「為に生きる」価値転換とは - 家族、信仰共同体(UC)、そして祖国日本の為に
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○徒然日誌(令和8年4月15日) 「為に生きる」価値転換とは-家族、信仰共同体(UC)、そして祖国日本の為に
一つになることができ、平和の起源となる道は、「為に存在」しなければならないという原則を立てるところにあるのです。ですから、真の愛、真の理想、真の平和、真の幸福は、「為に生きる」ところから離れては見いだすことができません。宇宙創造の原則と人間の幸福の起源が、ために存在するところから始まったことを、私たちは考えなければなりません。(文鮮明、1975年1月16日ソウル、朝鮮ホテル「希望の日」韓国晩餐会)
プロローグー宇宙創造の原理

「為に生きる」は文鮮明先生(以下、「創始者」と呼ぶ)の根本理念で、利他的な愛と自己犠牲の思想であり、自身の枠を超えて他者(神)のために尽くすことで、真の幸福と平和が実現できるとする 。しかしオールドメディアや霊感弁連や東京高裁は、この理念の下、高額な献金や物品購入が正当化され、深刻な経済的被害や家庭崩壊をもたらしたとして非難する。だがこれは宗教や人間性の本質を理解出来ない無神論者の曲解であり、むしろ哀れであり下品である。
イエス・キリストも「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」(ヨハネ15.13)と言われた通りであり、金銭どころか生命まで捨てよと言われ、また自らも十字架上で模範を示された。弟子たちにも次のように言われた。
「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう」(マタイ16.24~25)
人は「宇宙の原理」に従って生きれば幸福になれると創始者は言われる。では、宇宙の原理とは何か、宇宙の原理とは、まず与え、そして受けること、まず愛し、それから愛されること、即ち為に生きることに他ならない。創始者は「空気とは何か、愛である」(『成和学生の道』P54)と語られ、惜しみ無く人間に自らを与えつくす太陽や空気は宇宙の原理を率先垂範しているという。
即ち、神は自らの身を削り、その本質(愛・生命・理想)を投入して宇宙を創造されたのであり、被造物は神の愛の犠牲の賜物であるという。神の宇宙創造の動機は愛であり、宇宙創造は神の自己投入・自己犠牲に他ならず、そしてその原理はまさに「為に生きる」である。何故なら、愛は対象の存在が前提となって初めて成り立つ概念であり、神一人では愛は成り立たない。この対象に投入する愛こそ天地創造の動機であり、宇宙万物が全て主体と対象、授け受けする関係、即ち愛し愛されるペアシステムになっている理由がここにある。(参照-新しい神の姿→ https://x.gd/lB9yX )
このように愛の本質は為にあることであり、宇宙創造の原則と人間の幸福の起源が、ために存在するところにある。故にイエス様も「 一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」(ヨハネ12.24)と言われた。創始者は、イエス様は聖人中の聖人であり、聖書66巻は端的に言えば「為に生きる」という原則を教えていると言われた。
なお執行草舟氏は著書『『おおポポイ』の中で、執行氏の中心思想である「絶体負」とは生命の根源となっている目に見えない宇宙の根源力であり、愛や犠牲や献身というものを生み出す源になっているという。従って他のために生きる時、人間の生命は燃焼し、愛するもののために生命を捨てる思想はここにその源流があり、それは『葉隠』を貫く思想であるという。
つまり、宇宙の成り立ちそのものが「為に生きる」という原則からなっているのであり、為に生きる時、幸福を感じるのは宇宙の道理に叶っている。
【三つの対象への自己投入】
筆者は令和8年4月1日の徒然日誌「かけがえのない二つの財産」で、神の言葉(聖書・原理)の死活的意味について論考し、まさに「神の言葉は最大の財産」であり、一度しかない人生において真理(原理)に出会えたことは最大の幸運であると告白した。そして、「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」(論語里仁篇)とある通り、真理に出会った今、「いつ死んでも後悔はない」と述べた。
ちなみに筆者が若い頃、農業を営む父が「いつ死んでも悔いはない」と言い切っていたことを懐かしく思い出す。父は78才で交通事故で亡くなったが、何度も尋ねたが、悔いはないと言い切っていた。そして4月3日に執行氏に会ってから、その思想を論じた徒然日誌の執筆を終えた夜、亡き母の夢を見た。とても品のある着物姿の母だったので、筆者はこの母を見て、心なしかかってない平安に満たされた。
こうして父と同様、筆者個人は真理を得て、かつそれを確信したので人生に悔いはない。しかし家族、信仰共同体(UC)、そして祖国日本の行く末が心配であり、心残りである。筆者は今後、家族・信仰共同体・日本という「三つの対象」のために生きねばならないと思っている。利己から利他への革命的な価値転換を完全に成し遂げ、その如く生きるべきであり、それは、お世話になったものへの恩返しであり、また義務でもある。
<家族・信仰共同体への恩返し>
今、UCの高額献金問題に関連して、二世問題がクローズアップされている。親が神のみ旨に献身するあまり、子供(二世)が顧みられなかったり、貧困に苦しんだりしたことへの負の問題が生じているという。これは多かれ少なかれ、どこの献身家庭でも同様であり、やむを得ない事情であるが、遅まきながら二世たちの疎外感に寄り添わなければならないと思う。また夫婦関係においても同様であり、特に筆者は5年前他界した配偶者を供養する義務がある。従って筆者は、今後の残された人生において、可能な限り家族のために生き、そして償わなければならない。
それはまた、信仰共同体についても同様である。今まで筆者は、UCという信仰共同体から、特に「信徒の交わり」において多くの恵みを受けたので、恩返しをしなければならないと思っている。一方、教団への恨み辛みを抱いて、教団を訴えたり、マスコミなどの言論空間で被害を撒き散らしたりしている(元)信徒が散見されるが、これらは神への信仰や神の言葉への確信が揺らいで、疑いを抱いたことに原因があると筆者は思料する。
それにしても「信徒の交わり」は貴重な財産である。一般論として、他人と深い信頼関係を築くためには、少なくとも3年以上のお付き合いとたゆまぬ努力が必要である。だが、神の言葉を共有するUC信徒(食口)は、一夜にして固い信頼関係を築くことができる。この信徒の交わりは、信仰の励ましにせよ、相互互助にせよ、各種の相談事にせよ、共同事業の立ち上げにせよ、大変大きな力になる。私たちUCの人間関係は、ユダヤ人より強く、クリスチャンより豊かであり、この信徒の交わりは人生のかけがえのない財産である。そして筆者は、信徒間の共働と協力という恵みの受益者であり、その恩返しをしなければならない。
しかし今、その大事な信仰共同体が未曾有の試練に晒されている。あの安倍元首相の暗殺事件(2022年7月8日)以来、寄ってたかって「スケープゴート」にされたUCは、解散という死刑判決の憂き目にあっている。
同様にユダヤ人は歴史的に迫害を受けてきた。「反ユダヤ主義」とはユダヤ人に対する敵意・憎悪・差別であるが、ユダヤ人はたびたび「スケープゴート」にされ迫害されてきた。一神教とイエス・キリストを生んで世界に多大な貢献をしたというのにである。それは まさにスケープゴートにされたUCと瓜二つである。UCとその信徒は、共産主義の誤りを質し、スパイ防止法を訴え、世界の平和に寄与し、日本の国益に貢献したにも係わらずである。(参照-反ユダヤ主義とは→ https://x.gd/lakNk )
だがあのテロ事件以来、筆者は、ここには深い神の「ご計画」があるに違いない、安倍元首相は自分故にUCが迫害を受けることを決して「良し」とされるはずがないと直感し、何回か徒然日誌でも言及した。その直感は今でも筆者の内に息づいている。
では筆者は、今後何をもってこの信仰共同体に寄与すればいいのであろうか。筆者は今まで、週2回のみ言に係わる文書を発信し(日曜日に聖書の知識、水曜日に徒然日誌)、み言に肉付けをして信徒に霊的知識と教養を提供し、また問題の具体的な処方箋を提言してきた。故に今後もこれを継続し、福音のリバイバルの一石を投じていく所存である。然り、成約のリバイバルは神の言葉の研究から始まると信ずるものである。
そしてさらに筆者は「み言の勉強会」をもって応えたいと思っている。数年前やっていた「新生聖書勉強会」を復活させ、今回、新たに「成約聖書勉強会」を持とうと思っている。3人以上の信徒が集って勉強会を開く場があれば、何処にでも出かけて行って聖書(原理)の言葉を提供したいと思っている。即ち筆者は、神の言葉をもって、この信仰共同体に寄与したいと思料する。(参照-かけがえのない二つの財産→ https://x.gd/2qNxX )
パウロは次のように言っている。
「霊の賜物は種々あるが、御霊は同じである。すなわち、ある人には御霊によって知恵の言葉が与えられ、ほかの人には、同じ御霊によって知識の言、またほかの人には、同じ御霊によって信仰、またほかの人には、一つの御霊によっていやしの賜物、またほかの人には力あるわざ、またほかの人には預言、またほかの人には霊を見わける力、またほかの人には種々の異言、またほかの人には異言を解く力が、与えられている」(1コリント12.4~10)
つまりパウロは、知恵の言葉、知識の言、信仰、いやしの賜物、力あるわざ、預言、霊を見わける力、異言、異言を解く力、またある人は伝道、ある人は財.....と、人にはそれぞれの個性や得意分野が神の賜物として付与されているという。その賜物はそれぞれ異なるが価値において等しく、人はそれぞれ神から付与された賜物をもって信仰共同体に寄与できるというのである。さて読者は何をもってこの聖なる共同体を支えるというのだろうか。
<祖国への恩返し>
さて筆者は今、祖国日本のために何ができるだろうかを真剣に考えている。後述するが、筆者は日本という国から多くの恩恵を享受したので、祖国に恩返しをしなければならないと考えている。
都立多磨霊園にある内村鑑三の墓には、墓碑銘として次のようにある。
「I for Japan, Japan for the World, the World for Christ, and All for God.」(我は日本のために、日本は世界のために、世界はキリストのために、そしてすべては神のために)
内村鑑三はキリスト教に帰依し、生涯、聖書を研究し、神の言葉を語り続け、とりわけ知識人に大きな影響を与えた。その内村には、キリストと共に祖国日本への限りない愛があり、内村が目指したのは日本的キリスト教であり、それは父母から受け継いだ武士道とキリスト教の融合でもある。平たく言えば、キリスト教を武士道の精神をもって語るということと言えなくもない。
筑波大学名誉教授で分子生物学(DNA研究)の権威だった村上和雄氏(1936~2021)は、天理教の篤実な信者で、村上氏は宇宙の神秘を「サムシンググレート」と呼んだ。サムシンググレートとは天理教でいう「親神様」(天地王命)だといい、親神様の素晴らしさを「科学の言葉」で語りたい、サムシンググレートのメッセンンジャーとなりたい」と語った。また同様に、宗教思想家であり事業家でもある執行草舟氏は、宇宙の根源的エネルギー、絶体負、宇宙意識、魂といった言葉を使って宇宙の根源や死生観について語るが、執行氏は『葉隠』の言葉(精神)や古今東西の古典の言葉を使って天地創造の神を語っていると筆者には見える。
そういう筆者も、鈴木大拙が日本的霊性と呼び、山本七平が日本教と名付けた日本の精神性(それは神仏儒の混合宗教、即ちシンクレティズムと言えなくもないが)をもって天地創造の神、聖書の神、原理の神を語りたいと思っている。かって聖書と原理、キリスト教とUCの橋渡しを目指したように、いわば、日本教と聖書(原理)との橋渡しであり、筆者のささやかな愛国心の表現でもある。

さて日本にも多くの優れた愛国者がいた。内村鑑三は著書『代表的日本人』のなかで、西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮の5人の愛国者を選んで論評し、日本人にも高尚な精神や宗教心があることを世界に示した。また執行氏は「日本における代表的な愛国者」について、天皇への忠義を貫いて戦死した楠木正成、明治維新の思想的核として、志士たちに思想的影響を与えて29才で処刑された吉田松陰、敬天愛人の信念で日本の近代国家形成に貢献し、西南戦争で戦死した西郷隆盛、明治の精神性を代表し、明治天皇に殉死した乃木希典、日露戦争でロシア艦隊を撃破した稀代の数理戦略家東郷平八郎を挙げている。これら日本を守り育てた愛国者たちに感謝の思いを伝えたい。
ところで筆者は、5年前配偶者を亡くしたが、亡くなる前3年間は文字通り寝たきりの状態であった。この寝たきりの3年間、国と自治体(横浜市)からの手厚い福祉の恩恵を享受した。また、世界一と言ってもよい治安と、豊かで美しい日本の自然を享受している。こうして祖国日本から多くの恩恵を受けた筆者は、
この恩義を返さなければならない。
しかし今、その日本がUCの解散問題に関連して、運勢を失いつつある現実をいたく憂いている。かってアブラハムが、罪が重いソドム、ゴモラを神が滅ぼそうとされるのを見て、必死に引き留めた聖書の一節を想起する。アブラハムはこう言った。
「アブラハムは言った、『わが主よ、どうかお怒りにならぬよう。わたしはいま一度申します、もしそこに十人いたら』。主は言われた、「わたしはその十人のために滅ぼさないであろう」(創世記18.32)
神はアブラハムの真心に応えて、もし義人が10人いたら、その10人の故にソドム・ゴモラを滅ぼさないと約束されたというのである。筆者もまた、このアブラハムと同じ心境に立ち、「神よ、この統一信徒の神への一途な信仰を受け取って下さり、日本を滅びの道からお救い下さい」と祈るばかりである。
つまり筆者における愛国心とは、日本をして「いかに神に結びつけるか」ということに他ならない。然り、日本から去り行く神を「いかに引きとどめるか」、これが為すべき最大の課題かと.....。
以上、「『為に生きる』価値転換とは-家族、信仰共同体(UC)、そして祖国日本の為に」とのテーマで持論を述べた。筆者は今、宇宙的な究極的宗教真理と出会い、かつ確信し、ホームページに500本を越える文書(神の言葉の解説文)を残し得たので、個人としては、もはやこの世に一切の未練はない。故に今後は、利己から利他への完全な価値転換を為し、利他、即ち愛する家族、愛する信仰共同体(UC)、愛する祖国日本のために何が出来るかを真剣に問いたいと思う。即ち、家族に寄り添い、信仰共同体のリバイバルを喚起し、祖国を神に繋げることを以て天職としたい。
然り、存在の一切が「為に生きる」であるべきであり、本を読むのも、ペンを取るのも、寝食するのも、一切を利他の精神でありたいと願う。願わくば、今まで神が共にあって導いて下さったように、我らの行く手を照し、なすべきことを示して下さるよう祈念してやまない。(了)
牧師・宣教師 吉田宏



