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人生の頂点へ 健康寿命を考える

  • 8 時間前
  • 読了時間: 10分

🔷徒然日誌(令和8年6月17)  人生の頂点へー健康寿命を考える

 

正しい者はなつめやしの木のように栄え、レバノンの香柏のように育ちます。 彼らは年老いてなお実を結び、いつも生気に満ち、青々として、 主の正しいことを示すでしょう(詩篇92.12~15)

 

プロローグー「悔いなし」と言えるか

 

筆者は本年9月2日で傘寿(80才)を迎える。実は筆者はこの歳まで元気に生きておれるとは思っていなかった。40才代で胆嚢を取り、今まで2回の心臓手術をしているからである。その意味で筆者はこの歳まで元気に生きてこれたことを、天地を創造された神に感謝したい。還暦(60才)にも、古稀(70才)にもそう感慨はなかったが、やはり傘寿となると感慨が深い。何故なら男性の平均寿命は81才(女性は87才)であるので、筆者はいつ死んでもおかしくないからだ。

 

さて筆者は、前回・前々回の徒然日誌で、「死とは何か」「死への覚悟」「如何に死ぬか」について、「死生観」を考察した 。(三島由紀夫の自決→https://x.gd/yw5MM 、絶滅収容所における死生観→ https://x.gd/L8i2w )。 文鮮明著『平和を愛する世界人として』には、「死を語らないまま生を語ることはできません。生の意味を知るためにも、死とは何かを知らなければなりません」(P238)とあるからである。

 

しかし今回は、「如何に死ぬか」という死生観を土台に、「如何に生きるか」、生涯現役であるために「いかに健康を保つか」について、即ち「生きる意味と健康寿命」について考えたい。

 

聖書は、「長く生きること」そのものよりも、神との正しい関係の中で生きること、そして「生死を神の意思に委ねる」ことを重視している。つまり、「健康で意味ある寿命を全うする」ことは、単なる長寿ではなく、生き様の問題である。使徒パウロ は人生の終わりに、「 わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした」 (2テモテ 4.7)と言ったが、これは、完璧な人生を送ったという意味ではなく、与えられたみ旨を最後まで全うし、信仰を守り抜いたという告白である。

 

モーセは、「われらのよわいは七十年、健やかであっても八十年」(詩篇90.10)と述べ、「われらにおのが日(生涯の日)を数えることを教えて、知恵の心を得させてください」(詩篇92.12)と祈ったが、これは、有限な与えられた日々を、知恵と愛をもって生き抜くことこそ、真の生き様であるという深い洞察を表している。この場合の知恵とは単なる知識や頭の良さではなく、「主を恐れることは知恵の初め」(箴言9.10)とあるように、神を知ること、神を敬うこと、善悪を見分けることの知恵である。

 

また精神科医の ヴィクトール・フランクル は著書『夜と霧』において、「人生の有限性こそが、人間の責任と意味を生み出す」と述べた。もし人生が無限なら、「今日」という日の価値は薄れるが、しかし、人は有限だからこそ、「今、自分は何をなすべきか」を真剣に考えるというのである。彼は、「人生の意味」を抽象的に問うのではなく、「人生から問いかけられているのは私たちであり、私たちは人生に対して責任をもって答えなければならない」と述べている。

 

従って「寿命を全うする」とは、未完の人生ではあっても、自分に託された務めをどこまで果たし得たかということである。パウロのように「戦いをりっぱに戦いぬいた」とまでは言えなかったとしても、「年老いてなお、いつも生気に満ち、青々としている」 (詩篇 92.14)こと、そして人生最後の日に、「悔いなし」と言えるかどうかが問題である。

 

【生き甲斐と健康寿命について】

 

では、老いてなお、「いつも生気に満ち、青々」とし、「人生悔いなし」と言えるためには、何が必要なのだろうか。

 

<信仰者に老いはない>

 

筆者はかって船橋の聖書セミナーで、「信仰者の特権とは何か」と問い掛け、そして信仰者の特権とは「歳を取らないことである」と明言した。 何故信仰者は歳を取らないのか、それは永遠なる存在とつながり、永遠なるみ言を学び、永遠なるキリストに帰依し、永遠なるみ旨を有し、永遠なる霊界を信じているからである。即ち、「神」「み言」「キリスト」「み旨」「霊界」、この5つには永遠という共通項があり、これらは私たちの宝であり、目標であり、生き甲斐であり、若さを与えてくれる源泉である。こうして永遠に向かって生きる私たちには、定年も、リタイアも、老後もない。(参照-信仰者の特権→ https://x.gd/TV7Ui )

 

クリスチャンで作家の曽野綾子さん(1931年9月17日~ 2025年2月28日、享年93才)は、2018年1月21日早朝、西部邁(すすむ)が自殺(自裁死)した際、サンケイ新聞のコメント欄で自殺を戒めた上、「人間には、老いてなお意外な人生の展開があるかもしれない」とコメントした。私たちの行く手には、人間が差配できない領域があり、神意(Godswill)による「意外な人生の展開」があるかもしれないというのだ。

 

ところで曽野さんは夫の三浦朱門さんの介護を、数年間自宅でしたが、人の終末期にやってはいけないことは、「点滴」、「胃ろう」、「気管切開しての酸素吸入」だという。先般筆者も、長男夫婦に「一切の延命治療はしてくれるな」と伝えたところである。

 

<健康管理の秘訣>

 

さて、信仰者に老いはないことは分かったが、健康管理は重要である。為すべきことを為すためにも、また回りの負担にならないためにも、健康を保つことは必須である。

 

この健康管理については、どの本を読み、どの専門家の話を聞いても、結局、健康管理の大原則は、①食の管理、②適度な運動、③生き甲斐を持ち、ストレスを貯めないこと、この3点である。そしてその中でも、最も大切なものとして、「生き甲斐を持つ」ことの大切さを強調したいと思う。以下、これら3点について見ていくことにする。

 

①食の管理


先ず何と言っても健康管理の要諦は食生活にある。では、特に高齢者に取って大切な食の在り方とは何であろうか。ある食の専門家は摂取したい食材として、①卵、②納豆、③魚(鰯、サバ、鮭)、④無糖ヨーグルト、⑤バナナ、⑥リンゴ(皮付き)の6つを挙げた。またあるベテラン医師は、消化のよいたんぱく質食材として、粉豆腐、鮭の水缶詰(水煮缶)、鰹節の3つを挙げ、食べ過ぎは禁物だとした。また禁酒、禁煙が理想だという。

 

株式会社日本生物科学の執行草舟社長は、「腸内細菌」に代表される「菌」が生命の根源だという。故に、菌食、発酵食品の摂取を奨め、自らの会社で菌食を製品化し、サンデム、ガイアレンといった菌を活性化する菌食製品(菌の餌)の製造・販売を行っている。執行社長は菌の重要性を強調し、愛・信・義といった宇宙エネルギーを最初に受けとめるのが数百兆~数千兆もいると言われる「体内菌」であり、特に腸内細菌は為すべきことを脳に命令するという。そして菌の活性化は肉体の健康のみならず、精神の覚醒にも影響するという。

 

ちなみに体内菌は腸内に最も多く、次に口腔内(口の中)、皮膚表面に生息している。「腸内細菌」とは、人間の腸内(主に大腸)に生息する微生物の総称で、約1000種類、総数100兆〜1000兆個の細菌が棲みついていると言われている(人間の細胞は約60兆個と言われる)。腸内細菌には、ビフィズス菌や乳酸菌など、消化・吸収を助け、免疫機能を向上させ、悪玉菌の増殖を抑えて腸の運動を促す有益な働きをする「善玉菌」(約2割)と、腸内で有害物質を作り出し、腸内環境を乱す原因となる「悪玉菌」(約1割)がいるという。

 

腸内フローラ(菌の並び)の理想的なバランスは「善玉菌2、悪玉菌1、日和見菌7」と言われており、このバランスはストレスや偏った食生活、睡眠不足、加齢などによって崩れやすいため、善玉菌のエサとなるヨーグルト、納豆、キムチ、味噌などの「発酵食品」や、水溶性食物繊維(海藻類、大麦、豆類など)、炭水化物の一種であるオリゴ糖(玉ねぎ、ごぼう、大豆など)を積極的に摂ることが大事だという。

 

以上を勘案して、とりあえず筆者は、①納豆、②卵、③リンゴ(皮付き)を、可能であれば、④無糖ヨーグルトを日々必ず食することにした。だが筆者はこれらに加えて、「自分の体に合ったサプリメント」をお薦めしたい。



健康サプリメントは世に無数に出ているが(執行社長の菌食もその一つ)、自分に合うものに出会うことが肝心である。筆者は20年くらい前から、安価なこともあり、毎日「青汁」を飲んでいる。何か一つ健康管理のためにやっていることで精神的な「気休め」になると思ったからである。

 

ところが青汁を飲み始めて、それまで毎年一回、恒例行事のように風邪をひいていたところ、以後ほとんどひかなくてすんでいる。それまでにもいくつかのサプリメントを試したのだが、たまたま青汁が筆者の体に合ったという訳である。ともかく青汁を飲むことで、風邪を引かないこと、通じがいいこと、そして精神衛生上の気休めになるということ、この3つの効用があり、筆者としては重宝している。

 

②適度な運動


次に健康維持のためには、「適度な運動」は欠かせない。専門家は、歩くことや筋肉を付けるためにストレッチを奨め、6時間の熟睡が必要だという。とりあえず筆者は、朝の柔軟体操を日課にし、出来るだけ歩くことを心がけたいと思う。日本には江戸時代以来、歩く文化があり、歩くことは脳の気分転換にもなる。ちなみに石原慎太郎(89才没)や麻生太郎議員(85才)は毎朝ウオーキングを欠かさないという。

 

③生き甲斐と交友


さて、3番目にして最も重要な健康維持の鍵は、人生に「生き甲斐」を持つことであり、そして親しい友との「交友」を持つことである。多くの人は、定年で退職したり、高齢化すると、目的や生き甲斐を失い、人との交友が極端に少なくなって孤独・孤立化に見舞われる。故にストレスが解消できず認知が始まることになる。

 

この点、信仰者には「み旨」という永遠の聖業があり、「信徒の交わり」という貴重な交友がある。

 

「み旨」とは神のみ心や願いの中に生きること、即ち神の救いのご計画の中に与ることである。信仰者は、祈りを捧げ、み言(聖書)を学び、信仰共同体への同参を通して神の願いに応えることができる。信仰者は、各自の持ち味(賜物)を生かして、ある者は路傍伝道、ある者は文書や執筆による福音運動、ある者はボランティア活動、ある者は経済的寄与を通してみ旨に同参できる。このみ旨の道は永遠であり、信仰者にとって、人生最大の生き甲斐である。故にみ旨という生き甲斐、み旨という人生の伴侶を持つ信仰者には老いがない。

 

そして信仰者は「信徒の交わり」という宝がある。だが一般人は、定年退職したり、一線を引くと、ほとんどの人は人との交友がなくなり、高齢者はとかく孤独という宿命を背負う。だが信仰者には信徒の交わりがあり、神・み言・キリストを共有する信徒の関係は強く豊かであり、共に切磋琢磨し、共動し、助け合うことができる。まさに信徒の交わりはかけがえのない交友であり宝である。(参照-かけがえのない二つの宝→ https://x.gd/xzgGV  )

 

ちなみにみ旨という聖業を職業とする牧師は、老いてなおその活動は衰えない。ハーベスト・タイムの中川 健一牧師は(79才)は、毎週聖書講座を開催し、YouTubeで精力的に発信し、その研究意欲や福音宣教にいささかの衰えもない。大和カルバリーチャペルの大川 従道牧師(84才)、世界宣教教育センター所長の奥山実牧師(93才)もまたれっきとした現役である。


このように、神のみ旨(福音宣教)に携わる私たちは年齢に関係がなく、むしろ年と共に円熟し、命尽きるまで神のために働き、根源に帰っていくのだ。そしてそれが最大の喜びであり生き甲斐なのである。

 

【人生の頂点へ】

 

聖書に、「こうしてあなたは若返って、わしのように新たになる」(詩篇103.5)とある通り、老いてなお、「生気に満ち、青々と」(詩篇92.14)生きることの要諦を述べた。確かに、神を知る者と、そうでない人の老後の生き様には天と地の違いがある。一方は最後まで潔さと希望に満ち、他方は孤独と不安に苛まされる。

 

実は、最近筆者は「これからが人生の頂点(黄金期)」というインスピレーションを得て、傘寿に何かを決断するよう、神から願われている。それは、奇しくも曽野綾子さんが言ったように、「人間には老いてなお、人間が差配できない領域」があり、神意(Godswill)による「意外な人生の展開」があるかもしれないからである。

 

著名な思想家中村天風(1976~1968、享年92才)は、「人生最後の20年が本番である」が持論である。中村天風は、30歳頃、当時不治の病とされた肺結核を患って生死をさ迷い、欧米を遍歴した後、最終的にインドでヨガの聖者カリアッパ師に出会い病を克服した。即ち、「心の持ち方が人生や健康に重大な影響を与える」という教えを学び、病気を克服したという。

 

筆者は「これからが人生の頂点」というインスピレーションを信じることにした。特に、これから3年間は黄金期であると信じ、生活革命を断行し、若返って、わしのように新たになると定めたい。傘寿からの死生観、今私たちは何かを決断しようではないか。

 

以上、「人生の頂点へー健康寿命を考える」とのテーマで、健康寿命と高齢期の死生観を述べた。然り、人間には、老いてなお意外な人生の展開がある。(了)

 

                          牧師・宣教師    吉田宏

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​新生聖書勉強会

​ユニバーサル福音教会牧師
​家庭連合ポーランド宣教師
   吉田 宏

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