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徒然日誌(令和6年3月6日)神のご計画と約束、訴訟の意味について

◯徒然日誌(令和6年3月6日)   神のご計画と約束 、訴訟の意味について

 

主はこう言われる、バビロンで七十年が満ちるならば、わたしはあなたがたを顧み、わたしの約束を果し、あなたがたをこの所に導き帰る。主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災いを与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。もしあなたがたが一心にわたしを尋ね求めるならば、わたしはあなたがたに会うと主は言われる(エレミヤ書29.10~29.14)

 

さて家庭連合ならびに関係団体は幾つかの訴訟を提起しているが、本題に入る前に、先ずこれらの訴訟について言及することにしたい。 

 

【訴訟の意味】 

 

一般社団法人UPF大阪は2022年12月23日、富田林市と大阪府市を、日本国憲法が保障する請願権、思想良心の自由及び信教の自由等に反するものであるとして、決議の取り消しと慰謝料を求め、提訴した。富田林市議会が「旧統一教会と富田林市議会との関係を根絶する決議」を、11月には大阪市会(市議会)が「旧統一教会等の反社会的団体の活動とは一線を画する決議」を可決し、両決議とも、旧統一教会の友好団体(関連団体)として、UPFもその対象としていたからである。 

 

ちなみにUPF(ユニバーサル・ピース・フェデレーション)とは、国連経済社会理事会(ECOSOC)の総合協議資格を有するNGOとして、持続可能な開発目標(SDGs)の達成に貢献しながら、世界150カ国以上で活動している国連NGOである。 

 

UPF大阪は、各議会が旧統一教会とその関連団体(友好団体)との関係断絶を決議したことによって、議会請願に必要な議員の紹介を得られなくなったことは「憲法が保障する請願権を侵害するもの」と主張し、また、特定の宗教団体の信仰を理由にした差別的な決議で、「信教の自由や法の下の平等」にも反し、国際人権B規約20条2項が禁じる「宗教的ヘイトスピーチ」そのものであると訴えた。 

 

これに対し、府市側はこれまで、決議は議会の意思を示すものだが法的拘束力はなく、取り消し訴訟の対象とはならないと主張。請願についても橋渡しをする紹介議員になるかどうかはあくまで各議員の判断であり、決議は憲法違反ではないと反論してきた。また「信教の自由」についても、「教団の問題が報道され、注目された社会的背景を踏まえた。信仰の自由を規制するものではない」とした。 

 

結局2月28日、大阪地方裁判所(横田典子裁判長)は、UPF大阪が3府市に対して求めていた決議の取り消しと慰謝料などの請求をいずれも退けた。大阪地裁は判決の中で、「決議は公権力の行使に当たらず、取り消しの訴えは不適法」として棄却したのである。 

 

判決後に市内の弁護士会館で、関係者などを集め報告会が行われ、UPF大阪の永井代表は「判決は全く納得いかない。今後の戦いに向けて、世論に訴え、賛同を得られるように頑張りたい。メディアにも公正な報道をお願いしたい」と決意を述べ、直ちに控訴した。名古屋地裁の判決を高裁で逆転した例もあり、高裁での勝訴は十分にあり得るし、原告代理人の徳永信一弁護士は、横田裁判長の判断は世論に忖度したもので、到底受け入れられないとした。 

 

さてここで、この件に関する筆者の見解を述べておきたい。結論から言えば、勝ち負けは二の次の問題であって、提訴したこと自体に意味があると考えている。何故なら、当該提訴によって、他の全国の同様の決議をしようとする動きに「待った」をかけ、歯止めをかけたという効果をもたらし、またひどい人権侵害が公の議会で行われているということを世論に訴えるよい機会となったからである。現に、数か所で当該訴訟を提起してから、このような違法な議会決議はほとんど無くなった。 

 

このことは、いわゆる名誉毀損訴訟にも言えることである。旧統一教会及び関連団体は、「情報ライブミヤネ屋」を訴えたり、紀藤正樹弁護士、本村健太郎弁護士、有田芳生氏らを名誉毀損で提訴しているが、このことにより、当方の主張を公に開示する機会を得たと共に、旧統一教会へのひどい人権侵害発言が乱発されることを抑制する効果があり、反対派はやたらと暴言を吐くことに慎重にならざるを得ない。 

 

従って、議会への提訴にせよ、名誉毀損訴訟にせよ、名誉と人権を回復するという本来の目的と共に、訴訟すること自体に意味があるのであり、私たちは、この種の裁判の勝ち負けに一喜一憂することはないのである。 もちろん、勝訴に越したことはなく、また最終的な勝訴を確信しており、これらの訴訟を通じて反対派の問題点を明らかにし、「解散請求裁判」によい影響を与えたい。

 

さて前回のつれづれ日誌で、ホームページの記事が、神と約束した400本に達したことに伴い、今後は「~です・ます」調の文体から、「~である」調の文体にし、ボリュームも半分くらいにすることを述べた。今後は従来の「つれづれ日誌」から「徒然日誌」と名称変更し、今回はその第一回目である。 

 

論語の中に「過ぎたるは猶及ばざるが如し」とあり、家康公は「及ばざるは過ぎたるにまされり」と言ったが、これは、限りない人間の欲望を制して、「足るを知る」ことの大切さを言い表したものと解釈する。人間の欲望は限りがなく、足るを知ることが大切であり、時には自己満足も必要だ。本を出し、400本を成した今、これ以上、何をあくせく急ぐというのか。 

 

【UCのバビロン捕囚と神の約束】 

 

さて冒頭のエレミヤ書29章10節から14節は、預言者エレミヤがバビロンに捕囚されている同胞に書き送った手紙で、あまりにも有名なフレーズである。この聖句には3つの神の約束がある。第一には、イスラエルのバビロン捕囚が70年で終わること(29.10)、第二は、神はイスラエルに平安と希望を与える計画があること(29.11)、第三は、神との出会いの約束(29.14)である。 

 

筆者には、このバビロン捕囚と、現下のUCが直面する大艱難とが、だぶって見えるのである。 

 

<預言者エレミヤ> 

 

エレミヤは、南ユダの王ヨシヤの前627年から最後の王ゼデキヤの捕囚前586年に至るまで、バビロン捕囚の前後に活動した預言者である。まだ若いとき神の召命を受け、一旦は断るが「わたしがあなたと共にいる」との神の励ましを受けて預言者としての人生が始まった(エレミヤ1.6~9)。エレミヤは、イザヤと並ぶ大預言者で、40年に渡って預言活動を行い、「涙の預言者」として知られる。他の預言者の誰よりも、繊細で慎み深い人物であるが、神はその彼を、ユダの罪を激しく糾弾する奉仕に召され、「背信」という言葉を11回も使用して民に悔い改めを迫った。 

 

従ってエレミヤは、同時代の人たちから拒否され、打たれ、足かせにつながれ、投獄され、売国奴の烙印を押され、遂に「悩みの歌」(20.7~18)で自らを呪う。 また、エレミヤは結婚を禁じられた。 

 

「わたしの生れた日はのろわれよ。母がわたしを産んだ日は祝福を受けるな」(20.14)

 

エレミヤが指摘したユダの罪とは、「傲慢から神を捨て、情欲的な偶像崇拝に走ったこと」である。しかしエレミヤは、神の愛と希望、イスラエルの回復を語ることを忘れず、こう言った。 

 

「主はこう言われる、バビロンで七十年が満ちるならば、わたしはあなたがたを顧み、わたしの約束を果し、あなたがたをこの所に導き帰る」(29.10)

 

その後エレミヤは、エルサレムの陥落とバビロン捕囚を目撃し、エルサレムの崩壊を嘆いて『哀歌』を書いている。 彼はエジプトに逃げる人たちとともにエジプトに下ることを強要され、エジプトで同胞による石打ちで死んだと言われている。



預言者エレミア(作者不詳)・エルサレムの崩壊を嘆くエレミア(レンブラント画)・バビロン捕囚(ジェームズ・テソ画)


内村鑑三は著書『余はいかにしてキリスト信徒となりしか』において、「余はイザヤを尊崇し、エゼキエルを敬い、ダニエルを称賛する。しかし、エレミヤにいたっては親愛する。余が最も親しんだ預言者はこの涙のエレミヤである」と述べ、「エレミヤはユダヤが生んだ優れた預言者であり、エレミヤが分からずして聖書は分からない、イエスキリストは分からない」とも述べた。 内村は、エレミヤの指摘した原罪は、神の放棄(傲慢)と偶像礼拝(姦淫)の二つであるとし、神の放棄は人間の傲慢をもたらし、人間の傲慢の不安定さが情欲の偶像礼拝をもたらしたと指摘した。 

 

<UCの解放と復活> 

 

エレミヤは、イスラエルはバビロン捕囚から70年後に解放されると預言したが、筆者は、UCの大艱難、即ち「UCのバビロン捕囚」は7年以内に終わり解放されると信じている。まさにこの7年は復活するための試練の時である。 

 

エレミヤ書29章11節に、「主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである」とある通り、私たちを計画される万能の神、主権者として歴史を支配しておられる神がいましたまう。 

 

イスラエルは未曾有の試練の中で、深い悔い改めの中から、イスラエルを救えなかった無力なヤハウェへの懐疑や不信を克服して、民族を越えた唯一の救済神と出会い、その神との再結合によって、より堅固な神の民、メシアを迎える準備された民に脱皮した。「もしあなたがたが一心にわたしを尋ね求めるならば、わたしはあなたがたに会うと主は言われる」(エレミヤ29.14)とある通りである。 

 

このように、UCもまた深い悔い改めの上に、天地を創造し、歴史を司り、私たちを導かれる神との再結合を果たしたい。そうして、イスラエルが神殿に代って律法に拠り所を見出だし、ユダヤ教を確立したように、私たちも、あらゆる偶像を廃して真正な神の言葉を再発見したい。まさしく神と神の言葉への再回帰であり、ここに全ての解決の鍵がある。 

 

ちなみに上記のエレミヤ書29章11節は、ヨハネ書3章16節と共に、クリスチャンが最も好む有名な聖句であり、またエレミヤ書29章14節は、かのアメリカ最大のリバイバリストであるチャールズ・ヒィニーの回心聖句である。 

 

さて、文化時報(2024年3月5日)によると、2月23日に閉会した曹洞宗第143回通常宗議会で、従来の旧統一教会の解散に「反対する」という曹洞宗の見解を追認した。これには、長崎潜伏キリシタンと曹洞宗天福寺との長い信頼関係が影響していると思われるが、理由のいかんを問わず、宗教法人審議会とは異なる見解を、日本最大級の仏教教団が示したことの意味は大きい。また、浜田聡参議院議員も、拉致監禁による強制改宗は最悪の人権侵害であり、「公共の電波を使ったメディアは公正に報道すべきだ」として二回目の質問主意書を国会に提出した。こうして反転攻勢の兆候が随所に見られ、大艱難からの解放も夢ではない。 

 

保守の論客らも指摘しているように、安倍晋三元首相は「贖罪の羊」として逝き、「一粒の麦」として永久(とわ)に生きる存在となった。かのリンカーンやケネディが死してアメリカの精神的な伝説になったように、安倍さんも日本の伝説になるだろう。そしてその安倍さんは、私たちの最強の守護霊であることは明らかである。(了)   牧師  吉田宏

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