○つれづれ日誌(令和4年4月6日)-ウクライナ戦争の本質① ギリシャ正教との接点を探る
現下、一番注目されているのは、何と言っても「ウクライナ戦争」であります。この問題については、マスコミやネットなどで、既に色々な観点から報道されていますので、ここでは、プーチンの思想的背景や、特にギリシャ正教(ロシア正教)との関係に注目して論じたいと思います。
つまり、ウクライナとロシアの底流には、安全保障問題の他に、宗教の問題があるということであります。
【誰に非があるのか】
先ず、初めに確認しておかなければならないのは、この悲劇に責任を負わなければならないのは、一体誰なのか、という問題です。
このようなことを言えば、「それは武力で侵略したウラジーミル・プーチン大統領のロシアか悪いに決まっているではないか」と言われそうであります。確かに、誰が見ても「武力による威嚇または武力の行使」の禁止を定めた国際法や国連憲章(2条4項)を踏みにじって、他国を一方的に侵略したロシアに非があることは火を見るより明らであります。
しかし、一方では、プーチン擁護論が根強くあるというのです。
<プーチン・ロシア擁護論>
即ちプーチン・ロシア擁護論には、ざっと次のようなものがあります。
第一に、旧ソ連の勢力圏に対して、NATOがこれを取り込み、その加盟を促進するなど、西側がロシアの安全に脅威を与えたというもの、第二に、2014年のミンスク合意を破って、ウクライナ東部地域(ドネツク・ルガンスク)の親ロシア住民にジェノサイドを行ったというもの、第三に、これが一番多いのですが、いわゆる陰謀論です。
つまり、プーチンは、ウクライナのネオナチ、ネオコン、DS(ディープステイト)を排除するために正義の戦争を戦っているのだという陰謀論です。また最近では、ウクライナにある生物兵器や核施設を攻撃するためだとして、プーチンはこれもウクライナ侵略の大義にくわえました。
これらのプーチン擁護論は、独特の思想や思惑に基づく荒唐無稽なもので、全く根拠がなく、到底、全うな議論とはいえませんが、誤解を招かないために敢えてその問題点を指摘しておきたいと思います。
<プーチン擁護論を糺す>
先ず、旧ソ連勢力圏のNATO加盟は、西側の圧力によるものではなく、自由と繁栄を求める東欧諸国から必死の要請があったことにあります。旧ソ連による恐怖政治の悪夢から解放されたい一心で、NATOによる安全保障を求めました。
今回のウクライナ侵略を受けて、中立国だったスウェーデンやフィンランドでさえ、NATO加盟の意思を表明しました。また、永世中立国のスイスでさえ、対ロシア経済制裁に踏み切りました。今回ほど全世界が、反侵略・反独裁・反ロシアで結束した ことはありません。
次に、ロシアは東部地域(ドネツク・ルガンスク)に民間を装ってロシア兵スバイを送り込み、反政府活動を裏で煽動してきた事実を知らなければなりません。特定地域をターゲットに反政府組織を作って対立を煽り、紛争を起こすのは、侵略者の常套手段です。これにより、多数のウクライナ国民を殺戮しました。ジェノサイドを行ってミンスク合意を踏みにじったのは、むしろロシア側であると言うのです。
また、ウクライナにあるネオナチ、ネオコン、DSなどを攻撃するためなどという偽装された大義、即ち、いわゆる陰謀論は、いつの時代にもある侵略者のプロパガンダです。最も有名なものとしては、反ユダヤ主義者が利用してきた「シオンの議定書」に基づくユダヤ陰謀論があります。
これは、ユダヤ人がフリーメーソンと協同してキリスト教の廃絶と世界征服を陰謀している証拠とされていますが、実はシオンの議定書なるものは、帝政ロシアの秘密警察が捏造しでっち上げたものであることは明白な事実となっています。
ネットなどでよく流れている動画の中にも、例えばネオナチのアザフ大隊がウクライナ政府を牛耳り、ドネツクなどで暗躍しているなどとの報道がありますか、アザフ大隊はウクライナ国家親衛隊に統合されて完全にコントロールされており、また、組織も小さく、とても軍全体、政府全体を動かすほどの規模ではありません。ネオナチ陰謀論は、過度にその影響を強調した荒唐無稽な妄想にしかすぎず、前記のシオンの議定書の類いの暴論です。
ましてや、生物兵器、核兵器などはウクライナのどこにもなく、むしろプーチンが生物兵器、核兵器使用を正当化するための布石でしかありません。
いまや私たちは、他国への避難を余儀なくされる400万人を越えるウクライナの女性や子供たち、 マリウポリなど町全体が完全に破壊されて多数の民間人が犠牲になっている悲惨な事実、最近キーウに近いブチャ市で、ロシア兵退却後発覚した多数の住民惨殺の惨劇、などを直視し、全世界が連帯してプーチン・ロシアの非人道的暴挙、戦争犯罪を断罪し阻止しなければなりません。
もし、今回のロシアのような、力による国境の現状変更を認めれば、国際秩序が害されるだけでなく、それが悪い前例となって、やがて日本にも類が及ぶことは明らかです。百歩譲って、仮に今回のプーチンの行動を正当化する何某かの理由があったとしても、力で現状を変更して他国を踏みにじることは、絶対に許されることではないことを、再確認したいと思います。
筆者は、このウクライナ国民の犠牲は、あの長崎の鐘に描かれた浦上天主堂が象徴するように、世界に真の平和をもたらし、世界が生まれ変わるための「供え物」ではないかと感じるものです。神はウクライナ国民を祭物にして、神の国建設の礎石とされるのではないかと信じるものです。
豊かな神のご加護が、ウクライナ国民に注がれますように!
【プーチンの大ロシア主義ー深層心理】
それにしても、何故このような無謀な暴挙にプーチンは走ったのでしょうか。プーチンの大ロシア主義、ロシア正教の野望という二つの側面から論述いたします。
<プーチンの誤算>
今、欧米の情報からは、プーチンが現状を見誤ったこと、即ち、ロシア軍の実力を過大評価し、逆にウクライナ軍やゼレンスキー大統領を中心とした国民の強固な抵抗を過小評価したこと、反ロシアで固まった国際社会の結束の強さや経済制裁の徹底を予期出来なかったこと、などを挙げ、そしてその誤算の原因には、独裁者プーチンを恐れ、側近が正確な情報をプーチンに上げていなかったこと、即ちプーチンの孤立化にあると指摘しました。
「権力は必ず腐敗し、且つ肥大化する」とは、権力が持つ本質と宿命を端的に言い表している言葉です。従って、権力の座には期間が決められ、アメリカ大統領でさえ、最大2期8年以上はその座に就くことができないという民主主義の原則があり、プーチンのように22年も権力の座にあれば、必ず堕落することは明らかです。
従って、バイデン大統領は、「プーチンはこれ以上権力の座にとどまるべきではない」と明言し、これらの戦いを、民主主義対独裁主義の戦いと位置付けました。しかし後述するように、筆者はさらに進んで、カトリック(西方教会)対ギリシャ正教(東方正教)、そしてロシア正教対ウクライナ正教の戦いが深部にあると考えています、
<プーチンの妄想ー大ロシア主義>
プーチンをこのような暴挙に走らせた要因として、前記にみたプーチンの誤算に加え、プーチンが描く「大ロシア主義」の妄想を指摘しなければなりません。
このところプーチンは経済や政治よりも「歴史」に関心を示し、スラブ系諸国(ウクライナ人、ベラルーシ人、スロバキア人、チェコ人、ポーランド人、クロアチア人、セルビア人、ブルガリア人など)を、ロシアを中心とする秩序に再編成すること、即ちロシア版中華思想ともいうべき「大ロシア主義」に傾倒していると言われ、その象徴として、ロシア大帝国を作った「ビョートル大帝」を信奉し、執務室にその肖像を飾っています。
ちなみにピョートル1世(1672年~1725年)は、初代ロシア皇帝で、スウェーデンとの大北方戦争で勝利し、大帝と称されました。ロシアを東方の辺境国家から大帝国に脱皮させ、「ロシア史はすべてピョートルの改革に帰着し、そしてここから流れ出す」とも評されています。
そして大ロシア主義とは、同じスラブ民族、同じ系列の言語、同じ宗教(ギリシャ正教・ロシア正教)のベラルーシやウクライナなどの地域が、盟主ロシアを中心に秩序付けられて版図を形成するという思想であり、ビョートル大帝の帝国に回帰するという妄想です。そして今回のウクライナ侵略は、ロシア至上主義を標榜する一部側近らの影響も重なり、こういった大ロシア主義実現の一歩であるというのです。
<キール(キエフ)への思い入れ>
とりわけロシアとウクライナは、歴史的に「キーウ公国」を国家発祥の起源とする兄弟国であり、民族、言語、宗教(.ギリシャ正教)の共通項があり、プーチンにとって、ウクライナは大変思い入れが強い地域であります。
キーウ大公国は、 ウラジーミル一世により建国され、9世紀後半から1240年にかけてキーウを首都とした国家で、正式な国号は「ルーシ」(ロシアの語源)であります。
キーウ大公ウラジーミル一世は、周辺を攻略し、980年にキーウ大公に即位すると共に、988年にはギリシャ正教を受け入れて洗礼を受け、国民にも奨励し国教としました。また加えて東ローマ皇帝の妹アンナと結婚し、キーウ大公国の権威を上昇させると共に、当時最先端であったビザンツ文化を取り入れるなど、優れた手腕を見せました。
このウラジーミル一世のキリスト教受容は、フランク王国のキリスト教受容を想起させらせます。即ち、フランクを統一したフランク王国の王クローヴィスが、496年、アタナシウス派の三位一体説を正統とするキリスト教を受け入れて洗礼を受け、アタナシウス派キリスト教に改宗しました。その時、3000人のフランク人が王と同じく洗礼を受けたといわれています。
この「クローヴィスの改宗」は、正に、「ウラジーミル一世のギリシャ正教受容」と相似しています。
しかしこのキール公国も、12世紀以降は内部紛争と隣国の圧迫によって衰退し、1240年、モンゴル来襲によってキーウは落城し、事実上崩壊しました。以後このキーウに代わってモスクワが正教の中心地になっていきました。
こうしてロシアとウクライナは、共にキーウ公国とギリシャ正教を源流とする兄弟国家との認識があり、プーチンのウクライナに対する思い入れには想像を越えるものがあると言えるでしょう。
【底流に横たわるギリシャ正教の問題】
こうして、国際的な批判が強まるプーチンですが、その精神的盟友とも言われるロシア正教会のトップである「キリル総主教」にも批判が集まっています。
先般NHK「国際報道2022」で、油井秀樹キャスターはウクライナ戦争の底流にある宗教問題について、以下のように説明しました。
<キリル総主教によるプーチン支持>
ロシア正教のキリル総主教(75才)は、プーチンの盟友であり、プーチンのメンター(宗教的助言者)と言われています。今回のプーチン大統領の軍事侵攻について「対立の起源は西側諸国とロシアの関係にある。NATOが約束を守らず、ロシアとの国境に近づき、軍備を増強してきた。さらに、西側はウクライナの人たちを再教育してロシアの敵に作り変えようとした」と明言し、プーチンの軍事侵攻を擁護する声明を発表しました。
プーチン大統領とロシア正教・キルリ総主教 クレムリン宮殿
この総主教の言動は、ロシア国内にとどまらず、モスクワ総主教座に連なる諸外国の正教会においても反発を引き起こし、ロシアでは、「平和を支持するロシアの司祭」というグループに属する300人近い正教徒が、ウクライナで行われている「非常に残忍な命令」を糾弾する書簡に署名しました。
16世紀、それまでギリシャ正教の中心であったビザンティン教会がイスラムの支配下になったため、モスクワのロシア正教会はビザンチン教会にかわって正教の中心となり、総主教制が敷かれ、モスクワは第三のローマと号しました。
このようなロシア正教会のキリル総主教とプーチン大統領には、共に目指す共通の価値観があり、それが「ルースキー・ミール」(=ロシアの世界)というキーワードだというのです。ルースキー・ミールとは、「世界でロシア語を話す人やロシア正教を信じる人の連帯」という意味で、前記した大ロシア主義と同義であります。
このルースキー・ミール、つまり大ロシア主義の実現を目指して、プーチン大統領が「政治面」で、キリル総主教が「精神面」で、連帯して取り組んでいるというのです。プーチン氏にとってはロシアの政治的な復権ですが、キリル総主教から見れば、いわば十字軍なのです。
<ロシア正教とウクライナ正教との確執>
そしてこのキリル総主教が、プーチンのウクライナ侵攻を擁護する背景には、実はロシア正教とウクライナ正教との深刻な対立があるというのです。
2018年、それまでロシア正教の管轄下にあったウクライナ正教が、ロシア正教から独立し、これを正教の老舗であるコンスタンティノープル全地総主教庁が認めました。このウクライナ正教のロシア正教からの独立は、キリル総主教にとって看過できない出来事で有り、以後、ロシア正教とウクライナ正教との間には厳しい緊張関係が生まれることになりました。
従って、ルースキー・ミールの旗印のもと、再びロシア正教を中心としたスラブ世界における宗教的秩序を回復する意味でも、ウクライナをロシアの勢力圏にしておくことが不可欠であるというのです。こうしてキリル総主教はプーチンのウクライナ侵攻を支持しました。
<ウクライナ侵攻の動機付け>
もともとプーチン自身は正教の熱心な信者であり、共産主義崩壊後のロシアの精神的アイデンティティーとして、ロシア正教を復活させ、一定の成果をあげたこともあり、キリル総主教とプーチンは大変近い関係にあります。
従って、プーチンに対するキリル総主教の影響には極めて強いものがあり、その総主教からウクライナ侵攻のお墨付きを得たことは、プーチンの意思決定の決定的な動機付けになったことは間違いありません。こうしてプーチンのウクライナ侵攻には、政治的目的に加えて、宗教的動機が根底 に潜んでいるというのです。
そしてさらに深部には、西側のローマ・カトリックと、東側のギリシャ正教の相克が存在しています。1054年、ローマ教皇を首長とするカトリック教会(西方教会)と、東方の正教会とに東西教会が分裂し(大シスマ)、ローマ教皇とコンスタンディヌーポリ総主教が相互に破門しました。2016年、ローマ教皇フランシスコは、ロシア正教会の指導者と初めて面会し、近年になって両教会の対話が進められるようになったものの、西側陣営と東側陣営の政治的対立の深層には、こういった宗教間の相克があることを見逃してはなりません。
以上、現下のウクライナ戦争の現実と背景を見て参りました。筆者は、このウクライナ戦争は、「ギリシャ正教に注目せよ」との神の託宣ではないかと感じており、次回、ギリシャ正教とは何か、ローマ・カトリックとどこが違うのか、東西教会の一致はあるのかなど、「正教問題」について論考したいと思います。(了)