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久保木修己著「愛天愛国愛人」を読んで⑤ 環太平洋・東アジアの時代

○つれづれ日誌(3月31日)-久保木修己著「愛天愛国愛人」を読んで(5)ー環太平洋・東アジアの時代


彼らはその剣を打ち変えて鋤となし,その槍を打ち変えて鎌となすべし。国は国に向かいて剣を上げず,もはや戦いのことを学ばざるべし(イザヤ2.4)


さて、この「久保木修己著『愛天愛国愛人』を読み解く」の最終回に、「環太平洋・東アジアの時代」と題して、世界に向かう会長について述べることに致します。


【世紀の邂逅ーゴルバチョフと金日成】


勝共運動を推進されてきた久保木会長にとって、文先生とあの二人の出会いほど驚愕したことはありませんでした。即ち、反共の旗手文鮮明先生と共産主義の巨頭ゴルバチョフ、金日成との出会いであります。この二人の出会いを身近に目撃された会長にとって、当に寝耳に水であり、また鮮明に新しい時代を予感させるものでした。


<レーガン大統領と文鮮明先生>

1989年9月12日、ポーランドにワレサ率いる「連帯」の「非共産政権が樹立」され、これを皮切りに、東欧で共産圏の崩壊が始まり、1989年11月10日には「ベルリンの壁」が破られました。そして1991年のソ連の崩壊は更に劇的なものでありました。共産主義の元祖ソビエト連邦は、1991年12月のソビエト連邦共産党の解散を受け、また同年12月25日の「ゴルバチョフ大統領の辞任」に伴い、ソビエト 連邦は解体されたのです。


そしてその立役者になったのがレーガン大統領とゴルバチョフ大統領であり、その背後にあって導かれた文鮮明先生であります。


文先生は、a.キリスト教の復興を通じてアメリカ建国精神を復活させること、b.アメリカの関心をアジアに向けさせること、そしてc.自由主義の砦たるアメリカをして、世界の共産主義の防波堤にすること、この3つの目的を持って40年間に渡り、アメリカにおいて物心両面の投入してこられました。


そしてその頂点こそ、レーガン大統領(在任1981~1989年)をして「悪の帝国たるソ連」を崩壊に導くために、影の指南役として、励まし、強め、教示されたことであります。それは主に、レーガンが毎朝最初に目を通すと言われた「ワシントン・タイムズ」(1982年創刊)を通してなされました。


スターウォーズと呼ばれたSDI(戦略防衛構想)など強いレーガンのアメリカに、ソ連は追い詰められて遂に崩壊に導かれたのです。そしてこの影の立役者こそ、レーガンを支えた文先生でありました。なお、このレーガン政権下で、文先生はダンベリー刑務所に収監(1984年7月20日~1985年8月20日)されています。


<ゴルバチョフとの歴史的会見>


1990年4月11日、文先生はソ連のゴルバチョフ大統領とクレムリンで会見されました。それは、同年6月1日、ベレストロイカ(解放改革)とグラスノスチ(情報公開)を標榜するゴルバチョフとアメリカ大統領ブッシュが、ホワイトハウスで戦略兵器削減などの「米ソ合意の調印」を行った2ヶ月前のことでした。


反共・勝共の旗手と共産主義の最高執行者との会談は世界的に注目され、会長も一部始終を目撃されました。文先生がソ連に入られたのは、第11回世界言論人会議モスクワ大会に、創立者として基 調講演をするためでした。実はこのモスクワ大会開催については、1976年9月18日にワシントン・モニュメントで行われた50万人大会で、既に文先生は預言されていたというのです。この日のワシントン大会に関して、次のように記されています。


「ユダヤ教、キリスト教、統一教会が一つとなり、またイスラエル、アメリカ、韓国が一つとなる道、即ち世界宗教統一と世界統一の道がひらかれたことを宣言され、同時にモスクワ大会開催の宣布もされたのである」(久保木修己監修『文鮮明師と新ソ連革命』光言社P86)


そして文先生は、共産主義は70年を越えることは出来ないと10年以上前から預言され、1985年のジュネーブでのアカデミー国際会議では、そのテーマを「ソビエト帝国の崩壊」とするよう強く指示されました。


文先生のモスクワでの基調講演は、実にソ連への愛情がにじみ出たもので、ソ連は「欧州とアジアの橋渡し」の役割を果たす運命を担っていると語られ、「神と人間の統一、精神と肉体の統一」、即ち「良心革命」を提示されました。また意外にも、1000人以上のジャーナリスト、政治家、要人を前に、「人間の堕落が、成長期間の未完成期に起こった天使長とエバとの不倫の性関係にあった」という宗教教理の根幹について明言されたというのです。


また韓国での「モスクワ大会勝利歓迎大会」でも、「それでは人間において、愛の起源地、生命の起源地、血統の起源地は果してどこでしょうか。それが生殖器です。ところがこの生殖器が天理を破壊した凶悪な本源地になってしまいました」(『文鮮明師と新ソ連革命』P70)と明記されました。


そしてゴルバチョフとの会談においては、ベレストロイカを支持されると共に「ソ連国民の信仰心の復興がソ連の発展に不可欠である。ソ連の成功の秘密は、神を全ての中心に寘くことだ」と述べ、統一原理を学ぶことを推奨されました。ゴルバチョフ大統領も深く頷いたと言われました。この文先生の指摘の正しさは、プーチン大統領によるロシア正教の復活政策によって、停滞していた国民経済が蘇ったという事実を見れば明らかであります。


筆者は、ゴルバチョフに会って語られた文先生の言葉を聞いた時、会長が、文先生の意を受けて、歴代日本の首相に語られた預言的な言葉を想起いたしました。文先生は会長を通じて、日本の時々の首相に神の言葉を伝えられました。そしてこのようなことが可能になったのは、会長に対する歴代首相の信頼があってのことでありました。


会長は著書の中で、「私はクレムリンに立ちながら、ゴルバチョフ大統領、レーガン大統領、そして文先生の背後にある神の意思をまざまざと感じ、戦慄を覚えたのを忘れることができません」(P156)と記されました。確かにこの三人は、神の摂理の絶頂期に、当に神が選び準備した摂は理的人物であったというのです。


<金日成主席と文鮮明先生との対面>

さて1991年12月6日、文先生は北朝鮮の金日成主席と会談されました。この会談は、前述のゴルバチョフ大統領との会談以上に世界を驚かせました。当時の北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)は、共産主義を強固に標榜する無神論国家であり、一方勝共連合は、北朝鮮を世界で最も危険なテロ国家と喧伝していたからです。


会長は、この唯一の分断国家である朝鮮半島の南北間対立を、地球上に最後まで残された自由と共産、有神論と無神論が相克する象徴、即ち神とサタンが戦う最前線と見ておられました。従って、この分断国家に終止符を打つことこそ、世界の平和に直結すると考えておられたのです。故に勝共運動も、この問題に集約されるというのです。


金日成主席との会談の前、12月1日、文先生は国会議事堂に当たる万寿台議事堂にて、いならぶ要人を前に演説されましたが、この演説は礼拝の説教そのもののようであり、南北統一は「神の愛」、「神主義」によるべきと説かれました。


そして、人間の頭から出てきた思想や哲学では南北統一も世界平和も覚束ないと指摘され、あろうことかその延長にある金日成の主体思想を「間違った思想として強く批判された」というのです。文先生の命がけの姿勢が如実に示されています。


にもかかわらず、金日成主席と文先生の会談は終始和やかで実り豊かなものでした。文字通り、聖書に出てくるエソウとヤコブの再会と和解(創世記33.4)を見るようであります。


会長は「文先生の哲学の基本は真実の愛に尽きます。そしてその愛は恩讐を愛する愛です。勝共運動の本質も統一教会が教える宗教思想も真実の愛に他なりません」(著書P164)と語られました。当に「許せ愛せ団結せよ」です。


一体私たちは、何をもって文先生を再臨のキリスト

と告白するというのでしょうか。即ち、第一には、「聖書の奥義を完全に解明された」方であること、第二には、真理を明らかにされただけでなく自らその如く生き、「完全な重生(新生)の道を開かれた」

方であること、そして第三には、サタンの実体たる「共産主義を屈服させられた」.方であること、この3つに集約されるでありましょう。そしてその本質こそ、正に「真の愛」に他なりません。


【歴史の変遷ー環太平洋・東アジアの時代】


さて、21世紀は太平洋の時代と言われています。即ち、チグリス・ユーフラテス川、ナイル川、インダス川、黄河という四大可川文明、とりわけメソポタミア可川文明から始まった人類文明は、ギリシャ、ローマ、スペインの地中海に移動し、この地中海文明はイギリス、アメリカの大西洋へと変遷し、この大西洋文明は、今やアメリカ、日本、韓国を結ぶ環太平洋アジア文明として、その巡礼の旅は

結実する趨勢にあるというのです。


<環太平洋文明の到来と日本の天職>

文先生は当初から、「アジアの時代が来るということは、神の経綸の中にあった」と言われていました。本来、ユダヤ人がイエス・キリストを受け入れていれば、福音は「東廻り」に伝えられる筈だったと言われ、十字架によって逆に「西廻り」になったというのです。


内村鑑三は「日本の天職」という考えを持ち、文明が西へ西へと進んでいくという、次のような「文明西進説」という考えを説いています。


「文明はアジアにおいて始まり、東と西の両方に向かって流れて行った。西に向かった流れはバビロン、フェニキア、ギリシア、ローマ、ドイツ、イギリスと進み、アメリカの太平洋側で最高点に達し、そして今日本に到達した」


そして会長は、「日本は地理的にアメリカとアジア大陸の間にあり、日本の天職は西洋と東洋の媒介者である」と鋭く見抜いた内村に、いたく共感されました。(著書P184)更に内村は次のように述べています。


「日本は東洋ならびに西洋の中間に立つものにして、両洋の間に横たはる飛石の位地に居れり。日本その一方を西洋文明の粋を受けつつある所の米国に向け、右手を以て欧米の文明を取り、左手を以て支那ならびに朝鮮にこれを受け渡すの位地に居るが如し、日本国は実に共和的の西洋と君主的の支那との中間に立ち、基督教的の米国と仏教的の亜細亜との媒酌人の地位に居れり」(『内村鑑三選集』第2巻P8)


<アジア太平洋文明の意味>

アジア太平洋文明には二つの意味があると会長は言われました。


一つは、日本、韓国、中国などの東アジアが、西洋文明を継承して「東アジアの時代」になることであり、もう一つは、これを「地球規模の文明」に至る契機にするということであります。つまり、「アジア太平洋地域は、西廻りで来た西洋文明が東洋と出会うところであり、アジアに温存されてきたアジア的な価値観が西洋と出会うところであり、地球文明の出発点である」というのです。(著書P187~188)


西洋は物事を分析的に個々的に見る傾向があるのに対し、東洋はトータルに全体的に見る傾向があり、西洋医学と東洋医学の違いはその典型であるというわけです。


つまり、西洋は「個によって全体が成り立っている」と考え、東洋は「全体の中に個がある」と発想するというのです。従って、西洋では個人主義が発展して、自由・人権思想が生まれ、東洋では家族主義が根付き、個より全体に重きを置きました。(著書P189)


本来個人主義とは、「神と個人との直接的な交わり」を担保する思想で、神と個人の間に教会や教皇など、如何なる中間媒介も不要であり、誰でも聖書を通して神の前に立てる、という宗教改革の考え方であり、また政治的には民主主義の源になりました。従って個人主義それ自体は間違った思想ではなく、日本国憲法13条も「すべて国民は、個人として尊重される」と明記されています。しかし唯物的で行き過ぎた個人主義は、「エゴイズムの温床」になるというのです。


一方、アジア的な集団的傾向は、人権が蹂躙されやすく、独裁や暴君を生み出す土壌となりかねません。今やこの二つの潮流が一つとなるべきであり、これがアジア太平洋文明の意味であるというのです。


<救国の予言とこれからの日本>

文先生は、「1868年の明治維新から120年目の1988年が、日本の運勢のピーク」だと言われました。確かに日本は、明治維新でアジアで唯一劇的な近代化を遂げ、戦後の焼け野原から不死鳥のように甦りました。こうして功成り名遂げた日本ですが、今や経済的にも精神的にも、一つの曲がり角に来ているというわけです。


会長は救国の予言において、一国主義から脱皮し、「世界のための日本」になるべきことを主張されました。芥川龍之介の『蜘蛛の糸』ではありませんが、自分一人だけが救われてはならないというのです。


予言には「必ずそうなる予言」と、「そうならせないための予言」があり、文先生の予言は「そうならせないための予言」だと言われました。会長が一連の講演活動において、かのイスラエルの預言者のように、敢えて「日本の非を厳しく指摘」し、悔い改めを迫られたのも、ひとえに「そうならないため」の愛の警告でありました。


明治維新後の日本の目覚ましい発展は、神が保護された期間であり、それは「日本の天職」を全うするための賜物でした。そしてこのように考えるのが、聖書的思考であります。


<敗戦の意味を問う>

会長は、「日本は敗戦体験により、戦前の傲慢さを捨て、謙虚になることが出来て、これも神の経綸だったのではないか」と語られました。(著書P186)


この点、戦前東大総長の矢内原忠雄は、「イスラエルのように、神は日本が新生するために一度滅びることを決定されました。先ずこの国を葬って下さい」と祈りました。一旦葬られてこそ復活の道があるというのです。


太平洋戦争(大東亜戦争)の敗戦は、日本が生まれ変わるために、悔い改めの機会を与えて下さった「神の愛の試練」であるというのです。そして、このように捉えるのが、聖書的視点から見た太平洋戦争の見方であります。


復活するためには、一度死ななければなりません。日本に讃えるベき美風は多々あり、日本によってアジア諸国が解放されたこと、また、戦勝国家などによる日本への一方的な断罪(極東裁判)が理不尽であったこと等々、自己弁護したい心情は理解できます。戦勝国家も敗戦国家も、共に非があるからです。


しかし、偏った国家主義、戦勝による慢心、汚染された宗教思想などの堕落性は、一旦清算されねばならず、太平洋戦争は、日本が新生し、国家的回心をするための敗戦という神の分別であり、浄化だったというのです。


エレミヤ書3・12~14で、偶像崇拝に陥るイスラエルに向かって「背信の民よ、神に帰れ」と神は語られました。他の神々と淫乱に陥るイスラエルに、「真の神」に帰るよう国家的回心を望まれたのです。日本精神に神という眼を入れて神に帰ること、そうして「国家的回心」を遂げること、これこそ日本大復活の鍵であると思われます。


【日本と韓国、和解の方案】


会長は、アジアの時代にあって基軸となるのは「日韓関係」であると指摘され、これは生命線であり摂理であるとして最も重視されました。しかし残念なことに、今やその関係が文字通り「近くて遠い国」となっていることに憂慮されました。つまり、日本が加害者となって蹂躙した過去の怨念の溝が横たわっているというのです。


<怨念の溝を越えて>

会長は、韓半島を支配した軍部や日本人は、あまりにも傲慢だったと指摘されました。即ち統治人格の問題です。そして日韓の不幸な関係は、専ら加害者たる日本にその非があり、それは未だ清算されていないというのです。従って、隣国の怨念を解く道は、他に責任転嫁することなく、率直に過去の過誤を認めて、素直に謝るべきだと言われました。


「日本でなければロシアが韓国を占領して事態は最悪になった」、「日本の統治は韓国を近代化した」、「誤り過ぎれば多額の賠償を要求される」といった識者の議論があることを認めた上で、それでも日本が加害者であることに変わりはないと述べられました。(著書P214~217)


このような会長の考え方は、第一章で述べましたように、幼い時から親子二代に渡って、韓国人らと親密な交友と信頼関係があったことが、大きく影響していると思われます。そして文先生は、韓国人に対しては「過去を忘れる」ように指導し、日本人に対しては「反省」を促されました。ここでも「許せ愛せ団結せよ」が生きています。


そうして具体的には、密接な「経済・技術協力」を推進すると共に、文先生の国際ハイウェイ構想に基づく「日韓トンネルの建設」を共通の目標にするべきだと主張されました。そして何と言っても、文先生が主宰されている「日韓国際祝福結婚」こそ、日韓和解の最大の決め手と言えるでありましょう。交差祝福と呼ばれるこの日韓国際結婚は、現在優に7000カップルを越えています。早晩これらの子孫たちは、日韓和合の強力な橋渡しになることは明らかであります。


【日韓の過去と未来ー宿命国家論】


さて筆者は、令和2年8月20日「アジア平和文化フォーラム」(日韓親善フォーラム)に講師として参加し、「日韓宿命論」をテーマに講義を行いました。その中で「何故韓国は日本の統治をそんなに恨むのか」について考察しました。以下は、その骨子です。


<台湾と韓国の対比>

令和2年7月30日に死去された李登輝氏は、自他共に認める親日家で有名で、台湾は世界有数の「親日国家」であります。これに反して韓国文在寅大統領は反日家であり、韓国は世界有数の「反日国家」です。


台湾は1895年~1945年の50年間日本の統治を受け、文字通り台湾は日本の領土でした。同様に、韓国は1905年~1945年の40年間日本の統治を受け、韓国は日本の領土でした。


このように、同じ日本の統治を受け、またそれぞれ日本の統治による近代化の恩恵をうけながら、何故台湾は親日的であり、何故韓国は反日的なのでしょうか。一体この違いはどこに原因があるのでしょうか。会長が言われるように、日本が加害者であり、誠意ある謝罪が出来ていないからでしょうか。


筆者は、韓国は台湾と違って、何故日本の統治をそんなに逆恨みするのか、その主だった深層要因として次の3点を挙げました。。


先ず第一は、韓国には歴史と主権があったことです。当時台湾は、いわゆる「化外の地」と呼ばれ、盗賊やマラリアが蔓延する「蛮族の地」で、きちんとした主権はありませんでした。それに反して韓国には長い歴史と王朝がありました。


末期の李王朝は、ほとんど統治能力を失っていたとは言え、れっきとした主権国家であり、この主権を他国に蹂躙されたこと自体に、プライドを否定された屈辱感があったという訳です。


第二に、韓国には「小中華思想」がありました。中華思想とは、天子を戴く中国は文化の高い世界の中心であり、外にいくほど野蛮な未開の地になるというものです。


四方の異民族について四夷という蔑称を付けました。即ち、東夷(日本など)、西戎(西域諸国)、北狄( 匈奴・鮮卑・契丹・蒙古などの北方諸国)、南蛮(ベトナム・カンボジア、東南アジア諸国や南方から渡航してきた西洋人など)と呼んでいたのです。


そして韓国は中国に次ぐ第二の位置にある文明国であるとし(小中華)、従って日本を野蛮な国として見下げる傾向がありました。その野蛮な国に統治されるということ自体、屈辱だというのです。


第三は、支配階級である「両班」による反発です。当時の李王朝は、徹底した身分社会であり、一説によると奴婢と呼ばれる奴隷階級が40%もいたと言われています。日本には士農工商という身分制度がありましたが、「一君万民」思想を掲げる明治維新によって身分制度は打破され、法律上、近代的な四民平等社会が実現していました。


この日本による統治により、韓国の前近代的な身分制度は打破され、奴婢は解放されました。しかし、それは一方では「両班の既得権益を奪う」ことでもあったのです。こうして両班は、日本の統治に強い拒否反応を示すことになりました。伊藤博文を暗殺した安重根も、徹底した反日大統領の李承晩も両班出身でした。


以上が、何故韓国は日本の統治を恨むのかの深層心理であります。


確かに日本の統治それ自体は、台湾と同様、結果として韓国に近代化をもたらすという成果を挙げました。日本の統治時代、朝鮮の食糧生産が増え、衛生環境も改善され、餓死者や病死者が激減し、朝鮮の人口が2倍に増えたことは事実であります。


文先生も、「日本による韓国併合は、再臨摂理のための経済基盤、社会基盤を造成するために、神が後押しした」と言われています。


しかしそれ以上に、先ず感情的反発があったという訳です。台湾にはこれがありませんでした。この意味で、統治人格の問題と共に、日本は上記韓国の民族的感情をよく理解し、配慮しなければなりません。


<宿命としての日韓関係>

そしてこれらは、誰がどうしたといった歴史論よりも、日韓関係は、むしろ両民族、両国家における「摂理的な宿命論の問題」として捉えた方が生産的だ、と筆者には思われます。


朝鮮半島は、地理的に回りを大国に囲まれ、特に中国に1500年間属国として支配され、また北方民族にも攻められ多くの犠牲を払ってきました。強いものにおもねるという「事大主義」はこういう厳しい環境から生まれた生き残りの術と言われています。


中国は朝鮮半島に対して生かさず殺さずの「愚民化政策」をとり、韓国が中国を脅かすような強国になることを許しませんでしたので、韓国には石垣に囲まれた堅固な城も軍隊も経済的発展も無い状態に置かれてきたのです。このように中国の生かさず殺さずという韓国統治政策によって李王朝末期は惨憺たる状況で、王朝はすでに統治能力を失っていたのです。


しかし儀礼の国、小中華の誇り高い韓国民にとって、当時は弱肉強食の帝国主義時代だったとはいえ、誰が支配しようが支配されることは屈辱でありました。その意味で日本に恨みを抱くのは無理からぬことでありましょう。


文先生は、「日本の圧政は日々激しくなり、国土は血の涙に濡れていました」(『平和を愛する世界人として』P88)と言われて日本の統治を非難される反面、「あのまま李王朝が続いていれば、間違いなく私は殺されていた」とも語られ、一見、日本の韓国併合を神の摂理と見ておられた一面があることに留意しなければなりません。


<キリスト者の歴史認識>

こういうわけで日本は韓国に大変な恨みを買いました。しかしこれは日本が悪いとか韓国がおかしいとかの問題ではありません。この歴史は双方が共に運命として受け入れて行くべきことなのです。世界の誰も加害者にも被害者にもなりたくないのですから....。


韓国の首相候補で著名な日刊紙の主筆であった人物が、キリスト教の集会で、「日本の植民地時代は李王朝で無為に時間を費やしてしまった韓国に、神が試練を与えたのであり、この十字架は神の試練として甘受しなければならない」とのキリスト者らしい歴史認識を示しました。彼はこのスピーチのお陰で、首相候補を降ろされたというのです。


しかし彼のこの考え方は、イスラエルが滅亡してバビロンに捕囚された時の試練期において、預言者らが語った内容と同じです。「イスラエルの不信仰を神が他国を使って審判されたのだ。我々は悔い改めて神に立ち返なければならない」と叫びました。そしてこういった態度こそ、本来試練に際して取るべき信仰者がとるべき聖書的な態度です。前記した

矢内原忠雄が「日本を葬って下さい」と叫んだようにです。


勿論、色々な理由はあるにせよ日本は加害者として韓国にしたことを正当化出来る立場にはありませんし、日本は自己正当化を止めて率直に謝らなければならないと思われます。しかし、正直ここにきて日本にはやや「謝罪疲れ」があるようです。歴代日本の首相や閣僚は、ことある毎に半島支配を「遺憾」として謝ってきました。宮沢喜一や河野洋平などの謝罪はその典型です。一体、いつまで謝れば済むのか、と。


だが韓国にとっては、「まだ日本から心からの謝罪が聞かれない」というのが実感だというのです。文先生は、日韓問題は「人間の知恵では解決出来ない」と明言されました。ですから、善きにつけ、悪しきにつけ、日韓はもはや善悪の道理の彼岸にある「宿命国家」であるというのです。そして会長が指摘される通り、ここに神の摂理があることは確かです。


【最後に】


文先生から坂本龍馬のようだと形容され、一見、常にユーモアと笑いを振り撒かれた会長でしたが、内外の試練に晒され、人知れない苦悩を抱えた孤独な人生でもありました。かってモーセが荒野の旅路で、何度民からのつぶやきや反乱に苦しみ、何度外敵からの危機に晒されたかを見れば明らかです。


しかし、生涯文先生と寄り添い、最後までぶれることなく信仰を全うされた会長であり、私ども信徒の励みとなり、よき手本となりました。ニューヨーク国連広場の壁に刻み込まれているイザヤ2.4にある遠り「その剣を打ち変えて鋤となし、もはや戦いのことを学ばざるべし」は、当に会長が最後まで祈り叫んだ思いでありましょう。そして「悔い改めて神に還れ、神の言葉に還れ!」は、終始変わらない信念でした。



そもそも、こうして会長の論評を書くようになったのは、筆者が「出エジプト記の研究」を始めるようになり、その過程でモーセと会長には極めて「類似性が高い」と認識したことに端を発し、更に友人からのリクエストに答えるべきだと感じたことによるものでした。


こうして、不足ながら、なんとか会長の思いや情念の一旦を伝えることができ、内心ホッとすると同時に、信仰の本質について整理するよい機会となりました。時に霊界からの協助を感じ、そして 神霊の注ぎに励まされて終えることができました。また友人の励ましや支援を頂き、大変勇気付けられたことを深く感謝するものです。これが、何らかの信仰生活の参考になり、また福音伝道の助けになれば幸いです。


なお私事ですが、長男が生まれた際には、命名と共に「愛ある者は無敵にして、智ある者は迷わず」との揮毫を頂きました。この場を借りて御礼申し上げます。ご冥福を祈り、次の聖句をお捧げいたします。


「これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。そう言いあらわすことによって、彼らがふるさとを求めていることを示している。しかし実際、彼らが望んでいたのは、もっと良い、天にあるふるさとであった」(ヘブル11.13~16)


また会長は、詩や音楽にも造詣が深く、いくつかの詩や歌を創作されました。その中の詩「ああ救国の聖戦」を記しておきたいと思います。


☆ああ救国の聖戦


神はその形を見ずしてその魂を見給い

その外を見ずしてその内を見給う

人は形の大なる者を仰ぎ

世は外の美なる者を上げたるも

神は祈りに砕くる小さき魂を選び給えり


疲るる者よ、その重荷を降ろせ

悲しむ者よ、その重荷を降ろせ

みどり子が母の乳房に笑む如く

恵みの中に憩う時

ああ希望に満ち力強く立ち上がるなり


ああ救国の聖戦は

今や四方にたけなわなり

汗愛の雄叫び全地をゆるがして

祖国のいしずえまさに固からんとす

尊きかな神の摂理、さかんなるかな救国の大業

さればこそ生命のある限り動き得る限り

戦い続け祈り続けて

天宙復帰の勝利者とならん





(了)

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​牧師 吉田 宏

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