論点 - 暗示・啓示・黙示・役事について
- 2020年10月17日
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更新日:6月8日
🔷聖書の知識48-論点 - 暗示・啓示・黙示・役事について
神がこう仰せになる。「終りの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう」(使徒行伝2.17)
今回は、神の霊の働きに関する「暗示・啓示・黙示・役事」について考えたいと思います。そしてその前に、先ず、暗示、啓示、黙示、役事を理解するための前提となる「神霊と真理」について整理しておきたいと思います。
【神霊と真理について】
聖書に「神は霊であるから、礼拝する者も、霊とまことをもって礼拝するべきである」(ヨハネ4.24)とあります。つまりヨハネは神霊と真理で礼拝するべきと言っています。
<神霊と真理>
UC創始者は神霊について「神霊とは何ですか。一時的に配分された霊力や霊的作用をいうのではなく、真の愛を中心として霊界と人間世界が調和、共鳴を起こし得る『神様の愛の力』をいうのです」(『文鮮先生御言選集』より)と言われています。つまり、神霊とは「神様の愛の力」であり、天と地、心と体が繋がる原動力であるというのです。これは、サムエルやダビデに激しく注がれた神の霊でもあります。神の霊は、旧約、新約、成約を通して働く、いわば万有原力のような「 神の人格的な力の作用」であり、これが神霊であります。ちなみに聖霊とは、イエス・キリストの復活によってもたらされた新約時代に特有な女性神の働きで、広い意味で神の霊の一形態と言えるでしょう。
次に真理とは何か、です。
「真理とは、『神様の愛のみ言』をいいます。神様の真理は、ある特定の摂理的な人物を通して『啓示として』地上に伝えられます」(文鮮明先生御言選集) 。人間は霊人体と肉身の二性性相からなり、霊人体は生心(性相・主体)と霊体(形状・対象)からなります。そして生心とは「神が臨在される霊人体の中心部分」のことで、生心の要求するものが何であるかを教えてくれるのが真理であり、真理を通して生心が求めるものを知ることができるというのです。これが生心の起源です(『原理講論』P86)。
神霊が「神の愛の力」であるのに対して、真理は「神の愛のみ言」であり、神霊は祈りによって、真理は啓示によって与えられるというのです。そして、 人間が神霊に接することによって、無限の喜びと新しい力を得て、持病が治っていくなど、癒しや悪霊の分立など、その肉身に多くの変化を起こすようになるといわれます。
神霊と真理の関係は、霊と肉の関係のように、神霊が主体であり真理は相対であります。そして神霊と真理は私たちの心霊と知能を啓発いたします。神霊、すなわち神の愛の力は生霊要素を肉身に与え、真理によって方向性を得ることによって、神の愛の力が正しく横溢するようになるわけです。平たく言えば、神霊はエネルギー、そして真理は羅針盤と言うことができるでしょう。
そしてUC創始者は、神霊を求める祈りの重要性について、次のように語られました。
「『絶えず祈りなさい』(1テサロニケ5・17)という聖書のみ言があります。これはとても重要なみ言です。なぜかというと、サタンは、1日中、あらゆる方向から堕落した人間を誘惑し、苦しめるからです。一方で神様は、ただ一つの方向から、すなわち精神の垂直的な方向(神霊)からのみ、力を及ぼすことができるのです。ですから、絶えず祈祷しなければなりません」(文鮮明先生御言選集)
確かに、偉大なクリスチャンは、ルターといい内村鑑三といい、例外なく祈りの人でした。
<善神の業と悪神の業>
私たちは、よくインスピレーションを感じることがあります。第六感とかひらめきとか言われるものです。これは、一種の霊感で、暗示、直感力とも言えます。
但し、霊感には、善神の業と悪神の業がありますので、理性と本心のフィルターにかけて吟味しなければならなりません。善神とは神と神の側にいる善霊人と天使を総称し、悪神とは、サタンとサタン側にいる悪霊人と堕天使を総称する言葉です。「善神の業は、時間がたつにつれてその個体の平和感と正義感を増進せしめ、その肉身の健康をも向上させる。しかし、悪神の業は、時間がたつにつれて不安と恐怖と利己心を増進せしめ、また健康をも害するようになる」(『原理講論』P120)とある通りです。
終末時代の現代は、ノイローゼや躁鬱病など精神系統、神経系統の精神病患者が多いといわれていますが、これは霊的世界と肉的世界が交差し、悪霊が先ず先に臨んで霊界が混乱するからだと言われています。即ち、悪い霊が襲来し、その霊に取り付かれるというのです。悪神による異言、預言、役事などの混乱もあり、国が滅ぶときは悪霊が、栄えるときは善霊が動員されるといいます。一方、霊的勝利の基盤を築いた12使徒型の再臨役事が起こるようになるとも言われています。(天聖経第七篇第四章再臨復活より)
つまり悪神の役事も善神の役事も出発が同じですが結果が違うという訳です。では、どのようにして善神の業と悪神の業を見分ければいいのでしょうか。
聖書には、「神は霊であるから、礼拝する者も、神霊とまこととを持って礼拝すべきである」(ヨハネ4.24)とあり、原理講論には「我々が正しい信仰をもつためには、第一に祈祷により、神霊によって、神と直接霊交すべきであり、その次には、聖書を正しく読むことによって、真理を悟らなければならない」(『講論』P191)とあります。
つまり、よく祈ること、次に聖書(み言)を正しく読むことであります。
【霊性の啓発と暗示・啓示・黙示・役事について】
以上を前提に、以下の項では、神霊と真理との交わりを通して、私たちの心霊と知能が啓発される時、暗示→啓示→黙示→役事というように、段階的に霊的恩寵が深まっていくことを見ていくことにいたします。天聖経第七篇地上生活と霊界第三節「霊性の啓発と霊界の体恤」P777)には「暗示や夢のお告げ、啓示、黙示などがあるのは、天と関係を結ぶために広がる、開拓的で発展的な不可避な現象なので、これを軽視せず、生活に適用できるように努力しなければなりません」とあります。そして聖書は「神がこう仰せになる。終りの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう」(使徒行伝2.17)と言っています。
<暗示・夢・幻>
天聖経第七篇「地上生活と霊界」によると、私たちは、心の門(心門)に合わせて心田(霊性)を啓発し、神霊と真理で礼拝していくと、先ず始めに「暗示や夢・幻」などによってインスピレーションや直感を与えられるといいます。

<啓示>
そして次の段階が「啓示」です。啓示(revelation)とは、人間の理性を越えたもので神により開示され、天啓または神示ともいわれています。宗教の教祖はそれぞれ啓示を受けました。即ち、啓示は神の言葉に他ならず、神学の前提をなすもので、信仰によって受け取られるものであります。
啓示によって真理が開示され、それによって信仰が成立する宗教を、「啓示宗教」と呼び、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は典型的な啓示宗教、啓典の民であります。キリスト教は自らを「啓示宗教」(revealed religion)とし、神自身がその言葉と行為において聖書を通じて自身を啓示されているとし、人間は神について聖書を通して認識することができるというのです。
聖書は一貫して、「神はモーセに言われた、わたしは主である」(出エジプト6.2)、「その時、主の言葉がサムエルに臨んだ」(1サムエ15.10)、「主はわたしに言われた」(イザヤ8.1)の如く、神からの言葉(啓示)で始まっています。先ず「神の言葉ありき」です。
啓示は「一般啓示」と「特別啓示」に分けられます。一般啓示には、a.自然(神は自然を通して自らを顕されている)、b.良心(神は人間の良心に顕れる)、c.歴史(特にイスラエルの歴史に神が顕れている)があり、神はこれらを通して自らを啓示されているというわけです。しかし、救いを伴う完全な啓示、即ち特別啓示として聖書(原理)があり、その頂点に立つのがキリストの受肉(降臨)だといわれています。神は聖書を通し、イエスを通して特別啓示として自らを完全に顕されたというのです。(ヘブル1.1~2)
そして創始者は、原理自体が啓示の役割を果たすと言われました。
「原理には、神の直接の啓示にはるかに勝って、人間を指導し造りかえる偉大な力がありますから、原理を知ること自体が、啓示や高い良心基準の役割を果たしているのです」(『御旨と世界』創立以前の内的教会史P594)
<黙示>
そうして、啓示の次に来るのが「黙示」です。黙示によって、四六時中霊界の中に入り、神の生活感情に触れるという体恤的信仰を体験します。ヨハネ黙示録はその典型で、エゼキエル書、ダニエル書にも黙示が書かれています。
黙示とは、暗黙のうちに意志を表示することという一般的な意味もありますが、ユダヤ教やキリスト教では、神が特別の方法により、通常の才能や知識では測り知ることのできない「隠された真理を開示すること」 であると言われています。神が選ばれた預言者に与えたとする「秘密の暴露」、またそれを記録した書を黙示文学といい、黙示文学はユダヤ教・キリスト教・イスラム教の伝統において極めて重要な位置を占めています。
<役事>
そして「役事」です。霊的な力が電気作用と同じように入ってきます。啓示、黙示の具体化として、癒しや再臨復活などの役事が始まります。
イエス様は、肉身の死後、3日目に霊的な自由の体(生霊体として復活)で復活されました。そして墓で眠っていた先祖(死人)は、子孫に協助して自分たちがやり残したものを代理でやってもらうという「再臨復活現象」 の役事が起こってきます。洗礼ヨハネに再臨復活したと言われるエリアなどはその典型であります。この霊人の再臨現象は往々にして輪廻に見えることがありますが、各個体は別々で輪廻ではありません。
また、再臨期における死人の復活は、伝統的キリスト教が信じるような肉体を伴うものではなく、イエスがそうであったように、あくまでも霊人のより高い霊への復活、即ち、霊形体から生命体へ、生命体から生霊体への復活であります。
創始者は、興進様を霊界の司令官、即ち霊界の再臨主の立場に立てて、霊界での重生式、復活式、永生式の権限を付与したと言われました(天聖経第七篇「地上生活と霊界」第四第一節末世と再臨復活P791 )。興進様によって地上世界と天上世界の壁が崩れたと言われ、「興進がアベル、イエス様はカイン」だとも言われました。
そして善の天使世界が降りてきて、悪の天使圏の悪霊たちを全て追放すると言われ、また、先祖を解放しなければならないとも言われました。UCにはキリスト教にはない霊界解怨式、先祖解怨式、先祖祝福式などの先祖解放儀式がありますが、創始者は「これは偶像崇拝ではない、UCは先祖を祭ることを認めるのです」と言われました。
以上、今回は、神霊と真理の概念、そして啓示、黙示、役事について見てきました。こうして、暗示→啓示→黙示→役事という流れの中で、あるいは同時並行的に、私たちの心霊的背景は順次高められていくことになります。これこそ宗教の醍醐味です。私たちは、この神霊の高みに導かれることによって、我ならぬ我を見出だすことになるでありましょう。
これで、マリア信仰、神の霊、聖霊、悪霊、霊界観、死生観、啓示・黙示・役事などのいわゆる「神の霊」 に係わる論点を終わり、次回から、キリスト教神学の中で重要とされている論点、諸説ある争点について順次学びたいと思います。(了)
*上記絵画:ヨセフの夢(レンブラント・ファン・レイン画)



