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文鮮明先生に見る聖書の研究と聖書の奥義の解明

  • 2023年2月2日
  • 読了時間: 10分

更新日:3月31日

◯つれづれ日誌(令和5年2月1日)-文鮮明先生に見る聖書の研究と聖書の奥義の解明


数多の哲学者や宗教家はあれど、誰一人として秘められた神の心情と聖書の真義(奥義)について知る者はなく、霊的には暗闇に覆われているかのようでした。盲目にして無知なる人間の行為の記録ともいうべき人類の歴史の背後に、一つの公式とパターンのあることを悟り、歴史の秘密の全てを解明してその法則と原理を見出したのです。(『御旨と世界』創立以前の内的教会史P593~596)


プロローグ


今回は「文鮮明先生に見る聖書の研究と聖書の奥義の解明 」とのテーマで、文先生が如何に聖書を研究されたか、そしてそもそも聖書の奥義とは何かについて論考したいと思います。


さて筆者は古稀のころ、内村鑑三の言葉である「聖書の研究を持って天職となす」をそのまま借用して、筆者のこれからの標語としました。


では何故、このような標語を掲げるに至ったのかといいますと、拙著『異邦人の体験的神学思想』(P12~P32)で述べていますように、原理が旧約聖書と新約聖書、及びキリスト教歴史の霊的伝統の上に立っているという事実であり、従って、この聖書的霊性を相続しない限り、真の原理理解には至らないという認識に至ったからであります。言い換えれば、聖書的霊性を相続することによって、深く成熟したより完全な原理(原理講論)の理解に至ることができるということであります。そして、今日まで誰一人として明らかに出来なかった聖書に隠された神の神秘、即ち聖書の奥義の解明が原理神学によって悉く解明されているということを確信したからに他なりません。即ち原理講論は「聖書の奥義を解明した究極的な聖書の解釈書」であり、聖書を完全に解釈した神学書と言えるでしょう。



それは、原理講論の執筆者である劉孝元氏自身が、聖書を原語で読んで研究された聖書研究の第一人者だったという事実からも理解できるところです。しかし劉氏は、聖書を読み尽くして、どうしても分からないところ、即ち理解出来ない聖書の箇所が多々あったというのです。その回答が、ことごとく文鮮明先生(以下「創始者」と呼ぶ)自身が原理を解き明かし著書『原理原本』にあったと証言されました。そして韓鶴子女史におかれても、敬虔なキリスト教徒の祖母、実母から幼少期から聖書の手ほどきを受け、聖書は常に身近にあり、教会にも行かれておられました。


【創始者の聖書研究ー奥義の解明】


しかし、何と言っても、創始者の聖書研究の凄まじさであります。創始者は聖書を熱心に研究し、神からの啓示と相俟って、その奥義を明らかにされました。後述するように、創始者の聖書は 棒線と書き込みで真っ黒だったと多くの人が証言しています。


<聖書の奥義とは>


では聖書の奥義とは何でしょうか。聖書の奥義とは「かつては隠されていたが、今や明らかにされた神の神秘」であり、そして「いまだ明らかにされてないが、やがて明らかにされる神秘」であります。いわば聖書の秘められた真髄であり、旧約聖書の奥義はイエス様が明らかにされ、聖書全体の奥義は再臨主が解明されるというのです。


聖書は、その重要な部分が比喩や象徴や暗示、即ち奥義として書かれており、この奥義の解釈を巡って果てしない神学論争が続いてきました。聖書は神の創造・堕落・復帰の道が隠された秘密の啓示書であり、再臨主とは、この聖書の奥義を読み解き、聖書の完全な解釈をされる方であるというのです。筆者 ホームページの「聖書の知識」(173番~178番)でも聖書の奥義について解説しているところであり、聖書の奥義は多々ありますが、その主な事例としては、次のようなものがあります。

 

a.先ず、神の天地創造を記録した創世記1章と2章の奥義であり、原理は神の真像、神と被造世界の関係、特に神の宇宙創造の動機と目的について明確に述べています。

 

b.次に創世記3章の奥義です。人間の堕落を描いた「失楽園の物語」は聖書の最大の奥義ですが、キリスト教は明確には解明できませんでした。原理は、堕落の動機と原因について明確に述べ、罪(原罪)とは何かを明らかにしています。

 

c.また創世記4章の奥義、即ちカインの殺人事件の真相は謎であります。「何故、神は弟アベルの供え物を顧みられ、兄カインの供え物は顧みられなかったか」(創世記4.4~5)、「何故カインはアベルを殺害したか」(創世記4.8)、即ち兄カインと弟アベルの葛藤の問題は聖書の謎であり、いまだ、如何なる聖書学者と言えども納得できる説明をし得ていません。

 

「私はヤコブを愛し、エサウを憎んだ」(ロマ9.13) とある通り、聖書には兄よりも弟を愛された伝統がある。カインとアベル然り、エソウとヤコブ然り、ゼラとベレツ然り、マナセとエフライム然り。一体、何故神は兄よりも弟を先に祝福されたのか、この大きな謎をきちんと説明できる聖書学者は未だかっていません。 

 

d.マリアの処女懐胎の神秘(マタイ1.20、ルカ1.35)も聖書の奥義です。マリアが聖霊によって身籠ったという聖書の記述は多くの解釈がある大きな謎であります。 だが原理は原理的根拠を示し「祭司ザカリヤによって身籠った」と解いています。

 

e.創世記38章のユダとタマルの物語は深い奥義です。38章は「罪ある血統の中から、如何にして罪なき無原罪のメシアが生まれ得るか」という問題を解く鍵がある神学上の最大の難問でありあます。キリスト教では、創世記38章は不道徳の章と言われることがありますが、文先生は次のように言われました。 

 

「創世記38章28節に、出産の時ひとりの子が手を出したので、産婆は、『これがさきに出た』と言い、緋の糸を取って、その手に結んだとあるが、これを聖書が書いてくれていたお陰で、血統転換の教理を整合性を持って説明することができた。このようなことが書かれていること自体、聖書が神の救いの経綸を記した神の言葉である証左である」(創始者の言葉) 

 

f.聖書の終末論の解釈は多くの混乱を招いているます。多くのキリスト教信者たちは、歴史の終末においては天と地がみな火に焼かれて消滅し(2ペテロ3.12)、日と月が光を失い、星が天から落ち(マタイ24.29)、天使長のラッパの音とともに死人たちがよみがえり、生き残った人たちはみな雲に包まれて引きあげられ、空中においてイエスを迎えるだろう(1テサロニケ4.16~17)と信じています。(原理講論P133)

 

しかし聖書の多くの重要な部分がそうであるように、このみ言も何かの比喩として言われているのであり、この聖書の奥義は、原理講論の「人類歴史の終末論」(P147~P156)で解説されている通りです。即ち人類歴史は、創造本然の世界を復帰していく神の復帰摂理歴史であり、終末とはサタン主権の罪悪世界が、神主権の創造理想世界に転換される時代であって、天変地異が起こる恐怖の時ではありません。また聖書の火の審判とは「み言」の審判であり、再臨主によるみ言により善悪が分別される時でもあります。

 

以上の通り聖書の主だった奥義を見てきましたが、その他に、創世記だけでも多くの難解な解釈の章句があります。ノアの方舟の意味(創世記6.14)、40日洪水審判の意味(創世記6.12)、カラスと鳩を放った意味(創世記6.6~12)、ノアの次子ハムの堕落とは(創世記9.20~23)、アブラハムが妻サライを兄妹とパロに言った意味(創世記12.10~19)、アブラハムの三種の供え物の意味(創世記15.9)、鳩を割かなかったことが、何故罪になったか(創世記15.10~16)、割礼の意味(創世記17.10~14)、妻サラをアビメレクに妹と言った意味(創世記20.2~16)、イサク献祭の意味(創世記22.1~2)、ヤコブとエソウの葛藤と和解の意味(創世記27.1~33.11)、などの聖書の章句も聖書の奥義です。


いわば聖書は謎に満ちた書物であり、その解釈を巡って、数多くのキリスト教宗派が生まれる要因になっています。また、キリスト教教理における神学的な論点があり、これらも大きくは聖書の奥義と言えるでしょう。a.イエスは神か人か、b.イエスの十字架は神の予定か否か、c.十字架の贖罪は完全か否か、d.イエスの復活は肉体の復活か否か、e.再臨は雲に乗って天から来臨されるか否か、f.終末には天変地異が起こるか否か、f.神の救援歴史(復帰摂理)の原則と歴史の繰り返しの真相、等々。こういった聖書の奥義や未解決の教理は、未だに深い闇の中にあり、多くの神学論争を生み出し、教派分裂の主因となっています。

 

そして原理(講論)は、以上挙げた聖書の奥義をことごとく明らかにしました。(参照-原理講論は聖書の新しい解釈論である→ https://x.gd/uVVtM )


<創始者における聖書の研究と解明>


アメリカのある神学者は、創始者は8つの分野、即ち「神・サタン(罪)・人間・霊界・イエス・聖書(経典)・人類歴史・真の家庭」に精通したチャンピオンだと指摘しました(平和経P1587~P1591)。その中でも聖書のチャンピオンとして聖書の奥義を解明され、聖書を完全に解釈されたことは特に抜きん出た業績であります。


1035年4月17日早朝、イエス・キリストが16才の創始者に顕現され、直接使命を託されました(神の召命)。その後10年余、聖書の奥義の解明に投入された創始者には、断続的に新約聖書に基礎を置く啓示があり、その中で原理を明らかにされていきました。聖書全体を反復して読破し、新たに発見された原理と照らし合わせて聖書の奥義を検証されいったというのです。


創始者の聖書の研究に関して、次のような生々しい証言があります。


a.創始者の友人の建築家の厳徳紋(オム ドンムン)氏は、学生時代に創始者の下宿で、次の事実を目撃したと証言した。


「下宿した私の机には、常に英語、日本語、韓国語の三種類の『聖書』を並べて広げておき、三つの言語で何度も何度も読み返しました。読むたびに熱心に線を引いたりメモを書き込んだりして、聖書はすっかり真っ黒になっていました」(『自叙伝』P79)


b.金オンピル氏の証言


1946年5月27日、創始者は啓示により北に行かれましたが、平城での初期の弟子である金オンピル氏によると、「創始者が使っておられる聖書の全てのページに赤線が引かれており、行間には小さな文字で書き込みがあった」と証言。


c.世界日報記者の証言


創始者がダンベリー刑務所で聖書を通読された事実を目撃したという、世界日報記者の証言。彼はたまたま創始者のカバンの中に入っていた聖書を見て、そこに次の言葉が記載されていたことを目撃した。


「開始1984年12月11日日午前 0 時、読了 1985 年 1月 13 日 3 時 33分 34 秒、読むのに要した期間、33 日 3 時間 33 分 34秒。神の御旨をすべて明らかした」(創始者の韓国語聖書の表紙記載文言)


そして創始者は、「この終わりのときに、天地の秘密、神様が隠していた秘密、サタンが隠していた秘密、歴史的秘密、哲学者達の秘密の全てを解決しました」(天聖経第八篇第四章P924)と語られ、次のように聖書解明の事実を述べられました。


「数多の哲学者や宗教家はあれど、誰一人として秘められた神の心情と聖書の真義(奥義)について知る者はなく、霊的には暗闇に覆われているかのようでした。盲目にして無知なる人間の行為の記録ともいうべき人類の歴史の背後に、一つの公式とパターンのあることを悟り、歴史の秘密の全てを解明してその法則と原理を見出したのです」(『御旨と世界』創立以前の内的教会史P593~596)


そして、「聖書は神の創造理想、堕落、復帰の道が隠された秘密の啓示書」と定義され、次のように語られました。


「旧約の律法の核心内容を明確に教えてくださった方がイエス様であり、先生の教えを通して、新旧約聖書全体に貫き流れる神様の救援摂理に関する天の秘密が、明確に現れているのです。聖書は神の創造理想、堕落、復帰の道が隠された秘密の啓示書です。先生が明らかにした原理は、各種の経書で疑問視されていることに対するすべての答えが、明快に表されています」(平和経・神様のみ旨から見た環太平洋時代の史観1P1590)


以上、聖書の奥義とは何か、創始者における聖書の研究について論考しました。人間にはかけがえのない3つの宝(財産)、即ち、「神」、「キリスト」、「神の言葉」があります。私たちは神の言葉を通じて、神の言葉の実体たるキリストを知ることができ、真の神を知ることができるというのです。この3つの宝と出会えたなら、その人の人生は大成功の人生と言え、その価値は如何なる富や名声に優ります。そして神の言葉とは、聖書とその上に立ったみ言の結実たる原理(原理講論、天一国経典)です。この神の言葉に立ち返ることこそ、救いとリバイバルの原点に他なりません。(了)


                          牧師・宣教師 吉田宏

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   吉田 宏

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