◯徒然日誌(令和7年3月5日) バビロン捕囚解放後の国の再建ーイスラエル復活に学ぶ教会の再建
ペルシャ王クロスはこのように言う、天の神、主は地上の国々をことごとくわたしに下さって、主の宮をユダにあるエルサレムに建てることをわたしに命じられた。あなたがたのうち、その民である者は皆その神の助けを得て、ユダにあるエルサレムに上って行き、イスラエルの神、主の宮を復興せよ(エズラ1.2~4)
プロローグ
筆者は既に徒然日誌で、イスラエルのバビロン捕囚は、現在のUCの立たされた状況と瓜二つであること、即ち「令和のバビロン捕囚」であることを指摘し、トランプ大統領をイスラエルをバビロン捕囚から解放したペルシャのクロス王(前538~529)にたとえて述べた。UCは、ここ2年半に渡り、マスメディアの魔女狩り的なバッシングに晒され、世論に忖度した政府文科省の恣意的な宗教弾圧により、教団の死刑に相当する「解散請求裁判」を提起され、世論と裁判所の「囚われの身」となっている。
今回、イスラエルのバビロン捕囚とクロス王による解放の史実を辿り、更に、イスラエルがバビロン捕囚から解放された後、いかにして国を再建していったかを、旧約聖書のエズラ記、ネヘミヤ記に則して検証し、日本UCの「教会再建の教訓」としたいと思料する。
即ち、捕囚から帰還後、政治的指導者ゼルバベルと大祭司ヨシュア、祭司にして律法学者エズラ、ユダヤ属州総督ネヘミヤらの指導者によって、神殿が建設され、律法が整えられ、城壁が構築されて国が再建される過程を、UC再建の道しるべにしたい。
【バビロン捕囚と解放】
イスラエルは、ソロモン王の時、王国の全盛期を迎えたが、前922年頃、北イスラエルと南ユダに分裂した。 この分裂は、統治に不満な北部部族が、ソロモン王の死後、分離独立して生じた。そして、北イスラエルは前722年にアッシリア帝国の攻撃を受けて滅亡した。アッシリア帝国は被征服民に対して強制移住政策を行い、北イスラエルは各地に散らばり、失われた10部族と言われている。
ちなみにイスラエルの失われた十部族とは、ルベン族、シメオン族、ダン族、ナフタリ族、ガド族、アシェル族、イッサカル族、ゼブルン族、マナセ族、エフライム族を指す。なお、 日本に帰化した秦氏らが失われた十部族ではないかという説がある。一方、南ユダのニ部族とはユダ族とベニヤミン族で、これにレビ族を加えた三部族がユダヤ民族の直系の祖となったとされる。
<バビロン捕囚>
残された南ユダ王国は、前586年、新バビロニア王国のネブカドネザル2世に滅ぼされ、神殿は破壊され、民はバビロンに連行された。これらの出来事は、イスラエルの偶像崇拝や律法への違背が内的な原因と言われているが、これが世に「バビロン捕囚」である。
ただ、バビロン捕囚時代のイスラエルには、かなりの自由、自主性が認められ (傍観主義的政策)、中にはネヘミヤのように王の信頼を得て王宮に仕える者や裕福になる者もいた。それは、 解放後もかなりの数のユダヤ人が、自発的にバビロンに留まったことにも示されている。
イスラエル王国を滅ぼしたアッシリアは、人々を強制的に分散させ、イスラエルの地には他から入植者を移住させたが(同化政策)、新バビロニアは、集団としてまとまってバビロンに連行し、またその跡地イスラエルには、他民族から入植させなかったのである。またユダの捕囚民の大部はバビロニアにあるニップル市そばの灌漑用運河であるケバル川沿いに移住させられた(エゼキエル書)。
そのため、解放された人々が戻ったときには比較的民族としてのまとまりを維持することができた。かつてのイスラエル12部族の内、バビロン捕囚後も存続できたのはほとんどがユダ王国の中心部族だったので、バビロン捕囚後は「ユダの民」つまり「ユダヤ人」といわれるようになった。(山我哲雄著『聖書時代史』旧約篇P170~172)
さて、第一次捕囚は前597年で、通常この出来事を「第一次バビロン捕囚」と言う。エホヤキン王は、主の前に悪を行ったので、バビロンの王ネブカデネザルによるエルサレムの包囲攻撃にあい、エホヤキンは投降した(2列王記24.12~17)。ユダ王国の王エホヤキンを始め、その家族、軍人、職人等の上層階級数千人がバビロンの地に連れ去られ、神殿と王宮の財産のすべても奪われた。
第二次捕囚は前586年で、これがバビロン捕囚の代表的な捕囚である。ゼデキヤ王は主の前に悪を行い、またバビロンに反抗したため、捕らえられ、彼の子どもたちは彼の前で殺され、彼自身も両眼をえぐり取られ、鎖につながれたままバビロンへ連れて行かれた(2列王記25.7)。エルサレムは陥落し、神殿は火で焼かれ、周囲の城壁はことごとく破壊された。老若男女を問わず多くの者が虐殺され、貧民を除く多くの者たちがバビロン捕囚という憂き目に遭ったのである(2列王記25.8~17)
第三次捕囚は583年で、捕囚人数は少ないが、これは兵士の数と考えられる。(エレミヤ52.30)
こうして三次に渡る捕囚が行われ、多くの人々(指導層)がバビロンに連行された。エレミヤ書52章を参考にすれば、全体で指導層1万5千人くらいが連行されたと考えられる。しかし、預言者イザヤ(前8世紀~7世紀)、エレミヤ(前7世紀~前6世紀)、エゼキエル(前6世紀)は、捕囚の民が再び集められ、国が再建されるとイスラエルを励ました。
筆者はこのバビロン捕囚になぞらえて、この2年半余のUCバッシングと文科省による解散請求を、UCにおける「令和のバビロン捕囚」と呼んでいる 。この間のUCへのバッシング、偏見、差別、人権侵害、解散請求等々は、かってイスラエルが、神殿を破壊され、生命と財産を奪われ、国を追われた、あのバビロン捕囚に酷似すると感じられるからである。
<バビロン捕囚からの解放>

前539年、新バビロニアを亡ぼしてメソポタミアの統一を達成したアケメネス朝ペルシャの王クロス2世(前576年~前529年)は、前538年勅命を出し、故国に戻ってエルサレムで神殿を建て直すことをイスラエルに許可したのである(エズラ1.2~4)。これがクロス王によるバビロン捕囚からの解放であり、前代未聞の歴史的事件がここに起こったのである。まさに預言者エレミヤの預言の成就である。
「主はこう言われる、バビロンで七十年が満ちるならば、わたしはあなたがたを顧み、わたしの約束を果し、あなたがたをこの所に導き帰る」(エレミヤ29.10.)
バビロン捕囚は、イスラエルを神に立ち返らせるための「試練」であり、クロス王による解放は「神のご計画」であったと理解された。異邦人の王クロスはバビロン捕囚の解放のために神に選ばれた「メシアの予型的人物」であった。
聖書はクロス王を「受膏者」(油を注がれた者)と呼び、神は義をもってクロスを起された。彼はペルシア人から「父」、ギリシア人から「理想の王」とみなされ、またユダヤ人から解放者として「受膏者クロス」と呼ばれた。それは彼の優れた人格とともに、帝国支配がゆるやかな同君連合国家の形態をとり、諸民族の自治を尊重し、宗教にも寛容であったことにもある。クロス王によるバビロン捕囚の解放は、聖書のイザヤ書に預言されている。
「わたしはわが受膏者クロスの右の手をとって、もろもろの国をその前に従わせ、もろもろの王の腰を解き、とびらをその前に開かせて、門を閉じさせない。わたしは主、イスラエルの神であることをあなたに知らせよう」(イザヤ45.1~3)
「われわれはバビロンの川のほとりにすわり、シオンを思い出して泣いた」(詩篇137.1)とあるように、神が約束したカナンの地への郷愁と帰還への思いは抑えがたく、クロス王による解放は、特に信仰深い人々にとって、これ以上ない喜びだったことは想像にかたくない。捕囚後、ペルシア帝国の宗教寛容策によって、彼らはユダヤ教を守るという形でユダヤ国家を維持することができた。
さて、このクロス王によるイスラエルのバビロン捕囚からの解放であるが、筆者には、妙にトランプ大統領がペルシャのクロス王とだぶって見えるのである。
今や未曾有の迫害と試練の中にあるUCは、まさに「令和のバビロン捕囚」と言うべき受難の中にある(参照→徒然日誌 令和6年3月6日 エレミヤの預言とUCの解放)。前岸田政権による解散命令請求は教団に対する死刑宣告であり、UCは受刑者となった。左傾化したマスコミと全国弁連と政府が一丸となってUCを捕囚したのである。果たしてトランプは、共産圏など世界で信仰の自由を奪われた人々を解放する自由の守護神になり、そして理不尽な令和のバビロン捕囚からUCを解放する「現代のクロス王」となることができるのであろうか。
トランプ米大統領は2月6日、ワシントン市内で開かれた全米祈祷朝食会で演説し、「神はアメリカに特別な計画を持たれており、国家に宗教を取り戻す」と述べ、米国は「神の下の一つの国」であり、反宗教的(キリスト教的)な偏見を根絶するため、司法長官をトップとする「タスクフォース」を新設し、また、ホワイトハウスに「信仰オフィス」(信仰局)を設立し、その責任者に自身の宗教顧問であるポーラ・ホワイト牧師を充てると発表した。
筆者は以前の徒然日誌で、トランプ大統領を、バビロン捕囚からイスラエルを解放したペルシャのクロス王に喩えたが(参照→徒然日誌 令和6年11月13日 トランプの大統領選挙当選に思うー現代のペルシャ王クロスたらんか!)、それは正夢になるのだろうか。即ち、神がペルシャ王クロスの霊を感動され、バビロンから帰還して神殿を建ることをイスラエルに命じられたように (エズラ1.2~4)、トランプは世界の宗教受難者の解放者になること、とりわけ「令和のバビロン捕囚」の下にあるUCとその信徒の解放者たらんことを祈念する。
【捕囚後の国の再建】
では、捕囚から帰還したイスラエルは、荒んだ人心、荒れ果てた国土を如何にして再建していったのだろうか。イスラエルの再建は、①ゼルバベルとヨシュアによる神殿の再建、②エズラによる宗教改革(信仰と律法の復活)、③ネヘミヤによる城壁の再建と民の生活改善、という三段階で行われた。
<神殿の再建>
神殿の再建と律法の復活は「エズラ記」に記されている。 エズラ記の 全体の概略は、ゼルバベルらによる国の再建(1~6章)と、エズラによる信仰生活の再建(7~10章)である。 (参照→聖書の知識88-エズラ記注解-神殿の再建とエズラのリバイバル )
エズラ記の主人公は、神殿再建を行い国造りを行ったダビデ王家の直系の子孫であり政治指導者であるゼルバベルと、ユダヤ教の基礎造りをした律法学者である祭司エズラであり、 特にエズラによるみ言(律法)の復興によるリバイバルは、捕囚後のイスラエルにとって決定的な意味を持った。
前538年、神がクロス王を用いて、バビロン捕囚からのイスラエルの解放を行われ、ゼルバベルにひきいられて帰還した民の人数は、約4万2000人と記載されているが(エズラ2.64)、一方ではバビロンに留まって繁栄し、重要な地位に昇るものおり、これら帰還民は、生活の安定よりも神との関係を優先させた「イスラエルの残れる者」である。
帰還民たちは先ず最初に、神殿が建っていた場所に祭壇を築き(エズラ3.2)、仮庵の祭りを祝って、祭壇を中心にひとつとなり、 祭壇完成から7ヶ月後(537年2月)に、神殿の工事が開始された。イスラエルは城壁再建の前に、先ず神殿の建設に着手したのである。この信仰姿勢は、アメリカに渡ったピューリタンが、先ず神のために教会を建て、次に子孫のために学校を建て、最後に自分たちのために丸太小屋を建てた精神を想起させる。

神殿の礎が据えられた時、祭司とレビ人たちは、ダビデ王の先例に倣って主を賛美し、年老いた世代の中には、大声をあげて泣く人もいた(エズラ3.12) 。そうして、混血民の子孫サマリヤ人らの卑劣な妨害で工事は中断されたりしたが、政治的リーダーのゼルバベルと宗教的リーダーのヨシュアは、毅然とした態度で事に臨み、前515年、神殿は完成し(第二神殿)、奉献式が行われた (エズラ6.14~16)。着工から21年後のことであり、前586年に第一神殿(ソロモンの神殿)が破壊されてから70年後のことだった。
「 彼らはイスラエルの神の命令により、またクロス、ダリヨスおよびペルシャ王アルタシャスタの命によって、これを建て終った。この宮はダリヨス王の治世の六年アダルの月の三日に完成した。そこでイスラエルの人々、祭司たち、レビびとおよびその他の捕囚から帰った人々は、喜んで神のこの宮の奉献式を行った」(エズラ6.14~16)
<エズラの帰還と信仰の再建>
最初のゼルバベルらの帰還から80年経った前458年、祭司エズラがイスラエルの民を率いてエルサレムに到着した。神殿再建から57年後のことである。80年前の帰還民の数と比べると、今回の帰還はほぼ10分の1だが、「イスラエルの残れる者」はいつも少数派だったのである。
エズラは捕囚の地で生まれ、祭司アロンの家系で、ユダの王ヨシヤの時代に大祭司だったヒルキヤのひ孫である。エズラの一族には、トーラーの知識とモーセから伝えられた父祖たちの伝統が深く浸透し、神を畏れ、愛し、義を追い求め、王や王の側近からも厚い信頼を受けていた。エズラは、ペルシャ宮廷の高級官僚で律法の書記官であったが、「ユダヤ教の祖」と言われ、ユダヤ人の間ではダビデと並んで尊敬されている。ユダヤの民は、エズラの律法の解き起しと悔い改めにより、神の言葉を再発見し、神との再結合を果たすのである。
イスラエルに着いたエズラは、心を込めて主の律法を調べ、これを行い、イスラエルにおきてと定めを教えた(エズラ7.10) 。 エズラ帰還の主たる理由は、民が信仰の道に立ち帰るためだったのである。エズラは王や王の側近に信頼されており、クセルクセス王の子であるアルタシャスタ王は、エズラをイスラエルの地における正義の執行役に命じ、エズラには、さばきつかさや裁判官を任命するという権威が与えられていた(エズラ7.21)。
エルサレムに着いたエズラは、父祖たちの神から遠く離れてしまった民を見て落胆した。エルサレムの住民の多くは異教の慣習に浸り(偶像崇拝)、神の命令に背いて異邦人の妻を娶っていたのである。エズラは、「雑婚」(異教徒との結婚)の罪があることを知り憂慮し、悔い改めの祈りを捧げた。(エズラ9.6~15)
「われわれは再びあなたの命令を破って、これらの憎むべきわざを行う民と縁を結んでよいでしょうか。あなたはわれわれを怒って、ついに滅ぼし尽し、残る者も、のがれる者もないようにされるのではないでしょうか。ああ、イスラエルの神、主よ、われわれは、とがをもってあなたの前にあります」(エズラ9.14)
エズラは召集のおふれを出し、3日後に大雨の中、民はエルサレムに集まって集会が開かれた。エズラは、民の罪(外国の女と結婚したこと)を糾弾し、その罪を認め、主に告白し、外国の妻を離別すべきだと命じた。全衆は、「あなたの言われた通り、われわれは必ず行います」(エズラ10.12)と大声で応答し、民は、大雨の中で罪を告白し、悔い改めを実際の行動で示したのである。
<城壁の再建と罪の悔い改め>
そして敵から防御するエルサレム城壁の再建は、ネヘミヤによってなされた。ネヘミヤは、ペルシヤ王アルタシャスタ1世(前5世紀)の献酌官で、知識、知恵、判断力、人格的な信頼性などを併せ持っていた人物である。ネヘミヤは捕囚からの解放後、エルサレムに派遣された総督で、エルサレムの城壁を再建し、民族の復興に尽力した。
さて、エルサレムの惨状を耳にしたネヘミヤは(ネヘミヤ1.3) 、ペルシャ王にエルサレム帰還の許可を得て、エズラ帰還から13年後、前445年にエルサレム到着し、数々の妨害に合いながらも城壁の再建を完成させた(ネヘミヤ1~6)。またエルサレムの都市と生活の再建を諮った。城壁の再建を嫌う者らは、あざけり、暴力、落胆、恐れ、利己的要求など、あらゆる狡猾な手段で中傷、脅迫をしてきたが(ネヘミヤ4~6章) 、用意周到に事を運び、各人に具体的な任務を割り当てた(3章)。こうしてネヘミヤのリーダーシップにより城壁は52日で完成し、最初にエルサレムの惨状を知ってから1年弱で城壁の修復工事が完了したことになる。
「こうして城壁は五十二日を経て、エルルの月の二十五日に完成した。われわれの敵が皆これを聞いた時、われわれの周囲の異邦人はみな恐れ、大いに面目を失った。彼らはこの工事が、われわれの神の助けによって成就したことを悟ったからである」(6.15~16)
そうして城壁の奉献式が行われた。この成功は、明確な使命感、なすべき優先順位、達成可能なゴールの設定、祈りと神の関与の確信、などネヘミヤのリーダーシップに負うところが大と言わねばならない。またネヘミヤは人口調査を実施し、民を把握すると共に、民の生活の再建を諮り、この町を純粋なユダヤ人の血統の者たちによって満たそうとした(ネヘミヤ7章)。
さて城壁が完成すると、民はエズラから律法を学ぶことを渇望し、第7の月の1日(ラッパの祭りの日で新年に当たる)、彼らは、自分たちの町々を出て、水の門の前の広場に集まり、 エズラが朗読する律法の書(モーセの五書)に老若男女が耳を傾けた( ネヘミヤ8 章)。即ち、「エズラが朗読する律法の書」に何千名もの人々が耳を傾け、それが、夜明けから真昼まで続いた。「水の門の前にある広場で、あけぼのから正午まで、男女および悟ることのできる人々の前でこれを読んだ。民はみな律法の書に耳を傾けた」(ネヘミヤ8.3) とある通りである。
「彼が書を開くと、すべての民は起立した。 エズラは大いなる神、主をほめ、民は皆その手をあげて、アァメン、アァメンと言って答え、こうべをたれ、地にひれ伏して主を拝した」(ネヘミヤ8.5~6)
そしてエズラはネヘミヤ記9章6節~37節において、神の天地創造から始まり、アブラハムの召し、モーセによる出エジプトと律法の授与、荒野の40年、罪と背き、そしてカナンに定着するまでの、神に導かれた歴史を回顧し、神に賛美と感謝を捧げている。
こうして律法の書を聞いた人たちは、それを理解し、2週間後、ヨシュア時代以来忘れていた「仮庵の祭り」を実行した。 仮庵の祭りは第7の月の22日に終わり、そして24日に再度民は集まった。 その目的は、「自分たちの罪と、先祖の咎を悔い改めて告白」するためであり、断食、荒布、頭に土をかける、などして、悔い改めの証とした。
「そしてイスラエルの子孫は、すべての異邦人を離れ、立って自分の罪と先祖の不義とをざんげした。彼らはその所に立って、その日の四分の一をもってその神、主の律法の書を読み、他の四分の一をもってざんげをなし、その神、主を拝した」(ネヘミヤ9.2~3)
まさにこの罪の悔い改めこそ、個人だけでなく、民族全体のざんげであり、新しいイスラエルの復活であった。筆者はこの悔い改めの瞬間こそ、エズラ記、ネヘミヤ記全体を通じたクライマックスであると思料する。そして、律法を守ることを証するため、イスラエルは神の前に契約を締結した。
「これらすべてを顧みて、わたしたちはここに誓約して、書き留め、わたしたちの高官、レビ人、祭司の捺印を添える」(ネヘミヤ10.1)
こうして民は変えられた。歴史を見ると、ここでユダヤの民が個人として、また集団として悔い改めに導かれ回心した瞬間と言えるだろう。民はついに自分たちの神とそのみ言に、再び結び合わされた。まさにみ言の再発見、ヤハウェとの再結合である。
以上、国家の崩壊とバビロン捕囚を経たイスラエルは、ゼルバベル、エズラ、ネヘミヤらにより、神殿の再建、律法の読み聞かせとユダヤ教の形成、城壁の建設、そして罪の悔い改めと神との再契約がなされ、「メシアを迎える民としての備え」が整えられていったのである。
【イスラエル再建からの教訓】
こうしてバビロン捕囚と解放後の国の再建を見てきたが、同じ「令和の捕囚の民」としての私たちにとって、これ以上ない貴重な教訓と道しるべであり、祈りをもって研究すべきである。
私たちUCの教会を再建するためには、先ず第一に、律法の復活、即ちみ言への再回帰が重要である。もう一度、神の言葉に立ち返り、み言を学び、研鑽し、体恤し、実践し、そして悔い改めなければならない。エズラによって律法を甦らせたように、み言と真剣に向き合って再発見し、神と再結合しなければならない。まさに「神に還れ、神の言葉に還れ」である。
第二に、イスラエルが崩壊した神殿を、ゼルバベルを中心に再建したように、教会の象徴である本部教会を再建し、少なくとも1000名~3000名以上収容できる礼拝堂を備えた象徴的な本部教会を建設するべきだと思料する。そしてここで祈り、家庭教会(ホームチャーチ)と連結するのである。日本UCは少なくとも50万人以上の信徒を有しているのであり、これから5倍、10倍に成長することを考えた場合(実際、そうならなくてはならない)、今の松涛本部はいかにもみすぼらしい。
第三には、ネヘミヤによってエルサレムの城壁が再建され、国家の防備を確かなものにしたように、反対勢力への防衛を固め、分派を分別し、異端を駆逐して「正統的神学」を再確認しなければならない。これらが急を要することは、今回の解散請求の教訓を待つまでもない。
以上の3つの方策をしっかり立てて、将来に備えることが必須であり、そしてこれを実現するためのキーワードが「悔い改め」と「自律性」である。
私たちはエズラの指導に従って、イスラエル民族が歴史的悔い改めに導かれたように(エレミヤ9.2~3) 、個人と教会全体が、もう一度「悔い改め」て、出直さなければならない。そして自律性とは、日本教会が、真のご父母様(今は真のお母様)、そして世界教会本部と調和と統一を保ちつつ、あらゆる面で自己完結的に意思決定する自律性を持つということである。つまり日本教会として「自主自立的な教会運営」(自治)が必須であり、それは、神のみ旨を速やかに成就するために必要であると筆者は思料する。
以上、イスラエルのバビロン捕囚とその解放、そして解放後のイスラエルの再建を、エズラ記とネヘミヤ記の記述を辿りながら見てきた。そしてそれを如何に日本の教会に適用すべきかの筆者の所見を述べた。この一文が、教会の発展と信徒の霊的覚醒の一助になるなら、これに過ぎたる喜びはない。異論、反論は歓迎します。(了) 牧師・宣教師 吉田宏