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神学研究会に参加して 聖書の三大思想と神についての考察

◯徒然日誌(令和6年10月16日)  神学研究会に参加してー聖書の三大思想と神についての考察 

 

神を知る(畏れる)ことは知識のはじめ(箴言1.7)

 

プロローグ 

 

石破茂首相は、9日、衆議院を解散し、そして15日、衆議院選挙が公示れた(27日投開票)。ここ約1ヶ月、岸田首相の辞任表明、自民党総裁選挙、石破総裁・首相誕生、石破内閣発足、そして衆議院解散総選挙と、日本の政局は目まぐるしく動いた。筆者を含め、国民は劣化した民主主義の政局に付き合わされ、振り回された挙句、結局、自民党リベラル派による「安倍派潰し」という現実を突き付けられたのである。しかし、総選挙は自民党の大敗が予想され、石破首相の早期退陣が喧伝されている。また、世界も戦争の種が尽きない。 

 

ともあれ、この日本の政局が今後どのような展開を見せるかは別として、筆者はしばし現実の世俗から離れて、天上の世界に想いを馳せることにした。即ち、神についての考察である。 

 

【神学研究会】 

 

さてこの9月26日、渋谷松濤町のUC本部礼拝堂で、第21回「神学研究会」が開かれ、筆者は講師として参加した。この神学研究会は、小山田秀生氏が主宰し、毎月一回、15名~20名くらいで研究会を開催している。小山田氏を始め、神学に造詣がある論客が交代で研究成果を発表し、議論するのだが、奇しくも、筆者が第21回目の発表者となった次第である。今回は福音派の牧師も参加されていた。 

 

今回の筆者の発表テーマは「聖書の三大思想とは何か―唯一神思想・メシア思想・贖罪思想」であった。 

 

聖書は、約1600年間に渡って、40人もの聖書記者によって書かれた書であり、しかもその聖書記者は、漁師・取税人・神学者・預言者・王と様々な職業の人々によって構成されていながら、しかしそれにも係わらず、統一性と調和性に富み、聖書66巻を貫く「一貫した思想性」があるというのである。文鮮明先生は聖書について、「聖書には一貫した統一性があり、メシア思想に貫かれています。これはこれら聖書記者の背後に、真の著者としての思想的核心の存在(神)がいるからです」(み言葉集)と語られた。即ち、聖書の真の著者は「神」であるというのであり、聖書が神の啓示の書であるという所以である。 

 

そして聖書には、「唯一神思想」「メシア思想」「贖罪思想」「契約思想」「選民思想」「弱者救済思想」「預言者の批判精神」、などの聖書を貫く思想があり、筆者はその内、「唯一神思想」、「メシア思想」、「贖罪思想」を聖書の三大思想と位置づけたのである。(参照→拙著『異邦人の体験的神学思想』P74~94)

 

ちなみに、聖書学者の山我哲雄氏は、ユダヤ教(旧約聖書)の代表的な思想として、唯一神思想、メシア思想、契約思想、終末思想の4つを挙げ、これらをキリスト教は相続したと言われた。更に山我氏は、キリスト教はユダヤ教を母体とした宗教であり、これら4つの思想は相続したが、民族主義的な「選民思想」と「律法至上主義」は相続せず、退けたとも述べたられた。(著書『キリスト教入門』岩波ジュニア新書P14)

 

以上、聖書の三大思想、即ち、「唯一神思想」「メシア思想」「贖罪思想」はそれぞれ極めて重要な聖書の思想であるが、今回は特に「唯一神思想」、並びに「神」について筆者の所見を述べることにする。(メシア思想、贖罪思想は、後日論評したい)

 

【神を知ることは知識のはじめ】 

 

聖書に「神を知ることは知識のはじめ」(箴言1.7)とあり、また「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ」(伝道の書12.1)とあるように、世に数多ある知識の中で、神を知ることこそ、知識の中の知識、知恵の中の知恵であるというのである。「諸学は神学の侍女」と言われるように、オックスフォードにしろケンブリッジにせよハーバードにせよ、欧米の大学の最も古い学部はまさに神学部だった。そもそも大学は、神学(神)を学ぶために設立されたのである。従って、私たちは神を知ること、神を信じること、神を所有することこそ人生の最重要事であり、信仰は神との関係で生まれるものである。 

 

ユダヤ人は、次の聖句「シェマー・イスラエル」(Shema Yisrael、イスラエルよ、聞け!)を朝夕唱えて唯一の神を愛し、また親が子供に夜寝る前の言葉として教えるという伝統がある。 

 

「イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である。あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない」(申命記6.4~5)

 

筆者は今、一度しかない人生において、神、それも真の神と出会えたことは最大の幸運であったと心底思っている。神を知ることは、信仰の一丁目一番地であり、他の何物にも代えがたい人生の財産である。そして筆者が出会った神は、原理により、真の父母によって教えられた神であり、そして信仰人生の中で自ら体験した神である。 

 

実は筆者は学生時代、無宗教者(従って無信仰)であったが、無神論者というより目的観を喪失した世俗的なニヒリスト(虚無主義)であった。つまり、原理と出会ってニヒリズムからヘブライズムの世界に入っていったのである。小山田秀生著『真の父母様の御跡を慕って』(光言社)の中に、自らがゲーテのヘレニズムの世界から、シュバイツァーを通してヘブライズムに引き上げられた思想遍歴が記されてあり、次のように述べられていたが、まさに目から鱗であった。 

 

「ヒューマニズムは限界に行くとニヒリズムに陥り、落ちるところまで落ちるとヘブライズムに入る。絶望し、その峠を超えて、ヘブライズムに入るようになっている」(P30)

 

なるほどこの言葉は、筆者がヒューマニズム(世俗主義)からニヒリズムを経てヘブライズムの世界に入った思想過程を正しく言い当てている。ニヒリズムを「目的や価値を喪失した状態」と定義するなら、まさに筆者は正真正銘のニヒリストであった。しかも楽天的、世俗的なニヒリストであった。無論、ニヒリズムからヘブライズムに入る場合だけでなく、ニヒリズムから無神論(唯物論)、そして絶望に向かうニヒリズムもあるが、幸いにも筆者はヘブライズムの世界に入っていったのである。 

 

しかし、筆者がヘブライズムの世界に入ってから、そのヘブライズムを根拠付ける神自身と直接出会うのには、3年の歳月を要した。詳細は拙著「異邦人の体験的神学思想」(P28)に記しているが、ある事件をきっかけに、心身の限界の末、筆者は偶像崇拝者から一神教の信者に変貌したのである。そしてそこで出会った神は「山のあなたの空遠く」に住む神ではなく、自らの良心(本心)にいましたまう神であった。神は天地を創造された「超越神」であるだけでなく、自らの本心に内在する「内在神」でもあったのである。「本心の神」、これが筆者が出会った最初の神であり、初めての聖霊体験であった。聖書に「あなたがたは神の宮」(1コリント3.6)とあり、また「自分のからだは聖霊の宮」(1コリント6.19)とある通りである。 

 

そして、「神は人の心に永遠を思う思いを授けられた」(伝道の書3.11)とあるように、人の良心(本心)は究極的に、永遠なる神の世界に憧れているというのである。ローマ教皇パウロ二世は、「人間の心の奥底には、神を求める郷愁の種がある」と語り、また文鮮明先生は、「良心は師に優り、親に優り、神に優る」と言われ、これからの時代は「み言と良心が導く」と語られた。 

 

こうして筆者は一神教の信者として立ち、今日まで紆余曲折はあったものの、神が存在することを疑ったことはない。無論、その後筆者が体験した神は、「本心の神」だけでなく、「導きの神」であり、「共にある神」であり、「どん底で出会った神」であり、そして「召命の神」であった。神こそ、価値の根源、目的の根源、生命の根源、そして存在の根源であり、およそ神なき人生は盲目に等しい。宣教学博士で日本民族総福音化運動協議会総裁の奥山実牧師は「人生の目的は神を礼拝することであり、人間は神を礼拝するために生まれてきた」と言われた。一度しかない人生において神と出会い、神を礼拝できる幸いに優るものはない。なお、神についての考察は、拙著『異邦人の体験的神学思想』(P128~144)に記している。 

 

一方、現代の日本の社会は、神なき人間主義的ヒューマニズムの中に沈んでいる。いわゆるヘレニズム的なニヒリズムが世を覆っており、テレビのワイドショー「ミヤネ屋」はその象徴である。その結果、UCが明示する神の世界が理解出来ず、解散命令請求などといった神を冒涜した暴挙を平気で犯すのである。今こそ日本に、一神教の神を啓蒙すべき時である。 

 

【はじめに神は天と地を創造された】 

 

創世記1章1節の「はじめに神は天と地を創造された」というフレーズほど、神について、神の唯一性について、神の創造性について、端的に語っている一節はない。ハーベストタイムの中川健一牧師は、創世記1章1節は、「無神論」、「不可知論」(神の存在は証明も否定もできないという論)、「汎神論」(一切万有は神であり、神と世界とは同一であるという宗教観)、「多神論」、「物質主義」、「二元論」(宇宙の根本原理を精神と物質との2実在とする考え方、または、世界を善悪2つの原理の闘争と見る立場)、「ヒューマニズム」(人間を真理や価値の基礎に据える哲学的立場)、「進化論」などの異端的神観や哲学を駆逐するパワーがあると言われた。新島襄はこの一句で回心してクリスチャンになったという。 

 

そしてこの一節は、神が「所与の神」「創造の神」「唯一の神」であるという聖書の神観を端的に表明している。先ず、神が「所与の存在」としていまし給い、その神が天地万物の「創造主」であること、即ち宇宙の第一原因であることが宣言され、そしてその神は「唯一の神」であることが示されている。    

 

聖書は、神の存在は当然に存在する所与のものとして大前提となっており、敢えて神の存在を証明しようとはしない。ユダヤ人にとって神が存在することは当然の理であり、疑う余地のない所与の前提である。ジェイコブズが著書『キリスト教教義学』の中で「天文学は星の存在を証明しようと企てない、論理学は思想の存在を証明しようと企てない、聖書は神の存在を証明しようとはしない」(P4)と語っている通りである。そして古代諸国のほとんどが多神教の偶像崇拝の中に沈んでいる時、一人イスラエルだけが、神が「唯一の神」であり、その唯一の神は天地を創造された「創造主」であると主張した。 

 

ちなみに日本神道の神には創造という観念は希薄である。 古事記に最初に出てくるアメノミナカヌシ・タカミムスビ・カミムスビの造化三神は、「高天原に成りませぬ」と古事記冒頭に表現されており、この三神が現れる前に既に「高天原」が存在し、その高天原に三神が生じたと解釈できる。従って異論はあるものの、古事記に天地創造という観念はない。また、釈迦の原始仏教には、そもそも神という概念自体がなかった。 

 

更に聖書の神は、唯一創造の神であると共に、聖にして霊なる全知全能の神、祝福される神、即ち「人格神」でもあるというのである。 神は自らが造った世界を見て「それは、はなはだ良かった」(創世記1.31)と喜ばれたとされているが、これは神が喜怒哀楽を持つ人格神であることを顕している。従って、キリスト教では神を「愛なる神」「天の父」「父母なる神」と表現している。そしてその聖書の神は、「主の言葉がアブラハムに臨んだ」(創世記15.1)、「神はモーセよ、モーセよと言われた」(出エジプト3.4)、「主の霊がダビデの上に激しく下った」(1サムエル16.13)というように、先ず神自らが人間に呼び掛けられる(啓示される)神である。 

 

【聖書の唯一神思想】 

 

さて筆者は当該神学研究会において、聖書の三大思想について語ったが(時間切れで贖罪思想までいかなかった)、ここでは「唯一神思想」について述べることにする。

 

<神の唯一性>

 

神が唯一の存在、一人であること、即ち、神の唯一性は、聖書を貫く顕著な思想であり、聖書の神は純然たる一神教であり、次の聖句が端的に言い表している。 

 

「イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である」(申命記6.4)

 

「わたしのほかに、なにものをも神としてはならない」(出エジプト20.3)

 

「わたしたちには、父なる唯一の神のみがいますのである。万物はこの神から出て、わたしたちもこの神に帰する」(1コリント8.6)

 

ちなみにモーセの十戒の第二戒に「刻んだ像を造ってはならない」(出エジプト20.4)とあるが、偶像崇拝とは神でないものを神として礼拝することであり、多神教は偶像崇拝に陥りやすい。また、キリスト教は三位一体の神を唱えており、ユダヤ教、イスラム教から多神教であると批判されている。福音派の黒瀬博牧師は、著書『新しいキリスト教の展開』(グッドタイム出版)の中で、「キリスト教は一神教ではありますが、厳密に言えば三位一体教なのです」(P30)と述べられている。また超教派活動をされている梅本憲二氏は、著書『やさしいキリスト教神学』(光言社)の中で、「神は唯一である。しかし、その唯一の神のなかに三つの神とされる区別が存在するというのがキリスト教の三位一体論である」(P32)と語られている。なお、三位一体論については、拙著『異邦人の体験的神学思想』(P270~P277)で論考している。 

 

<宗教の類型>

 

宗教の類型に、①神の数に着目した宗教の類型(一神教・拝一神教・単一神教・多神教)、②救われ方に着目(神への宗教・悟りの宗教と神からの宗教・救いの宗教)、③広がりに着目(部族宗教・民族宗教・世界宗教)、④発生に着目(自然宗教と啓示宗教・創唱宗教)などがあるが、ここでは、神の数に着目した「一神教」「拝一神教」「単一神教」「多神教」の概念について論考する。 

 

先ず「一神教」であるが、この神観はアブラハムに端を発し、モーセで理念的に成立し、バビロン捕囚前後に確立されたといわれる「唯一神教」であり、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の神観はこの上に立っている。 

 

「拝一神教」とは、唯一神教が他の神々の存在を認めないのに対して、他の神々の存在を前提とし、その民族内では一柱を神として崇拝する神観念であり、アブラハムからバビロン捕囚時代までの古代イスラエルの神観や浄土宗の神観がこれに該当する。古代イスラエルでは、その民族内においては、ヤハウェのみが神であり、他の神を認めないが、他のオリエント諸国の神々までは否定しなかった。また、浄土宗は釈迦如来、大日如来ら他の如来を否定しないが、自らの信仰共同体内では「阿弥陀如来」のみを崇拝する。 

 

また「単一神教」とは比較宗教学者のミュラーが提唱した観念で、複数の神々を前提とするが、その中の一柱を主神として崇拝する。即ち、対象領域の中に他の神々を認めながらも、その対象領域の神々を根拠づけている主たる神の存在を中心として、他の神々をその中に体系化する、というものである。古事記の天照大神を中心とする神体系がそれであり、八百万の神々を認めながらも、その体系内ではアマテラスを頂点に位置付ける。ギリシャのパンテオンの神々やインド古代ヴェーダの宗教も単一神教に類型化される。 なお神道では古来から祭神論争があり、多神教的な性格を持つアマテラス派と、一神教的な性格を持つアメノミナカヌシ派で主祭神を巡って議論がなされてきた。

 

「多神教」、これは文字通り複数の神々を認める神観念である。日本神道、大乗仏教、ヒンズー教、古代メソポタミヤ・エジプト・ギリシャなど古代国家の99%が多神教世界だったと言われている。旧約聖書の預言者たちは、専らこの異教徒の神々との戦いがメインテーマだった。 

 

<一神教の起源と歴史ーイスラエル一神教の確立>

 

アブラハムの召命(創世記12.1)はイスラエル一神教の起源であった。神はアブラハムを探し当てて、小躍りして喜ばれたと言われ、文鮮明先生は「アブラハムを立てるために、多くの涙を流されたあと、神は初めて着地された」と言われた。 

 

一方、古代世界は99%が多神教の世界であり、古代バビロンには1000以上の神々が祭られていたという。特にバビロンの豊穣と愛(欲)の最高女神「イシュタル」は多神教の象徴であり、イシュタルはカナンではアシュタルテ、ギリシャではアフロディア、ローマではヴィーナスとそれぞれ呼ばれた。ソロモンでさえ、晩年は偶像崇拝に陥ったことが聖書に記されている。 

 

「これはソロモンがシドンびとの女神アシタロテに従い、アンモンびとの神である憎むべき者ミルコムに従ったからである。そしてモアブの神である憎むべき者ケモシのために、またアンモンの人々の神である憎むべき者モレクのためにエルサレムの東の山に高き所を築いた」(1列王記11.5~7) 

 

イスラエルの民は、繰り返し偶像崇拝を禁じられたにも係わらず、何故偶像崇拝に陥ったのだろうか。異教徒の神々を祭る儀礼には、その目を引く派手な催し物と共に、性的誘惑を伴う儀式があり、偶像崇拝への誘惑が常にあった。そして当時、唯一神を観念することは、極めて困難だったが、その中で、一人アブラハムだけが神は唯一と信じたのである。 

 

さて前述したように、イスラエル一神教は、アブラハムに端を発し、モーセで理念的に成立し、バビロン捕囚前後に確立(体系化)したと言われる(参考-「山我哲雄著『一神教の起源』筑摩書房)。以下、イスラエル一神教の確立までの経緯を辿ることにする。 

 

a.  族長時代の神 

 

族長時代の神はいまだ拝一神教であった。即ち、族長時代のイスラエルが理解していた「アブラハム・イサク・ヤコブの神」は、厳密な意味での排他性を持つ一神教ではなく、他国の神も認める民族的な「拝一神教」であり、民族内ではヤハウェのみが神であった。しかし、信仰的には純粋な唯一神信仰が、既にアブラハムにおいて認識されていた。(小原克博著『一神教とは何か』 平凡社P42) 

 

b. モーセの十戒  


次にモーセの十戒において一神教は成立する。即ち、一神教は―モーセによって理念的に成立するが、前記した次の聖句に示されている。 

 

「イスラエルよ聞け、我々の神、主は唯一の主である」(申命記6.4) 

 

「私の他に何ものをも神としてはならない」(出エジプト20.3)

 

こうしてモーセの十戒から申命記改革まではいまだ理念的な唯一神教に留まり、実際はなお拝一神教的神観だった。「妬む神」(出エジプト20.5)という言葉がこれを物語っいる。 

 

c.一神教の確立 

 

申命記改革期からバビロン捕囚を経て第二イザヤ(イザヤ40~55章)において、排他的唯一神の観念が確立した。 

 

南北朝時代に、バアル信仰など偶像崇拝を非難する預言者が続出し、前9Cのエリア・エリシャ、前8Cのアモスらが「民族を超える普遍的な神」を模索した。バビロン捕囚前後のエレミヤ、エゼキエル、イザヤらは、「世界神・普遍的な超越神」を求め、その中からユダヤ教が成立していった。 

 

南ユダヨシア王(前639~609)の治世第18年(前622)、祭司ヒルキアにより「律法の書の巻物」(申命記)が発見された(2列王22.8)。これを読んだ王は、国民の前で朗読し、ヤハウェと契約を結び大規模な宗教改革を行い(2列王23.1~3)、「祭儀集中」(2列王23.8~9)、「祭儀浄化」により、「排他的な神観念」が確立されていった(2列王23.11~12)。これが申命記改革である。ちなみに 申命記史書とはヨシュア記、士師記、サムエル記、列王記であり、これらは統一的な神学構想のもとに申命記史家によって同時期にまとめられたと言われている。 

 

前597年の第一次バビロン捕囚、前 586年の第二次捕囚、前578年の第三次捕囚という絶望的な受難に直面して、なおヤハウェへの信仰を貫こうとする人々は、国を守れなかったヤハウェの無力への懐疑や不信を持つ者に対して、これを論駁し、ヤハウェ信仰の正当性を主張しなければならなかった(苦難の神義論・弁神論)。申命記改革の継承者たちは、国家滅亡と捕囚という破局が、ヤハウェの敗北でも無力でもなく、イスラエルの不信仰の罪、契約違反の罰であると解釈したのである。 

 

そうして遂に第二イザヤにおいて、神が唯一であるという普遍的かつ排他的な一神教が確立された。第二イザヤ書(イザヤ書40章~55章)はバビロン捕囚が前提となっており、ここに主権・国土・国民・神殿を奪われた喪失感と救済への期待感、この民族的受難をどう考えるかという思索の中で、民族を超えた唯一神をあがめる排他的な神観が明確になっていった。その最も典型的な唯一神教的神観が、イザヤ書43章~46章に示されている(イザヤ43.10、44.6、45.5~7、46.9)。 

 

「わたしより前に造られた神はなく、わたしより後にもない。ただわたしのみ主である。わたしのほかに救う者はいない」(イザヤ43.10~11)

 

「万軍の主はこう言われる、『わたしは初めであり、わたしは終りである。わたしのほかに神はない』」(イザヤ44.6)

 

「わたしが主、私をおいて神はない。光を造り闇を創造し、平和をもたらし災いを創造する者」(イザヤ45.5~7) 

 

こうして、イスラエル民族だけでなく、世界に神はヤハウェ一人であると宣言されたのである。アブラハムから始まった一神教は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教など、今や世界の60%を覆うまでになった。世界に一神教を生み出したことは、ユダヤ人の第一の人類史的貢献である。 

 

【エピローグ】 

 

こうして第21回目の神学研究会は終わりを告げた。科学が「自然」を研究の対象とし、哲学が「人間」を研究の対象としているとすれば、神学は「神」を研究の対象とする学である。即ち、神学とは「神についての体系的な学び」と言え、ヘンリー・シーンは著書『組織神学』の中で、「神学とは神についての教理である」と述べている。 

 

しかし、前記した奥山実牧師は、「神学校を卒業した学生の60%が神が分からなくなる」と嘆いておられた。神について学ぶはずの神学校で、逆に神を見失うというのである。この点、内村鑑三が神学嫌いであったことは有名である。アインシュタインは、「神学なき信仰は盲目であり、信仰なき神学は不具である」という有名な言葉を残したが、神学は信仰を前提としない限り意味を持たないばかりか、返って有害であるというのである。まさに神学は信仰の侍女であり、信仰実践による確かな神体験があって初めて、神学は力を発揮する。 

 

端的に言えば、神学とは聖書の論理的、体系的な集大成であり、「神」「罪」「救い」について聖書に照らし体系的に説明する学である。そしてその目的は、「救いとは何か、救いは如何にしてもたらされるか」という、この根本的な命題を厳密に明らかにすることである。 

 

以上、激動する日本と世界の喧騒を離れて、しばし神の世界を探訪した。全能の神は生きて働かれ、この終末の再臨期にも、厳然と救援摂理を司られている神である。私たちは、この目に見えない神と歴史を支配される神の摂理を固く信じるものである。(了)    牧師・宣教師   吉田宏 

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​ユニバーサル福音教会牧師
​家庭連合ポーランド宣教師
   吉田 宏

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