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朝鮮半島におけるキリスト教③ 何故韓国はキリスト教国家なったか

◯つれづれ日誌(令和4年1月5日)-朝鮮半島におけるキリスト教③ー何故韓国はキリスト教国家なったか


ユダヤ人には、ユダヤ人のようになった。ユダヤ人を得るためである。律法のない人には律法のない人のようになった。律法のない人を得るためである。弱い人には弱い者になった。弱い人を得るためである。すべての人に対しては、すべての人のようになった。なんとかして幾人かを救うためである。(1コリント9.20~22)


前二回に渡って、朝鮮半島におけるキリスト教の受難の歴史を概観しましたが、今回は、第二次世界大戦後の急激なキリスト教の増加と、その要因、即ち「何故韓国はキリスト教国家になったのか」を考えていきたいと思います。


【戦後のキリスト教の激増】


1945年8月15日は、日本においては敗戦、韓国にとっては解放記念日であります。これ以降、韓国で信教の自由は完全に保証され、キリスト教は大きく発展していくことになります。


<終戦後のキリスト教会>


占領軍司令官のダグラス・マッカーサーは「朝鮮人の人権及び宗教上の権利を保証する事」と布告し、韓国人に対して信教の自由を認め、また、キリスト教優遇政策をとりました。


教会は国民の紐帯と民主主義を政治的に訓練する場所であり、独立後、多数の政治家がキリスト教の信者や聖職者から排出され、その象徴が李承晩でした。


李承晩の第一共和国(1948~1960)は、高官の多くがキリスト教信徒であり、政府要職の50%、1950年代には40%がクリスチャンだったと言われています。ただカトリックは、アメリカ留学経験者がほとんどいなかったので、プロテスタントに大きく遅れを取ることになります、


しかし、38度線を中心に、北はソ連の影響下に、南はアメリカの影響下に置かれ、北の金日成政権下では宗教は弾圧され、聖職者は脱出か殉教かを迫られました。終戦時、朝鮮半島全体のキリスト教信者のうち75%は北にいましたが、1960年代には北の宗教抹殺政策がほぼ完了したと言われています。


ダグラス・マッカーサー司令官   李承晩大統領      朴正煕大統領


<朝鮮動乱とキリスト教>


1950年6月25日朝鮮戦争が勃発しました。この朝鮮戦争での死者は、北約272万人、南約133万人、アメリカ軍は戦死者3万3686人、戦闘以外での死者は2830人、戦闘中行方不明は8176人にのぼりました。3年余り続いた戦争は決着がつかず、1953年7月27日、休戦という形で終了しました。


朝鮮戦争の結果、南北の分断は決定的となり、1000万人とも言われる多くの家族が南北間で離れ離れになってしまいました。その間、400万人~450万人が北から南へ逃げてきたと言われ、その中には多くのキリスト教信者がいました。これらのクリスチャンが終戦後の韓国キリスト教の発展につながったと言われています。その南への避難民の中には原理創始者及び韓鶴子親子も含まれています。


そして 朴泰善(パクテソン)が創立した韓国イエス教復興協会や統一教会など、多くの新興宗教が勃興し、一方、プロテスタント諸派の葛藤、分裂があり、特に長老派は激しく揺れ動きました。また現世利益、即ち起福信仰が広がりました。


<朴正煕軍事政権時代>


1961年朴正煕軍事政権が樹立され、また1965年に日韓基本条約が締結されて、「漢江の奇跡」と呼ばれる経済発展の時代が始まりますが、その経済発展とソウル一極集中ともいうべき都市化に合わせるかのように、キリスト教信者は急増致しました。朴正煕大統領(在任1963~1979)自身はキリスト教徒ではありませんでしたが、1965年から「国家朝餐祈祷会」が礼拝形式で行われるようになり、三権の長、国会議員など政府要人の多くが参加するようになりました。


しかし、軍事独裁期には、かって日本統治時代にキリスト教が抗日運動の主役であったように、キリスト教会が反独裁運動、民主化の重要な拠点となりました。代表的なものとして、金大中を支援し共闘した天主教正義具現司祭団などが挙げられます。民主化闘争を担ったカソリックの金大中や長老教会幹部の金泳三らは現実の政治闘争への参加を呼びかける「民衆神学」の信奉者でした。


<1970年以降のキリスト教>


朝鮮戦争後は米国キリスト教の強い影響下に、汝矣島(ヨイド)純福音教会、永楽教会、金蘭教会などメガチャーチも出てきて、様々な教派が教勢を広げました。一方、大型教会と個別教会主義の弊害も生まれました。


現在、単独の教会としては、カソリックが500万人を組織し最大で、プロテスタントでは、長老派、メソジスト派、その他を合わせて1200万人に登っています。


以下は、解放後の韓国キリスト教の信徒数及び信者の人口比率の推移です。(鈴木崇巨著『韓国は何故キリスト教国になったか』より、以下、Pはプロテスタント、Cはカソリック)


1945年-P30万、C10万、人口比率2%

1950年-P60万、C15万、人口比率3.8%

1960年-P150万、C43万、人口比率7.7%

1970年-P320万、C78万、人口比率12.6%

1980年-P710万、C140万、人口比率22.6%

1990年-P1190万、C240万、人口比率35.6%

2010年-P1200万、C510万、人口比率35.7%


上記にみられますように、1970年から1990年までの急激な成長には、驚くべきものがあります。韓国が何か世界的規模で、神から使命を与えられているのではないかとさえ感じさせる勢いありました。ただ、1990年から今日まではプロテスタントは足踏み又は減少傾向になり、むしろプロテスタントからカソリックへの移籍が見られるようになり、また個別教会化、メガチャーチの私物化問題など様々な課題も噴出していきました。


そして上記のようなキリスト教の激増が如何なる理由で起こったのかを、次の項で見ていくことにいたします。


【韓国は何故キリスト教国家になったのか】


前述しましたように、戦後の韓国におけるキリスト教の進展には目を見張るものがあります。人口比のクリスチャンが、日本1%、中国6%に対して韓国は33%に昇っています。では、何故韓国がキリスト教国家になったのでしょうか。


<思想的な土壌から見た激増の要因>


先ず、韓国の霊性、その思想的な構造から見た激増の要因について、その特徴を考えてみましょう。


第一に、キリストは、韓国の心性と歴史において基本的に相性が合う宗教であることです。


韓国はイスラエルと同様、苦難の歴史を辿り、その苦難の中で「恨」の精神性を抱いてきました。韓国の独特の情緒を表す言葉として「恨の民族」という言い方をいたします。「恨」とは「理想的な状態、あるべき姿、いるべき場所への憧れと、それを得られない無念さ、哀しみが入り混じった感情」(浅見雅一著「韓国とキリスト教」P139)と言われています。


また広島大学名誉教授の崔吉城(チェ・キルソン)著「恨の人類学」では、恨を「長い受難と抑圧の中で、永久的な絶望が生んだ諦念と悲哀の情緒」と表現しました。即ち、恨とは、単なる恨みではなく、対象のない誰にもぶつけることができない悲しみや怒りや辛さが、心の中に雪のように静かに降り積もっていく感情と言われています。つまり、「怨」は復讐することで「晴らす」ことができるが、「恨」は晴らすことができない悲哀であるというのです。


以上の定義を総合すれば、恨は怨ではなく「悲哀」という情感が基本にある情念と言えるのではないかと思われます。


確かに韓国は、中国、ロシア、日本、アメリカといった大国の狭間で翻弄され、受難の民として悲惨な歴史を余儀なくされて来ました。そして今なお南北分断という民族の十字架を背負っています。目に見えない過酷な運命にさらされてきた民族の感情を「恨」と表現したのです。そして、その感情は、イスラエルが背負ってきたものでもあり、韓国人は、イスラエルの受難の歴史や、イエス・キリストの十字架の受難の中に自らの運命をダブらせてきました。これがキリスト教を受け入れる土壌となったというのです。


しかしイスラエルは、民族の受難を恨として残さず、悔い改めと信仰の力で、むしろ受難をヤハウェとのより深い関係を結ぶ契機として昇華していきました。一方、韓国では未だ消化しきれていないものが恨として積もってきました。そして、キリスト教は韓国人のその「恨」を解放するきっかけを与えたのです。恨は信仰によってしか解決出来ません。ある首相候補は、教会の説教で「日本の統治は、神が試練として与えたもので超えていかねばならない」と語りました。


こうしてキリスト教は、韓国人が共感できる要素を持っている宗教であり、韓国人にとって相性の合う宗教だったというのです。


第二に、韓国には古来から「ハナニム」、即ち唯一神の神観念の土壌があり、この土壌がキリスト教的一神教受け入れ安かったことです。


韓国には伝統的に神を「ハナニム」(唯一のお方)とする神観があり、これは本来はシャーマニズムの最高神を意味し、宇宙の中心にある存在でした。韓国の原宗教は、アニミズム的巫教(ふきょう)と言われ、シャーマニズム的な要素を持っています。しかし一方では、一神教的な神観念も存在していました。


そしてこの神は、キリスト教の一神教の神に近く、キリスト教を受け入れやすい土壌となりました。実際、キリスト教の神を同じ「ハナニム」と翻訳し、唯一の神ハナニムに創造神という意味を加えたのです。中国でも、「天・天帝」という宇宙を司る神の観念があり、いまや8000万人のキリスト教人口を擁しています。逆に日本では八百万の神を持つ多神教の環境の中にあり、キリスト教が苦戦している原因の一つになっています。


第三に、キリスト教の「分別思想」が韓国人の気質と合致することです。


キリスト教には、善と悪、神とサタンというように、白黒をはっきりさせる思考(分別思想)があり、内村鑑三も著書『余はいかにしてキリスト信徒となりしか』の中で「キリスト教の優れた特質は、この光と闇、生と死との峻別であります」(P227)と語っています。


物の本によると、韓国人の気質として、感情を表に出し自己主張がはっきりしている、原色を好む、熱心で直情的、といったことを挙げ、逆に日本人は、理性的、控え目、淡色を好む、勤勉で静的、ということらしいです。また韓国人は右脳7割、左脳3割ですが、日本人は右脳3割、左脳7割だそうです。


このようにキリスト教の考え方は、自己主張が強く、原色を好み白黒をはっきりさせる韓国人気質に合っています。逆に日本には、和という観念があり、極力対立を避け話し合いで解決し、寛容を重んじる風潮がありますが、しかし一方では曖昧でぬるま湯的だと批判されています。


第四に、韓国人がその根底に持っている「純粋性」です。鈴木崇巨牧師は、著書『韓国は何故キリスト教国になったか』において、「韓国人の民族性は、儒教以前の最も底にある純粋性にある」(P108)と指摘されました。これは永遠や神を求める心性と言い換えてもいいでしょう。「神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた」(伝道の書3.11)とある通りです。


韓国人にはひときわこの霊性が強いというのです。そしてこの少年のような純粋性が、イエス・キリストの清さ、純粋さに魅かれたという訳です。またその純粋性の上に立つ儒教倫理は、キリスト教倫理の土壌になったというのです。


<韓国キリスト教会自体が持つ激増要因>


次に、韓国キリスト教会自体が持つ特色からの激増要因を考えて見ましょう。


前回述べましたが、先ず第一に、韓国キリスト教会は、特に李王朝時代におけるおびただしい殉教の血の犠牲の上に立っており、これがキリスト教発展の根因になったと言われています。「殉教の血は教会の種子」との教父テリトリアヌスの言葉の通りであり、この流された血とその証こそ、韓国キリスト教激増の最大の要因と言えるでありましょう。「涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る」(詩篇126.5)とある通りです。


第二は、特に韓国の教会には熱心な祈りと熱心な伝道がありました。


韓国の教会には「早天祈祷会」の伝統があります。これは吉善宙(キル・ソンジュ、1869年~1935年)牧師による「夜明け前祈祷会」に起源があり、祈りに始まり祈りで終わる伝統が現在まで続いています。吉善宙は朝鮮平安南道出身の長老派牧師で、韓国のキリスト教に特有に見られる「早天祈祷」および「通声祈祷」の創始者であります。


また、家族、親戚を通じての伝道をはじめとして、総じて韓国の教会は純粋な信仰で熱心に伝道すると言われています。


また世界にもアメリカに次いで多くの宣教師を派遣しており、世界169カ国に派遣されている韓国人宣教師の数が2万人を超えたことが2012年に行われた韓国人宣教師カンファレンスで明らかになりました。韓国人宣教師数は、早晩米国を上回り世界一の宣教師数を誇る国となることが予想されるというのです。そしてこれらの宣教師は10万人にも及ぶ祈りによって支えられていると言われています。当に「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マルコ16.15) とある通りです。


第三には、韓国には古来、巫俗(ふぞく)という民間宗教がありますが、これを取り込んだことです。以下、この点について詳しく見ていきます。


巫俗は、朝鮮のシャーマニズムであり、ムーダン(巫堂)というシャーマン(職業的宗教者)が「クッ(굿)」という神を憑依させ、お告げを行う祭儀で、古代から続く朝鮮土着の信仰です。神や霊魂と直接に接触・交流し、託宣、予言、病気治しなどを行う宗教的職能者をシャーマン(shaman)といい、シャーマンを中心とした信仰をシャーマニズムといいます。またシャーマニズムは、あらゆる物に精霊が宿るとするアニミズム(精霊信仰)とも親和性があります。


この巫俗シャーマニズムをキリスト教信仰に取り込んだことが成長をもたらした大きな要因だと言われています。


クリスチャンアカデミー編『韓国教会聖霊運動の現象と構造』によると、「知性的神学を全面に出して布教に失敗した日本のプロテスタントとは対象的に、韓国のプロテスタント教会にはシャーマニズムとキリスト教が共存・混雑しており、主に宗教的熱狂主義を根元とする心霊復興によって大きく成長した」とあります。(崔吉城著『キリスト教とシャーマニズム』(ちくま新書)P200)


つまり、韓国のプロテスタントは、キリスト教が一般的に忌避するシャーマニズムの神秘主義を大胆に取り入れ、これが韓国の風土と合致し、教会の急成長をもたらしたというのです。当にパウロが1コリント9章20節~22節で語っている通りです。この神霊的神秘主義を端的に表現する言葉として、「通声祈祷」(声を出して絶叫して祈る)「聖霊臨在」「異言」「治病」「接神」「降神劇」などが指摘されています。


これらは1930年代から始まった神霊的神秘宗教である、李龍道、白南柱、黄国柱らの「新イエス教」、これを受け継いだ「聖主教」、「腹中教」にも共通性が見られます。ちなみに韓鶴子女史の祖母の趙元模(チョウウォンモ)、母の洪順愛女史は新イエス教や聖主教・腹中教の熱心な信者でした。


韓国シャーマニズム研究の第一人者である崔吉城(チュキルソン)は著書『キリスト教とシャーマニズム』(ちくま新書)の中で「韓国におけるキリスト教の核心部分ではシャーマニズム的要素がつよく、教会で行われている病気治療のための祈りなどはシャーマニズムと変わりがない」(P18)と指摘した上、多くのクリスチャンはシャーマニズムを迷信と見なしており、韓国のキリスト教にシャーマニズムが潜んでいることに気づいていないと語りました。韓国にはこういったムーダン(シャーマン)の仮面をかぶっている教会が多いと言われています。(呉善花著「新スカートの風」)


更に崔吉城氏は、韓国ではシャーマニズムが生活全般、つまり職業、結婚、留学、離婚、事業、健康などに深く関わり、イエスが病気の癒しをしたように、ムーダンは病気を治療すると指摘しました。この霊的恩恵の感謝のしるしとして、教会が献金を受け取るように、ムーダンは献金にあたる「別費」を受けとるというのです。


また、「伝統的教会が忌避する傾向があるシャーマニズムを神秘主義に引き込み、巫俗的神秘主義と韓国の風土が合致して教会の急成長をもたらしました」と指摘し、「宗教から神霊性を強調する神秘主義を抜いてしまった場合は宗教性が弱くなりますが、反対にそれを過度に強調した場合も神学自体が無視されます」とし、これらの「適度な調和」が宗教発展に要求されるとも指摘しました。


この巫俗シャーマニズムは現世利益的な傾向を持っていますが、韓国の牧師は現世利益をはばからず、そのために祈りました。これを「祈福信仰」といい、人々はシャーマンのところに行く代わりに牧師のところに行くというのです。特に数万から数十万の信徒を有するメガチャーチでは、病気の癒し、貧乏からの解放、ビジネスの成功、即ち「貧・病・争」を売りにしました。80万人もの信徒を持つ趙鏞基(チョー・ヨンギ)牧師率いる汝矣島(ヨイド)純福音教会では、これを地でいっています。


趙鏞基牧師は、10代に重度の結核になり、キリスト教信仰で九死に一生を得た経験があり、この信仰体験が原動力になっています。また、慈善家で長老派の永楽教会の韓景職( ハン・ギョンジ)牧師も結核で生死をさ迷いましたが、キリスト教の信仰で奇跡的に完治されました。このように、カリスマ的牧師には、自ら「癒し」の原体験を持っています。


ところで李王朝は、高麗時代の仏教に変わって儒教の朱子学を国教として取り入れ、その中心思想である「理気二元論」を重視しました。韓国のキリストには、ソウルのカトリック明洞聖堂に代表される「理のキリスト教」と趙鏞基の純福音教会に代表される「気のキリスト教」の2つのタイプがあると言われています。


ちなみに理気二元論とは、宋代に興った朱子学(宋学)の中心概念で、宇宙万物の形成を、宇宙の根本原理としての「理」と、物質を形成する原理の「気」の一致として説明する存在論です。理のキリスト教は論理的・合理的側面を重視し、気のキリスト教は神秘主義的側面を重視しました。前者は神学理論を、後者は巫俗信仰を取り込んでいきました。


<社会的側面から見た激増の要因>


更に、社会的側面から見た激増の要因を見ておきたいと思います。


第一に都市化が挙げられるでしょう。


1960年代からの経済成長と都市化は著しく、特にソウル周辺に人口が集中しました。キリスト教は、これら農村地域から都市に流れた人々(若者)の心をつかみました。こうして知識層に広がった日本に対して、庶民に広がった韓国と言われています。


とくにプロテスタントの宣教師のなかには、説教壇で神憑りするような現象が少なくなく、宣教師の熱狂的な説教によって、信者たちが神憑り状態に陥ることもあります。そうしたシャーマニズムと習合したキリスト教は、病気治療などの現世利益の実現を約束して庶民の信仰を集めていきました。


宗教学者の島田裕巳氏は、「日本でも、高度経済成長の時代には、創価学会をはじめとする(現世)利益を強調する新宗教が急増しました。韓国では、日本の新宗教の代わりをキリスト教が果たしました」と指摘しています。


第二には、アメリカ人が朝鮮戦争で多くの血を流しましたが、この事実は、アメリカの文化、アメリカ宣教師を受け入れる条件になったと言われています。


その影響もあり、韓国には指導者層にキリスト者が多く、国会議員の4割がクリスチャンだと言われたこともありました。金大中はカソリック、金泳三、李明博は熱心な長老派幹部であり、年中行事として、各界、各宗教界の代表的人材を集めた「大統領朝食祈祷会」が行われています。


第三に、戦前の抗日独立闘争や戦後の民主化運動を牧師、神父、キリスト者が担い、これらが国民の共感、キリスト教への信頼を得ることになりました。


1945年8月の解放後,新旧両教会とも,日本統治への民族的抵抗の精神的よりどころとなった実績から、急速に伸張して大きな社会勢力となりました。


以上、韓国において急激にキリスト教が増大し、今や韓国最大の宗教として、いわば国教とも言える地位を築きました。そしてその増大の理由について、思想的土壌の側面、韓国教会の特性の側面、社会的側面という3つの側面から考察しました。


そして激増の要因には前記した複合的要素が相俟ってのことでありますが、しかし、何と言っても最大の理由は、李王朝時代に流した殉教の血が種になったこと、そして現実的には、民間に根差した巫俗シャーマニズムを教会が取り込んで、土着化に成功したことにあると言えるでしょう。


そして、その奥にある再臨摂理です。前記しましたように韓国のキリスト教は、今や韓国の国教とも言えるまで成長しただけでなく、世界に2万人以上の宣教師を排出しています。また北朝鮮崩壊後を見据えて、北の国民統合の精神的支柱として聖書による統合を準備しています。


そしてこれらの基盤は、ひとえに再臨摂理のために神が準備されたものであるとするなら、一日も早く、成約の福音が韓国のキリスト教に受け入れられることを祈らざるを得ません。それが世界福地化の最短の道であり、この項を終えるにあたって、特にこのことを強調しておきたいと思います。


以上で三回に渡って述べてきた朝鮮半島におけるキリスト教の受難及び戦後の激増の要因についての論考を終えたいと思います。(了)

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