内村鑑三著『基督信徒のなぐさめ』に見る「6重苦」からの復活 - 韓鶴子総裁の拘束と試練の意味
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- 10月1日
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更新日:10月10日
◯徒然日誌(令和7年10月1日) 内村鑑三著『基督信徒のなぐさめ』に見る「6重苦」からの復活 - 韓鶴子総裁の拘束と試練の意味
人もしこれを得んと欲せばまずこれを捨てざるべからず(マタイ16.25)
プロローグ
9月23日、韓鶴子総裁(82才)が、政治資金法違反、不正請託禁止法違反、証拠隠滅教唆、業務上横領の容疑で拘束されたが、一切証言も証拠もない冤罪であり、証拠隠滅も逃亡の恐れもない高齢で病身の韓総裁の拘束は、まさに宗教弾圧であり、また人道的にも大問題である。韓総裁も4件の容疑は「虚偽」だとして繰り返し否定している。
イタリアの宗教社会学者・弁護士であるマッシモ・イントロヴィニェ氏 は、ワシントン・タイムズのオピニオンで、「これは一人の女性の逮捕ではなく、一つの宗教を十字架にかけようとする企てである。賄賂の問題でも、政治献金の問題でも、法律の専門知識に関することでもなく、まさに根絶である」と述べた。そしてこの宗教虐殺の首謀者は誰なのかと問い、「日本と同様に、韓国でも三つの勢力が合流している。第一に、家庭連合を異端で『羊泥棒』と見なすプロテスタント根本主義者。第二に、反共産主義で家族を重視する家庭連合の姿勢を嫌悪する左派知識人や政治家。第三に、韓国と日本の反共産主義宗教運動を不安定化させるため、反カルト運動を密かに支援する中国共産党工作員である」と断じた。
李在明政権は、尹錫悦(ユン・ソンニョル)元大統領や「国民の力」を支援したキリスト教団、即ち汝矣島純福音教会、釜山世界路教会、新天地、サラン第一教会、そしてUCなど7つの教団を弾圧し、釜山世界路教会の孫賢宝(ソン・ヒョンボ)牧師ら3人の牧師が既に拘束されている。韓総裁も拘束され、高齢者の独房拘束において、心臓や足腰の衰え(車椅子や歩行介助を利用)が安じられる。
ポーラ・ホワイト牧師は、韓鶴子総裁の受難に際し、次の聖句を送られた。
「わたしは、モーセと共にいたように、あなたと共におるであろう。わたしはあなたを見放すことも、見捨ることもしない」」(ヨシュア記 1.5)
然り! 今回の拘束は韓総裁の最後のゴルゴダであり、名実共に「平和の母」「世界の母」となるための究極の試練である。夫である文鮮明先生が興南監獄に収監され(1948年6月)、死地を超え、1950年10月14日、生きて復活(霊肉復活)されたように、韓総裁も必ず甦り復活されるでしょう。韓総裁に慎んで次の一句を贈る。(ヤコブの夢)
「わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにもあなたを守り、あなたをこの地に連れ帰る。わたしは決してあなたを捨てない」(創世記28.15)
この「神が共にいる」は聖書全体を貫く中心的なメッセージであり、聖書は様々な場面で「神は私達と共におられる」ことを語っている。前記した聖書箇所、兄エソウの怒りを避けてハランの地に向かうヤコブが、途上石を枕に仮寝した時見た「ヤコブの夢」は有名である。真っ暗な夜、凍える野原にただ一人、不安と後悔の中で身を丸めるヤコブにとって、神が傍に立って、「見よ、私はあなたと共にいる」と告げられる神の声はどんなにか励みになり救いになったか。この夢は、後世「ヤコブの夢」として知られている。
そうして前述したマッシモ・イントロヴィニェ氏 は、「歴史は、迫害された宗教は滅びないことを教えている」と述べ、「殉教者の血は信仰の種」とのラテン教父テルトリアヌスの言葉で結んだ。今私たちは「患難は忍耐を生み出し、 忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出す」(ロマ書5.3~4)とのパウロの復活の言葉を想起したい。
【『基督信徒のなぐさめ』に見る苦難からの復活】
さて今回の主題は内村鑑三(1861~1930)32才の処女作『基督信徒のなぐさめ』の解説である。何故なら、この書は内村が自らの「6重苦の試練」を、神との関係で如何に克服したかの記録であり、大試練の只中にあるUC信徒のよき励ましになると信じるからである。

いわゆる「不敬事件」により、国とマスコミから苛烈な批判を受けた内村鑑三は、さらに重病、愛妻の死、失業、極貧、基督教会からの排斥という6重苦に襲われる。即ち、本書は、耐え難い苦難に遭遇した内村が、如何なる内的変革、信仰的回心によって逆境から自己の再生を計ったかを綴った書であり、試練に直面する私たちの良き羅針盤になる。
序に「この書は著者の自伝にあらず。著者は苦しめるキリスト信徒を代表し、身を「不幸の極点」に置き、キリスト教の原理をもって自ら慰めんことをつとめたるなり」とある。また序の「回顧30年」において、「この書今年を以て発行満三十年に達す。余はただ心の中に燃る思いに強いられ、止むを得ず筆を執ったのである」と述べ、「余の執筆の業はこの小著述を以て始った。余はこの著を以て独り基督教文壇に登った」と述懐した。この書において内村は初めて無教会主義の概念を提示し、正宗白鳥はこの書を愛読して大きな影響を受けた。
しかし一方、「『困難の問屋である』と言って冷笑する者もあり、或は『国人に捨すてられし時』などと唱えて自分を国家的人物に擬するは片腹痛と嘲ける者もあった」という。しかし「余は教会と教職とに問わずして、ただちに人の霊魂に訴えた」(『基督教徒のなぐさめ』岩波文庫P8)と語っている。
『基督信徒のなぐさめ』には、国とキリスト教会から捨てられたこと、最愛の妻を失ったこと、事業に失敗したこと、貧に陥ったこと、病に伏せたこと、の6つ苦難が記されている。愛する者から(国家・教会)から捨てられ、愛するものを失い、全てを失って死の淵に追いやられたが、しかしそこから甦り、復活することになる。ちなみに筆者も全てを失ってどん底を経験したが(65才)、そのどん底で神(聖書)に出会って復活した体験がある。回心聖句は「キリストの故に全てを失ったが、それはキリストを得るためである」(ピリピ3.8)であった。まさに「死にて活き、捨てて得る」(マタイ16.25)である。
この『基督信徒の慰め』は、「愛するものの失せし時」「国人に捨てられし時」「基督教会に捨てられし時」「事業に失敗せし時」「貧に迫りし時」「不治の病に罹りし時」の6章よりなっている。以下、この6章のうち、「愛するものの失せし時」「国人に捨てられし時」「基督教会に捨てられし時」の3重苦について考察する。
<国人に捨てられし時>
内村の受難は「不敬事件」から始まる。1891年、第一高等中学校(旧制第一高等学校・現東京大学教養学部)の講堂における教育勅語奉読式において、 教員と生徒は順番に教育勅語の前に進み出て、明治天皇の親筆の署名に対して「奉拝」(最敬礼)することが求められた。内村は舎監という教頭に次ぐ地位のため、「奉拝」は三番目だったが、最敬礼をせずに降壇した。内村が天皇親筆の署名に対して、キリスト者の矜持から「最敬礼」(奉拝)を行わなかったことが不敬とされ、嘱託教員を免職になり、社会問題化して国から追われた事件である。
マスコミがこの事件を大きく取り上げ、「内村鑑三の不敬事件」として全国に喧伝され、東大教授の井上哲次郎は激しく内村を攻撃した。日本組合基督教会の金森通倫は、皇室崇拝、先祖崇拝は許されると主張したが、日本基督教会の指導者植村正久はこれを認めなかった。
内村は「国のために神を愛し、神のために国を愛し、国民こぞって神聖なる愛国者となるべきなり」(P31)と述べた上、「かくのごとき社会において、人もし国に捨てられしならば、すなわち神に捨てられしなり」と、神に捨てられた心情を吐露し、「今やこの頼みに頼みし国人に捨てられて、余は帰るに故山なく、もとむるに朋友なきに至れり」(P32)と告白した。
しかし「地に属するものが余の眼より隠されし時、始めて天のものが見え始まりぬ」と悟り、「ああ余も今は世界の市民なり。生をこの土に得しにより、この土の外に国なしと思いし狭隘なる思想は、今は全く消え、小さきながらも世界の市民、宇宙の人と成るを得しは、余の国人に捨てられしめでたき結果の一にぞある」(P44)と述べた。
こうして世界人となった内村だが、「捨てられし後は国を慕うはますます切なり」(P35)と述べ、「もし御意ならば我をして再びわが夫(日本)の家に帰らしめよ」(P35)と愛国の情を吐露するのである。内村曰く、「ああ余は良人(日本)を捨てざるべし、孤独彼を思うの切なるより余の身も心も消え行けど、この操をば破るまじ」(P36)と再び日本への愛を誓うのである。国から捨てられて、一層国への愛が甦ったというのである。こうして日本国への愛憎の中で、内村は正真正銘の愛国者となった。
以上のように、国をあげて血祭りにあげられた内村は、その後の数年の間、国中に「枕するに所なき」困窮の中、各地を放浪しながらミカン箱を机にして筆を取り、『基督信徒のなぐさめ』を初め、『求安録』 『余はいかにしてキリスト教徒となりしか』等の名著を続々と世に送り、キリスト教文筆家として再び世に立ったのである。また不遇時代、横井時雄や徳富蘇峰らの友人が内村を助け、京都では、便利堂の中村弥左衛門が経済的に内村を支えた。
今や我がUCも国から仕打ちを受けて捨てられし立場だが、内村のようにこの怨讐を超えて、真の愛国者に飛翔したいと思料する。
<基督教会に捨てられし時>

内村は、国から捨てられただけでなく、教会からも捨てられたという。内村は、「余の神学上の思想についても、伝道上の方針についても、教育上の主義についても、余の真理と信ずる所を堅守するがために、或は有名博識なる神学者に遠ざけられ、或は基督教会の人望を有する高徳者より無神論者として排斥せられた」(P40)と記している。そしてついには教会全体より「危険なる異端論者、聖書を蔑ろにする不敬人、ユニテリアン(悪しき意味にて)、狂人、名誉の跡を逐おう野望家、教会の狼、等の名称を付せられ、余の信仰行蹟を責むるに止とどまらずして、余の意見も本心も、ことごとく過酷の批評を蒙むるに至れり」(P41)として教会から捨てられたというのである。
内村は、アマースト大学卒業後入ったハートフォード神学校を中退して、資格よりも実質を重視し、敢えて教会教師(牧師)の資格を取得しなかった。牧師や宣教師を無視するような言動もあり、不敬事件で植村正久ら基督教主流からの批判を浴びたことも重なり、教会から異端視されていったのである。
しかし、「ああなつかしきかな余の生れ出し北地僻郷の教会よ(札幌独立教会)、朝に夕に信徒相会し、木曜日の夜半の祈祷会、土曜日の山上の集会、日曜終日の談話・祈祷・聖書研究。たまたま会員病むものあれば信徒こもごも不眠の看護をなし、旅立を送る時、送らるる時、祈祷と讃美と聖書とは我らの口と心とを離れし暇はほとんどなかりき」と述懐しているように、内村は教会をこよなく愛していた。
そして内村の信仰的原点は、「主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ」(マタイ4.10)という言葉に示され、また「わたしが宣べ伝えた福音は人間によるものではない。ただイエス・キリストの啓示によったのである」(ガラテヤ1.11~12)という確信だった。これこそ真理の基準、神と真理とを知る惟一の道であり、まさに心霊の自由を得んがために基督教に帰依したという。
しかるに内村の知能や経験や信仰が進むと同時に、内村の思想ならびに言動において、しばしば基督教先達者、神学博士と意見が違ってきたという。そして前記の通り異端児の烙印を推されたというのである。
しかし神はこの危険より内村を救われた。教会と神学者は内村を捨てるが、「いまだ聖書を捨てていない自分は神に捨てられていない」という確信であり、そして内村は「イエスの名と十字架」にすがったのである。「だれも今後は、わたしに煩いをかけないでほしい。わたしは、イエスの焼き印を身に帯びているのだから」(ガラテヤ6.17)とある通りである。
然り、「自己の善行によらずして十字架上に現われたる神の小羊の贖罪に頼む」、この信仰こそ神の子供たるの証拠であり、まさに「義人は信仰に依りて生くべし」(ガラテヤ3.11)である。内村は言う、「聖書は孤独者の楯、弱者の城壁、誤解人物の休所なり。 これに依りてのみ余は法王にも大監督にも神学博士にも牧師にも宣教師にも抗することを得るなり。余は聖書を捨てざるべし」(P43)と。この確信こそ、内村の「聖書研究会」の原点であり、まさに日本のマルティン・ルターに準えられる。
曰く、「自分はいと小ちい者であるが、全能者と直接の交通を為し得べきもの、神は法王・監督・牧師・神学者らの手を経ずして直接に教え賜う」(P46)と。教会は神の子供の集合体にして無私・公平・和愛・慈悲の凝結であり、真正の信徒ありて教会あるのであって教会あって信徒があるのではないとした。そして「教会無誤謬説も聖書無誤謬説と同時に中古時代の陳腐に付せる遺物」(P49)と断じ、20世期の人心より棄却すべきものなりとした。これら内村の聖書のみ、信仰のみの思想こそ無教会主義の原点であり、内村の教会論である。
ちなみに無教会主義とは、「教会が存在するべきではない」という意味ではなく、むしろ内村はキリストの究極的かつ単一の体としての「普遍的教会」を求めていた。内村は雑誌『無教会』の創刊号で、「無教会は教会のない者の教会であります」と言っているように、無教会とは、諸々の事情で行き場を失ったクリスチャンが集まり、聖書を学び、相互に信仰を養い、祈り合う共同体でもある(中村友彦著『内村鑑三の無教会主義』P26)。聖書のみ・信仰のみを信条とし、教会制度や典礼やサクラメント(聖餐式・洗礼など)は存在せず、神の言葉に従って生きるという原則を死守している。UCでいう家庭教会(ホームチャーチ)に近い。(参考「内村鑑三の世界(2) 内村の教会論、聖書研究会」→ https://x.gd/G1hog )
イエスもルターも聖者はみな教会から捨てられた。内村も教会に捨てられて無教会となり、人の手によって造られた教会を持たず、慰める讃美の声もなく、自分のために祝福を祈る牧師もない。そうであれは神を拝し神に近ちかづく「宇宙の教会」に入会せんと。曰く「しかれども神は堪ゆ能わざるの試錬を与えず(コリント10.13)。教会我を捨てし時に神は我を取り挙げたり。余の愛するもの去ってますます神に近く、国人に捨てられて余は神の懐にあり、教会に捨てられて余は神の心を知れり」(P50)と。
そして内村は教会に捨てられて始めて「寛容の美徳」を知るに至ったという。ゆえに自分を捨てた教会を恨まず、今より後、自分と説を異にする人を裁くことはするまい、「寛容は基督教の美徳なり、寛容ならざるものは基督教徒にあらざるなり」(P53)とした。
「ああ神よ余は教会を去さってもなんじを去る能わざるなり、教会に捨てらるる不幸は不幸なるべけれども、なんじに捨てられざれば足れり」(P56)
こうして内村は教会から捨てられることで、神と新たに結ばれ、無教会主義の思想に到達したのである。それは神と聖書の前に一人立つ孤高の思想である。今やUCも基督教会から異端として排斥されており、内村の「基督教会に捨てられし時」(三章)は多いに参考になり励みになる。
<愛するものの失せし時>
さて内村は不敬事件と前後して、悪性の流感により病床にあり、意識不明の状態だったが、本人が知らないうちに第一高等中学校嘱託職員を免職となった。しかも最愛の妻加寿子(旧横浜加寿子)は不敬事件の心労、内村の看護で自らも流感に感染し、1891年4月19日病死した(22才)。加寿子とは1889年7月に結婚したが2年余りで死別したのである。
自著『基督信徒のなぐさめ』の第一章「愛するものの失せし時」は、22才で亡くなった加寿子にちなんだものである。加寿子の死は、自責の念もあり、内村を奈落の底に追いやり、「生命は愛なれば、愛するものの失せしは余自身の失せしなり」(『基督信徒の慰め』岩波文庫P16)と記した。しかしこの加寿子の死を通して、死と来世について身を持って理解するようになる。加寿子は亡くなる5日前、病床にあって受洗した。ちなみに、内村の娘ルツ子は1912年に18歳で病死したが、ルツ子の死は復活と再臨運動の動機となった。
内村は妻加寿子の死が彼の魂にもたらした「無限地獄」について告白した。「哲学の冷めた目をもって死を学び、思考を転ぜんとするも得ず、牧師の慰めも、親友の勧告も、今は怨恨の思いを起すのみにして、私は荒熊の如くになり」(P17)と嘆き、「愛するものを余に帰せと云ふより外はなきに至れり」と記した。
そして愛するものの喪失の先には神の喪失という、キリスト者内村にとって更に深刻な試練が生じたのである。即ち、「愛するものの失せしより、数月間、祈祷を廃したり。祈祷なしには箸を取らじ、祈祷なしに枕に就かじと誓いし余さえも、今は神なき人となり。恨みをもって膳に向い、涙を以て寝床に就き、祈らぬ人となるに至れり」(P20)と、生命視していた祈祷さえできないほどうちひしがれたという。
当時不敬事件、貧乏、病気などで最悪の境遇にあった内村に献身し、時には内村に叱責もされ、若くして国賊の妻として死んでいった加寿子への負債に苛む内村だったが、しかしその妻に報いる機会が「永遠に失われたのではない」ことを悟るようになる。内村は妻の墓前で、天よりの「静かな細い声」(1列王19.12)を聞く。
即ち、「汝、何故に汝の愛するもののために泣くや、汝なお彼に報ゆるの時をも有せり。彼の汝に尽せしは汝より報いを得んがためにあらず、汝をして内に顧みざらしめ、汝の全心全力を以て神と国とに尽さしめんがためなり。汝の悲歎後悔は無益なり。心と思いを磨き、信仰に進み、愛と善との業を為し、その後、死んで聖霊の王国に来る時は、多くの成果を以て、我が主なる神と我とを喜ばせよ」 (P26)と。神と日本のために働くことこそ亡き妻に報いる道だと、内村はそういう声を聴いて、ここに初めて無限地獄から脱し、蘇生したというのである。
しかして、「祈祷は無益ならざりしなり。余は祈祷を廃すべけんや、以前に勝る熱心をもって祈祷を捧ぐべし」(P21)との霊的心境に引き上げられていった。曰く、「余は余の愛するものの失せしによりて、国も宇宙も、時には神をも失いたり。しかれども再びこれを回復するや、国は一層愛を増し、宇宙は一層美と壮宏とを加え、神には一層近きを覚えたり。余の愛するものの肉体は失せて、彼の心は余の心と合せり。然り、余は万を得て一つを失わず、神も存せり、彼も存せり、国も存せり、自然も存せり、万有は余に取りては彼の失せしが故に改造せられたり」(P28)と。
かくして内村は、「失せしものを回復するや、神は一層近きを覚えたり」と記し、妻も国も神も喪失したかに思えた出来事は、それらとより深く交わるための道程だったのである。「愛するものの肉体は失せて、その心は余の心と合せり」と愛するものとの新たな交わりを体感し、そして彼の得し所これに止とどまらず、天国と縁を結び、天国という親戚を得たという。内村はかく言う。
「『人もしこれを得んと欲せば、まずこれを捨てざるべからず』(マタイ16.25)。実にこの世は試錬の場所なり。我ら意志の深底より世と世の総てを捨てさりてのち、始めて我らの心霊も独立し世も我らのものとなるなり。『死にて活き、捨てて得る』、基督教のパラドックス(逆説)とはこの事をいうなり」(P25)
若き日に、内村に心酔した作家の正宗白鳥は、この「基督信徒のなぐさめ」を高く評価し、その中でも第一章の「愛するものの失せし時」が最も優れているとした。
以上、日本のルターとも言える内村鑑三の処女作「『基督信徒のなぐさめ』に見る6重苦からの復活」と題して、主に内村の3重苦について考察した。この内村の32才の告白録は、内村の「復活信仰」の精髄とも言え、内村と同様、国から追われてバッシングを受け、キリスト教会から異端視され、試練の中にあるUCとその信徒にとって、あるいは試練を背負う全ての人々にとって、まさに最良の羅針盤となり、試練を恵みに転じるよき見本になると信じるものである。(了)
牧師・宣教師 吉田宏



