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ネヘミヤ記 注解 城壁の建設と律法の読み聞かせ

🔷聖書の知識89-ネヘミヤ記注解ー城壁の建設と律法の読み聞かせ

彼らはわたしに言った、「かの州で捕囚を免れて生き残った者は大いなる悩みと、はずかしめのうちにあり、エルサレムの城壁はくずされ、その門は火で焼かれたままであります」と。(ネヘミヤ1.3)


原理の復帰摂理歴史観によれば、モーセを中心とした第三次民族的カナン復帰路程は、紆余曲折はあったものの、モーセを引き継いだヨシュアと荒野で生まれた内的イスラエルの民によって成し遂げられることになります。


このヨシュアと民は、契約の箱を信奉し、ヨルダン川を渡りエリコを陥落させて、遂にカナンに入りました。


こうして第三次の民族的カナン復帰路程の「実体基台」がつくられ、その結果として、

初めて「メシヤのための民族的な基台」が造成されるようになったのでした。即ちこの民族は、全人類を代表して「来るべきメシア」を迎える民になったというのです。


しかし、その時既に、メソポタミア、エジプトなど、強大な異教徒の王国が建設され、イスラエルと対峙していましたので、ヨシュアを中心として「メシヤのための民族的な基台」が立てられたといっても、その基台の上でサタン側と対決することのできる天の側の王国が建設されるときまでは、メシヤは降臨なさることができなかったのであります。(原理講論P399)


従って、その後のイスラエルは、メシアを迎えるべき民族として、内外の基盤を造成する歴史を形成していくことになります。その後の士師時代、王国時代、バビロン捕囚後の時代がそれであります。


今回のネヘミヤ記は、前回のエズラ記と並んで、捕囚後のイスラエルが如何にしてメシアを迎える民としての内外の基盤を形成していったのか、特に、「普遍的唯一神思想の確立」と律法の確立即ち「ユダヤ教の形成」に注目していきたいと思います。


【ネヘミヤ記の概観】


前回も述べましたが、歴代誌、エズラ記、ネヘミヤ記は「歴代誌史家」とよばれる同じ著者グループの作品であるというのが定説であるようです。


エズラ記は神殿の再建と信仰の回復に焦点を合わせた書、ネヘミヤ記は城壁と生活の改善、及び律法の確立に焦点を合わせた書であります。両書には、神殿を再建したゼルバベル、民に律法を教え、霊的覚醒をもたらしたエズラ、城壁を再建し民の社会生活と経済生活を確立させたネヘミヤが主人公として描かれています。


<ネヘミヤ記の概略>

題名は、捕囚からの解放後、エルサレムに派遣されたペルシャの総督で、エルサレムの城壁を再建し、民族の復興に尽力したとされる人物ネヘミヤに由来しています。


ネヘミヤは、ペルシヤ王アルタシャスタ1世(前5世紀)の献酌官(宮廷で仕える高官)で、知識、知恵、判断力、人格的な信頼性などを併せ持っていた人物と言われています。


全体の内容としては、a.ネヘミヤのエルサレム行き(1~2章)、b.エルサレムの城壁の再建と妨害(3~7章)、c.民の登録(7章)・律法の朗読(8章)・罪の告白と契約の締結(9と~13章)、となっています。


<ネヘミヤとエズラによる改革>

エルサレムの惨状を耳にしたネヘミヤは、ペルシャ王にエルサレム再建の許可を得て、前445年エルサレム到着し、数々の妨害に合いながらも城壁の再建を完成させました。


また民の城内移住、負債の免除、財産の返還、祭儀制度の整理、安息日の厳守、雑婚の禁止など社会・祭儀改革を行い、エルサレムの都市と生活の再建を諮りました。


そしてユダヤ教の父と言われるエズラは、民族のアイデンティティーの確立、即ち律法の読み聞かせや律法の解説などの律法教育、雑婚の解消、仮庵祭の挙行などを行いました。


【城壁の再建】( 1 ~ 6 章)


<準備>( 1 ~ 2 章)

ネヘミヤは、ユダから来たハナニという人物によって、エルサレムの惨状を知らされました。エルサレムの城壁はくずされ、その門は火で焼き払われ、生活は困難を極め、周辺からのそしりを受け、外敵の攻撃があれば、町を守ることができない状態にあるというのです。(ネヘミヤ1.3)


ネヘミヤは深く悲しみ、断食と祈りを行い、遂に宮廷での快適な生活を捨て、自らを帰還民の立場に置いたのでした。


それから4ヵ月間、ネヘミヤは沈黙していましたが、王から質問を受けたのを機会に、エルサレムへの一時帰還を申し出ました。


王から川向こうの総督たちへの手紙や、材木を調達するためにアサフへの手紙も得ました。王の許可が出たのは神の恵みのゆえであると告白し、およそ2ヶ月かけて、エルサレムに帰還しました。


先ず夜間に、密かに城壁の調査を行い、その情報を基に綿密な計画を立て、そして計画を発表しました。


彼は、各人に具体的な任務を割り当てました(3章)。即ちそれぞれの居住地に近い場所に仕事を割り当て、またエルサレム郊外に住む者たちにも、仕事場が与えられました。


しかし、城壁の再建を嫌う者らは、あざけり、暴力、落胆、恐れ、利己的要求など、あらゆる狡猾な手段で中傷、脅迫をしてきたのです。(4~6章)


しかし、こうして城壁は完成しました。52日で完成し、最初にエルサレムの惨状を知ってから1年弱で城壁の修復工事が完了したことになります。


城壁が完成したという知らせは、ユダヤ人の敵たちを驚かせました。彼らは、背後にイスラエルの神がおられることを認めざるを得なかったのです。。


「こうして城壁は五十二日を経て、エルルの月の二十五日に完成した。われわれの敵が皆これを聞いた時、われわれの周囲の異邦人はみな恐れ、大いに面目を失った。彼らはこの工事が、われわれの神の助けによって成就したことを悟ったからである」(6.15~16)


【民の生活の再建】( 7 ~ 13 章)


<民の登録>( 7 章)

人口調査を実施し、民を把握すると共に、この町を純粋なユダヤ人の血統の者たちによって満たそうとしました。


ゼルバベルや他の指導者たちとともに帰還した人たちの系図が発見されましたが、エズラ記2章の系図が神殿に保管されていたと思われます。


人々は、自分たちの先祖の地に住み着きましたが、ネヘミヤが意図したのは、エルサレムを本物のユダヤ人で満たすことにあり、こうして霊的覚醒は、最も基本的な民の把握から始まりました。


<エズラによる律法の朗読>( 8 章)

城壁が完成すると、民はエズラから律法を学ぶことを渇望し、彼らは、自分たちの町々を出て、水の門の前の広場に集まって来ました。


第7の月の1日は、ラッパの祭りの日(レビ23.24、民29.1)で、宗教的カレンダーでは新年に当たります。


エズラが朗読する律法の書(モーセの五書)に老若男女が耳を傾け、それが、夜明けから真昼まで続いきました。


「水の門の前にある広場で、あけぼのから正午まで、男女および悟ることのできる人々の前でこれを読んだ。民はみな律法の書に耳を傾けた」(8.3)


聞いた人たちは、それを理解し、2週間後、ヨシュア時代以来忘れていた「仮庵の祭り」を実行しました。


<罪の告白と契約の締結>( 9 ~ 13 章)

仮庵の祭りは第7の月の22日に終わり、そして24日に再度民は集まりました。


目的は、「自分たちの罪と、先祖の咎を悔い改めて告白」するためでした。断食、荒布、頭に土をかける、などして、悔い改めの証としました。


集ったユダヤ人たちは、全員が外国人の妻との離縁を実行した人たちであり(イスラエルの残れる者)、昼の間の約3時間、立ったままで律法の朗読を聞き、そして次の3時間、彼らは自らの罪を告白し、主を礼拝しました。


「そしてイスラエルの子孫は、すべての異邦人を離れ、立って自分の罪と先祖の不義とをざんげした。彼らはその所に立って、その日の四分の一をもってその神、主の律法の書を読み、他の四分の一をもってざんげをなし、その神、主を拝した」(9.2~3)


そして、律法を守ることを証するため、契約を締結しました。


ネヘミヤ記9.5~10.39は、古代中近東の宗主権契約の形式で書かれています。即ち、契約の前文(9、5~6)、歴史の回顧(9.7~37)、契約の承認と条項の確認(10.30~39)、という形式になっています。


「このもろもろの事のためにわれわれは堅い契約を結んで、これを記録し、われわれのつかさたち、レビびとたち祭司たちはこれに印を押した」(9.38)


そうして城壁の奉献式が行われました。この成功は、明確な使命感、なすべき優先順位、達成可能なゴールの設定、祈りと神の関与の確信、などネヘミヤのリーダーシップに負うところが大と言わねばなりません。


「さてエルサレムの城壁の落成式に当って、レビびとを、そのすべての所から招いてエルサレムにこさせ、感謝と、歌と、シンバルと、立琴と、琴とをもって喜んで落成式を行おうとした。そして祭司とレビびとたちは身を清め、また民およびもろもろの門と城壁とを清めた」(12.27~30)


こうして、国家の崩壊とバビロン捕囚を経たイスラエルは、ゼルバベル・エズラ・ネヘミヤらにより、神殿の再建、城壁の建設、生活の改革、そして律法の復興と祭儀の改革(ユダヤ教の形成)がなされ、メシアを迎える民としての備えが整えられていきました。


【バビロン捕囚と解放を考察する】


<バビロン捕囚時代のイスラエル>

バビロン捕囚時代のイスラエルには、捕囚とはいってもかなりの自由、自主性が認められ、中にはネヘミヤのように王の信頼を得て王宮に仕える者や裕福になる者もいました。それは、 ペルシアによる解放後もかなりの数のユダヤ人が自発的にバビロンに留まったことにも示されています。


そして、イスラエル王国を滅ぼしたアッシリアは、人々を強制的に分散させ、イスラエルの地には他から入植者を移住させましたが、ユダ王国を滅ぼした新バビロニアは、集団としてまとまってバビロンに連行し、またその跡地イスラエルには他民族から入植させませんでした。


そのため、解放された人々が戻ったときには比較的民族としてのまとまりを維持することができたのです。しかし、かつてのイスラエル12部族の内、バビロン捕囚後も存続できたのはほとんどがユダ王国の中心部族だったので、バビロン捕囚後は「ユダの民」つまり「ユダヤ人」といわれるようになりました。(山我哲雄著『聖書時代史』旧約篇P170~172)


かと言っても、神が約束したカナンの地への郷愁と帰還への思いは抑えがたく(詩篇第137篇)、キュロス王による解放は、特に信仰深い人々にとって、これ以上ない喜びだったことは想像にかたくありません。


しかもベルシャ帝国は、宗教的な寛容政策をとりましたので、ユダヤ教などの民族宗教はそのまま信仰を認められました。


<苦難の神義論>

さてイスラエルにとって、国と神殿の崩壊、捕囚、そして帰還という未曾有の出来事は、一体何だったのか、メシアを迎えるべく摂理された民にとって何を意味するのでしょうか。


このことについては、前回のエズラ記注解でも述べたところであり、重複するところもありますが、ネヘミヤ記を踏まえ、改めて考えて見たいと思います。


善なる神が造った世界に何故悪が存在するのか、悪人が栄え善人が何故苦しみにあうのか、異教徒の国が繁栄し神に選ばれたイスラエルが何故国難に逢わなければならないのか、これらを論議し、神にその責任がないこと、即ち神の正統性を論じる神学を(苦難の)「神義論」又は「弁神論」と呼んでいます。


バビロニアに滅ぼされたイスラエルにとって、バビロンの神マルドゥクは、イスラエルの神ヤハウェよりも強く正しい神なのでしょうか、揺らぎ始めたヤハウェへの信頼性は、イスラエルが直面した最大の信仰上の問題でした。


何故なら、当時の古代国家においては、国家と神は不離不即の関係にあり、国と国との戦いは、即国家神と国家神との戦いだったのです。従って、戦いに破れた神は、捨てられて消えていく運命にありました。


この問題において、イスラエルのイザヤ、エレミヤ、エゼキエルなどの預言者や、申命記改革の流れを汲む祭司・神学者ら、いわゆる「イスラエルの残れる者」は、新たな神観念を見出だしていきました。神の再理解であります。


第一は、民族的唯一神から普遍的唯一神への昇華、即ち文字通り、拝一神教から唯一神教への転換・昇華であります。神はイスラエルの神であると共に、世界を創造した超民族的、超国家的な普遍神であるという明確な唯一神の神理解であります。


その普遍的な神は、アッシリアを使って北イスラエルを、バビロニアを用いて南ユダを打たれたというのです。


第二に、神がイスラエルを打たれた理由の再解釈であります。神がイスラエルを打たれたのは、決してヤハウェが弱くだらしない神であるからではなく、イスラエルが律法の戒め・おきて・定めを守らなかったこと、即ち民の「不信仰」にその原因があるというのです。


イスラエルが滅ぼされた責任は、専らイスラエル自身にこそあり、神に責任はないというわけです。こうして神の正統性は保たれました。


従って、失われた神との繋がりは、民の「悔い改めと回心」によって回復されることになります。試練を恵みに変える力は、神の言葉(律法)であり悔い改めであるというのです。ネヘミヤ記9:2に「そしてイスラエルの子孫は、すべての異邦人を離れ、立って自分の罪と先祖の不義とをざんげした」とある通りありです。


こうしてイスラエルは、神殿・王・指導者・土地・など全てを失いましたが、そのどん底で、「真の神」と出会いました。


そしてイスラエルが神と神の言葉(律法)に立ち返れたのは、かって神から愛された「思い出」、即ち民族の記憶だったというのです。神がエジプトの奴隷から贖われた思い出、紅海を割り、雲の柱・火の柱で導かれ、マナとウズラを与え、シナイでは十戒を与えられた「神との愛の思い出」であります。この民族の記憶を手がかりに、イスラエルは神に立ち返ったというのです。(加藤隆著『一神教の誕生』P80)


エズラはネヘミヤ記9.6~37において、神の天地創造から始まり、アブラハムの召し、モーセによる出エジプト、そしてカナンに定着するまでの、神に導かれた歴史を回顧し、神に賛美と感謝を捧げています。


<祭儀の改革>

また神殿なきあと、イスラエルはいかにしいて信仰を維持したのでしょうか。


イスラエルにとって神殿における祭儀と犠牲は、神との関係を保証する重要な信仰行為でしたが、その神殿を失った民は、会堂に集まり、神の言葉、即ちモーセの律法を中心に信仰を維持していきました。ユダヤ教の成立です。


そして律法が定める「安息日・割礼・食物規定」を守ることで、イスラエルを異教徒から区別する標識とし、民族のアイデンティティーを形成していきました。このアイデンティティーは、その後のディアスポラの中でも維持され、国なき民族の結束を示す紐帯の役割を果たしました。



以上、ネヘミヤ記を見て参りました。エズラ記、ネヘミヤ記は、捕囚後のイスラエルの再建がテーマであり、上記に見てきたとおり、その後のユダヤ人・ユダヤ教にとって内外共に重要な意味を持つ記録でした。次回は捕囚時代に起きた実話とも言うべき『エステル記』を解説していきます。(了)





上記絵画*ネヘミヤのもとでエルサレムの壁を再建(ウイリアム・ブラッシー・ホール画)

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