい者も、彼よりは大きい」(ルカ7.28)と遂に審判の言葉を吐かれたというのです。


このフレーズについてキリスト教では、旧約時代においてはヨハネは最大の預言者だったが、新約時代に福音によって救われた者は、旧約を象徴するヨハネより救われているので、イエスがそのように言われたといった解釈をしています。


しかし、ルカ7章28節の言葉は、明らかに審判の言葉であり、大きな使命を持ったものが躓けば、その罪科はより大きく、神の国では一番下になるという道理を語られた裁きの言葉であります。つまり、ヨハネはイエスと決別し別の道を歩んでいたというのです。


原理によればヨハネとイエスは異母兄弟、即ちカインとアベルの関係だったと言われており、ヨハネはイエスをキリストと証したあとは、イエスの弟子(第一弟子)として、イエスに侍り、宣教を共にするべきだったというのです。そしてザカリア家庭がイエス囲いとなり、盾になるべきでした。


このように、イエスに対する洗礼ヨハネの無知と不信は、ユダヤ人たちの不信を招来し、ユダヤ人たちの不信は、ついにイエスを十字架につけるようになってしまったというのです。しかし、イエス以後今日に至るまで、このような天的な奥義を明らかにした人は一人もなく、これは、洗礼ヨハネを無条件に偉大な預言者であると断定した立場からのみ聖書を見てきたからであり、因習的な信仰観念と旧態依然とした聖書解釈を省みなければなりません。


以上の通り、聖書のみ言により、洗礼ヨハネの真相を明らかにしましが、だれでも霊通して、霊界にいる洗礼ヨハネの姿を直接見ることができる信徒たちには、ここに記録されたみ言がみな真実であるということを、もっとよくのみこむことができるでしょう。


原理講論はその一節をさいて(P193~P206)、ヨハネの不信とユダヤ民族の行く道について、詳細に語っています。講論執筆者の劉孝元氏が、この洗礼ヨハネの不信をいかに重大に見ておられるかを物語るもので注目に値します。劉氏は頭脳明晰で碩学者であり、文鮮明師より6つ年上で、自らがある種の洗礼ヨハネと自覚されていた節があり、劉氏自らの自戒を込めた記述なのかも知れません。


以上、洗礼ヨハネの奥義について考察しました。(了)

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