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除夜の鐘とは何だろうー煩悩からの解放

🔷 聖書の知識13ー除夜の鐘とは何だろうー煩悩からの解放

私を洗ってください。そうすれば私は雪よりも白くなります。(詩編51・7)

日本人は、毎年大晦日(12月31日)が来れば、年末の慌ただしさと共に、新年へのわくわく感を抱いてきました。過ぎし1年を振り返り、そして新年への抱負を考える大晦日ほど大切な日はないと言えなくもありません。

そもそも、大晦日という慣習は、日本文化に古くからある「歳神様」(としがみさま)への信仰に基づく儀礼から生じております。一年を司る歳神さまを新年に迎えるために、大掃除をしたり、門松を立てたり、身を浄めたりして準備をするのです。

では、大晦日に響く除夜の鐘とは何でしょうか。幼い時から聞いてきた深夜に響く鐘の音ほど懐かしく、そして日本人の無常観をそそるものはありません。

[除夜の鐘の煩悩説]

昨日私は、自宅の近くにある禅宗系のお寺を訪問し、住職とお会いして、最近多い引きこもりの対策について意見を交わしてきました。その時、除夜の108個の鐘の意味についての話しになり、住職曰く「この鐘は108つの煩悩で、鐘一つで一個の煩悩を消す」ということでした。

除夜の鐘は多くの寺で108回叩かれますが、この「108」という数の由来については複数の説があり、一般には煩悩説が有名です。

また、年間月の数の12、24気の数の24、72候の数の72を足した数が108となり、1年間を表すという説もあるようです。煩悩の数も、108という説以外にも88、84000(無数)など色々な説も存在します。

[煩悩とは]

一体、煩悩とは何でしょうか。仏教によれば、人間に内在して、苦の要因になる「自己中心的な心の作用」ということになります。仏教ではその代表が「貪・瞋・痴」の3毒だといっていす。

貪(とん)とは、欲望(性欲)・渇望・我執であり、瞋(しん)とは、悪意・憎しみ・嫉妬であり、痴(ち)とは、無知・無明、即ち真理に暗いことを意味しています。

神道では、人間の罪穢れや不浄は塵や埃のように人間に外から付着するもので、禊と祓いによって払い除けるという思想があります。しかし仏教では、煩悩は人間に内在し、修行や戒律によって克服していくものとされています。仏教の考え方は、救いの観念こそ違いますが、キリスト教の原罪内在論と軌を一にしています。

[煩悩からの解脱]

では、煩悩を如何に解決すればいいのでしょうか。それが修行と八正道の実践(正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定)です。しかし、大乗仏教では、出家者のような厳しい難行ではなく、禅定・念仏・題目により、ひたすら信じ唱えるという大衆救済のための易行になりました。

しかし、煩悩が何故生じるかという煩悩の原因について、仏教は明らかにしていません。本来清浄な人間の心に「偶発的に付着したもの」とかと言って曖昧にしています。また、日蓮は、「衆生は魔王のけん属(子孫)なり」といいましたが、一体魔王とは何かについては説いていません。洗礼ヨハネは、衆生を「まむし(サタン)の子孫」と言っています。

釈迦が悟りを開く直前に、マーラ(悪魔)の3大試練を受けますが、その最初の試練が美しい女人の誘惑だったと言われており、これは失楽園の蛇の誘惑に類似し、煩悩の真相を暗示しているかのようです。

以上、見てきましたように、除夜の鐘は、新しい年を告げる希望の音色であると共に、罪穢れを清算し、雪のように白くなる(詩編51・7)分別の象徴でもあるということだと思います。では、よいお年を!(了)



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