クリスマスメッセージ - キリストの誕生
- matsuura-t
- 2024年12月27日
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更新日:3月20日
◯徒然日誌(令和6年12月25日) クリスマスメッセージ - キリストの誕生
ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである(ルカ2:6~7)
プロローグ
今回は、本年最後の徒然日誌である。本年2月にホームページの記事(聖書の知識+つれづれ日誌)が、神と約束した400本になり、今回で445本目になる。まさに隔世の感があり、今まで導いて下さった神に感謝したい。今後、筆者の健康と意欲が続く限り書き続けたいと思っている。そしてこの記事が、牧会者・信徒・クリスチャンのよき教材になり、教養となるなら、これに過ぎたる幸いはない。願わくば後日、誰かがカテゴリー別にこれをまとめ、出版の日の目を見ることを祈念する。その際、版権は無条件で譲渡する。
さて本年はまさに激動の2024年だった、何と言っても特筆すべきは、戦後最悪の反宗教政権である岸田政権が倒れたこと、トランプがアメリカ大統領選挙に当選したことである。
そして安倍昭恵さんは12月15日、アメリカのトランプ次期大統領やメラニア夫人と南部フロリダ州にあるトランプの自宅「マー・アー・ラゴ」で食事を共にして親交を深め、亡き安倍元首相を偲んだ。トランプは安倍氏とは盟友であり、安倍氏はむしろトランプの政治的助言者でもあった。トランプはこの安倍氏の恩義を忘れず、誰よりも先に昭恵さんを招き、その労に報いたのであり、石破首相とは大違いである。
一体、何故安倍晋三氏は暗殺されたのであろうか。これにはどういう意味があるのだろうか。筆者は暗殺から2年半が過ぎた今、もう一度これらを考え直して見た。
安倍晋三氏は、2022年7月8日11時31分、近鉄大和西大寺駅北口にて、選挙演説中に銃撃され、死亡した。総理大臣経験者が殺害されたのは二・二六事件以来のことである。筆者は銃撃の夜、「安倍さんは日本とUCが生まれ変わるために、『贖罪の羊』として逝かれた」と徒然日誌に書き込んだが、この思いは今でも変わらない。まさに安倍氏はリンカーン大統領やキング牧師のように、国家の祭壇に供え物として捧げられたのである。
筆者は2年前、UCが冤罪を背負ってマスコミ、世論、政治家などからひどい魔女狩り的バッシングに遭遇している最中、3つのインスピレーションを得て、これを確信し徒然日誌にも書いた。即ち、①この事件は天地を創造された全知全能なる神の「霊妙なるご計画」の中にあるということ、②次に、安倍元首相はUCが叩かれることを良しとされないこと(従って岸信介・安倍晋太郎・安倍晋三の岸家三代の霊は守護霊として働くこと)、③そして、この事件は日本とUCが生まれ変わるための神の声であること、この3点である。そして、この3原則は今も変わらない。
今、UC擁護の立場に立つ宗教人・牧師・言論人・国際世論、そして政治家らが続出し、信教の自由を守るための新しい世論が形成され始めた。確かに潮目は変わったのであり、筆者のインスピレーションが正夢であったことを実感している。
特に、韓鶴子総裁主宰の世界聖職者協議会(WCLC)設立集会(2019年)で祝辞を述べたポーラ・ホワイト牧師は、トランプ大統領の重要なメンター(宗教顧問)である。神学者で東京女子大学学長の森本あんり氏は、ホワイト牧師について次のように講演会で語った。

「ホワイト牧師はテレビ伝道者で、フロリダ州の大きな教会の牧師です。トランプ氏が大統領選挙に出る相談を持ち掛けたのが彼女で、彼女は『私はあなたの中に未来の大統領を見ます。必ず大統領になれます。それが神の意志です』と話したのです。それでトランプはその気になり、立候補したのです。ホワイト牧師はトランプ氏が大統領選出馬のキーパーソンです。彼女がいなければトランプは大統領にならなかったかもしれません」
このようにホワイト牧師はトランプ大統領の生みの親と言われており、トランプの信頼は絶大なものがある。本年12月8日開催の国際宗教自由連合東京委員会(ICRF Japan) 東京大会に、彼女からビデオメッセージが寄せられ、日本のUC解散請求は信教の自由を損なう恐れがあると、暗に日本政府を批判した。
【クリスマス物語】
さて、今日は12月25日、即ちクリスマスである。クリスマス(Christmas)とは「キリストのミサ」という意味で、イエス・キリストの誕生を祝うキリスト教三大祭りの一つである。キリスト教の三大祭りとは、クリスマス(聖降誕祭)、イースター(復活祭)、ペンテコステ(聖霊降臨祭)である。
<キリストのミサ>
つまり、クリスマスとはイエスの誕生を記念するミサ(礼拝)という意味であり、あくまで誕生を祝う日であって、イエスの誕生日ではない。イエス・キリストが降誕した日がいつにあたるのかについては、色々な説があり、確定していない。例えば3世紀のアレクサンドリアの教父クレメンスは5月20日と推測した。
ユダヤ教の暦では、日没を一日の始まりとしているので、クリスマスは「12月24日の日没から12月25日の日没まで」ということになる。古代ローマの宗教のひとつ「ミトラ教」では12月25日は「不滅の太陽が生まれる日」とされ、「太陽神ミトラを祝う冬至の祭」であった。冬至を境に、太陽の時間が長くなるので太陽の復活と解釈され、これをキリスト教が取り込んで12月25日をクリスマスにしたと言われている。
<クリスマスこばなし>
クリスマスを彩るものとしては、サンタクロース、クリスマスツリー、クリスマスケーキだが、この意味についてはあまり知られていない。
サンタクロースは、4世紀のキリスト教の聖人である聖ニコライ(ニコラウス)の伝説が起源とされている。彼は貧困のため結婚出来ずに苦しむ娘たちの枕もとの靴下に、金貨を入れて回ったと言われており、このニコラウスの話が元になり、クリスマスイブに良い子達はプレゼント(キリストの愛)がもらえるという話が出来上がった。サンタクロースは、ゲルマン土着の風習と相まって、クリスマスの夜にだけ現れる全身「赤と白の服装」をしているヒゲを蓄えた老人でトナカイに乗って現れると言われている。
ではサンタクロースは、何故、白と赤の服を着ているのだろうか。白は純潔、赤は犠牲(殉教)を意味する。即ち、白と赤はキリスト教の徳目である純潔と犠牲の象徴であり、カトリックの教皇は白いガウン、枢機卿は赤のガウンを着ている。またポーランドの国旗は白と赤で、やはり純潔と犠牲を象徴している。
次に、クリスマスツリーは、何故モミの木なのだろうか。モミの木は、寒さが厳しい環境でも元気に育つ常緑樹で、年中緑であり、緑は「永遠のいのち」を象徴する色である。つまり、キリストにあっての永遠の命を象徴している。クリスマスツリーに飾りつけやイルミネーションを施す風習は、19世紀以降のアメリカ合衆国で始まったものだと言われている。
ところで、クリスマスには、何故ケーキを食べるのだろうか。クリスマスケーキは、イエスの誕生を祝うために用意するものだが、同時に、家族、友人、信者の「よき交わり」を象徴している。即ち、人々が「ケーキを媒介にキリストの愛と平和を共有する」のであり、クリスマスケーキは、みんなで共に戴くのが一番である。
キリスト教圏では、クリスマスには主に家族と過ごし、クリスマスツリーの下にプレゼントを置き、プレゼントを贈る気持ちである「愛」の日でもあるという。
以上がクリスマスについてのこばなしだが、このようにクリスマスには、「礼拝」「純潔」「犠牲」「永遠の命」「愛」といったキリスト教のエキスが詰まっているというのである。まさにこれを追体験するのが真のクリスマスの意義である。但し、難しく考えずに、肩の力を抜いて楽しく過ごすのも、もちろんよい。
<年末年始の日本情景>
さて、日本はキリスト教の国でもないのに、何故クリスマスがポピュラーなのだろうか。巷にはクリスマスソングが流れ、赤や青や緑のイルミネーションが人々の気持ちを駆り立てている。こうして人々はクリスマスの意味はそっちのけで、クリスマスムードが日本を覆うのである。実はこれには日本独特の宗教的風土と商業主義が大いに関係している。クリスマス、除夜の鐘、初詣と続く年末年始の日本の風景には、日本ならではの独特の宗教風景が展開され、外国人、特に一神教を奉じる西欧人には理解できないものがある。
つまり日本では、12月25日のクリスマスには教会に行き(キリスト教)、31日には除夜の鐘を聞き(仏教)、元旦には神社参拝を行う(神道)。そして日本人はそこに何の違和感も不自然さも感じないというのある。一体、日本人は如何なる神を信じているのか、無節操に見える日本人の宗教感覚とは何か、これが外国人の第一の驚きである。
日本人は、古来、目に見えぬ何かに対して、畏敬の念を抱く心、高い良心作用を発揮してきた。日常的に一種の霊的感性に基づく慣習が違和感なく溶け込んでいる「霊的感受性が強い民族」である。つまり日本人には、漠然とした「神々・祖先・自然・アミニズム」が血肉の中に染み込んでいる。良きにつけ悪しきにつけ、この「神に対する曖昧さ」こそ、超宗教的宗教とも言えるおおらかで寛容的な神観・世界観・宗教観の土壌となり、外国人が驚く年末年始の宗教的情景につながるのである。これを鈴木大拙は「日本的霊性」と呼び、山本七平は「日本教」と呼んだ。
従って、年末にキリスト教の聖なる祭りであるクリスマスを取り込んで祝い、そしてエンタメ化することに何の違和感も感じないのであり、そして商業主義が拍車をかけている。これらは日本人の長所であり、また短所でもある。(参照→「聖書の知識7 日本における年末年始の宗教風景」)
【キリストの誕生】

イエス・キリストの誕生(ヘラルド・ファン・ホントホルスト画)
クリスマスはいうまでもなく、イエス・キリストの誕生を祝う祭りである。そしてルカ書にはイエスの誕生の記録が書き記されている。
「彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた」(ルカ2.6~7)
<羊飼い・シメオン・アンナ・東方の博士>
そして「羊飼たち」に主の御使が現れ、御使の示す通りベツレヘムへ行って、マリヤとヨセフ、また飼葉おけに寝かしてある幼な子を捜しあてて礼拝した。また敬虔な信仰者で聖霊の示しを受けていた「シメオン」は、きよめの期間が終わって両親とエルサレムに来ていた幼子イエスに会って救いを見、み名を褒め称えた(ルカ2.22~35)。年とった女預言者「アンナ」も宮で幼子に会って礼拝した(ルカ2.36~38)。そして東方の博士たちは、星に導かれ、ベツレヘムでイエスを拝し、黄金、乳香、没薬などの贈り物を捧げたのである。(マタイ2.1~11)。
こうしてイエス・キリストの誕生は、生前の奇跡、例えば祭司ザカリア家庭の奇跡、マリアの神秘的懐妊、ヨセフへの啓示などと共に、羊飼い、預言者、博士たちによって証されたのである。文鮮明先生はキリストの根本について、次のように言われた。
「イエス様は、蕩減復帰の原則によって、タマルの腹中で、天側であるペレツが勝利した血統的な基盤の上で、マリアの腹中を通して生まれました。従ってイエス様は、腹中に宿った時からサタンが讒訴する条件がなかったのです。サタンが讒訴できる条件がないということは、原罪がないということです。イエス様は、生まれる時にサタンが讒訴し得る立場を抜け出した立場で生まれたので、原罪がない方なのです。イエス様と一般宗教の指導者たちとの違う点がそこにあり、生まれた根本が違うのです」(『イエス様の生涯と愛』光言社P50~51)
このことはイエス・キリストの再臨(文鮮明先生)についても同じことが言える。再臨主は、創造理想を完成すべき真なる本然の赤ん坊の種、原罪なき堕落前のアダムの立場で来て、既にイエスの時まで神側が勝利した根本基台の上に臨在される。即ち、イエス様が大人になられる時までの勝利的な基盤の上に正しく立たれて、イエスが果たせなかった堕落前(無原罪)の新婦(エバ)を探し出し、真の父母になられ、万民を救って下さるのである。(周藤健著『成約摂理解説』P190~192)。
本来、神の創造理想が成就されていたなら、救いやメシアや再臨の摂理は必要なかった。そもそも宗教自体が不必要だったのである。しかし人間の堕落(姦淫)により、救いが必要なり、救世主が必要になった。即ち、神の復帰摂理の目的は救い主キリストを迎えることにあり、神は世を救うキリストを送ることによって救いを完成させ、創造目的を成就しようとされたのである。そのために、神はサタンの讒訴条件のない新しい種をもった息子を探し立てなければならなかった。まさにこれがメシア思想の根本であり、クリスマスとは、この復帰摂理の目的たるキリストの誕生を祝う神聖な祭り(礼拝)である。以後、このメシアたるイエスの誕生を起点に、歴史はイエス以前(BC)とイエス以後(AD)に分けられる。
<再臨主の誕生>
哲学者のカール・ヤスパースは、「イエスが誕生するまでの約400年前を中心に、前後200年の期間に歴史に影響を与えた宗教家・思想家が集中的に現れている」と指摘した。即ち、インドのシャカ、孔子など中国の諸子百家、ソクラテスなどのギリシャ思想、そしてマラキなどユダヤ思想が一斉に登場して「歴史の軸となる転換」が生じたとし、これを歴史の「枢軸時代」と呼んだ。
同様に、文鮮明先生が誕生される400年前、即ち紀元1600年を中心に、イタリアのルネサンス、ドイツの宗教改革者マルティン・ルター、スイスで宗教改革を行ったジャン・カルヴァンなど革命的な宗教思想運動が勃興し、歴史の軸となる転換が生じたのである。
奇しくも1918年11月に第一次世界大戦が終結し、再臨主誕生の基台が造成され(原理講論P545)、このような時代背景の中で、韓半島を中心に二つの重要な霊的運動が勃興した。日本における内村鑑三を中心とした再臨運動(1918年1月~1919年6月)と、キリスト者・天道教信者を中心とした韓国の3・1独立運動(1919年3月1日~1919年4月1日)である。
3・1独立運動は、政治的に見れば日本の支配からの独立運動であるが、霊的に見れば、「再臨主誕生の蕩減条件」であった。そしてこの時樹立された金九や李承晩を指導者とした上海臨時政府は、日本の統治下にあって、条件的に国家主権の存在(神主権)を明示する宣言であった。また16才で獄死した柳寛順は再臨主誕生の供え物であったと言われている。
こうしてこれらを条件に、1919年4月から5月にかけて文鮮明先生は生母の忠母様(金慶継-キンギョンゲ)の胎中に宿られ、1920年陰暦1月6日(陽暦2月25日)、北朝鮮の平安北道定州群徳彦面上思里2221番地で誕生された。この時代背景は、まさにイエス誕生の時代状況を彷彿とさせる。
また、生母の忠母様の胎に宿られた時、定州は独立運動の激戦地であり、独立宣言を起草した一人である大叔父の文潤國(ムンユンググ)牧師は独立運動を煽動した罪で獄中にあり、文家にも厳しい取り調べが伸びていた。文潤國牧師は国家主権の存在を明示する上海臨時政府を樹立するために、文家一族の全財産をつぎ込んだ独立運動の功労者であった。故に財産を抵当に取られて、文一族の財産はすっかり無くなってしまったのである。
それに受胎したときは、丁度3年の飢饉の最中であり、一族にも家族が死ぬなど立て続けに災難が降りかかり、まさに命がけの受胎であった。忠母様は独立運動の最中、絶対信仰によってイエスの母マリアの勝利圏を相続し、文鮮明先生を身籠ったのである。そして文鮮明先生聖誕に際し多くの前兆があった。
聖誕に先駆け、生家の前にあるねずの木に金鶏が止まって鳴いて飛び去ったという。また忠母様の証しによれば、受胎される時、黄金の2匹の龍が波を蹴って飛翔し、闇を全て飲み込む夢を見、特別な使命を持った者が生まれてくるという啓示があったという(『成約摂理解説』P198)。忠母様が実家で出産を待っていたある日、帝釈山の頂上に黄金の龍が現れ、山腹を周りながら昇っていく姿を目撃者した。この龍は生まれてくる我が子ではないかと確信したという。(『真の父母経』第二篇第一章「真のお父様の聖誕」)
こうして、イエス誕生の時と同様、再臨主誕生の尋常ならざる兆候があり、まさに時は熟していたのである。
以上、クリスマスメッセージとして、クリスマスの聖書的、神学的意味、そしてキリスト誕生の歴史的必然性とキリストの本質について考察した。今日12月25日、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂礼拝堂でイエス・キリスト誕生のミサが行われるが、近い将来、当該礼拝堂にて、文鮮明先生聖誕のミサが執り行われることを祈念して、クリスマスメッセージを終えることにする。(了)
牧師・宣教師 吉田宏