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チャールズ・フィニーの回心 アメリカリバイバルの騎手

◯つれづれ日誌(令和4年4月27日)-チャールズ・フィニーの回心ーアメリカリバイバルの騎手


わたしは、キリストのゆえに、すべてを失ったが、それは、わたしがキリストを得るためである(ビリピ人への手紙3章8節)


今回は信仰の基本に立ち返って、「回心とリバイバル」について考えることにいたします。リバイバルは、殉教、異端と並んでキリスト教の顕著な特徴ですが、ここには、信仰の原点とも言うべき救いの正道が示されています。その骨子は、a.悔い改めと回心、b.キリストによる新生(重生)と復活、そして、c.永遠の命、です。


リバイバルは、キリスト教最大の特徴と言え、キリスト教の歴史の中で、カトリック、プロテスタントを問わず、周期的にそして必然的に勃興しました。特にアメリカでは、循環的に数回のリバイバルが起こっています。


【リバイバルとは】

リバイバルとは何でしょうか。リバイバルとは、第一に、霊的に覚醒・復興されること、そして信仰の回心に導かれることであり、第二に、それが信者の劇的な増加、教会の成長をもたらすことです。


即ち、ともすればマンネリ化、形式化、沈滞化しがちな教会や信仰生活において、内的な覚醒の動機を与えられ、新しい神の霊を招き寄せて、霊的に復興することであります。そして、信仰の目的である「復活の体」と「永遠の命」を得ることに他なりません。


「コリント人への第二の手紙」4章16節に「たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく」とある通りです。


では、日ごとに新しくされるためには、何が必要なのでしょうか。それが今回のテーマである「悔い改めと回心」であります。


リバイバルには一つのパターンがあります。リバイバル運動は、例外なく1人または数人の無名の牧師やキリスト者の「悔い改めの回心」から草の根的な信仰復興運動として始まりました。その思想は単純で、a.悔い改め(repent)、b.回心(convertion)、c.そして新生(born again)、の3つであります。


そして、チャールズ・フィニーに代表されるリバイバリストは、祈りの人であり、み言の人であり、悔い改めの人であり、そして劇的な回心体験の持ち主でした。


先ず、祈りと悔い改めから始まり、回心体験を経て、遂には「許され贖われ」て新生の高嶺に導かれるというものです。即ち、キリストへの信仰、そして神の霊、聖霊の導きの中で、「悔い改め→回心→許し→新生→復活→永遠の生命」という救いのプロセスであります。


これらは、順を追って、あるいは一時にもたらされる 救いの本筋、即ち、成約的な「福音信仰の正道」であり、他の占い事やお願い事、先祖供養などは、これを補完するものにしか過ぎません。


更にリバイバルの特徴を付け加えると、a.聖霊のハプテスマの強調、b.形式に拘らない大衆的情熱的説教、c.超教派的運動、d.躍動的な歌と踊り、e.使徒的教会への原点回帰と福音伝道、であります。


尾形守著『リバイバルの源流を辿る』によると、どのリバイバルも「悔い改めの祈り」から始まり、聖霊ご自身が源であるとし、そして、リバイバルは「どん底や絶望的な行き詰まり、人間の無力さやへりくだりをとことん経験した無名のキリスト者の回心から始まっている」と指摘しました。


こうしてリバイバルは、全て例外なく「悔い改め」から始まりました。洗礼ヨハネもイエス様も、宣教の第一声は「悔い改めよ」でした。


しかし一方、リバイバルへの批判は常に見られました。リバイバル運動が、教会の不一致や混乱を招き平和を乱すという訳です。


教義や神学、典礼を重んじる伝統的なエキュメニカル派は、リバイバルを否定的に見る傾向が強いようです。神学修得の軽視や、必ずしも伝統的な教義に回帰しないことを理由に、リバイバルを「一時的な熱狂運動」として理解している面があります。


【敬虔な信仰と回心の伝統】


いわゆる聖書的霊性の一つの柱に、「敬虔な信仰と回心の伝統」があります。聖書には、私たちが模範とするノア、アブラハム、モーセ、パウロなどに代表される信仰の伝統があり、私たちの信仰生活の在り方は、ほぼこの聖書の中の登場人物の信仰に網羅されており、全てここから回答が与えられると言っても過言ではありません。


そして聖書の一句で「回心に導かれた信仰の伝統」があります。アウグスチヌス、ルター、ウエスレー、ナイチンゲール、マザーテレサ、チャールズ・フィニー、ジャック・コルソン、内村鑑三、新島襄、等々の劇的な回心の記録です。


回心とは自らの罪を悔い改め、神に立ち返る霊的、信仰的な体験のことであり、これらの人々は、「聖書の一句」との出会いによって人生を変える回心に導かれました。


例えばアウグスチヌスは、「肉の欲を満たすことに心を向けてはいけない」(ロマ書13・14)の聖句で、ルターは、「信仰による義人は生きる」(ロマ書1・17)の聖句で回心に導かれました。


ナイチンゲールは17歳の時「我に仕えよ」との啓示を受け、以後、24才、29才、34才と生涯4度、神からの啓示を受けました。またマタイ25章40節の「私の兄弟であるこの最も小さいものにしたのは、私(イエス)にしてくれたことなのである」はマザーテレサの回心聖句として有名です。


日本人では、内村鑑三は「汝、自ら義たらんとするなかれ。ただ、十字架のイエスを仰ぎ見よ」とのシーリー学長の言葉で回心に導かれ、新島襄は「はじめに神は天と地を創造された」(創世記1・1)が回心聖句と言われています。


【チャールズ・フィニーの回心】

もしあなたがたが一心にわたしを尋ね求めるならば、 わたしはあなたがたに会うと主は言われる(エレミヤ書29.12~14)


上記の聖句は、アメリカの第二次リバイバルの中心人物チャールズ・フィニーの回心聖句です。1921年10月10日、29才のことでした。


第二次リバイバル(1800~1840年)は、独立後、冷めてしまった信仰、理神論やフランス革命の啓蒙主義の影響で萎んでいた霊性を蘇生させようとする運動です。


ここで、アメリカのリバイバルの歴史の中でも、最も抜きん出たリバイバリストと言われるフィニーの回心と略歴、そしてリバイバルへの考え方について述べることにいたします。私たちの信仰の本質を考える上で、よい教材になると信じるからです。


<回心ー法律家から福音宣教へ>


「わたしに対しておこなったすべてのとがを捨て去り、新しい心と、新しい霊とを得よ」(エゼキエル18.31)とある通り、新しい心と新しい霊、即ち回心を神は彼に命じられました。フィニーは神に激しく求めましたが、 その背景には、彼自身の、罪に対する深刻な悔い改めと聖霊との出会いがありました。


チャールズ・フィニー著『上よりの力』(角笛出版)のまえがきには、フィニーの家は貧しく、父母は信仰深い人ではなかった上、彼は29才になるまで聖書を読んだことがなかったと記されています。


フィニーは多彩な青年であり、苦学して28才で、弁護士になりました。フィニーは法律書の中にモーセの律法などが言及されており、聖書を買い求め、そして神を求め始めました。音楽的才能にも恵まれたフィニーは、教会の聖歌隊にも参加しています。


罪の自覚が増し加わり、罪の呵責に眠られない夜が続いたある日、「今日、キリストを受け入れるか」との声に、フィニーは遂にキリストを受け入れることになります。


あくる日、林の中で真剣に祈った時、エレミヤ29章13節のみ言葉、「一心にわたしを尋ね求めるならば、 わたしはあなたがたに会う」と出会うことになります。


「もし救われたのなら、私は福音を解こう」と決意していました。その夜、イエスとの出会いがあり、聖霊のパプテスマを受け、彼の心には涙と共に、信仰によって義とされた深遠な魂の平穏と愛が満ち溢れました。


こうして法律の仕事から福音宣教への道が始まりました。フィニーは「私は、祈らない限り、何事も行えなかった」と語っているように、何よりも「祈りの人」でありました。


<フィニーの略歴と神学思想>


上記のように、アメリカの第2次リバイバルを担ったチャールズ・グランディソン・フィニー(1792~1887)は、コネチカット州の農家に7人の子どもの初子として生まれました。


両親は農夫であり、フィニーは大学に行くことができませんでしたが、学力、音楽的才能、指導者としての資質を持ち、16才の時に学校の音楽教師になりました。1818年、ニューヨークに引越して弁護士になるために法律事務所で働き始め、2年後に法廷に立つ資格を得ました。


その町の牧師と親しくなったフィニーは、教会に出席するようになりました。当時よく使われた教科書「法律註解全書」の著者ブラックストンがクリスチャンだったこともあって、テキストには聖書からの引用(十戒など)が多く、それに応じてフィニーは聖書を読むようになります。


そうして上記のように、1821年10月10日、29才の時に劇的な回心をすることになりました。森に入り跪いて神に祈っていると、旧約聖書エレミヤ書19章12節~14節の言葉が示されたといいます。


その晩、事務所に戻ったフィニーは聖霊のバプテスマを受けました。「愛の波のように、体と魂を突き抜けていく、聖霊の波動を感じた」と証言しました。こうして1824年に、32才で長老派教会の牧師となりました。


フィニーの伝道者としての特徴は、独学で神学を学んだ点と聖霊体験にあります。そして、フィニーは神学教育の偏重を批判し、牧師にとって重要なのは神学の知識ではなく「救いの体験と共に、いかに多くの人を救ったか(回心させたか)」という思想信条を終生持ち、これがそれまでのプロテスタントとは大きく異なりました。


フィニーの福音伝道メッセージは原稿なしに行われ、法律家らしく、論理的に明快であり、加えて人を新しくする霊的な力に満ち、そしてイエス・キリストの愛を説きました。


<リバイバリストとして>


フィニーがアメリカのリバイバルにおいて際立つ存在であり、歴史の流れを変える働きをしたということに異論をはさむリバイバル研究家はいないでしょう。彼が行く所どこでも、霊のいのちが燃え上がり、福音に関して地域社会全体に影響を及ぼしました。フィニーのもとに起きたリバイバルが高まるにつれて、教会出席者が激増し、彼はおよそ50万人の人々の回心に直接、あるいは間接的にかかわったとされています。


そしてフィニーは、「リバイバルは奇跡ではない」とし、リバイバルやそれに伴う回心は神による奇跡だけではなく、人間の努力によってなされるものとした点でも、それまでの信仰復興運動者とは異なっていました。


またフィニーは、キリスト教の福音伝道者であるだけでなく、奴隷制度を非難し、奴隷解放運動にも関わり、1830年代から、彼が牧会する教会では、奴隷所有者への陪餐を停止したと言われています。


1835年、オーバリン大学の教授になり、後に学長になったオーバリン大学は、合衆国の大学の中で初期奴隷解放運動の主要な教育機関となり、白人、黒人、女性の共学を最初に実現した大学になりました。


彼は、神の国とその栄光のために、「聖霊の力によって聖書的なキリスト教に立ち返り、それを実践する」ことにその生涯をささげました。フィニーは真理をはっきりと説き明かし、聞く者に罪を深く自覚させ、救いの必要性を理解させて 、その人生を一変させました。その働きの原点には、彼自身の、「罪に対する深刻な悔い改めと聖霊との出会い」の体験があると言われています。


<フィニー著『上よりの力』より>


さて、フィニーは、多くの人々が大いに感化された著書『上よりの力』(角笛出版)という本を残しています。特に本書1章から4章には、「上よりの力と何か」、「どうすれば上からの力を頂けるのか」「何故上よりの力が必要か」について、自らの体験を踏まえて記されています。


フィニーは、上よりの力とは、神の霊の注ぎ、即ち聖霊のバプテスマを受けることであり、それは救いの確信を伴い、宣教の力でもある、と述べました。


イエスは十字架に架かる前に、聖霊を遣わすこと、即ち、聖霊のパプテスマを約束されました。(ヨハネ16.7、使徒1.5) そして使徒行伝2章には、有名なペンテコストの記載があるように、信徒は力強い聖霊のバプテスマを受けました。


「五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。 また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した」(2.1~4)


正にこの聖霊降臨は、「信徒の献身と熱心な祈りの賜物」であり、そして、内に住まわれる神が、揺るぎない罪の自覚をもたらし、人々に救われなければならないという思いを起こさせられ、救いの必要を痛感させたと言うのです。(『上よりの力』P20)


フィニーは、イエスが命じられた「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マルコ16.15)との大宣教命令を果たすためには、上よりの力が必要であり、与えられるまで、祈りと献身を持って宣教に備えなさいと語りました。


そして上よりの力を与えられるためには、罪を告白し、真剣に祈ることが不可欠だとし、仕事や勉強にかこつけて、祈りの時間を取らないことを戒めました。


また上記1921年10月10日に遭遇した「体と魂を突き抜ける自らの聖霊体験」を証言すると共に、人々への霊的感化は、たった1つの文章、1つの何気ない言葉、1つの身振り、ほんの一瞥、を通しても現れると体験談を語りました。(P20~21)


そして、聖霊のバプテスマによって、教える力、牧会する力、福音を伝える力、異言を語る力、奇跡を行う力、霊感の賜物、精神的勇気、が与えられる(P19)とし、また奇跡や異言は、福音を人々に理解させるための手段(方便)であるとも指摘しました。


こうしてフィニーは、イエスの大宣教命令を行うためには、上よりの力が必要であり、上よりの力が与えられることを信じ、与えられるまで祈り続けよと教え、そして人々をキリストにつなぐことは、全てのクリスチャンの特権であり責務であると強調しました。


フィニーは「主は説教の言葉を与えて下さり、集会で上よりの力が激流のように押し寄せ、そしてこの町にリバイバルが始まった」(P30)と記しています。確かにフィニーは、神に召命され、リバイバルの賜物を与えられたキリスト者でした。


【筆者の体験より】


ルターやフィニーのように劇的ではなく、また一回切りの決定的なものではありませんが、筆者にも漸進的な過去何回かの回心体験らしきものがあります。


先ず、本心に内在する神との出会いがありました(22才)。コリント人への第二の手紙6章16節には次の通りあります。


「わたしたちは、生ける神の宮である」


次に、エロースの愛の自覚とアガペーの愛の発見、及び罪(原罪)との遭遇がありました(23歳)。


「だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである」(マダイ5.28)


そして、自らの命としての「神の言葉」の再発見てす(27歳)。


「初めに言があった。言は神と共にあった。この言に命があった」(ヨハネ1.1~4)


こうして見ると、「三つ子の魂百まで」の通り、神・罪・救いという基本となる信仰の骨格が、20才代に形成されたということが分かります。


そして遂に、全てを失ったあと、どん底で神の啓示と出会うことになります(70才)。


「神の言葉は最大の財産である。聖書を3回通読しなさい」


そして回心聖句は、次のビリピ人への手紙3章8節でした。


「わたしは、キリストのゆえに、すべてを失ったが、それは、わたしがキリストを得るためである」


また、コリント人への第二の手紙6章10節には、パウロの次のような言葉があります。


「貧しいようであるが、多くの人を富ませ、何も持たないようであるが、すべての物を持っている」


では、究極的な神の言葉とは何でしょうか。それこそ、黙示録5章に預言された「七つの封印の巻物」を開き、 聖書の奥義が秘められた封印をとく方、即ち、「ダビデの若枝」である方が明らかにされた「原理」に他なりません。


さて昨日4月26日は、配偶者の聖和一周年でした。その記念礼拝を、富士宮朝霧霊園で執り行いましたが、上記の言葉を「吉田家メモリアル」(墓)の祭壇に捧げました。(了)