執行草舟氏の高市首相観 何度も死を体験した人間の死生観
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○徒然日誌(令和8年2月18日) 執行草舟氏の高市首相観ー何度も死を体験した人間の死生観
自分の命を愛する者はそれを失い、この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう(ヨハネ12.25)
プロローグ
英誌エコノミスト(14日~20日号)は、「世界で最も強力な女性」と題する高市首相の特集記事を掲載した。衆院選での大勝を踏まえ、「首相は日本を変革する歴史的な機会を手にした」として、「右派だけでなく、日本全体の指導者になるべきだ」と論じた。
防衛力の強化や非核三原則の見直しなどを念頭に「タブーを破ろうとする姿勢は健全だ」と指摘し、またトランプ米大統領と良好な関係を築いている点も「称賛に値する」とした。そして、「世界が揺らぐ中で、日本は安定に寄与する重要な役割を担っている」と国際社会における指導力にも期待感を示した。(2月15日読売新聞)
エコノミスト誌と同様、今回筆者が取り上げる執行草舟(しぎょうそうしゅう)氏も、高市首相を運と徳を兼ね備えたジャンヌダルクのような女性だと高く評価している。筆者が執行氏に深い関心を持つきっかけになったのが、執行氏の高市首相評が、普通の評論家にはない「霊性革命」という宗教的視点から深く論評されていたからであり、「一体、執行氏とは誰か」という問題意識を持ったのである。
執行氏は、宗教的思想家・葉隠研究家・実業家であり、高市首相が学んだ松下政経塾に講師として呼ばれ、何回も講演(講義)している。執行氏は松下幸之助の「憂国の思想」を論じた『悲願へ ― 松下幸之助の憂国の思想』(2013年、PHP研究所)という本を出版したが、この本を松下政経塾出身の人たち約50人に贈呈したところ、唯一高市早苗議員だけが、律儀に読後感を書いて送ってこられたという。なお、UCの解散請求に関しては反対し、戦前の大本教の宗教弾圧のようになりかねないと警鐘を鳴らしている。
【執行氏の高市首相観】
執行氏は高市早苗首相の誕生と総選挙の大勝に関して、3本のユーチューブ動画をアップし、①日本の名誉を取り戻す、②どうなる解散総選挙、③自民党圧勝の意味、とのテーマで、興味深い論評をしている。以下、その骨子を記す。
①日本の名誉を取り戻す
執行氏は、「政治家と選挙は大嫌いだ」と公言し、「子供の頃から選挙制度が国を滅ぼすと信じていた」とし、今まで選挙に行ったことがないという。選挙は大衆が指導者を選ぶ人気投票であり、これでは大衆に迎合する小器用な人間だけが選挙に当選するとした(執行草舟著『超葉隠論』実業之日本社P233)。確かに、世論に忖度して、民法の不法行為も宗教法人の解散事由に当たると、一夜にして解釈変更した岸田元首相の例を見れば一目瞭然である。
だが高市首相だけは別格だという。政治家嫌い、選挙嫌いの執行氏が、あえて高市早苗という政治家を論じたというのである。
執行氏は、高市氏が首相に就任(10月21日)してから、二、三週間の外交を見て、戦後最大、最高の首相だと確信したという。高市首相には不動の信念があり、そして若い時から政策を研究してきた膨大な知識と情報の蓄積があるとし、それに加えて、品性が高貴である、即ち「隠れた高貴さ」があるとした。これは彼女の血筋から来ているのではないかという。
高市首相が、トランプをはじめ世界の首脳を魅了した外交舞台で見せたあのパフォーマンスと毅然とした態度は、決して付け焼刃のものではなく、蓄積された信念・知識・知恵などの目に見えない努力と人徳によるものだという。彼女なら今や失墜した日本の名誉を取り戻し、日本を救えるかもしれないと述べた。
②どうなる解散総選挙
執行氏は丙午(ひのえうま)の冒頭行われる総選挙(1月23日公示、2月8日投開票)について、「今までにない選挙になる」と予言した。丙午は、真夏の太陽と旺盛な午のエネルギーが重なる年で、非常に強烈で情熱的な性質を持つという。
執行氏は選挙目当てに急ごしらえに作られた「中道革新連合」を「いかれている」と辛辣に批判した。この立憲民主党と公明党の野合は、丙午のエネルギーと高市首相のパワー(運勢)に押された産物であるとし、立憲も公明もこれでおかしくなり瓦解すると予告した。
何故なら、立憲と公明は数ヶ月前まで政敵として対立してきた政党であり、左翼の立憲と宗教政党の公明は水と油であるという。左翼とは、神を否定し人間を神とする思想であり、浅薄なヒューマニズムや安易な平和主義を標榜する。一方、保守とは、人間より上位にあるものがあるということを認め、その崇高なもののために生きるということを認める思想であるとした。執行氏曰く、「左翼思想は物質主義であり、物質主義は浮遊霊、即ち満たされない霊である」と。従って、そもそも無神論で物質主義の左翼立憲と宗教政党の公明が合併することは原理的に不可能だというのだ。ひょっとしたら中国の指令があったかも知れないという。
執行氏は丙午と高市首相のエネルギーで、立憲や公明だけでなく、中国まで狂ったとし、中国は墓穴を掘ると予言した。こうして「高市首相を絶対許さない」という焦りが、彼らを土壺(どつぼ)に落としたと明言した。
③自民党圧勝の(霊的)意味
さて2月8日投開票の総選挙は、高市自民党の歴史的勝利に終わり、中道は予告通り自滅した。自民党が単独で316議席を獲得し、定数465議席の3分の2を上回ったが、一方、立憲は公示前の144議席に対し、今回得たのはわずか21議席であり、中道は惨敗した。
執行氏は、「これはロシア革命やフランス革命に匹敵する霊性革命」であり、「聖霊が降臨した」という。2月8日は大雪だったが、これは大変革が起こる前兆で、二・二六事件も西郷隆盛の熊本城進軍の時も豪雪だったという。この勝利は歴史的であり、私たちは歴史の「生き証人」であるとした。
そしてこの勝利は、92%もの高市支持を表明した若者を中心に、日本人がようやく「覚醒した」のであり、端的に言えば、日本国民が中国の横暴に立ち上がったのだという。日本は危うく中国の属国になるところだったのである。この選挙ではっきりしたことは、一貫して「高市下げ、中道上げ」を標榜したオールドメディアが終焉したことである。執行氏は、オールドメディアの酷さは目に余り、まさに中国の巣窟であると明言した。こうして丙午と高市パワーにより、中道もオールドメディアも中国も、回りはみな自滅していったのである。
トランプ大統領は衆院選を控えた5日、「高市氏を全面的に支持する」と異例の表明をしていたが、選挙の勝利を受けて高市首相に祝意を表し、「保守的で、力による平和という政策の成功を祈っている」と述べた。 また自身の交流サイト(SNS)でも、高市氏について「非常に尊敬され、人気の高い指導者」だとした上で、「選挙に踏み切った大胆かつ賢明な決断は大成功を収めた」と称賛した。また、メロー二もスターマーもマクロンも高市首相にエールを送ったが、これらは高市首相の運と徳と実力への賛辞だと執行氏は言う。
執行氏は選挙当日(2月8日)、高市首相のために祈りを捧げ、般若心経を400回唱えて勝利を祈念したという。祈りは言霊であり、言霊は世界を変える力であるからだ。また前祝いに赤飯を炊き、42年前に亡くなった配偶者(妻)と一緒に祝ったという。ちなみに執行氏は、33才の時、当時27才の配偶者を癌で失い、以後再婚はしなかった。執行氏は結婚は一回だけと決めており、亡き妻を42年間供養し続けてきたとし、死後再会できるという。まさに見上げた信念(信仰)、執行氏流に言えば「忍ぶ恋」である。その妻は、その時妊娠していた子のために抗がん剤を打たず、一人娘を産んで死んだという。
そして執行氏は大勝利のリバウンド(揺り戻し)は来ないと明言した。何故なら、高市人気はポピュリズムではなく、内実があるからだという。ただ一つの懸念は、高市氏の健康と自民党内部の造反だという。外の敵は自滅したが、内部の侮れない敵が残っているからである。
以上が執行草舟氏の高市早苗論である。筆者は、執行氏が松下政経塾という縁もあり、また執行氏の世界観・歴史観・死生観と高市氏との相性の良さもあるとは言え、実際のところここまで高市首相を高く評価しているとは思わなかった。まさに執行氏は、高市首相を常ならぬ「聖霊の賜物」と考え、日本を救う女神だと心底認識したのである。
【執行草舟の人生と死生観】
では「執行草舟とは誰か」、以下、生い立ち、思想、業績、そして死生観について考察し、可能な限り執行氏の本質に迫っていきたいと思う。何故なら、執行氏は高市首相を高く評価し、UCの解散請求に反対を表明しているだけでなく、山本常朝(やまもとじょうちょう)の『葉隠』、ジョン・ミルトンの『失楽園』、そして『聖書』を座右の書として愛読する執行氏の思想には、現世を超越した深い宗教的真理の裏付けと実践があるからである。
<執行草舟とはーその来歴>
執行草舟氏は、実業家・著述家・歌人・生命論研究者であり、独自の「生命燃焼論」に基づき事業を展開する人物である。本名は執行祐輔(しぎょう ゆうすけ)で、バイオテック株式会社(現・株式会社日本生物科学)を創業し、菌酵素食品事業を牽引するほか、戸嶋靖昌(としまやすまさ)記念館館長として美術品を収集・公開し、数多くの著作も発表している。執行は、自身の病気や怪我など、死の体験から得た「死生観」を探求し、「絶対負」の思想を確立した。以下、執行草舟Webサイトより略歴を記す。
1950年6月26日、東京で生まれ、立教小学校から立教大学まで一貫教育を受ける。執行家は佐賀県の鍋島藩において家老職や奉行職を務める。父・執行一平は旧制東京商科大学を卒業後、三井物産に入社し、三井財閥の窓口として、GHQの財閥解体にも助力した。母・千鶴子は岐阜県の大垣の大庄屋である早野家の末娘である。
1957年(7才)、立教小学校入学前に、突然42度の高熱が出て呼吸困難に陥る。膿胸の石化現象を起こしており、名医・山下九三夫の施術により一命をとりとめた。死病を克服して初めて出会った『葉隠』が、人生すべての思想の根幹となる。
その後、体の症状を整体師の野口晴哉(のぐちはるちか)に見てもらうが、禅の「啐啄の機」(そったくのき)という言葉を教わり、生命の神秘、禅的思想の根本を体得していく。ちなみに啐啄の機とは、雛が卵から孵化する際、内側の雛の「啐(つつく)」と親鳥の「啄(つつく)」が同時に合致する絶妙なタイミングを表す禅の言葉である。
1966年、中学校三年の時に、知人の山荘で三島由紀夫に出会う。 当時三島文学をすべて読破していたため、自分なりの三島文学論を本人にぶつけたという。
1970年、立教大学法学部に入学。刑法の所一彦、法哲学の神島二郎に指導を受け、また団藤重光の『刑法綱要』を研究する。
1974年、大学卒業後、大正海上火災に入社。その後、ほどなくして大正海上を辞め、神奈川県三浦市の中規模造船会社、三﨑船舶工業㈱に勤める。
1981年、お見合いをし、妻となる充子と出会う。充子は学習院大学国文科で『源氏物語』を研究。充子との結婚生活は二年二ヶ月続いたが、充子はスキルス性の乳癌にかかり、癌が発見された時に既に妊娠しており、抗癌治療をせずに子供を産む事を決意し、1983年5月に娘が生まれる。その後、ほどなく充子は亡くなる。
この頃、個人研究として発酵菌及び食物の関連について実地研究を開始する。精神的確立において岩波の『内村鑑三全集』全四十巻がすべての研究の根幹となり、「絶対負」という独自の思想を探求することになる。
1984年、妻の死を機に、菌食・ミネラルによる酵素食品の会社であるバイオテック株式会社、現・(株)日本生物科学、(株)日本菌学研究所)を設立する。バイオテック株式会社は単なる健康のためになる食品ではなく、「自己の生命の燃焼を補完し、自分らしくきちんと死ぬために開発した製品」であるという。
1988年にはバイオテック株式会社本社が港区虎ノ門に移転する。1989年、(株)日本生物科学新館工場が完成し完全一貫生産体制となる。
1990年代には独自の生命燃焼論と思想・哲学を広めるための刊行物が開始される。2001年、自身の名前を「草舟」と号す。「草」の由来は吉田松陰の「草莽崛起」から取られた。
執行草舟コレクションを主宰し(戸嶋靖昌記念館)、
現在では執筆活動も精力的に行う。著書に人生論『生くる』、詩歌随想集『友よ』、哲学・思想エッセー『根源へ』(以上、講談社刊)、独自の葉隠論『超葉隠論』(実業之日本社)、『悲願へ ―松下幸之助と現代』(PHP)、自叙伝『おゝポポイーその日々へ還らむ』( PHP)、816頁の大作『現代の考察―ただ独りで生きる』(PHP)などがある。
いわば執行氏は、葉隠(武士道)の信奉者、死の哲学者、霊能者、キリスト者、そして実業家であり、このようなマルチ人物がいたということは驚きであり、筆者は深く付き合いたいと希望している。
<少年期の死の体験と葉隠との出会い>
執行草舟氏の死生観の原点は、少年期に死と何回も直面した経験と、『葉隠』との出会いである。執行氏は少年期に4度死んだ体験をし、いわゆる臨死体験をして、あの世(死後の世界)を見てきたという。執行氏は、「私は、何度も死の淵を乗り越えて来た。それは病気のこともあり、また自ら招いた怪我であったことも何度かある」(『超葉隠論』P60)と述べている。
「小学校に入る前(7才)、医者から必ず死ぬと言われた大病に見舞われ(心臓が30分止まる)、奇跡的に助かった。そんな死病との6ヶ月の闘病の末、退院して家に帰った時、家の本棚にあった『葉隠』をふと手に取って読んだ。この出会いは天啓だと思った」(『超葉隠論』P201)
また、12才の時、転落して頭蓋骨を二つに割るという大げかをするも、整体師の野口晴哉(のぐち はるちか)氏により、奇跡的に助かっている。故に執行氏にとって「死」は常に身近なものであり、哲学の源泉になった。そして、言わば死の哲学ともいうべき『葉隠』(はがくれ)は執行氏の生涯の死生観を決定づけた。
執行氏は自らの死生観について、「死のために生きる」、「死ぬことと生きることは表裏一体」、「死の仕方を考えることで、生の仕方が決まる」といった言葉を頻繁に使って語り、人間の本質を問うた。これは、死を恐れる対象とするのではなく、「死を通じて生命の意味を問い直すこと」、即ち、「死から生を捉える死生観」である。執行氏にとって、先ず「死ありき」というのであり、それが葉隠冒頭の「武士道とは死ぬ事と見附たり」で開眼する。ちなみにこの言葉は、いつでも死ねる覚悟を持って生きよという人間(武士)の生き方である。
執行氏が死から生還して出会った『葉隠』は、江戸時代中期(1716年ごろ)、執行氏の祖先が仕えた佐賀鍋島藩の藩士・山本常朝が武士としての心得を口述し、それを鍋島藩士田代陣基(たしろつらもと)が筆録しまとめた書である(全11巻)。執行氏の祖先が仕えた鍋島藩の武士の心得だけに、執行氏は特別な思いを感じたはずである。

執行氏は、「葉隠とは『武士道』の書物ではない。それは、ひとりの武士(山本常朝)の慟哭であり、その覚悟が述べられている」とし、「私は生涯を貫いて、この葉隠だけを信じ、この思想のみで生き、また死のうと決意している」(『超葉隠論』P21~22)と明言した。
また執行氏は、「葉隠は、一言で言えば人間の持つ魂の超越性を語っている。そのような意味で、私は小学生のときから、葉隠に最も近いものとして『新約聖書』を座右に置いている。キリストの言葉も、また人類のもつ魂の超越性を述べているからだ」と(『超葉隠論』P23)と述べている。
なお外資トップで『葉隠の箴言』を書いた新将命氏は、「葉隠は死ぬことを迫る書物ではなく、生きるための書物、それも現代に通じる組織の中で働く人々やリーダーのための『よりよく生きる方法』を記した書物である」と述べている。
<葉隠十戒>
執行氏は小学校五年の時、聖書のモーセの十戒に準えて、葉隠の根幹をまとめた「葉隠十戒」を定めた。つまり、「それを守らなければ必ず死ぬという誓いの下に創り、それ以来、60年以上に亘って、この葉隠十戒だけで生きてきた。私の全読書、全生涯はすべてこの十戒のどこかに収斂する」(『超葉隠論』P24)と述べ、この十戒は葉隠の骨髄であり、この中に葉隠のすべてがあるという。以下、死についての葉隠十戒を記す。
第一戒 武士道といふは、死ぬ事と見附けたり。
第二戒 二つ二つの場にて、早く死ぬほうに片付くばかりなり。
第三戒 図に当たらぬは犬死などといふ事は、上方風の打ち上りたる武道なり。
第四戒 毎朝毎夕改めては死に改めては死ぬべし。
第五戒 恋の至極は、忍ぶ恋と見立て申し候う。
第六戒 一生忍んで、思い死にする事こそ恋の本意なれ。
第七戒 本気にては大業ならず、気違ひになりて死に狂ひするまでなり。
第八戒 不仕合せの時、草臥(くたぶ)るる者は益に立たざるなり。
第九戒 必死の観念、一日仕切りなるべし。
第十戒 同じ人間が、誰に劣り申すべきや。
この葉隠(十戒)は、聖ベルナールの中世聖堂騎士団の『誓いの書』、即ち、テンプル騎士団(聖堂騎士団)の誓願規定と一緒であると執行氏はいう(『超葉隠論』P220)。テンプル騎士団は、修道士と同じ三誓願である清貧(財産を持たない)、貞潔(独身)、服従(教皇への絶対服従)に加えて、 「聖地防衛」への献身、キリストのための「武装奉仕」を誓い、異教徒を殺すのは「殺人」ではなく、キリストの敵を排する「悪の除去」であるとした。これはユダヤ・キリスト教における 「聖戦思想」の理論化であった。
ちなみに執行氏は、聖公会キリスト教の小学校に通い、聖書やキリスト教の教えに触れていたので、「モーセの十戒」を知っていた。執行氏は、立教小学校第3代校長で牧師の有賀千代吉(ありが ちよきち)氏から、人生がひっくり返るような多大な影響を受けたといい、自ら(無教会の)キリスト者と告白している。但し、執行氏のキリスト教には、十字架思想はあるが、教会への帰属や明確な原罪と復活思想は見られない。
<神秘体験>
執行氏は霊的体質(霊媒体質)があり、幾度か不可思議な神秘体験をしている。執行氏は3才の時から14才まで、一週間に一度不可思議な夢を見たという(『超葉隠論』P23~24)。
「かぐや姫」としか思えない十二衣の貴婦人が、永劫の時間としか思えないような動きで、ただ月に向かって昇っていくという夢である。どこまでもどこまでも、いつになっても到達しない月に向かって上昇して行く夢。その荘厳と崇高が記憶に残り、それはまた「荒涼」という景色の極点といってもよく、一週間に一度、14才の終わりまで、その死の荒涼の夢は続いたという。 そしてその夢が終わりに近づくころ、「葉隠十戒」がその全貌を現し、14才を堺として、人間の持つ悲哀と死の本質に触れ、葉隠人生は確定したという。
それにしても14才で人生の根幹が確定するとは驚きである。また執行氏は10代にして、三島由紀夫の文学をはじめミルトンの失楽園やダンテの神曲など、古今東西の古典や文学を読破しているので、超早熟だったというしかない。この点、青年期に本らしい本など読んだことがなかった筆者とは真逆である。
更にもう一つの神秘体験は、28才の時の大失恋と、それに伴う自決を決意した時の神秘体験である(『超葉隠論』P71~72)。
27才の時、執行氏は立教大学キリスト教学科の女学生に一目惚れした。この女性は父が聖公会の牧師であり、キリスト教とイスラム教の比較宗教の研究のためにイラクに留学する予定だった。執行氏は彼女と結婚したい一心で、牧師なるために会社(三崎船舶)を辞め、聖公会神学院の入学を目指すことを決めたという。だが、28才の時、結婚直前に突如、無惨にも別れを告げられたというのである。
まさに大失恋であり、執行氏は失恋の痛みにより、生きる主体性を失い、意を決して、武士らしく城ヶ崎で脇差しを突き立てての自決を決意した。切腹のために岩礁で跪座(きざ)の姿勢をとったその瞬間、一陣の風に吹き飛ばされ、岩礁を転がり落ちたという。その時、昇ってきた眼前の太陽に突入したような感覚に襲われ、意識を失い切腹は失敗した。この時の太陽との合一体験から、「負」のエネルギーである、宇宙に偏満する生命の神秘と合一した実感を得たというのである。こうして執行氏は九死に一生を得、もう一度生を得た。
筆者はこの下りを読みながら、空海の室戸岬の洞窟(御厨人窟)での神秘体験や、日蓮の「龍ノ口法難」(1271年9月12日)を想起した。空海は室戸岬の洞窟で命がけで100万回の求聞持法を唱えていた時、「輝く明けの明星が口の中に飛び込んでくる」という神秘体験をした。また龍ノ口法難とは、日蓮が刑場である片瀬の龍ノ口(神奈川県藤沢市)で斬首されそうになった時、江ノ島の方から満月のような光の玉が飛んできて、執行人の刀が折れ、首を刎ねることができなかったと伝えられている日蓮四大法難の一つである。
執行氏が何度も死を体験して「死の哲学」を語り、日蓮が「先ず、臨終のことを覚えよ」と諭したように、執行氏にせよ、日蓮にせよ、まさに死からの生還であり、文字通り「生きんとするものは死に、死なんとするものは生きる」(ヨハネ12.25)を地でいったのである。執行氏は葉隠と共に、ジョン・ミルトンの『失楽園』を高く評価しているが、このような作品は、すべてを奪われ、すべてを失い、すべてを捧げた者でしか書けないと明言している。
以上、「執行草舟氏の高市首相観ー何度も死を体験した人間の死生観」とのテーマで、執行氏の高市首相観と死生観を論考した。偉大な思想は死の覚悟から生まれる所以であり、これを踏まえ、次回は葉隠から来る執行氏の「絶対負」の思想とその課題について考察したい。(了)
牧師・宣教師. 吉田宏




