イザヤ書注解
- matsuura-t
- 2021年8月11日
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更新日:3月10日
🔷聖書の知識98-イザヤ書注解
彼らはわが聖なる山のどこにおいても、そこなうことなく、やぶることがない。水が海をおおっているように、主を知る知識が地に満ちるからである。(イザヤ11.9)

イザヤという名前は、「ヤハウェは救い」という意味で、イザヤ書は、三大預言書(イザヤ書・エレミヤ書・エゼキエル書)の一つで、旧約聖書中最大の預言書と言われています。イザヤは前742年、南ユダ10代王ウジア(在位 前783年頃~前742年頃)の最後の年に神に召されました。イザヤ書1章1節に「ユダの王、ウジア、ヨタム、アハズ、ヒゼキア(前740年~前687年生れ)の治世のことである」と記されています。従ってバビロン捕囚以前の預言者です。
【イザヤ書概観】
イザヤ書は66章からなりますが、 高等批評によれば、1~39章を第一イザヤ、40~55章を第二イザヤ、56章以下を第三イザヤとして分けています。従って、1章~39章のみを6章で召命を受けた前8世紀のイザヤの書とし、 40章~55章は捕囚期末期の無名の預言者によって書かれたとし「第2イザヤ書」と呼ばれ、56章~66章は捕囚後の無名の預言者によって書かれたとし「第3イザヤ書」と呼ばれていて、これが通説になっています。
なお、高等批評とは、聖書の各書の「性質・著者・著作年代・場所・著作方法・原資料・社会条件」などを客観的かつ歴史的に研究するもので、 ウェルハウゼンなどを中心に 18~19世紀に盛んになりました。高等批評では、他のほとんどの預言書がそうであるように、預言者によって語られた言葉が弟子たちによってまず口承で受け継がれ、その後文書化されて編集されたと考えられ、イザヤ書が最終的にまとまったのは前200年ころと言われています。
しかしこれらの複数イザヤ説にたいして、中川健一牧師ら保守的な学者は、複数イザヤ説は自由主義神学者らの主張で、根拠が乏しいとして退けています。しかし、今回筆者は、複数イザヤ説に立って考察いたします。
第1イザヤ書(1章~39章)は、前8世紀頃のイスラエルに対して、宗教的・社会的・政治的腐敗を糾弾し、王にたいしては、政治的術策に頼らずひたすら神を信ぜよとした警告が中心であります。即ち、バビロン捕囚前の南ユダ王国に対しての「裁きと警告」の預言。
第2イザヤ書( 40章~55章)は、迫害に苦しむ民への慰労の言葉と解放が述べられ、 救いへの希望が語られています。 バビロン捕囚となる将来の人々への「希望と救いと慰め」の預言です。
第3イザヤ書(56章~66章)は、捕囚帰国後の同胞への励ましと「新天地の到来」が表明されています。
このように、イザヤ書は、堕落に対する聖なる神の裁きと罪の悔い改めの叫び、イスラエルの復興と愛なる神の救いや新天地へのいざない、がテーマになっています。そしてイザヤ書は、メシヤによる救いに焦点を合わせている預言書でもあります。イザヤ書9章5節は「ひとりのみどりごが生まれた」で始まるメシア預言だと言われ、メシヤはやがて正義と公義によって統治し(イザヤ9.6)、その統治によって平和と安全をイスラエルにもたらし(イザヤ11.6~9)、メシヤを通してイスラエルは全世界の光となり、メシヤの地上での新天地(イザヤ65章~66章)を行き先としているというのです。
【第一イザヤ】
「アモツの子イザヤの幻。これは彼が、ユダとエルサレムについて、ユダの王ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代に見たものである」(イザヤ1.1)
第一イザヤは、紀元前8世紀の後半から7世紀の前半にかけて、即ち、ユダの王ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代に、エルサレムで活動した預言者イザヤのことばを中心として編集されています。イザヤ書によればイザヤは結婚していて、その妻(ツィポラ)は女預言者と呼ばれていました。息子が2人おり、それぞれに神の啓示により象徴的な名前をつけました(イザヤ8.3)。
預言者イザヤの召命は6章で書かれています。南朝の王ウジヤが死んだ年(前742年)に神から召命を受け、40年間以上、預言者として活動しました。神の聖を強調する「神の聖の預言者」と呼ばれ、旧約中、最大の預言者とされています。 最後はのこぎりで挽き殺されて殉教したと言われています。
「わたしはまた主の言われる声を聞いた『わたしはだれをつかわそうか。だれがわれわれのために行くだろうか』。その時わたしは言った、『ここにわたしがおります。わたしをおつかわしください』」(イザヤ6.8)
イザヤ預言書(第一イザヤ)は、自国民への審判告知(1~12章)、諸国民への審判告知(13~23章)、救済預言(24~35章)という構成をなしています。
「ああ、罪深い国びと、不義を負う民、悪をなす者のすえ、堕落せる子らよ。彼らは主を捨て、イスラエルの聖者をあなどり、これをうとんじ遠ざかった」(1.4)
イザヤの時代はシリヤやアッシリアからの攻撃、北イスラエルの滅亡(前721年)など、戦乱の世であり、エジプトなど他国により頼む王に、頼むべきは神であることを訴えました。そしてイザヤは、ユダの不正を糾弾し、バビロンへの捕囚を警告しました。
「見よ、すべてあなたの家にある物およびあなたの先祖たちが今日までに積みたくわえた物がバビロンに運び去られる日が来る。何も残るものはない」
一方、イスラエルを救うメシアの到来をも語っています。
「ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、『霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君』ととなえられる。そのまつりごとと平和とは、増し加わって限りなく、ダビデの位に座して、その国を治め、今より後、とこしえに公平と正義とをもってこれを立て、これを保たれる。万軍の主の熱心がこれをなされるのである」(9.6~7)
【第二イザヤ】
第二イザヤは、前539年ペルシアによって新バビロニア王国が倒され、ユダ王国の捕囚民がバビロンからユダに帰還を許される時期に、無名の預言者によって書かれたと言われています。 第二イザヤは慰めと救いの希望を語りました。バビロンはクロスの手に落ち、そしてシオンは回復すると予告し、イスラエルの贖い(復興)を語りました。
「慰めよ、わが民を慰めよ、ねんごろにエルサレムに語り、これに呼ばわれ、その服役の期は終り、そのとがはすでにゆるされ、そのもろもろの罪のために二倍の刑罰を主の手から受けた」(40.1~2)
「またクロスについては、『彼はわが牧者、わが目的をことごとくなし遂げる』と言い、エルサレムについては、『ふたたび建てられる』と言い、神殿については、『あなたの基がすえられる』と言う」(44.28)
そして無名の第二イザヤにおいて、何度も「わたしのほかに神はいない」と書かれ、拝一神教の民族神ヤハウェは、超民族的、超国家的な世界神、唯一神へと引き上げられました。ここにおいて真正な「イスラエル一神教」が確立したとされ、その思想の深さにおいて預言者の最高峰に立つと言われています。
「わたしは主である。わたしのほかに神はない、ひとりもない。これは日の出る方から、また西の方から、人々がわたしのほかに神のないことを知るようになるためである。わたしは主である、わたしのほかに神はない。わたしは光をつくり、また暗きを創造し、繁栄をつくり、またわざわいを創造する」(45.4~7)
「わたしは初めであり、わたしは終りである。わたしのほかに神はない。だれかわたしに等しい者があるか。」(44.6)
また、53章の「苦難の僕」の歌は、キリスト教ではメシア預言と解されています。即ち、『第二イザヤ書』で良く知られているのは、「主の僕」(52.13~53.12)に関する箇所で、「僕の歌」と呼ばれています。
「しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲しめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。 彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。ほふり場にひかれて行く小羊のように、また毛を切る者の前に黙っている羊のように、口を開かなかった」(53.5~7)
「僕」が誰なのかという問題については論争がありますが、苦難に意味を見出した極めて重要な箇所であり、「僕」の代理贖罪的な死は、イエス・キリストを預言したものとしてキリスト教において重視されています。しかし、イザヤ書には、来るべきメシアが、「栄光の主」であるという預言(イザヤ7.14、9.7)と、上記に見る「苦難の僕」と見る相反する二つのメシア預言があり、これをどう解釈すべきかを巡り議論があります。
保守的な牧師・神学者らは、苦難の僕は「初臨のキリスト」を象徴し、栄光の主は「再臨」を指すと解釈しています。
初臨のイエス・キリストは蔑まれて拒まれ(ルカ13.34)、神に捨てられ( マタイ27.46)、そして私達の罪のために刺し通された(ヨハネ19.34)というのです。つまり、イエスは人類の罪を贖うために、十字架で死ぬために来られたというわけです。
しかし別な見解によれば、イスラエルが、来るべきイエスをキリストとして受け入れ奉戴した場合は、栄光の主となって神の国をもたらすが、不信仰により否定した場合は苦難の僕とならざるを得ないという「預言の二面性」を表していると解釈しています。いわゆる人間の責任分担の思想です。つまり、イエスの十字架の死は、キリスト本来の姿ではなく、不信仰の結果もたらされた二次摂理であると言うのです。
【第三イザヤ】
第三イザヤは、第二イザヤの弟子が、帰還後の困難な時期に語った預言を集めたもので、前6世紀末に書かれたと思われます。60章以降で、復興するイスラエル、新天地への希望が語られています。
「見よ、わたしは新しい天と、新しい地とを創造する。さきの事はおぼえられることなく、心に思い起すことはない。見よ、わたしはエルサレムを造って喜びとし、その民を楽しみとする。(65.17~18)
【参考聖句】
「たといあなたがたの罪は緋のようであっても、雪のように白くなるのだ。紅のように赤くても、羊の毛のようになるのだ」(1.18→罪の贖い)
「彼はもろもろの国のあいだにさばきを行い、多くの民のために仲裁に立たれる。こうして彼らはそのつるぎを打ちかえて、すきとしわ、そのやりを打ちかえて、かまとし、国は国にむかって、つるぎをあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない」(イザヤ2.4→この聖句は国連広場に刻まれています)
「おおかみは小羊と共にやどり、ひょうは子やぎと共に伏し、子牛、若じし、肥えたる家畜は共にいて、小さいわらべに導かれ、雌牛と熊とは食い物を共にし、牛の子と熊の子と共に伏し、ししは牛のようにわらを食い、乳のみ子は毒蛇のほらに戯れ、乳離れの子は手をまむしの穴に入れる」(11.6 ~8→来たるべき世界)
「黎明の子、明けの明星よ、あなたは天から落ちてしまった。もろもろの国を倒した者よ、あなたは切られて地に倒れてしまった。あなたはさきに心のうちに言った、『わたしは天にのぼり、わたしの王座を高く神の星の上におき、北の果なる集会の山に座し、雲のいただきにのぼり、いと高き者のようになろう』」(14.12~14→天使の堕落と傲慢)
「主はとこしえの神、地の果の創造者であって、弱ることなく、また疲れることなく、その知恵ははかりがたい」(40.28→天地創造の神)
「彼は叫ぶことなく、声をあげることなく、その声をちまたに聞えさせず、また傷ついた葦を折ることなく、ほのぐらい灯心を消すことなく、真実をもって道をしめす。(42.2~3→キリストの慈愛)
「あなたがたは、さきの事を思い出してはならない、また、いにしえのことを考えてはならない。見よ、わたしは新しい事をなす」(43.18~19→振り返ってはならない)
「わたしは神である、わたしのほかに神はない。わたしは神である、わたしと等しい者はない。わたしは終りの事を初めから告げ、まだなされない事を昔から告げて言う、『わたしの計りごとは必ず成り、わが目的をことごとくなし遂げる』と」(46.9~10→一神教宣言)
「見よ、わたしは新しい天と、新しい地とを創造する。さきの事はおぼえられることなく、心に思い起すことはない」(65.17→新天地)
以上、イザヤ書を見てきました。イザヤ書は新約聖書では詩篇に次いで多く引用されており、文字通り預言書の最高峰に立っていると言えるでしょう。次回は涙の預言者、エレミヤ書を解説いたします、(了)
上記絵画*預言者イザヤ(アントニオ・バレストラ画)