◯徒然日誌(令和6年4月24日) 中東問題の本質ーイスラエルとイランの確執に思う
世の中は、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教に分かれて鋭く対立していますが、実際の根は一つです。問題は、イエス様をめぐる解釈です。(文鮮明著『平和を愛する世界人として』創芸社P246)
神に選ばれし民イスラエルは、またしても大きな試練に直面している。一体、いつまでイスラエルの艱難(かんなん)は続くというのだろうか。
昨年10月7日、パレスチナ暫定自治区のガザ地区を実効支配するイスラム軍事テロ組織「ハマス」が、突如、イスラエルへの攻撃を開始し、イスラエル人1200人以上を惨殺し、250人の人質を連れ去っていった。当然イスラエルは、自衛・報復の原則に基づき、ガザを拠点とするハマス殲滅作戦を開始し、ガザを空爆し侵攻した。このイスラエル・ハマス戦争は半年を過ぎるが未だに終息していない。
実はイランは、イラン革命防衛隊を先頭に、ハマス、レバノンのヒズボラ、イエメンのフーシー派、シリア、イラクの民兵組織などの過激派に、資金・武器の供与や戦闘員の訓練で支援し、イスラエルを包囲している。そしてこの4月14日、イランはドローンとミサイルにより、イスラエル本土への攻撃を実施した。即ち、イランからイスラエルに向けて、約170機のドローン(無人機)、120発以上の弾道ミサイル、30発以上の巡航ミサイルが発射されたのである。
このイランの攻撃は、本年4月1日、シリアの首都ダマスカスにあるイラン大使館関連施設へのイスラエルによる爆撃への報復だという。イランの革命防衛隊は1日、このイスラエルによる爆撃で、幹部13人が死亡したと発表した。 更に19日、今度はイスラエルがイラン中部の都市イスファハンの核施設近くをドローンで数発攻撃したのである。
【イラン・パレスチナの論理とイスラエルの論理】
こうしてハマスとイスラエルの戦闘など、果てしない憎悪の連鎖で「第5次中東戦争」の危機が生じている。そしてこれらのパレスチナでの争いは、イラン・ロシア・中国の権威主義枢軸国家と、イスラエル・アメリカ・イギリスなどの民主主義国家連合の対立に見えなくもない。そこで今回、イラン・パレスチナの論理とイスラエルの論理がどのようなものであるのかを考えて見たい。
<イラン・パレスチナの論理>
イランでは親米的な王政が、1979年2月、ホメイニ師主導の「イスラム革命」によって崩壊し、イラン・イスラム共和国が樹立され、イスラム原理主義による政治とそれをイスラムを世界に広めることが国家の基本方針として謳われたのである。即ち、イスラム革命とは、シーア派(十二イマーム派)の教義に忠実な統治を掲げるもので、それまでのアメリカ文化の模倣を否定して厳格なイスラムの日常生活の規範を復活させたのである。裁判ではシャリーア(イスラム法)が適用され、当初、映画や文学、絵画もイスラムの教えに沿ったもののみが許され、女性には外出時のヘジャーブ(頭髪と肌の露出をさける衣服)の着用が義務づけられるなど、宗教色の強い、イスラム原理主義を理念とした政治が展開されることとなった。
そのイスラム国家とその基本方針は今日のイランまで続いているが、同国憲法前文には次のように述べられている。
「イラン・イスラム共和国憲法は、イスラム社会の真の熱望を反映したイスラム的原理と戒律に基礎を置くものである」
そして、イランにおけるイスラム軍および革命軍は、単に国境を防御し安全を保障するためばかりではなく、「神の名において全世界に神の法が打ち立てられるまで、聖戦を闘い抜くためにも組織されるのである」とした。即ち、統治原理の根幹をイスラムにおく立憲共和制、反米的なイスラム共和制になったのである。
現在、最高指導者はアリー・ハメネイ師、No.2の大統領はハサン・ロウハニで、反米、反イスラエルを掲げる。またササン朝ペルシャ(紀元3世紀)時代には大版図を築いたが、この時代への郷愁があり、「全世界のイスラム化」と「イスラエルを地図上から抹殺する」ことを国是とする。
ハメネイ師は、「1979年のイスラム革命の勝利により、西洋的な民主主義に対抗するイスラム的民主主義に基づいた新たな戦線が形成された」と述べ、更に、「アメリカなどの覇権主義戦線は民主主義、人権、自由主義の名目のもとに抑圧、侵略、殺害を隠蔽してきた」と強調した。そしてガザでの女性と子供の残虐かつ無慈悲な殺害や市民の財産と資源の破壊を非難し、パレスチナにおけるシオニスト政権(イスラエル)の樹立を悪魔の行為だとした。
1988年のハマス憲章7条には、コーランの「おおムスリムよ、アッラーの僕よ、わが後ろにユダヤ教徒がおるぞ。やってきて殺すがよい」が掲げられ、反イスラエルは徹底している。
<イスラエルの論理>
では、一方のイスラエルの論理はどのようなものであろうか。日本のメディアや専門家の多くはパレスチナ批判よりイスラエル批判の傾向が強い。また前記したように、反イスラエル勢力の背後に、イランの存在があるが、その問題に具体的かつ明確に触れる論者も少ない。今回のイランのイスラエル攻撃にも、岸田政権はG7の中でも唯一及び腰である。つまり、 イスラエル建国によって排除されたパレスチナ人が怒るのは当然で、イスラエルが「攻撃」をし、それに対しハマスやヒズボラ、イランやシリア、様々な反イスラエル組織などが「抵抗」している、といった認識が背景にある。
しかし前記の通りイランは、イスラエルの建国を今日でも「悪魔の行為」と断言し、同国を地図上から抹殺することを国是とし、多くの反イスラエル運動と反イスラエル主義を鼓舞してきたのであり、イスラエルが「自国の抹殺運動」に対して全力で戦うのは、自衛権として当然である。確かにイスラエル・パレスチナ問題には、原理的な二律背反性が含まれているが、そのことを理解した上で、なお国家の存続を賭けたイスラエルの自衛権を理解すべきである。
さて、イスラエルの軍隊入隊宣誓は、「マサダ要塞」で行われる。マサダ要塞とは、紀元前120年ごろ、死海に近い砂漠にそびえ立つ400mの高さの岩山の上に作られた難攻不落の砦である。紀元70年、ローマ軍によってエルサレムは陥落するが、なおローマ帝国の支配に抵抗するユダヤ人がこの砦に立てこもり、3年にわたり籠城戦を展開した。しかし西暦73年にローマ軍に突入され、最後には女性や子供を含むユダヤ人967人が、捕虜となって奴隷となることをよしとせず、集団自決した凄惨な地である。
マサダは現代のユダヤ人にとり、民族の聖地となっており、イスラエル軍士官学校の卒業生はマサダ山頂で「マサダは二度と陥落せず」と宣誓し、民族滅亡の悲劇を再び繰り返さないことを誓うのである。イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相もヨアヴ・ガラント国防相も元高級軍人でマサダで宣誓した。
BC6世紀のバビロン捕囚、紀元70年のエルサレム陥落によるディアスポラ、キリスト殺しで世界中から追われた悲惨な歴史、そしてナチスによる600万人のホロコースト。まさにイスラエルほど迫害と苦難の歴史を持つ国はない。そしてその中で得た教訓こそ、「国を持たなければ生き残れない」ということであり、ここに、「戦わなければ生き残れない。たとえ世界を敵に回しても戦う」とのイスラエルの内在論理が確立した。
振り返ればイスラエルは、1948年5月14日、悲願の建国の翌日から、イスラエルの建国やシオニズム思想に反対するアラブ世界の国々から戦争を仕掛けられた。第一次中東戦争である。「世界は決して助けてくれない。だから自分たちで守り戦う」との徹底した自助の精神は、こうして生まれ、そして神が与えた聖書の約束の地は、絶対に譲れないとのユダヤ人の信仰的矜持がある。
韓鶴子著『平和の母』(光言社)の中に、ユダヤ系アメリカ人サミュエル・ウルマンの詩集『青春とは心の若さである』が紹介されている。(P255)
敬虔なユダヤ教徒であるウルマンは、その苦難の運命に翻弄されたイスラエルについても、それを詩にしたためた(抜粋) 。
夢にカーテンが上がり
シオンの頂に建てられた大きな館が現れる
平和の蒼穹(そうきゅう)に織りなされ
律法と愛の黄金の言葉から
真実を学ぶためにその館から行く者の夢を見た
「律法はシオンから神の言葉はエルサレムから」(イザヤ書2.3)
トランペットの音ひびき渡り
世界は救われん
イスラエルは、アブラハムに約束された神の言葉「わたしはこの地をあなたの子孫に与える。エジプトの川から、かの大川ユフラテまで」(創世記15.18)を忘れず、そして「あなたは祝福の基となり、地のすべてのやからは、あなたによって祝福される」(創世記12.3)を信じている。四方を敵で囲まれたイスラエルに比して、海という天然の要塞で守られた日本はその対極にあるかもしれない。しかし、権威主義的覇権国家に囲まれた現代の日本も、決して他人事ではない。
【パレスチナ和平の方案】
イスラエル・パレスチナ問題には、大きく二つの要因、即ち領土問題と宗教問題がある。一つはパレスチナの土地を誰が所有するかという問題であり、今一つはイスラエルとイスラム世界との宗教的対立である。そして宗教的問題こそ、より根源的な葛藤の要因であり、まさにそれはユダヤ・キリスト教とイスラム教の葛藤と対立である。従って、この宗教問題の根本的解決がない限り、パレスチナの恒久的な平和はないが、世界の誰もその回答を見出だせていない。
<イエス様平和の王戴冠式>
しかし、ここに極めて革命的なことを成し遂げた一人の人物がいる。UCの創始者である文鮮明先生は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の和解に心血を注がれ、この三宗教の和解と一致こそ、世界恒久平和の鍵であることを訴えられたのである。文先生は、「ユダヤ教、キリスト教、イスラム教が一つにならなければ、世界平和は決して目指すことはできません」と明言され、「世の中は、ユダヤ教とキリスト教とイスラム教に分かれて鋭く対立してますが、実際の根は一つです。問題は、イエス様をめぐる解釈です」(文鮮明著『平和を愛する世界人として』P246)と述べ、事の本質を端的に指摘された。
確かにこの三宗教は「イエスをめぐる解釈」について、著しく見解が異なる。ユダヤ教は、そもそもイエスをメシアとして認めていないし、イスラム教はイエスをメシアではなく一人の預言者と見ている。そしてイエスをメシアと信じるキリスト教内においても、イエスを神と信じる教派と、イエスを被造物(人)と見る教派に分かれている。ましてや、イエスの十字架の意味については、まさに五里霧中(ごりむちゅう)であり、今ほど、統一的なイエス像、正しい十字架観が必要な時はない。そして文先生は、革命的で究極的なイエス像と十字架観を提示された。
1965年、第三次中東戦争(1967年6月5日~10日)の2年前、文鮮明夫妻は、イエスがピラトの裁判場に引き出される前に、血の汗を流して祈りを捧げたオリーブ山を訪ねられた。そこには、すでに「万国民の教会」が建てられていたが、文先生は、イエスが祈る姿を見守って2千年を経たオリーブの木を軽く撫で、そして、その木にユダヤ教とキリスト教とイスラム教を意味する三つの釘を打ち込み、彼らが一つになる日のために祈りを捧げられた。
それから38年を経た2003年5月18日、文先生の主導により、各教会で十字架を取り外す式典を行ったアメリカの牧師たち132人がエルサレムに行き、イスカリオテのユダがイエスを売り渡して得た銀貨30枚で買ったという「血の畑」(マタイ27.8)の地に、十字架を埋める儀式が行われた。
そしてその年の12月22日、教派と宗派を超越して全世界から集まった三千人以上の「平和大使」と、イスラエルとパレスチナの人たち2万人以上がエルサレムの独立公園に集まり、イエス様の頭から茨の冠を外して、平和の王冠を被せる儀式を行ったのである。そして、そこに集まった2万人の人たちが、共に教派と宗派を離れて人類の平和のために行進した。イエスは平和の王として復権されたのであり、お互いに反目していたユダヤ教とキリスト教とイスラム教が和解する契機が与えられたのあった(文鮮明著『平和を愛する世界人として』P246)。
こうして文先生は、「イエス様平和の王戴冠式」を超宗教で挙行し、イエスと十字架の真の意味を明示され、イエスの怨を解かれたのである。ここに中東和平の根本的解決の回答があると筆者は考える。
韓鶴子著『平和の母』(光言社)には、「私たちはムスリムの指導者を、少ない時は数十人、多い時は数百人ずつニューヨークに招待し、新しいみ言『統一原理』を伝えました。そうして、その内容に感服したムスリムの人々が祝福結婚式に参加するようになったのです。これは初めての、偉大な宗教和合の瞬間でした」(P289)とあり、特にイスラム教には特別の愛情を示されたのである。
<宗教の一致は神の摂理的要請である>
よりにもよって、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地パレスチナに、テロリズムが横行しているが、まさにこれは聖書が預言する終末におけるサタンの発悪に見える。(エゼキエル38.1~6)
UPF(天宙平和連合. Universal Peace Federation)の創設者である文鮮明・韓鶴子総裁夫妻は、2000年8月18日、国連で開かれたフォーラムで演説し、国家元首や外交官と連携しながら平和に向かう取り組みをサポートすることのできる宗教指導者の役割を強調された。政治的努力が破綻すると、外交ルートは閉ざされてしまうが、しかし、宗教指導者はたとえ行き詰まったとしても、民間・有識者間の取り組みと対話(トラック2協議)を続けることができるからである。
万能の神の導きの中で、宗教指導者は暴力と苦しみを終わらせ、永続的な平和が達成できるという希望の光を示すことができる。「悔い改め」、「許し」、「相互尊重」、「人類一家族」との共通認識の下に、パレスチナとイスラエルに恒久的な和解と平和が生まれるはずである。
以上、「イエス様平和の王戴冠式」の原点に立ち返り、これを共有することによって、パレスチナの和平は実現し、中東の火薬庫は世界平和の宝庫に変貌すると信じるものである。(了)
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