top of page

​他のアーカイブ記事は下のカテゴリーメニューを選択し、一覧表示の中からお選び下さい。

​他の記事は下のVマークをタップし、カテゴリーを選択し完了をタップ。記事一覧が表示されます。

変転する内外情勢と背後にある神の救済摂理 普遍の真理に超然と立つ

◯徒然日誌(令和6年9月25日)  変転する内外情勢と背後にある神の救済摂理ー不変の真理に超然と立つ 

 

草は枯れ、花はしぼむ。しかし、神の言葉はとこしえに変ることはない(イザヤ40.8) 

 

プロローグ 

 

今、アメリカでは大統領選挙(11月5日投票)のたけなわで、ドナルド・トランプ前大統領(共和党)とカマラ・ハリス副大統領(民主党)のどちらかの候補を選ぶことになる。日本では自民党総裁選挙(9月27日投開票)の終盤を迎え、9人の候補者がしのぎを削っている。筆者は理念と信念を持った和製サッチャーの実現を祈念しているが、この総裁選挙ほど、ポピュリズムが横行し日本の民主主義の劣化を象徴するものはない。またロシア・ウクライナ戦争やハマス・イスラエル紛争など世界の不安定要因が随所に見られる。そして多くの評論家や政治家がそれぞれの情勢分析を行い、独自の見解を述べている。 

 

しかし「草は枯れ、花はしぼむ。しかし、神の言葉はとこしえに変ることはない」(イザヤ40.8)とのイザヤの言葉に象徴されるように、世の中がどのように変転しようとも、真理は不変であり、変化する時局の背後に厳然たる神の摂理がある。人類歴史は神の救援歴史であり、歴史の主人公は政治家ではなく神である。この視点にこそ、世の学者・評論家・政治家にはない宗教家ならではの時局観、内外情勢観、歴史観、そして処方箋がある。 

 

【日本の無常観とキリスト教の救済思想】 

 

さて平家物語の冒頭に、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。・・・奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし」との有名な一節がある。この一節ほど日本人の無常観を端的に表した言葉はない。ちなみに「諸行無常」「盛者必衰」とは仏教の教えで、どんなに栄華を極めた権力者にも必ず終わりがくるという、まさにこの世の無常を説いた、日本人が馴染んでいる滅びの美学である。 

 

<荒城の月と山路こえて>


平家物語と並んで、世の無常を表すよく知られた歌に「荒城の月」(作詞:土井晩翠、作曲:瀧廉太郎)がある。(以下はその1番と4番)

 

1.春 高楼の 花の宴

巡る盃 影さして

千代の松が枝 分け出でし

昔の光今いずこ 

 

時は春。高楼とは高い楼閣(ろうかく)、すなわち城のことで、その庭で桜を楽しみながら、盃を廻しあって大宴会が開かれている。その盃に古い大木の松の枝の影が月の光に照らされて映っている。松の枝が分かれて繁茂するように、かっては栄華を誇ったが、しかし今、その栄華の光はみじんも残っていない。 

 

4.天上 影は 変わらねど

栄枯は移る 世の姿

映さんとてか 今もなお

ああ荒城の 夜半の月 

 

天上の影、即ち仰ぎ見る天のさらに奥にある目に見えない摂理(神仏の働き)は今も昔も変わらないが、栄えたり滅んだりするのがこの世の習いである。そのことを鏡に写すように見せようとして、荒れ果てた城の上に今も月が輝いている。 

 

この土井晩翠作詞「荒城の月」は、まさに栄枯盛衰の無常観を物語る日本独特の美意識を象徴している。この荒城の月の世界は、平家物語の諸行無常・盛者必衰の無常観と瓜二つである。 

 

一方、讃美歌404番「山路超えて」も、道険しく行く手遠い布教の旅路のエレジー(悲哀)を謳った歌だが、荒城の月とどこが違うのだろうか。 (以下、1番、4番、5番)

 

1.山路こえて、ひとりゆけど、主の手にすがれる身はやすけし。 

 

4.みちけわしくゆくてとおし、こころざすかたにいつか着くらん。 

 

5.されども主よ、われいのらじ、旅路のおわりのちかかれとは。 

 

この歌の作詞者は西村清雄(すがお)で、明治36年宇和島教会の伝道を応援してから、松山に帰る途中、ひとり淋しくわらじがけで「法華津峠・鳥坂峠」の道をたどった時の心情を謳った旅の歌である。まさに人生行路を象徴した歌として、人の心に響くものをもっている。しかしこの歌からは、平家物語や荒城の月のように、ただ悲哀や無常観という美意識の中に浸るだけでなく、たとえ行く手遠くても、必ず神のみ元に辿り着ける希望、神に身を委ねて救われる希望を感じとることができる。つまり、「旅路超えて」には、「荒城の月」には見られない、「希望と救い」が背後にあるというのである。 

 

【歴史の背後にある神の摂理】 

 

さて筆者は、現下の劣化した自民党総裁選挙の顛末を観察しながら、またUCバッシングに余念のない左傾マスコミの横暴に直面して、荒れ果てた城跡に見る「無常観」を感ぜざるを得ない。まさに内外情勢は荒城の月である。しかし聖書に親しみ、原理観を有する私たちは、変転する内外情勢の中に神の不変の真理、確かな神の救いの足跡(摂理)を感じることができるのである。 

 

<先ず、神の呼び掛けありき>

 

聖書は神が主人公であり、先ず神ありきの世界観を有する。先ず神からの呼びかけ、即ち神の啓示から始まる。そして聖書66巻は神の呼びかけに対する人間の応答であり、旧約聖書の歴史書も全て、神との関係、神の摂理との関係として書かれている。即ち、聖書は神の言葉(啓示の書)であり、「神からの呼びかけ」、あるいは「神の霊の働き」から始まる神史観である。 

 

ちなみに宗教には大きく「神への宗教」と「神からの宗教」の二つに分けられ、仏教やギリシャ哲学は、人間側から神(真理)を求めていく神への宗教、即ち悟りの宗教であり、一方、ユダヤ教やキリスト教は、神が人間を尋ねていく神からの宗教(啓示宗教)、即ち救いの宗教である。以下は神が人間に呼びかけられた聖句である。 

 

「神は『光あれ』と言われた」(創世記1.3)、「主はノアに言われた」(創世記7.1)、「主の言葉が幻のうちにアブラハムに臨んだ」(創世記15.1)、「その夜、主は彼に(イサクに)現れて言われた」(創世記26.24)、「そして主は彼のそばに立って言われた(ヤコブに)言われた」(創世記28.13)、「神はしばの中から彼を呼んで、『モーセよ、モーセよ』と言われた」(出エジプト3.4)、「主はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに言われた」(ヨシュア1.1)、「主はまた三度目にサムエルを呼ばれた」(1サムエル記3.8)、「主の言葉が私(エレミヤ)に臨んだ」(エレミヤ1.4) などなど。 

 

このように聖書は、先ず神の呼びかけから始まっており、歴史は神との関係なくして語ることはできない。 

 

<神の救済摂理>

 

では何故人間に救いが必要となったのだろうか。それは神の似姿として創造された人間が(創世記1.27)、堕落して罪人になった(創世記3.6)からである。従って人類歴史は、神が堕落人間を創造本然の人間に復帰(救済)するための「復帰摂理歴史」である(原理講論P141)。故に前記に見てきた神の呼びかけは、神が人間を救おうとされた神の愛の働きに他ならない。 

 

結局、それが時局であれ、社会問題であれ、戦争であれ、はたまたUCバッシングであれ、現下に展開されている全ての人間社会の出来事の背後には、目に見えない神の摂理があるというのである。つまり、変転極まりない栄枯盛衰の中にあっても、その根底に厳然たる神の復帰摂理がある。旧制一高校歌に、「花はうつろいて星霜(せいそう)移り変わるとも、榮華の巷(ちまた)低く見て・・・」との一節がある。まさにこの如く、私たちは時局に対して超然とありたいと思う。従って、世の出来事は、この究極的な復帰摂理の立場から観察していかなければならないのであって、現下に起こっている事象だけに囚われてはならない。 

 

【福音を述べ伝えること】 

 

では私たちは、神の復帰摂理を成就するために、あるいは現下のUCバッシングに勝つために、何をしなければならないのだろうか。それこそ福音(原理)を宣べ伝えることに他ならない。イエス・キリストは、昇天される前に大宣教命令を残して行かれた。宣教師たちは決死の覚悟で、このイエスの宣教命令を固く握って地の果てまで出掛けて行ったのである。 

 

「そして彼らに言われた、全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マルコ16.15) 

 

「あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施せ」(マタイ28.19)

 

キリスト教の歴史は、即ち殉教の歴史である。しかし、迫害される度、殉教の血が流される度にクリスチャンは増えていった。これが信仰の本質であり、真なる宗教の証である。従って私たちは、大艱難の中にあるからこそ、成約の福音伝道により、信者の2倍化、3倍化、10倍化をもってマスコミのUCバッシングに応えなければならない。 

 

まさにこれこそが最大の対策であり、反対派への、そして衆愚政治と化した岸田政権への断固たる回答である。何故なら、文鮮明先生は「もし日本から統一教会が失くなったら、天の護りから外れて、日本はソドムとゴモラのような淫乱の国として滅びていくだろう」(小山田秀生著『真の父母様の御跡を慕って』(光言社P61)と警告され、天運は他の国に移っていくからである。 

 

世界は平家物語や荒城の月に見られる如く「諸行無常」であるが、神の言葉はとこしえに変ることはない(イザヤ40.8)  。移り変わる時局や内外情勢に右顧左眄(うこさべん)することなく、変わらない神の言葉、厳然と歴史を貫く神の復帰摂理に焦点を合わせていこうではないか。(了)    牧師・宣教師   吉田宏

R.jpg

​新生聖書勉強会

​ユニバーサル福音教会牧師
​家庭連合ポーランド宣教師
   吉田 宏

090-3504-6430

​トップページ

​プロフィール

​お問い合わせ
​コメント欄

bottom of page