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日本的霊性とは何か - 国家的回心のとき

  • 2020年10月8日
  • 読了時間: 7分

更新日:11月15日

🔷聖書の知識22ー日本的霊性とは何か - 国家的回心のとき

主は言われる、背信のイスラエルよ、(私に)帰れ。わたしはいつくしみ深い者である。いつまでも怒ることはしないと、主は言われる。(エレミヤ書3・12)

プロローグ


日本を訪問した外国人は二つのことに驚くと言われています。一つは日本人の宗教観です。年末年始、12月25日にはキリストの誕生日である「クリスマス」を祝い、大晦日には仏教の行事である「除夜の鐘」に思いを馳せ、年始には神道の行事である「お正月」を祝います。また七五三を神社で祝い、結婚式を教会で挙げ、葬式には僧侶を呼びます。そして日本人はこのことを違和感なく行うというのです。もう一つの驚きは、日本人の倫理・道徳の高さです。日本人は親切で、礼儀正しく、勤勉に働くというのです。キリスト教の神もアラーの神も知らない日本人が、何故このような高い倫理観を持っているかが分からないというのです。この答えこそ、今回のテーマである「日本的霊性」であります。

前回、アメリカの市民宗教について言及いたしました。市民宗教とは、ビューリタニズム、聖書的選民観、愛国的心情が融合した見えざる国教(アメリカ教)とも言うべき「アメリカ的霊性」です。そして日本にもこれに似たような精神性があり、これを「日本的霊性」と呼ぶことにし、今回は、この日本的霊性ついて考えて見たいと思います。

【日本的霊性とは】

日本的霊性とは、鈴木大拙が初めて使った言葉で、筆者はこれを、「自然を崇め、先祖を尊び、和と共生を重んじ、清浄を好む精神性」と一応定義しています。


<日本的霊性>


即ち、古来日本人は、自然、先祖(天皇)、和を大切にし、清浄を好んできました。この精神性は、神道、仏教、儒教が源泉となり、特にその中でも古神道が日本の精神性の核をなしていると考えられます。ちなみに古神道とは、仏教や儒教など外来宗教の影響を受ける以前に存在していたとされる原始宗教(自然信仰)と言えるでしょう。


山本七平は、日本的霊性を、「日本人の内に無意識に染み込んでいる宗教」、即ち「日本教」と名付け、「日本人内に無意識に染み込んでいる日本教という宗教が存在し、それは血、肉となっていて日本人自身も自覚しないほどになっている。キリスト教徒も仏教徒も、実は『日本教キリスト派』『日本教仏教派』である、つまり、現住所はキリスト教、仏教でも、本籍は日本教である」と指摘しました。これこそ、日本的霊性で、高い倫理観の源泉になってきました。


つまり、日本人には、儒教や仏教やキリスト教など外来の思想や宗教が来て、それなりの影響を受けましたが、良いところは取り入れるが、基本的なところでは決して染まらない精神性があるというのです。前述した年末年始の宗教風景でお馴染みのように、クリスマスには教会に行き、除夜の鐘ではお寺に思いを馳せ、新年には神社に参拝します。7・5・3を神社で祝い、結婚式を教会で挙げ、葬儀はお寺で行います。そして日本人には、これらは決して矛盾した行動ではないというのです。

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<日本的霊性の源泉>

日本的霊性には3つの源泉があると思われます。仏教の死生観、武士道の儒教的規範性、そして神道の世界観です。その内、縄文・弥生時代以来の古神道の影響を最も強く受け、これが日本的霊性の基層をなしています。「自然を崇め、先祖(天皇)を尊び、和と共生を重んじ、清浄を好む」というもので、この思想が日本的霊性の核をなし、仏教の無常観や武士道的な忠孝の規範性が加味されて形成されていると言えるでしょう。

即ち、神道的な情操が基にあり、その上に重層的に外来思想が付加されて来たということです。アメリカ市民宗教の根本にビューリタン的なキリスト教精神が有るように、日本的霊性には、その根本に古来の神道的情操があるのです。

この日本的霊性は、ヤハウェやアラーの神がいない日本において、キリスト教倫理に匹敵する高い倫理観の源泉になって来ました。曖昧で一貫性がない、ぬるま湯的で節操がないと揶揄されることもありますが、一方では、「見えざる国教」として、外来文化を柔軟に取り入れ、高い倫理性を保ち、国民の見えざるアイデンティティーとして大きな力を発揮してきたのです。内村鑑三も、著書「余は如何にしてキリスト信徒となりしか」の中で、日本の倫理的、道徳的規範性は、唯一神と贖罪観念を除けば決してキリスト教に引けを取らないと言っています。

<日本的霊性の形成>


「三つ子の魂百まで」という格言がありますように、人間でも宗教でも国家でも、生まれてから初期のある一定期間に刻まれた原体験が、そのものの精神性や人格をほぼ決定付けると言われています。前記したアメリカ的霊性(市民宗教)は、アメリカ初期の植民地時代(1620年~1767年)がそれにあたり、聖書的霊性はイエス・キリストが十字架に架かり復活してから100年位の使徒たちによる原始キリスト教時代がそれに当たります。そして日本的霊性は、縄文弥生時代から古墳・飛鳥時代までの間に形成されました。


この日本的霊性、即ち日本教は、多神教文化を形成しました。そしてそれ自体は純粋な精神性ですが、これが前述した世俗的ヒューマニズムと結びついた時は、曖昧で無分別な思想に陥り、逆に一神教と結びつく時は、日本を導くよき羅針盤となるでしょう。パウロは、「律法はキリストへ導くための養育係」(ガラテヤ3.24)と言いましたが、日本的霊性は真の神に導くための養育係、即ち「途中神」であると言えるでしょう。


<画竜点睛を欠く>

しかし、「画竜点睛を欠く」という言葉が有りますように、日本的霊性には、他の全てのものが揃っているけれども、肝心の眼が入っていないというのです。眼とは何でしょうか。眼とは神という観念、唯一神という観念です。日本的霊性には、神らしきものはあっても、「真の神」が存在しないというのです。聖書的に言えば、「唯一にして創造主たる父母なる神」の欠如ということでしょうか。日本は多神教文化だと指摘される所以です。

日本的霊性に唯一神という眼を入れる運動を提唱致します。イスラエル幕屋の至聖所にある契約の箱には、十戒の石板が安置されていますが、同様に、神社の本殿に安置される「ご神体」として、「聖書(原理)」が置かれるよう訴えます。全国8万神社に聖書(原理)を安置するというのです。こうして眼が入ることによって、日本的霊性は完成し、日本の精神性はまさに、「鬼に金棒」ということになるでしょう。そして日本的霊性の奥深いところには、一神教への郷愁があると思われます。

【国家的回心】

それには国家的回心が必要です。真の神を受け入れる回心です。かって日本の戦時期に、東大総長の矢内原忠雄は、「イスラエルのように、神は日本が新生するために一度滅びることを決定された。先ずこの国を葬って下さい」と祈りました。一旦葬られてこそ復活の道があるというのです。太平洋戦争(大東亜戦争)の敗戦は、日本が生まれ変わるために悔い改めの機会を与えて下さった神の愛の試練であるというのです。そして、このように捉えるのが、聖書的視点から見た太平洋戦争の見方であります。

復活するためには、一度死ななければなりません。日本に讃えるベき美風は多々あり、日本によってアジア諸国が解放されたこと、また、戦勝国家などによる日本への一方的な断罪(極東裁判)が理不尽であったこと、など自己弁護したい心情は理解できます。戦勝国家も敗戦国家も、共に非があるからです。しかし、偏った国家主義、戦勝による慢心、汚染された宗教思想などの堕落性は一旦清算されねばならず、太平洋戦争は、日本が新生するための敗戦という神の分別であったというのです。

エレミヤ書3章12節~14節で、背信のイスラエルに向かって「神に帰れ」と神は語られました。偶像崇拝に陥り、他の神々と淫乱に陥るイスラエルに、真の神(ヤハウエ)に帰るよう国家的回心を望まれたのです。日本的霊性に唯一神という眼を入れて真の神に帰ること、そうして国家的回心を遂げること、これこそ日本大復活の鍵であると思われます。(了)

                          牧師・宣教師 吉田宏

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