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使徒信条を読み解く⑭ 聖霊なる神について(3) 悪霊とは何か

🔷聖書の知識169ー使徒信条を読み解く⑭ー聖霊なる神について(3)-悪霊とは何か


イエスは汚れた霊をお叱りになった。『私の命令だ、この子から出て行け』霊は叫び声をあげ出て行った(マルコ9.25)


前回まで、聖霊を含む神の霊の働き、即ち、霊のよき業について論及しました。この項では逆に、霊の中で悪い働きをする霊、即ち「悪霊」について考えていきます。イエス様は、病気の癒しと並んで、悪霊の追い出しの業をたびたびなされましたが、この悪霊とは何かを明らかにしたいと思います。


【悪霊とは何か】


「そして、パウロはその霊にむかい「イエス・キリストの名によって命じる。その女から出て行け」と言った。すると、その瞬間に霊が女から出て行った」(使徒16.18)


世界宣教訓練センター所長の奥山実牧師は、インドネシア宣教に従事されましたが、インドネシアには、いわゆる悪霊にとりつかれた人が多くいて「悪霊の追い出し」は牧師や拝み屋の仕事だったと言われ、その現場を何度も目撃し、また自らも行ったと証言されています。


では、そもそも悪霊とは何でしょうか。旧約聖書には2回、新訳聖書には77回、悪霊という言葉が出てきます。マタイ福音書25章41節に、次の通り「悪魔とその使いたち」という言葉がありますが、この聖句を手掛かりに考えたいと思います。


「のろわれた者どもよ、わたしを離れて、『悪魔とその使たち』とのために用意されている永遠の火にはいってしまえ」(マダイ25.41)


キリスト教では「悪魔」は堕落した天使(堕天使)の長ルーシェルでサタン(悪魔)と呼ばれ、「その使い」とはサタンの手下となって働く「悪霊」のことで、やはり堕天使であると理解しています。即ち、悪魔(サタン)も悪霊も堕落した天使という解釈であります。


ルーシェルは、神のようになろうとして傲慢になって神と敵対し、またアダムに対する嫉妬心から、他の多くの天使を引き連れて堕落し、天界から追い落とされたといいます(イザヤ14.12~15)。 そして創世記3章1節に出てくるエバを誘惑した蛇とは、神の天地創造のはじめに、堕落した天使を指すと主張します。つまり、エデンでエバを誘惑した蛇は、既に堕落して神に敵対していた天使という理解であります。


堕落した天使の数は天使の3分の1であると聖書は示唆していますし(黙示録12.4)、また旧約外典の「エノク書」には、天使たちが人間の女たちと集団で淫行を行った記事があり、その結果、巨人ネフィリムを生んだといいます。しかし、天使がいつ、何故堕落したかは定説がありません。


一方、原理講論には、「サタン(悪魔)の対象は霊界にいる悪霊人たちである。そして、この悪霊人たちの対象は、地上にいる悪人たちの霊人体であり、地上にいる悪人たちの霊人体の活動対象は彼らの肉身である。従って、サタンの勢力は悪霊人たちを通して地上人の肉身の活動として現れる」(P116116)とあります。


また、同P229には、「マタイ福音書25章41節に、『悪魔とその使いたち』という言葉がある。この使いは、正に悪魔の教唆を受けて動く悪霊人体をいうのである」とあります。


この講論の記述を見る限り、悪霊とは悪霊人、即ち死んで霊界に行った人間の悪霊人のことを指しています。従って、キリスト教のいう「悪霊とは悪魔に従って共に堕落した堕天使である」という理解と異なっています。


一方、講論の「善神の業と悪神の業」の項では、「善神とは、神と神の側にいる善霊人たちと、天使たちを総称する言葉である」(P120)と記述していますので、悪神とは、「サタンと、サタンの側にいる悪霊人たちと堕天使」と見ることもできます。


ここでようやく、悪霊とは堕天使のことか、あるいは死んで霊界にいる悪霊人のことか、あるいはその双方か、一体、悪霊が何を意味するかの解決の糸口に辿り着きました。


【悪霊についてのある神学者の見解】


この点、悪魔と悪霊について、ある神学者(信者)の見解を紹介いたします。


「シーセンも、これを定義するのはかなり厄介だ」(組織神学P331)といっていますが、キリスト教の最初の教父たちは、悪霊は悪人の死んだ霊(悪霊人)と考えられていたようです。


この説は当時の著名なユダヤ人哲学者フィロンやユダヤ人歴史家のヨセフスも同じ考えだったようです。したがってイエスも弟子も当時のユダヤ人もこの意味で使っていただろうと思われます。


しかし、キリスト教が拡大し、神学的にも整備されてくると、聖書では『死んだ人の霊は黄泉(よみ)に下り、いわば眠ったような状態に、または捕われた、または囲い込まれた状態になっているとしているのに、人にまとわりつくのがおかしい、聖書的でない』ということになり、浮上してきたのがサタンの元にいる手下の堕落天使(これらは黄泉に捕われたことになっていない)という考えだったそうです。これが支持を得て今のキリスト教の主流的考えになっているというのです。


ただシーセンも、悪霊即ち堕落天使が人にまつわりつくというのも、聖書的に見てもぴんと来ないといっています。これにはキリスト教サイドの教理からの恣意的な聖書への読み込みが入っていると思われます。いろんな霊的証しや本を見ても、悪天使の憑依などという話はあまり聞きません。


私としては悪霊とは『堕天使+悪霊人の総称』ではないかと考えております。またこれはイエス当時の一般的ヘブル人の考え方に近く、妥当ではないかと考えております。実際、原理的にいっても死んだ人間はすべて、黄泉に隔離され眠っていたり、現世にタッチできないようにはなっていませんから、そのことからも悪霊=悪天使という現代神学は無理があり、修正されるべきではないかと考えています」


以上の通りですが、悪霊とは「サタンの手下として働く堕天使と悪霊人の総称」との見解は当らずとも遠からずであり、筆者もこの見解を支持します。講論は堕天使について言及していないだけで、悪霊に堕天使を含めることを否定しているわけではありません。上記したように、講論には「善神(善霊)というのは神と、神の側にいる善霊人たちと、天使たちを総称する言葉である」とありますので、反対解釈で、悪神(悪霊)というのは、「サタンとサタン側にいる悪霊人たちと堕天使を総称する言葉である」と読んでも的外れではないと思われます。


【悪霊の追い出し、病気の癒し】


次に悪い霊との戦い、悪霊の追い出し、病気の癒しについて考えます。


聖書は霊について、人間を鼓舞する良い働きをする霊だけでなく、災いの霊(士師記9.23)、死者の霊(箴言21.16)、悪霊(詩篇106.37)、占いの霊(使徒16.16)、悪の霊(エペソ6.12)などの良くない働きをする霊について、各所で言及しています。


福音書には「教え」が47回であるのに比し、悪霊の追い出しを含む「癒し」が72回も出てくると言われています。そしてイエスは、自ら役事を行うだけでなく弟子たちにもその権限をお与えになりました。「そこで、イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊を追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやす権威をお授けになった」( マタイ10.1)とある通りです。


これらの役事は「福音に伴うしるし」と言われています。つまり、福音を証しするためのしるし(奇跡)であると云うのです。イエス様は、以下の聖句の通り多くのしるし(奇跡)を行われました。


「夕暮になると、人々は悪霊につかれた者を大ぜい、みもとに連れてきたので、イエスはみ言葉をもって霊どもを追い出し、病人をことごとくおいやしになった」(マタイ8.16)


「イエスは汚れた霊をお叱りになった。『私の命令だ、この子から出て行け』霊は叫び声をあげ出て行った」(マルコ9.25)


「信じる者には、このようなしるしが伴う。すなわち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、 へびをつかむであろう。また、毒を飲んでも、決して害を受けない。病人に手をおけば、いやされる」(マルコ16.17)


【悪霊の追い出しに関する証し】


前述の世界宣教センターの奥山実牧師は、インドネシア宣教で多くの役事を体験したと証されました。「イエスのみ名(権威)によって、悪霊よ、出て行け」と確信を持ってみ言葉通り命令すれば、悪霊が出て行くことを何度も体験したと述べられ、『悪霊を追い出せ』という悪霊の解決に関する本も出されています。


インドネシアでは、貧しいので病気になれば医者に行かないで拝みやに行くことが多いそうです。奥山牧師は預かっていた18才の医者の娘の引付を治したそうですが、原因は先祖の占いや呪文の習慣にあったということです。占い、卜者、易者、呪術、呪文、偶像、ほこら、お守り、占星学、拝み屋、霊媒などは悪霊の業が多く、地域の悪霊としてその地を支配していると指摘されています。聖書もこれらを忌避しています。


「あなたがたのうちに、自分のむすこ、娘を火に焼いてささげる者があってはならない。また占いをする者、卜者、易者、魔使、 呪文を唱える者、口寄せ、かんなぎ、死人に問うことをする者があってはならない。 主はすべてこれらの事をする者を憎まれるからである」(申命記18.10~12)


呪文や霊媒も問題になるとし、青森恐山のイタコは先祖の霊を出すことで有名ですが、大抵は霊が人真似しているだけだと奥山牧師は言われています。人が悪霊に心開いた時に入るといわれ、拝み屋や占い師に心を許すとあぶないとも指摘されています。


そしてこれらの行為を聖書が否定しているのは、これらを主管できるより高い真理の力、より高い霊的な力を持たないが故に、逆に振り回されて悪霊に主管され、偶像崇拝に陥ってしまうからだというのです。UC内でも姓名判断、四柱推命、家系図、マヤ暦など、占いに類することが流行っていますが、逆に主管されないよう気をつけなければなりません。つまり、先ず神に尋ねることをせず、何故占いの霊(偶像)に頼るのか、これが問題になるという訳です。


従って、原理的な祈りとみ言と信仰をもって分別し、占いごとはあくまでも福音宣教のためのツール(手段)として、しっかり位置付けることが肝要です。


【精神病と悪霊について】


アメリカでは、精神病を悪霊による精神病と普通の精神病を分けています。即ち精神病には次の通り3種類あり、これらが一つまたは重なったものと思われます。


一つは脳のドパーミンの過剰など神経系統の機能に何らかの異常があると言われているものです。現代医学は統合失調症などの精神病は、この脳の働きに何らかの異常があると考えていますが、実際のところその詳細はまだ分かっていません。治療方法としては主に薬の投与があります。また、肉体から来るものとしては、麻薬やアルコール中毒による幻聴、幻覚(幻)などがあります。


二つ目は、精神的、心理的なもので失恋のショックや人間関係などの軋轢、ストレス、心の傷などから来るもので、これらには心理カウンセリングと薬の投与による治療があります。


そして三つ目が霊的なもので、これが悪霊の仕業と言われるものです。これらは拝み屋や牧師の癒し、即ち「悪霊の追い出し」の分野になります。


ウガンダのカ・ヤンジャ師は講壇から癒しを行うことで有名な牧師です。5千人の孤児を養っているそうですが、ウガンダではかのエリヤのように、異教徒との癒しの競争に勝ち3万人がクリスチャンになったそうです。そう言えば、ミリンゴ元ルサカ大司教も、病気や悪霊の追い出しの賜物を持たれた方でした。


タイでは、カリスマペンテコステ教会による癒しの集会で、医者が見離した子ら40が礼拝後癒されるという奇蹟がありました。


いまやプロテスタント人口のうちの多くがペンテコステ派といわれていますが、このペンテコステ派は、聖霊による病気の癒し、悪霊の追い出し、異言などを強調しています。また福音宣教教会の御国イザヤ牧師は若い頃、悪霊に取り付かれ苦しみましたが、イエスのみ名によって治癒したと証され、これが牧師生活の原点になっているということです。


ところでサタンの本性は「傲慢と嫉妬と血気」だと文鮮明先生は言われています。そういう思いに相対するというのです。神に天使や善霊がいるように、サタンには堕天使や悪霊が手下にいるので、この手下をつかって禍をおこすというのです。


しかし、これら悪霊に打ち勝つ力は何と言っても信仰と神の言葉です。これらの奇跡に関し留意すべきは、あくまで「福音に伴うしるし」であってその逆ではないことです。み言と信仰こそ最終的に悪霊に打ち勝つ力です。  


即ち、先ずみ言と信仰があり、その結果として奇跡が行われるというのです。 イエス様も、その人の信仰を見て「信仰があなたを救った」と言われました(マタイ9.22)。


そして悪霊は傲慢と嫉妬の霊ですので、これを鎮魂し、許し愛することが肝要になります。愛こそ悪霊問題の決め手です。即ち、分別と共に、愛を伴う信仰、愛に源を持つみ言、これが悪霊問題への最良の処方箋だということになりそうです。さらに、悪霊の仕業を蕩減的な試練として甘受し、悔い改めのきっかけと捉えれば、なお、発展的と言えるでしょう。


以上、悪霊とは何か、その働き、その追い出しについて解説しました。次回は、「聖書の霊界観、死生観」について考察いたします。(了)




上記絵画*堕落天使(ギュスターブ・ドレ画)

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