創世記1章 神についての考察①-宗教の類型
- 2020年10月19日
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更新日:7月6日
🔷聖書の知識52-創世記1章 神についての考察①- 宗教の類型
はじめに神は天と地を創造された(創世記1.1)

天地創造・アダムの創造 (ミケランジェロ画)
今回から創世記の世界とその論点を解説していきます。前回までキリスト教の神観であるキリスト論、三位一体論を考察してきました。これらの神観の混乱は、ひとえに神と神の創造の原理を正しく認識できていないことに原因がありました。 今回から創世記1章が示す唯一にして創造者たる神について考えていきたいと思います。何故なら神は私たちの存在根拠であり、生命の根源であり、歴史の主宰者であるからです。
【宗教の定義、類型、態様について】
先ず初めに、神について扱う分野である「宗教」について、その定義、類型、態様などについて考えることにします。
<宗教の定義、宗教団体の定義>
宗教とは文字通り「宗の教え」、即ち、究極の原理や真理を意味する「宗」に関する「教え」と言えるでしょう。キリスト教的な理解では、原語の英語「 Religion 」は、「ふたたび」という意味の接頭辞「Re」と「結びつける」という意味の組み合わせであり、「再び結びつける」という意味で、そこから、神と人を再び結びつけること、と理解されています。つまり、宗教とは「神と人を再び結びつける(再結合)根本の教え」ということになります。宗教を通して神との再結合が必要になったのは、神との関係が断絶したからであり、従って堕落とは神との関係が失われたことを意味し、救いとは神との本然の関係を回復することであります。
日本において法律上の宗教の定義としては最高裁判所の次の判例が有名です。
「(宗教とは)超自然的、超人間的本質の存在を確信し、畏敬崇拝する信条と行為」(最大判昭和52年7月13日 津地鎮祭判決)
ちなみに法律上の宗教団体の定義はどうなっているでしょうか。 宗教法人法2条1項で、「(宗教団体は)宗教の教義をひろめ、儀式行事を行い及び信者を教化育成することを主たる目的とする左に掲げる団体」と定義されています。つまり、宗教団体の要素として、教義、儀式、教化、布教をあげています。
<宗教の類型>
宗教の類型については、先ずその「広がり」に着目すると、部族(氏族)宗教、民族宗教、世界宗教という分け方があり、神道、ユダヤ教は民族宗教、キリスト教、仏教、イスラム教は世界宗教になります。
次に、「発生」に着目すると、大きく「神への宗教」と「神からの宗教」があります。「神への宗教」とは、人間側から神を探求して真理に向かう宗教であり、仏教や儒教、哲学はこの類型になるでしょう。これらの「神への宗教」は、救いは人間側から神(真理)を求めていく下から上への自力的な「悟り」によって得られることになります。
一方、「神からの宗教」とは、神の恩恵に基づく「啓示宗教」で、上から下へ下降する宗教であり、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教など啓典の民と呼ばれる一神教がその典型であります。その原理は、創世記1章1節の「はじめに神は天と地を創造された」、ヨハネ1章1節の「初めに言があった」に端的に言い表されています。
ユダヤ人は、そもそも神が存在するか否かなどとは問わないし、聖書も神の存在は自明の理としています。神の存在は当然の理、所与のものであり、その当然の神から啓示という形で地上に下ってくるのです。聖書は「神は存在するか否か」などとは問わず、神の存在を前提に、その神が何を語られたかを教えています。ジェイコブズは著書『キリスト教教義学』の中で「天文学は星の存在を証明しようと企てない、論理学は思想の存在を証明しようと企てない、神学は神の存在を証明しようとはしない」(P4)と言っています。
そして救いは、人間側からの修行や努力による悟りではなく、専ら神から一方的に与えられる「恵み」によってもたらされます。この神の恵みという他力的な救済観は、パウロから始まりアウグスチヌスを経てルターで確立されることになります。
今一つ宗教の類型には、崇拝対象の数、つまり「神の数」に着目した分類があります。即ち、「一神教」、「拝一神教」、「単一神教」、「多神教」という四つの類型です。以下、この神の数に着目して、その類型を集中的に見ていきたいと思います。
【一神教、拝一神教、単一神教、多神教】
神の数に着目した類型を論じる前に、先ず「宗教進化論」と「宗教退化論」の概念について言及したいと思います。
<宗教進化論と宗教退化論>
宗教進化論とはイギリスの人類学者エドワード・タイラー(1832年~ 1917年)が代表的で、宗教の起源に関してアニミズムを提唱しました。もともとアニミズム的(精霊崇拝)、汎神的(万有神論)な原始宗教があって、そこから成長して多神教になり、単一神教、拝一神教を経て一神教に進化するという考え方であります。
アニミズム(精霊信仰)について、タイラーは「動物、植物、樹木、滝、岩、月など、すべての自然物に霊魂的存在が宿ることを認める思想・信仰」と定義しました。精霊信仰を通じての自然崇拝でもあります。シャーマンにより神・精霊・死者などの霊的存在と交流し、託宣・予言・癒しなどを行うシャーマニズムは、アニミズム(精霊信仰)を背景としており、それが人間の霊を対象とするとき「祖先崇拝」となります。タイラ-は、アニミズムの形態の一つが多神教であり、特殊な形態が一神教であるとしました。
一方、逆にイギリスの民俗学者アンドリュー・ラングらが19C~20Cに唱えた「宗教退化論」がります。宗教退化論とは、原始においては「もともと一神教だった」とし、それがアニミズム的な多神教に退化していったとするものです。「原始一神教説」とも言われ、原始に一神教的な「高神」の観念を認める説で、ノアの時代の信仰と宗教、アメリカ先住民のグレートスピリットの観念、古代原始宗教に見られる「アニマティズム」の観念などがそれであるとします。
即ち、この高神(アニマティズム)の観念が退化してアニミズム的、多神教的になっていったというもので、古代イスラエルにおいてはもともとあった一神的神概念が、アブラハムによって再発見されたという訳です。
ちなみに、アニマティズムとは、イギリスの人類学者 R.マレットにより提唱され,その師の E.タイラーのアニミズム宗教起源論を修正したものです。アニミズムよりも先行する信仰形態をプレアニミズム(=アニマティズム)と呼び、「自然界の事物の根底に普遍的に霊的な力や生命力が秘められている」という 考え方であります。即ち「全てのものの生命の根源的な力への信仰」であり、原初的な宗教の形態がアニマティズム的な一神教であったとしています。原理でいう万有原力に近い概念でしょうか。その「霊的存在への信仰」たるアニマティズムが個別化され「何々の霊、何々の神」となったものがアニミズムであると言えます。
先ず「一神教」ですが、なんと言ってもこの原点はアブラハムです。アブラハムに端を発し、モーセで理念的に成立し、バビロン捕囚前後に確立されたのが一神教(唯一神教)であります。その特徴は、唯一性と排他性にあり、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の神観を構成し、次の聖句に象徴されます。
「万軍の主はこう言われる、わたしは初めであり、終りである。わたしのほかに神はない」(イザヤ44.6)
次に「拝一神教」という神観念があります。この神観念は、アブラハムから始まる古代イスラエルの族長時代の神観念で、他の民族(異邦人)の神までは否定しないが、イスラエル民族内では特定の一神、即ちヤハウェのみを信仰対象にするというものです。このように、唯一神教が確立されるバビロン捕囚時代までの古代イスラエルの神観は拝一神教であったと言われています。
浄土宗の神観も拝一神教であると言われています。浄土宗は釈迦如来、大日如来、弥勒如来ら他の神(仏)を否定しないが、自らの集団内では阿弥陀如来のみを崇拝するというものです。ちなみに、日蓮正修や創価学会では、ご本尊以外は一切認めない一神教に近い態度をとっています。
更に「単一神教」という神観念があります。単一神教はインドのヴェーダの信仰をモデルにフリードリヒ・ミュラーによって「多神教の実態と一神教の原則」を併せ持つ信仰形態として概念化されました。単一神教とは、複数の神々を前提とし、その中の一柱を主神として崇拝するもので、対象領域(民族)の中に他の神々を認めるものです。即ち、対象領域の神々を根拠づけている主たる神の存在を立て、他の神々をその中に体系化するもので、主神の交代もあると言われています。
古事記の天照大御神中心の神体系はその典型で、天照大御神を中心とするものの、民族内に天照以外の神々を認めており、各神社にはそれぞれの神が祀られています。ギリシャのパンテオンの神々、古代インドのヴェーダの宗教などにも見られる神観念でもあります。
最後に「多神教」です。これは文字通り複数の神々を認めるもので、日本神道、大乗仏教、ヒンズー教、古代メソポタミヤ・エジプト・ギリシャなどイスラエル以外の古代国家に広く見られ、古代国家の99%が多神教世界だったと言われています。ちなみに古代バビロンには2000もの神がいたといいます。
<普遍的(包括的)一神教>
上記の神観念以外に、普遍的(包括的)一神教とも言うべき普遍主義的な神の概念があります。哲学的一神教とも言われ、宇宙の原理としての絶対存在たる「グレートスピリット」を認め、ここから多くのスピリットが出てくるという考え方であります。つまり、それぞれの神々が、共通の霊的真理を有し異なる名称を持つが、それぞれが究極的存在の化身と考えるものです。
日本では、神仏習合による本地垂迹説があります。即ち、日本の神々は究極の法身(仏)が化身した権現であるという思想で、天照大御神は大日如来、八幡神は阿弥陀如来、大国主は大黒天の化身といった類いです。
アメリカでは、ロバート・ベラーが唱えたアメリカの見えざる国教としての「市民宗教」、鈴木大拙、山本七平などか提唱した日本教としての「日本的霊性」といった普遍的な神の観念もあります。
また、それぞれの良いところを抜き出して集めて作られた多元宗教(混合宗教) があり、大乗仏教は混合宗教であるとも言われています。韓国の天道教は道教、仏教、儒教などのよいものを取り入れた混合宗教であり、幸福の科学も混合宗教の要素があるようです。
【神様懇談会の提言】
さて、神には、 ヤハウェ、アラー、天の父、天の父母、アメノミナカヌシ、天帝、ハナニム、真人、如来、天理王命、グレートスピリット、サムシンググレートと色々な呼び名があります。確かに呼び方は様々ありますが、もとをただせば同じ究極的存在の違った呼び名であり、真理は一つであります。この観点と問題意識があれば、宗教人は神観について対話ができ一致していけると確信するものであります。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は皆同じ神を礼拝していますし、出口王仁三郎は万教同根を、谷口雅春は万教帰一を唱えました。その際、日本の天照を中心とした上記の単一神教の神概念は参考になります。単一神教の概念を地球規模に広げ、宇宙を主宰する至高の根本神を中心にし、その下に全ての神を体系化するという考え方であります。諸仏を根本仏の下に体系化した曼陀羅にもそれが見られます。筆者はこれを「世界的(宇宙的)単一神教」と呼びたいと思います。
以上の認識を前提に、究極的な神(根本存在)の下にあらゆる宗教が一致することが肝要であり、ここに全ての宗教人が対話するための「令和神様懇談会」(仮称)を提言したいと思います。これはまた『世界経典』を編纂されたUC創始者の意思でもあります。
以上で神と宗教の類型に関する議論を終わりたいと思います。次回は、上記類型の内、一神教とは何か、そして一神教成立の歴史とその特徴について考えていきます。そして多神教の代表としての神道の神についても言及していきます。(了)
牧師・宣教師 吉田宏



