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古事記に見る一神教と多神教の相克 「日本のルーツを学ぶ会」に参加して 

◯つれづれ日誌(令和5年4月5日)-古事記に見る一神教と多神教の相克 「日本のルーツを学ぶ会」に参加して


はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。(創世記1.1~2)


天地(あめつち)の初発(はじめ)の時、高天原(たかまのはら)に成りませる神の名は、天之御中主神(アメノミナカヌシ)。次に高御産巣日神(タカミムスヒ)。次に神産巣日神(カミムスヒ)。此の三柱(みはしら)の神は、並(みな)独神に成り坐(ま)して、身を隠したまひき。(『古事記』冒頭)


3月29日、半蔵門線神保町駅近くで「日本のルーツを学ぶ会」の定例会があり、クリスチャンの知人から誘われて参加いたしました。この会は、日本のルーツ探しを通して、日本人のアイデンティティー(大和道)を理解し、世界にリーダーシップを発揮できる日本を取り戻すという趣旨で作られたもので、毎週水曜日の夜もたれています。


主だった世話人はクリスチャンで、顧問に久保有政牧師が名前を連ねていますが、参加者は神道、仏教、無宗教など色々で、15人くらいの集まりです。先ず、30分~40分当日担当の講師が話し、その後は自由にディスカッションするという形式にこだわらない集まりでした。どういう風の吹きまわしか、4月後半の集会で、「古事記における一神教と多神教の相克」というテーマで筆者が講義をする羽目になり、今回のつれづれ日誌はその叩き台ということになりそうです。


【谷口雅春著『古事記と日本国の世界史的使命』について】


この日は筆者を誘って下さった知人が講師として立ち、生長の家の創始者である谷口雅春総裁の幻の著書『古事記と日本国の世界史的使命』(光明思想社)についての解説がありました。


この本は、もともと谷口総裁の主著『生命の実相』第16巻の「神道篇日本国の世界史的使命」と題して書かれていたものですが、この箇所は、戦争に荷担した日本神道は良くないということで、戦後GHQの検閲で発禁にされ『生命の実相』から削除されたものです。平成20年になって復刊され日の目を見たのですが、この本は一種の国体論でもあります。


古事記冒頭の記述によれば、高天原(たかまのはら)に現れ出た神は最初に天之御中主神(アメノミナカヌシ)、次に高御産巣日神(タカミムスヒ)と神産巣日神(カミムスヒ)で、これらを「造化三神」と呼んでいます。 谷口総裁はこの本の中で、「アメノミナカヌシは唯一絶対の神様であり、その一元のアメノミナカヌシが、タカミムスヒ、カミムスヒという二つの働きを現し出されて、三神一体の働きをせられる」と記されています(『古事記と日本国の世界史的使命』P11)。


つまり、日本人は目に見えない絶対神を知っていた「勝れた直覚的認識を持つ国民」であり、日本人が目に見えない絶対神を知らない「偶像崇拝者」であるというのは間違いであるとの指摘です(P7)。即ち、唯一の絶対神たるアメノミナカヌシを知っていた日本は、多神教ではなく、一神教だったというのです。


さて、今や通説になっているように「日本は八百万の神を崇める多神教」なのか、もしくは谷口総裁が指摘されるように、「日本はもともと一神教」なのか、以下、この問題を考察したいと思います。


【谷口雅春と生長の家について】


ところで、前述した日本人の神観を論じる前に、先ず、『古事記と日本国の世界史的使命』を書かれた「谷口雅春」と「生長の家」について簡単におさらいしておきます。


<谷口雅春について>


谷口雅春総裁(1893~1985)は、新宗教「生長の家」の創始者で、1893年、音吉・つるの六人兄弟の次男として生まれました。4歳の時に資産家の石津又一郎の家に養子に出され、石津家のおかげで早稲田大学英文科に進学できました。


谷口総裁は若き時には結構放蕩し、20歳の時には17歳の前科もちの房江と同棲し、妊娠、流産騒ぎを起こしています。おかげで谷口総裁は大学で首席の優等生でしたが、1914年、早稲田大学を中退せざるを得なくなりました。また大阪の摂津紡績で技術工として働きますが、二人の女性問題が絡んで再び転落し、更に妓楼で性病に罹患してしまう始末でした。


このような時、大本教と出会い、京都府綾部を訪ね求道生活に入ることになります。文才を買われて機関誌の編集を任され、出口王仁三郎の『霊界物語』の口述筆記に抜擢されるなど教団内で嘱望されました。1920年には大本教の信者であり親交があった江守輝子と結婚しています。


しかし、1922年の第一次大本事件を機に、浅野和三郎と共に大本から脱会し、浅野が旗揚げした「心霊科学研究会」で宗教や哲学の探求を重ね、また一燈園の西田天香らとも接触したり、賀川豊彦のところにも赴くなど、魂の救われる場所を求め様々な経験を積んでいきました。また、当時流行していた「ニューソート」(自己啓発)の強い影響を受け、1924年には米国フェウィック・ホルムスの『心の創造活動の法則』を読み、「自我は拡散して無限我になる」との黙想法を体得しました。


ちなみにニューソートとは、19世紀後半にアメリカで始まったキリスト教における一種の異端的潮流のひとつで、理想主義的な神学、楽観的な世界観、個人の現実的な幸福に焦点を当てた緩やかな宗教共同体の集まりであり、物質に対する心の力、精神の優位性に重点を置くもので、理論的にも実践的にも宗教的観念論の一種であります。


翌1925年、外資系石油会社に就職し、家族で神戸市御影町に転居しました。毎朝神社に参拝し、自宅で瞑想することを日課としていましたが、1929年12月13日(36才)、静座瞑想をしていたところ、「物質はない。無より一切を生ず。実相がある」、「今起て!」との天啓を聞いたといいます。即ち、「人間は神の子、善一元の世界、万教帰一」との啓示を受け、この真理を万人に伝えたいとの悲願の下に、1930年3月1日、神道、仏教、キリスト教に現代科学を加味して完成したとする、『生長の家』誌1000部を自費出版しました。教団は、その発行日を立教記念日としています。


こうして 仕事を辞め、文筆活動で全世界に宣布せんとの志を立て、以後、同誌の普及に力を注ぐことになります。発刊の辞は「自分はいま生長の火をかざして人類の前に立つ」であり、1935年、教勢発展に伴い一家で東京に上京し、1936年(43才)、教化団体「生長の家」を創立しました。


第二次世界大戦期に急速に右傾化し、「限りなく日本を愛す」との心情から、国家主義・天皇信仰・感謝の教えを説き、戦時中は軍国主義日本に賛同的姿勢を取りました。戦後は海外巡回をするなど精力的に布教に励み、信徒には「大聖師」と呼ばれました。教祖の著述への志向を反映して、生長の家は雑誌購読者の団体として大きくなり、東西の思想・宗教をとりまぜた多彩な教義へ発展していきました。


戦後は、GHQ主導で作成された憲法を、「諸悪の元凶」として批判し明治憲法復元運動などの言動で注目を集めました。1974年には宗教界の保守主義団体「日本を守る会」(日本会議の前身)を結成し、また「優生保護法の廃止」を強く訴え、優生思想や堕胎容認の同法を「生命軽視」であるとしました。しかし1983年には優生保護法廃止が実現しないこと等を理由として生長の家政治連合の活動停止が決定され、以後生長の家は自民党政権と距離を置くようになりました。


主著『生命の實相』は通算1900万部を超え、今なお多くの人々に読み継がれています。このほか『甘露の法雨』『眞理』(全11巻)、『新選谷口雅春選集』(全20巻)、『新選谷口雅春法話集』(全12巻)、『谷口雅春著作集』(全10巻)等があり、生涯の著作は400冊以上といわれています。


1975年、長崎県西海市に生長の家総本山を移転し、晩年は妻の輝子と共に総本山内にある総裁公邸に住み、講話や文筆活動を行いました。1985年、生長の家総本山のある長崎で死去。享年91歳。谷口総裁没後は、妻の輝子が総裁を務めていた白鳩会総裁の座を一人娘の恵美子に譲り、生長の家総裁は恵美子の夫で婿養子の清超とし、現在は清超と恵美子の二男である谷口雅宣が第3代目総裁に就任しています。(以上、ホームページ、コンサイス日本人名事典、ウキペディア等参照)


<生長の家の教え>


前述の通り、生長の家は、谷口総裁が長年にわたる求道・精進の末に、「人間は神の子である」という決定的な啓示と悟りを得て、その喜びを伝えるために、1930年に『生長の家』誌(月刊)を発刊したのが始まりです。


生長の家の本尊は「生長の家の大神」と仮に称していますが、「生長の家」とは「大宇宙」の別名であり、大宇宙の本体者(唯一絶対の神)の応現または化現のことであります。生長の家では、本尊を現す像などは造らず、あらゆる宗教の本尊の奥にある「実相」(唯一の真理)を礼拝するため、『實相』と書いた書だけを掲げています。この点は偶像崇拝を禁じるユダヤ・キリスト教と親和性があります。


生長の家は、「人類光明化」を目指し、「神・自然・人間は、本来一体である」との教えに基づき、「善一元なる神」への信仰によって世界の平和をめざす「国際平和信仰運動」を行っています。


谷口総裁は、真理の言葉の力による人類光明化運動の実現を目指し、「言葉こそ真理そのものである」として、言葉・文字を用いて「大宇宙の真理」を懸命に書き続けました。 これは、聖書の「初めに言があった。この言に命があった。そしてこの命は人の光であった」(ヨハネ1.1~4) と符号いたします。


谷口総裁の説いた教えの根本原理は、「唯神実相」(ゆいしんじっそう)、「唯心所現」(ゆいしんしょげん)、「万教帰一」(ばんきょうきいつ)の3つの言葉で表わすことができます。(生長の家ホームページ)


「唯神実相」の「実相」とは本当にある世界のことであり、唯一にして絶対の神がつくられた「本然の真理・世界」のことです。つまり本当に存在するものは唯、神と神の作られた完全円満な世界(本然の世界)だけであるという意味で「唯神実相」と呼んでいます。ですから、世の中には戦争やテロがあったり、病気などの不幸な出来事があるように見えますが、それらはすべて「現象」であって、本当にある世界の「実相」ではないと説いています。


「唯心所現」とは、この現象世界は人間の心によって作り出している世界であるという教えです。唯心所現の「心」とは「コトバ」であり、コトバには行動で表現する「身」(しん)、発声音で表現する「口」(く)、心の中で思う「意」(い)の3つがあり、これら身・口・意の三業を駆使することで、唯心所現の法則によって現象世界をいかようにでも作り上げることが出来るのというのです。


「万教帰一」とは、核になる一つの教え(根本真理)が色々な教えとして展開していると考え、宗教に違いがあるのは、時代的、民族的、文化的な違いが現れているからだと見ています。従って、世界の各宗教が、この核となる中心部分の共通性と周縁の多様性をお互いに認め合うことによって、宗教間の対立は消えることになり、それを端的に表わした言葉が「万教帰一」の教えだということです。


ところで、これらの生長の家の神認識は、キリスト教のGodとは大変親和性があります。キリスト教では神は唯一絶対にして創造の人格神(親なる神)としていますが、生長の家でも神は「唯一絶対の神」であり、人間は「神の子」としていますので、ほぼ一致しています。


ただ、谷口総裁が説く神には、創造という概念が無いこと(又は極めて薄い)に加え、悪(罪)の問題についての具体的な説明がなく、従って救済観が欠如しているように思われ、その意味で、創造原理型の教えと言えるでしょう。つまり、本来あるべき実相(本然)の世界を強調し、現象の世界は所詮は心の持ちようであるといった考え方、即ち、身・口・意の三業を駆使することで現象を変えられるというのは、楽観的に過ぎるとの疑問を持たざるを得ません。


そして「唯心所現」の教義は、物質的なものは実在ではないと考え、心的なものだけが実在であるとするニューソートなどに見られる観念的な唯心論に傾くきらいがあり、明確な救済思想が望まれます。ある牧師が、「生長の家の教えは色んな宗教からいいとこ取りした混合宗教」と評しましましたが、谷口総裁の高い霊性を十分評価した上で、この牧師の指摘は当たらずとも遠からずというところでしょうか。


【古事記における一神教と多神教の問題】


さて、本題の古事記における一神教と多神教の議論ですが、前述の通り谷口総裁はアメノミナカヌシを唯一絶対の神と定義し、日本は古来一神教の源泉を持っているとしました。また平田篤胤は聖書を読んで影響を受け、この世界の宇宙・万物の創造をアメノミナカヌシ・タカミムスヒ・カミムスヒの造化三神によるものとしました。この三神は復古神道においては究極神とされ、なかでもアメノミナカヌシは最高位に位置づけられています。その意味で、創世記と古事記の冒頭の一節は、共に唯一の神を言い表しています。


しかし、実際の日本の神道は、イザナギから生まれ、イザナギから高天原の統治を委ねられた「アマテラス」を皇祖神とする多神教の神々で彩られています。一体、古事記が主張する神は一神教なのか、それとも多神教なのか、議論が分かれるところです。


この点、日本古代史の研究家で十文字学園女子大学名誉教授の溝口睦子氏が『アマテラスの誕生』(岩波新書)という本の中で、「タカミムスヒからアマテラスへの国家神(皇祖神)の交代」という視点で画期的な研究をされていますので、これを叩き台に話を進めたいと思います。


<溝口睦子氏の主張>


溝口氏は『アマテラスの誕生』の中で、7世紀末、中央集権国家を推し進め、 天皇の国土統治や皇位継承の正当性を示す目的で古事記と日本書記の編纂に着手した天武天皇は、それまで国家神(皇祖神)の地位にあった「タカミムスヒ」を、土着の太陽神であった「アマテラス」を選び取り、国家神をアマテラスに代えたと主張されました(『アマテラスの誕生』P176)。


ところで、『日本書記』の記述(神代下天孫降臨条)に、「タカミムスヒが天皇家の先祖であるニニギを降臨させられ国を授けた」とあり、神武天皇の巻冒頭にも同様の記述があります。従って、タカミムスヒが皇祖神・天の至高神であったことは、その他の史実と相俟って明らかであるというのです。一方、アマテラスが7世紀末ごろまで地方神であったことは、多くの歴史家が論じているところです。


ちなみにタカミムスヒは、天地のはじめに高天原に成りませる神であり、アメノミナカヌシ、カミムスヒと共に造化三神で、造化三神はキリスト教の三位神に当たるという説もあります。前述の通り、この造化三神は復古神道においては究極神とされ、平田篤胤は、この三神を天地創造の神と位置付けました。ともあれタカミムスヒが一神教の系譜にあることは明らかです。


しかし、天津神(天上の神)から国(日本)を造ることを命じられたイザナギは、国を生み、そしてアマテラスを生んで、アマテラスに高天原の統治を託しました。そして古事記の天孫降臨条には、アマテラスとタカミムスヒがニニギに対して高千穂に天降るよう命じており、古事記が皇祖神として真っ先に揚げているのは日本書記とは違ってアマテラスであります。


この日本書記と古事記の皇祖神を巡る違いについて、天武期にタカミムスヒからアマテラスへの国家神の交代があったと溝口氏は主張されているのです。


溝口氏は、朝鮮半島をはじめ北方ユーラシアを含む北東部アジア世界で共有されていた支配者起源神話を日本が取り入れたのが一神教的なタカミムスヒだったといわれます。この北方系の思想や文化と、アマテラスの基盤をなす日本土着の文化とは大きな違いがあり、これは天を基軸にした文化と海を基軸にした文化、絶対神・至高神をもつ文化と多神教的な文化の違いと言えるというのです(『アマテラスの誕生』P11)。


結局、7世紀、イザナギはアマテラスに高天原の統治権を与え、国家神は一神教的なタカミムスヒから、縄文・弥生に遡るアマテラスへの転換が行われたのでした。つまり、国家権力の思想的基盤を、この時外来神から弥生以来の古い伝統を持つ土着神に据え直したことになりました。また、これには外来思想に対する古来日本の思想の主張という側面も否定できません。


タカミムスヒは、ヤマト王権時代における王家の先祖神・国家神ではありましたが、しかし、信奉者は一部の豪族や知識人のみで一般には親しまれていない馴染みの薄い神であり、一方、アマテラスは土着の太陽神として古くから神話を通して列島全体の広範な人々に知られ、支配層の人々にも党派の別なく親しまれていた神だったというのです (『アマテラスの誕生』P184)。


<古事記に見る一神教の神と多神教の神>


前記に見てきた溝口睦子氏の見解は、なるほどと思わせられる歴史的な実証性があり、筆者もこの溝口氏の見解に好感を持つものです。また、これら溝口氏の国家神交代説を裏付けるように、京都大学教授の上山春平氏は著書『神々の体系』の中で、天武・持統朝に「神祇革命」があったと指摘され、民俗学研究家の筑紫申真(つくしのぶざね)氏も著書『アマテラスの誕生』の中で、天武・持統期にアマテラスは懐胎し誕生したと言われています。


古事記の冒頭に出てくる造化三神、特にアメノミナカヌシは、谷口雅春総裁なども指摘されているように、究極の実在者である唯一絶対の神であると考えられ、古事記に一神教的な契機があることは確かです。


しかし古事記において、この三神はすぐに姿を隠し、タカミムスヒの神を除いては、その後の記述には出てきません。この三神に代わって神々の主役に躍り出るのは、天孫降臨に象徴されるように、アマテラス →孫のニニギ→ 海幸彦→ うがやふきおえず→かむやまといわれひこの尊(神武天皇)とつながるアマテラスを祖とする天孫の系譜であります。


つまり、土着の太陽神(女性神)であり、弥生以来馴染んできた多神教的な契機を有するアマテラスが、日本の国家神・皇祖神として誕生したというのです。


以上述べたように、古事記には一神教と多神教の契機を同時に読み取ることが出来ます。それが、溝口氏が指摘されるように、7世紀に起こったタカミムスヒからアマテラスへの国家神の交代であるかは否かは別として、古事記には一神教の神と多神教の神の二つの神概念があることは否定できません。


<祭神論争>


ところで、神道では古来から祭神論争があり、多神教的な性格を持つアマテラス派と、一神教的な性格を持つアメノミナカヌシ派で主祭神を巡って議論がなされてきました。 神道に詳しいUC信徒によると、特に明治期には、一神教のアメノミナカヌシと多神教のアマテラスのどちらを国家神とするかで、いわゆる熾烈な「祭神論争」があったといいます。


明治初期にはアメノミナカヌシ重視の平田派が主導権をとり、アメノミナカヌシが1200年ぶりに復活したと思われましたが、明治13年ころのいわゆる「神道事務局」の祭神を巡る論争で、アマテラスの巻き返しがあり、結局、宮中祭祀を司る「宮中三殿」には、「賢所」にアマテラスが、「皇霊殿」に歴代天皇が、「神殿」には天神地祇が祭られることになりました。


その後、昭和16年頃から神職養成の機関である「皇典講究所」における国体を巡る議論で、アマテラス重視が多数を占め、アマテラスの独走体制が確立したというのです。


【日本の神々は途中神】


さて、神の数に着目した宗教の4つの類型として、「一神教」、「拝一神教」、「単一神教」、「多神教」という概念があります。拝一神教、単一神教は一神教と多神教の間にある宗教の概念であります。


<古事記の神体系は単一神教>


「拝一神教」とは、一神教が他の神々の存在を認めないのに対して、他の神々の存在を前提とし、その共同体(民族)内では一柱を神として崇拝する神観念であり、アブラハムからバビロン捕囚時代までの古代イスラエルの神観や浄土宗の神観がこれに該当いたします。


そして「単一神教」とは宗教学者のミュラーが提唱した観念で、複数の神々を前提としますが、その中の一柱を主神として崇拝するものです。対象領域(民族)の中に他の神々を認めながらも、その対象領域の神々を根拠づけている主たる神の存在を中心として、他の神々をその中に体系化する、というものです。


古事記のアマテラスを中心とする神体系が正にそれであり、八百万の神々を認めながらも、その体系内ではアマテラスを頂点に位置付けるというものです。その意味で、神道は多神教であると共に単一神教でもあります。ギリシャのパンテオンの神々やインド古代ヴェーダの宗教も単一神教に類型化されるでしょう。


<神道の神々は途中神>


日本は「宣教師の墓場」と言われて久しく、日本におけるキリスト教布教は、人口比で1%を越えることのない細々としたものでした。先進主要国家で、唯一宣教に失敗した国と言われています。果たして、遠藤周作が『沈黙』の中で言ったように、日本はキリスト教にとって「底知れぬ泥沼」の不毛の地であるのでしょうか。


筆者は、古事記冒頭のアメノミナカヌシが象徴するように、日本の霊性の根底には、一神教への郷愁があり、早晩日本に、聖書の神が現れるリバイバルが勃興すると信じています。

即ち、アマテラスを頂点とした古事記や神道の神々は、アメノミナカヌシに象徴されるように、唯一絶対の天地を創造した神に向かう「途中神」ではないかと考えています。 あたかもパウロがガラテヤ書で、「こうして、律法は私たちをキリストに導く養育係となりました。それは、私たちが信仰によって義と認められるためです」(ガラテヤ3.24)と告白しましたが、正に神道の神々は、律法が福音に導くための養育係になったように、真の神に至る養育係、即ち途中神であるというのです。


高砂教会の手束正昭牧師は、「日本は非キリスト教的キリスト教国」、即ち潜在的キリスト教国であると言われ、日本は神がこよなく愛された地であり、日本人のDNAにはキリスト教信仰への憧憬がある、即ちその深層には、既にキリスト信仰が横たわっていると述べられました(『日本宣教の突破口ー醒めよ日本』P426~433)。即ち、『隠された十字架の国・日本』(ケニー・ジョセフ)の通り、そのヴェールをはがし、「非キリスト教的キリスト教国」日本の発掘によって、日本宣教の大きな可能性と希望が開けるというのです。UC創始者も、今までの日本の多神教は、ある意味で神の摂理だったが、これからは日本に一神教が根付く摂理がなされると明言されています。


以上、谷口雅春著『古事記と日本国の世界史的使命』の問題提起から端を発して、谷口雅春と生長の家について論じ、古事記における一神教と多神教の相克を論考し、最後に日本的多神教の位置付けを述べました。何かの参考になれば幸いです。(了)

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