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アメリカ大統領と信仰② エイブラハム・リンカーン

🔷聖書の知識9ーアメリカ大統領と信仰2→エイブラハム・リンカーン

終わりの日に、主の家の山は山々の頂に堅く立ち、もろもろの丘より高くそびえ立つ。そこにすべての国々が流れて来る。(イザヤ2・2)

リンカーン(1809 ~1865、在任1861~1865 )は、ケンタッキーの貧しい開拓農民の子で、苦学・独学しました。27歳で弁護士資格を取り、州議会議員、連邦上院議員を経て共和党大統領になりました。南北戦争中の1863年奴隷解放宣言、ゲティスバーグの演説が有名です。1865年戦勝直後に銃弾に倒れ殺害されました。家庭的には母と若くして死別し、3人の息子が若死にするなど苦労しました。



[リンカーンの信仰]


リンカーンは聖書に精通し、議会での演説に聖句の引用を多用しました。両親はバプティスト派の敬虔な信者で、子供のころから母親に聖書物語を聞いて育ったと言われています。本人は聖書に親しみましたが、無宗派を貫いています。

アメリカを愛する心情を「政治的宗教」と呼び、まるで牧師が聖書を説くように国民に語りかけました。軍隊に安息日を遵守する法令を制定し、国民の断食日・感謝日・祈祷日を定めるなど、政治的宗教の高揚に努めました。暗殺される前の演説で、アメリカが神の加護の下にあると共に、また裁きの下にもあると警告し、「全能者には人知を超えた計画がある」と語りました。

ワシントンがアメリカの祭司であるとすれば、リンカーンは預言者でした。独立宣言、合衆国憲法、そして聖書を尊び、アメリカを「丘の上の街」にするというアメリカ教への帰依を国民に求めました。神学者のベラーは、リンカーンを「市民宗教の神学者・模範者」と呼んだように、まさに正真正銘のキリスト教政治家だったのです。

[丘の上の街]

ちなみに「丘の上の街」(イザヤ2・2)とは、1630年ジョン・ウィンスロップによる有名な演説「全ての人々の目が注がれる丘の上の町」という象徴的なフレーズです。「丘の上の町」は、イギリスにおける国家的宗教弾圧を逃れて新大陸アメリカに渡った清教徒たちがつくろうとしていた「自由で公正な神の国」を表す比喩として用いられています。

1965年4月14日銃弾を浴びて後、リンカーンは一人の政治家から「合衆国の救世主」としての神話的人物へと変貌し、アメリカの理想を体現した聖者になりました。葬儀を司式した牧師は追悼の辞の中で、「約束の地カナンに入る直前に神に召されたモーセのように天へと引き上げられました。リンカーンはアメリカの『贖罪の羊』であり、キリストのように自身の血でアメリカを清めて国民に和解をもたらしました」と述べました。(了)

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