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ルツ記 注解 - ルツとナオミの物語

🔷聖書の知識83-ルツ記注解ールツとナオミの物語


しかしルツは言った、「わたしはあなたの行かれる所へ行き、またあなたの宿られる所に宿ります。あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神です(ルツ記1.16)


『ルツ記』は士師時代の物語であり、ヘブライ聖書におさめられたモアブ人女性、「「ルツ」の物語であります。著者は不明ですが、ユダヤ人の伝承ではサムエルとされており、題名に女性の名が冠されているのは、ルツ記とエステル記の二つだけです。ちなみに18才で夭逝した内村鑑三の一人娘は「ルツ子」といい、内村は娘の名前をこのルツ記からとって名付けました。このようにユダヤ・キリスト教では、ルツは人気のある女性であります。


ルツ記は、異邦人のモアブ人であるルツが、メシアにつながる家系の中で重要な役割を果たすことを語ることで、救いの歴史において選民ユダヤ人にとらわれない神の救いの広さを語っていると言われています。そしてルツ記の大きなテーマは「贖い」であります。


【ルツ記の概観】


筆者はある信者姉妹に、「聖書に出てくる女性の中でどの女性に一番惹かれますか」と尋ねたところ、意外な言葉が返ってきました。ルツ記の中のルツではなく、しゅうとめの「ナオミ」だというのです。なぜナオミだと言ったのか、以下、ルツ記の物語を見ていきます。


<モアブへの移住>


『士師記』の時代、ユダのベツレヘム出身である「エリメレク」は、飢饉のため、妻であるナオミと二人の息子(マロンとキリオン)を伴ってモアブの地に移り住みました。


モアブは、ヨルダン川東岸の高原地帯にあり、モアブ人の祖先は、ロトであります。二人の姉妹の姉が父ロトによって産んだ子がモアブ、妹が父ロトによって産んだのがアンモン人の祖先ベン・アミであります。(創19.30〜38)


そしてイスラエル人には、モアブ人を罪に汚れた民族と見る傾向がありましたが、肥沃な農業地帯で、羊やヤギの牧畜も盛んでした。


<エリメレクと息子の死亡、しゅうとめナオミと二人の嫁の物語>


二人の息子はその地の娘達と結婚しますが、やがてエリメレクと二人の息子は、妻ナオミと二人の息子の妻オルパとルツを残したまま死んでしまいます。


その後ナオミは、主がカナンの地に豊かな収穫を与えてくださったと聞き、故郷ベツレヘムに帰還することを決意し、2人の嫁といっしょに住み慣れたモアブの地を離れて帰路につくことになりました。しかし、2人の嫁にとって一番幸せなのは、よい伴侶を見つけて再婚することであると思ったしゅうとめのナオミは、2人の嫁を実家に帰す決断をしました。


「どうぞ、主があなたがたに夫を与え、夫の家で、それぞれ身の落ち着き所を得させられるように。こう言って、ふたりの嫁に口づけしたので、彼らは声をあげて泣いた」(ルツ1.9)


しかし二人の嫁は「いいえ、わたしたちは一緒にあなたの民のところへ帰ります」と言って、しゅうとめのナオミと共にベツレヘムに行くことを願いました。既に若くして未亡人になったオルパとルツは、自分の幸せよりもナオミと共にあることを願ったというのです。心からしゅうとめのナオミを慕っていたからです。しかしナオミは彼女たちにこう言い聞かせます。


「娘たちよ、帰って行きなさい。どうして、わたしと一緒に行こうというのですか。あなたがたの夫となる子がまだわたしの胎内にいると思うのですか。娘たちよ、帰って行きなさい。わたしは年をとっているので、夫をもつことはできません。たとい、わたしが今夜、夫をもち、また子を産む望みがあるとしても、そのためにあなたがたは、子どもの成長するまで待っているつもりなのですか。あなたがたは、そのために夫をもたずにいるつもりなのですか。娘たちよ、それはいけません。主の手がわたしに臨み、わたしを責められたことで、あなたがたのために、わたしは非常に心を痛めているのです」(ルツ記1.11~13)


彼らはまた声をあげて泣き、そしてオルパはそのしゅうとめに口づけしてモアブの実家に帰る事になりましたが、ルツは実家に帰ろうとはせず、しゅうとめを離れなかったというのです。ルツはナオミにこう言いました。「あなたを捨て、あなたを離れて帰ることをわたしに勧めないでください。あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神です」(ルツ記1.16)


この二人の嫁としゅうとめナオミの話はなんと美しく気高い物語でしょうか。二人の嫁、特にルツには、ナオミへの愛情、イスラエルの民への思い、イスラエルの神への信仰がありました。ナオミから常々イスラエルの神について話を聞かされていたからです。 そしてそれにもまして、このように二人の嫁から心から慕われるナオミの人間性や心情の深さに感動せざるを得ないものがあります。夫を亡くし子供がいなかった若い嫁たちは、当然のことながらしゅうとめのもとを離れ、第二の人生を出発してもいいはずなのに、このしゅうとめのもとを離れるのをよしとしなかったというのです。


<落ち穂広い、ルツとボアズの出会い>


こうしてナオミと嫁のルツは、エリメレクの故郷ベツレヘムに旅立つことになりました。そして異邦人モアブの女であるルツは、「あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神」との信仰告白によってイスラエルの民が受ける祝福に与ることになったというのです。


二人がベツレヘムに帰還したのは、大麦の刈り入れのころ、つまり春先のことでありました。ベツレヘムに帰り、そうしてルツは畑で麦の落穂を拾うことになります。古代パレスチナでは居留民など貧しい人が刈り入れ時の落穂を拾うことは、一種の権利として認められていたのです。落ち穂拾いは、レビ記にその規定があります。


「あなたがたの地の穀物を刈り入れるときは、その刈入れにあたって、畑のすみずみまで刈りつくしてはならない。またあなたの穀物の落ち穂を拾ってはならない。貧しい者と寄留者のために、それを残しておかなければならない」(レビ記23.22)


こうしてルツが落ち穂拾いに行った畑の所有者は、はからずもエリメレクの親戚にあたる、「ボアズ」という人物でした。ボアズは資産家で、律法をよく理解し、人格的にも優れた人物でした。ちなみにボアズの母親はヨシュアの斥候を匿った「ラハブ」(ヨシュア記2.4)で、やはり異邦人でもともとは遊女でした。


「ルツは行って、刈る人たちのあとに従い、畑で落ち穂を拾ったが、彼女ははからずもエリメレクの一族であるボアズの畑の部分にきた」( ルツ記2.3)


そしてその日ルツは、大麦1エパ(23リットル)を集めることができました。驚いたナオミは、その畑の所有者を祝福しようとして、その名を聞き、それがボアズであることを知って、さらに驚きました。 このボアズはその後ルツに心をかけ、ルツの落ち穂拾いを大いに配慮し助けました。


ボアズはナオミの近親者で、「買い戻しの権利」のある親戚のひとりだったのです。「買い戻し」とは、お金に困って土地を手放したり、夫が子を残さずに死んだ場合、買い戻しの権利のある縁者がその土地や妻を娶り、死んだ者の名を残すようにと、命じられているものです。(申25.5〜10)。


ナオミはエリメレクの畑を売ることにしていましたが、ナオミはボアズが「買い戻しの権利」を有する人物であることに気づき、ルツを自分自身の代わりに買い戻しさせるため、彼女にボアズの床に入るよう勧め、ルツはその言葉に従いました。


「彼は今夜、打ち場で大麦をあおぎ分けます。それであなたは身を洗って油をぬり、晴れ着をまとって打ち場に下って行きなさい。そしてその人が寝る場所を見定め、はいって行って、その足の所をまくって、そこに寝なさい。ルツはしゅうとめに言った、『あなたのおっしゃることを皆いたしましょう』」(ルツ3.2~5)


この箇所に書かれていることは、「押しかけ婚」とも言えるルツの大胆な行動とも言えなくもありませんが、これは不道徳なことではなく、当時のユダヤの慣習でもあり、またルツはモーセの律法と姑の助言に従って行動していたのです。ここでもしゅうとめナオミの嫁を思う知恵深い配慮が感じられます。ちなみに今日でも、ユダヤ式結婚式では、この習慣が実行されていて、夜中に自分がやって来た理由を、「あなたは買い戻しの権利のある親類ですから」と説明してます。


ルツが、誠意をもって買い戻しを要求していることの全ての事情を察し、またルツに好意を持っていたボアズは、自分よりも買い戻しの権利が先にあるもう一人の人物がいることをルツに告げ、その夜彼女には一切触れることなく、ナオミへの贈り物をルツに持たせて彼女を家に帰らせました。


<ボアズによる買い戻し>


その日、ボアズは買い戻しの権利を持つもう一人の親族が、結局買戻しを断ったので、その親族に掛け合い、10人の証人(長老)の前で、親族としての責任の履行権を譲り受けました。「死んだ者の名を、その身内の者たちの間から絶えさせないために」、土地をルツと共に買い戻したのです。


「すると長老たちは言った、『わたしたちは証人です。どうぞ、主がこの若い女によってあなたに賜わる子供により、あなたの家が、かのタマルがユダに産んだペレヅの家のようになりますように』」(ルツ4.11~12)


こうしてボアズはルツを正式な妻として迎え入れることとなりました。ボアズの妻となったルツは、ダビデの祖父にあたる息子オベデを生みました。こうして行き着く先は「ひとりの男の子」です。ルツ記の物語の行き着くところはこの「ひとりの男の子」に向かっており、その男の子の名は「オベデ」で、主はルツを「みごもらせた」(4.13)とあります。ルツをみごもらせたのは主だったとうのです。


そしてこのオベデはエッサイの父となり、そのエッサイから、ダビデが誕生し、そのダビデの子孫からメシアが誕生することになります。かくして異邦人ルツは、メシアの家系につながることになりました。


ちなみにルツは、マタイ伝1章の、メシアの系図に出てくる4人の女性の一人として記載されています。男系中心の古代イスラエルの系図に、マリア以外に4人の女性が登場いたします(マタイ1.1~16)。即ち、タマル、ラハブ、ルツ、バテシバの4人で、しかも、皆異邦人の訳あり女性達であり、いわくつきの形で子を身籠っています。そしてこれらの女性が、メシアの家系のキーパーソンになったという話であり、このような聖書に示された暗示的な物語は、他の如何なる宗教教典にもない、聖書だけにしかない天の秘密が込められた啓示であります。この事一つを取っても、聖書が唯一の正統な神の啓示の書であるかが分かります。


<レビラト婚、買い戻しについて>

上記のように、兄が子供を残さず、死んだ場合に弟が兄の妻をめとることで家系を存続させるこの仕組みを「レビラト婚」といい、申命記にその規定があります。タマルも夫エルの死後、夫の弟オナンと結婚しました(創世記38.6~8)。


「兄弟が一緒に住んでいて、そのうちのひとりが死んで子のない時は、その夫の兄弟が彼女の所にはいり、めとって妻とし、夫の兄弟としての道を彼女につくさなければならない。そしてその女が初めに産む男の子に、死んだ兄弟の名を継がせ、その名をイスラエルのうちに絶やさないようにしなければならない」(申命記25.5~6)


また、買い戻しとは、事情があって土地を手放さなくなった場合、 親族がそれを「買い戻さなければならない。」 (レビ25.25)とされ、いたずらに土地が人手に渡ることがないようにするために定められました。宗教的には、買い戻しとは、即ち「贖い」という意味です。


しかし、落ちぶれた人間を買い戻す(贖う)ことはリスクが大きいのです。それゆえ、ボアズのルツに対する愛がなければ買い戻すということはあり得ません。しかし、ボアズは自分の損得を考えずに、エリメレクの財産を買い戻し、合わせてルツとナオミの生涯までも責任を負うことを公の前で告白したのでした。


ナオミとルツにとってボアズはまさに神が備えてくださったゴーエール(買い戻す資格のある者。贖い主)でした。ナオミの巧みな計らいがあったとしても、そもそも異邦人であるルツに偏見をもつことなく、真実な愛をもって妻として迎え入れるボアズも立派です。このボアズとルツが「はからずも」出会ったことが、メシアの家系につながる子をもうけ、彼女の生涯が祝福されることになった要因でした。その背後にはだれも知ることのない神の深い計画が隠されていたのです。


【目に見えない神の摂理】


このルツの物語ほど、目に見えない神の霊妙なはかりごとを感じる記録はありません。


<キリストの型、教会の型>


この『ルツ記』には「贖い」という重要な概念が登場します。ボアズはルツを買い戻した(贖い)という意味で、人類を罪から贖われたイエス・キリストの型であると言われています。またルツは、ボアズの花嫁となったという意味で、教会の型であります。ルツは、異邦人の女でしたが、ボアズに買い戻されたことにより、メシアの系図に名を連ねるようになりました。重要なことは、モアブ人であるルツがイスラエル人の慣習に従い、その律法に従ってイスラエルの子孫の存続をなした、という事実にあります。


神は人類を創り出したとき「生めよ、増えよ、地に満ちよ」と宣言しており、レビラト婚の習慣はまさに、それを実現するための手段でもあります。


ルツ自身は既に寡婦であり、姑から再婚の承認も得ていながら、それを謝絶してイスラエル人として生きることを選択しました。これが、彼女が聖書中の一篇に名を冠することのできた理由であり、その子孫がイスラエルの世襲の王となり、ひいては救世主を出す恩寵につながったというのです。


<背後にある神の摂理>


神の目に見えない手を「摂理」といいます。奇蹟は超自然現象でめったに起こりませんが、摂理は召された人の背後にあって、明らかに存在する目に見えない神の働きであります。 このナオミとルツの母子の話しほど美しく、そして神の摂理を、ありありと思い起こさせる物語はありません。


私たちの信仰人生を振り返っても、その時々に神が導かれた足跡を見出だし、自らを摂理されていた神を実感することでありましょう。筆者とて同様であり、目に見えない神の御手が、全体として確かに摂理して下さっていることを否定できません。


以上の通りルツ記を見て参りました。義母の嫁への思いやり、嫁の義母への愛、背後にある神の恩寵、なんと爽やかで心打たれる物語ではありませんか。内村が我が娘をこのルツ記から命名した思いが伝わってきます。当にこれぞユダヤ文学の真骨頂です。(了)




*上記絵画:落穂を拾うルツ (ユーグ・メルル画)

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