創世記 注解⑪ ヨセフ物語-夢見るヨセフ、エジプトの総理大臣になる
- matsuura-t

- 2021年1月16日
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更新日:10月26日
🔷聖書の知識68ー創世記注解⑪ーヨセフ物語 -夢見るヨセフ、エジプトの総理大事になる
われわれは神の霊をもつこのような人を、ほかに見いだし得ようか(創41.38)
いよいよ、ヤコブの11番目の息子で、やっとのことでラケルが産んだ「ヨセフの物語」が始まります。創世記37章から始まり、途中38章にユダとタマルの逸話が挿入句のようにはいりますが、再び39章から50章までヨセフを中心に展開されます。
ヨセフは兄たちの嫉妬を買い、エジプトに売られていきましたが、神の手厚い庇護の下で、遂にエジプトの総理大臣まで登りつめることになります。飢饉でエジプトに下ったヤコブ一家は、そこでヨセフと歴史的な邂逅を遂げることになりました。こうしてヤコブ一家はエジプトで部族を形成し、メシアを迎えるための民族となっていきます。
【ヨセフ物語】
ヨセフ物語は創世記37章から始まります。
<ヨセフ、兄たちの嫉妬を買う>
ヨセフは年寄り子でしたから、イスラエル(ヤコブ)は他のどの子よりも彼を愛して、彼のために「長袖の着物」を作りました。当時、長袖の着物は、跡取りの長子に着せるものでしたから、他の兄達は心穏やかではなかったことでしょう。「兄弟たちは父がどの兄弟よりも彼を愛するのを見て、彼を憎み、穏やかに彼に語ることができなかった」(創37.3~4)とあるように、末子のヨセフはヤコブの寵愛を受け、兄たちからは嫉妬を受けたというのです。
またヨセフは「わたしたちが畑の中で束を結わえていたとき、わたしの束が起きて立つと、あなたがたの束がまわりにきて、わたしの束を拝みました」(創37.7)という夢を見てこれを兄弟に話し、「あなたはほんとうにわたしたちの王になるのか。あなたは実際わたしたちを治めるのか」(創37.8)と彼らは、ますます彼を憎くみました。更に、「わたしはまた夢を見ました。日と月と十一の星とがわたしを拝みました」(創37.9)という夢を見てこれを兄弟に話し、父ヤコブはヨセフを咎めて、「あなたが見たその夢はどういうのか。ほんとうにわたしとあなたの母と、兄弟たちとが行って地に伏し、あなたを拝むのか」(創37.10)と諭しました。
ヨセフは兄たちに殺されそうになりますが、結局、ヨセフは銀20シケルで隊商のイシマエルびとに売られ、エジプトへ連れて行かれました。そしてイシマエルびとらはエジプトでパロの役人、侍衛長ポテパルにヨセフを売りとばしました。
<誘惑に合うヨセフ 冤罪で牢獄に>
侍衛長ポテパルはヨセフを見込んで、家をつかさどらせ、持ち物をみな彼の手にゆだねました。執事長のような立場です。
ヨセフは姿がよく、顔が美しかったので、 主人の妻は「わたしと寝なさい」とヨセフに迫りました(創世記39.7)。ヨセフは拒みましが、彼女は毎日ヨセフに言い寄ったというのです。しかし、ヨセフは聞きいれず、彼女と寝ることはありませんでした。しかし彼女は、ヨセフが自分と寝ようとして乱暴したと偽って主人に告げ、主人の怒りに触れ、遂にヨセフは冤罪で王の囚人をつなぐ獄屋に投げ入れられました。
ちなみに、こういった女王など上位の女性による若者への誘惑という文学のモチーフ(題材)は、当時の東地中海に流布していたと言われています。(月本昭男著『物語としての旧約聖書』NHK出版P151)

<ヨセフの夢解きー総理大臣になる>
さてヨセフと同じ獄屋につながれた王パロの「給仕役」と「料理役」のふたりは、一夜のうちにそれぞれ意味のある夢を見ましたが、ヨセフはこの夢を解き明かします。そして後日、パロは不思議な夢を見ますが、誰も解くことができないでいた時、かってヨセフに夢解きをして貰って救われた給仕役は「ヨセフなら解くことができる」と王に進言することになりました。
ヨセフは、その夢は、「今後エジプト全国に七年の大豊作があり、 その後七年のききんが起ることを予示する夢である」と、夢の解き明かしをし、ヨセフは、七年の豊作のうちに食糧をたくわえ、飢饉に備えるようパロに進言しました。パロは、「われわれは神の霊をもつこのような人を、ほかに見いだし得ようか」(創41.38)として、ヨセフを取り立てて国の長とし、飢饉に備えることになりました。
ヨセフはこの「夢解き」のお陰で、遂にエジプトの総理大臣まで登りつめました。ヨセフ30才の時でした。その後ヨセフは全国をよく統治し、穀物を蓄え、飢饉を乗り越えることに成功します。
ヨセフはオンの祭司ポテペラの娘アセナテを妻とし、ききんの年の来る前にヨセフにふたりの子が生れ、長子をマナセ、次子をエフライムと名づけました。そして豊作の後、ききんが全地に激しくなったので、諸国の人々がエジプトのヨセフのもとに穀物を買うためにやってきました。ヤコブの家族もその一団です。
<どん底からの復活>
以上が、ヨセフがエジプトに売られ、遂に総理大臣になるまでの大まかな物語です。そしてこれらの出来事は、まさに神の霊妙な導き、手厚い神の庇護以外の何ものでもなく、背後に強い神のみ手がありました。ヨセフは、完全に神が選んだ摂理的人物だったのです。それにしても、これほどの劇的な出世物語はありません。豊臣秀吉も顔負けです。
かってヨセフは、兄たちから穴に落とされ、エジプトに奴隷として売られ、侍衛長ポテパルに僕として仕え、そして冤罪で牢獄に入れられました。文字通りどん底です。坂を転げ落ちるようにとは、まさにこのことであります。しかし神は、「夢の解き明かし」という方法で、このどん底のヨセフを引き上げられました。ヨセフをどん底に落とされたのも神であり、どん底から引き上げられたのも神でした。こうしてヨセフは復活したのです。
ナイチンゲールも言っていますように、神は、人を用いて何かをさせようとする時、先ず、その人を深い苦しみの中に追い落とされるといいます。必ず耐え難い試練を与えられるというのであり、これは信仰路程の鉄則と言えるでしょう。儒学の思想家である孟子も、天が人に重大な任務を与えようとする時には必ずその人に大きな試練を与えて訓練すると言っています。
では、これほどのどん底に落とされながら、何故ヨセフは、自らの人生を恨み嘆いて神を呪わなかったのでしょうか。それはヨセフが父ヤコブからたっぷり愛情を受けて育ったからです。苦労して長く信仰を歩んだ信徒が、最後に横道にそれたり、神を見失って去っていくケースが多々ありますが、その原因の多くは、愛の欠乏から神の愛を見失って分からなくなるからです。その点、ヨセフのように父母から愛された原体験がある信徒は、如何なる試練に会っても神の愛を見失うことはありません。ですから、親は子供の幼少期に豊かな愛情を注いでおくことが肝要です。
実は年離れた末子の筆者は、幼少期、両親と兄姉から溺愛されました。躾も規範もなく、ただ孫のように可愛がれました。 しかし、そのお陰で、反キリスト的性向が強かった筆者でも、神の愛を見失うことはなかったのです。父母の愛は神の愛につながるからです。そして筆者は、小学4年生の学芸会でヨセフ役をやらされましたが、あの時、ヨセフが聖書に登場する人物だとは夢にも知りませんでした。おそらく担任の女性教師はクリスチャンだったのだと思います。
<ヨセフの摂理的位置付けと教訓>
ヨセフ物語の前半は、メシアの為の家庭的基台を造成したヤコブの家庭が、メシアの為の民族的基台を形成するために、民族を形成するべくエジプトに下る為の下地を作った時代と言えるでしょう。ヨセフは図らずも、ヤコブ一家を迎える基盤を整えるために、神から先にエジプトに遣わされたのです。即ち、「メシヤのための民族的な基台」をつくるための、蕩減路程の出発基盤となりました。ヤコブの天の側の妻ラケルが生んだ子ヨセフが、先に、エジプトへ入り、その蕩減路程を歩んで、アベルの立場を確立しなければならなかったというのです。こうして、ヨセフは彼の兄たちによって、エジプトに売られ、30歳でエジプトの総理大臣になったのち、彼が幼いとき、天から夢で予示されたことが成就していきます。(創37.5~11)。
「まずヤコブのサタン側の妻レアが生んだ腹違いの兄たちが、彼のところに行って屈伏することにより、子女が先に入って、エジプト路程を歩み、つぎに、彼の父母が同じく、この路程の方に導かれました。このようにして、ヤコブの家庭は、将来、メシヤを迎えるための民族的蕩減路程を出発したというのです」(原理講論P335)
ここに、イスラエル民族史は、サタンを民族的に屈伏させてきた典型路程の史料となり、イスラエル民族史が、復帰摂理歴史の中心史料となる理由もここにあるというのです。同様の理由で、キリスト教史が、サタンを世界的に屈伏させてきた典型路程の史料となるというのです。
【夢見るヨセフー夢の神学】
最後に「夢」について考えておきます。何故なら、ヨセフ物語のキーワードが夢であるからです。ヨセフ物語は夢から始まり、夢によって導かれた物語と言っても過言ではありません。
「わたしたちが畑の中で束を結わえていたとき、わたしの束が起きて立つと、あなたがたの束がまわりにきて、わたしの束を拝みました」(創世記37.7)
「わたしはまた夢を見ました。日と月と十一の星とがわたしを拝みました」(創37.9)
<夢の解き明かし>
前記しましたように、ヨセフは牢獄で給仕役と料理役の二人の夢解きをおこない、それが遠因となって次のパロの夢解き行います。
「二年の後パロは夢を見た。夢に、彼はナイル川のほとりに立っていた。 すると、その川から美しい、肥え太った七頭の雌牛が上がってきて葦を食っていた。 その後、また醜い、やせ細った他の七頭の雌牛が川から上がってきて、川の岸にいた雌牛のそばに立ち、 その醜い、やせ細った雌牛が、あの美しい、肥えた七頭の雌牛を食いつくした。彼はまた眠って、再び夢を見た。夢に、一本の茎に太った良い七つの穂が出てきた。 その後また、やせて、東風に焼けた七つの穂が出てきて、 そのやせた穂が、あの太って実った七つの穂をのみつくした。」(創41.1~7)
上記のようにヨセフは、誰にも解くことができなかったこのパロの夢を見事に解き明かし、これが縁になって国の長になりました。ヨセフは、神の霊感を受けて預言者的な能力を発揮したのです。このヨセフの話しは、ネブカデネザル王の夢を解き明かしたダニエルの話しを想起させられます。(ダニエル2章)
ネブカデネザル王の見た「一つの大きな像」(ダニエル2.31)の夢をダニエルは説明し、そして解き明かしました。ダニエルは、「後に起こること」(ダニエル2.29)をバビロンの王に示されたのだと説明しています。つまりこれから起こることの預言的啓示です。 王の夢とその解きあかしをしたダニエルに対して、王は「ひれ伏し」ました(ダニエル2.46)。そして、ダニエルにバビロン全州を治めさせました。(ダニエル2.48)
こうして、ヨセフもダニエルも、夢を解き明かす特別な賜物を神から付与され.、王に引き立てられたというのです。
<夢の神学>
私たちも夢で導かれることが多々あります。誰にも一度や二度は、UC創始者や韓鶴子女史の夢を見た経験があると思います。
筆者は、創始者の夢は何度か見てきましたが、韓鶴子女史の夢は今までついぞありませんでした。しかし3年ほど前、筆者は意味深で奇妙な韓女史の夢を見たのです。この空前絶後、後にも先にもない韓女史の夢の顛末を参考にお話しいたします。
ある日のこと、筆者は韓女史と山道をドライブしていました。隣の韓女史の髪を触りながら「綺麗な髪ですね」とじゃれていたのです。ふと横を見ると左手に細い洞穴があり、筆者は車を降りて興味本意にその洞穴に入って行きました。窮屈な思いをして着いたところに大きな空間が広がり、崖の上から滝が流れていました。「綺麗なところだな」と思った瞬間、なんとそこは韓女史の子宮の中だと気がついたのです。びっくりした筆者は、あわてて外に出ていったという訳であります。
以上が夢の顛末ですが、これは一体どういう夢なのでしょうか。思いあぐんでキリスト教神学に詳しいある信徒に夢解きを頼みました。曰く、「吉田さん、これは重生(新生)の夢ですね。お母様の子宮に入って再び生みなおされるという重生を象徴する夢ですよ」と....。
確かに「み言」にも、そういったことが書いてあります。まだ半信半疑ですが、もしそれが事実であれば、ありがたい話しです。そして、この夢を見てから、韓女史との情関係が一挙に近くなったことは確かです。
また、最近親しくしていた信徒が死去されてとても気になっていましたが、この前、夢に出てこられました。皺は増えていたものの、自我から解放され、一皮剥けた屈託のない表情だったので、大変安堵し、以後は気にならなくなりました。
こうして夢の効用は確かにあり、神は夢を通して啓示されることがあるというのです。神は、自らを色々な方法で顕されます。夢や幻を始め、インスピレーション、啓示、黙示、そして役事です。私たちは、神からの教示を、どの段階のものなのかを慎重に見極める必要があるでしょう。神学的には、夢の内容には、見えない世界や無意識領域からの意味のあるメッセージが隠されていることがあるといいます。地域や社会によっては俗信として語り継がれているものもあり、初夢の「一富士二鷹三茄子」などが著名です。フロイトやユング以降の生理学・心理学研究の進展により、現在では、夢は記憶システムの機能の一部とする見方も出てきました。
しかし、ヨセフやダニエルのような天的で劇的なものばかりではなく、中には悪霊の仕業もあり得るのでよく分別することが必要です。夢による神意伝達という一面はあるものの、恣意的な夢解釈で、これを預言や占いの手段とすることを聖書は戒めています。「あなたがたのうちに、自分のむすこ、娘を火に焼いてささげる者があってはならない。また占いをする者、卜者、易者、魔法使、呪文を唱える者、口寄せ、かんなぎ、死人に問うことをする者があってはならない」(申命記18.10~11)とある通りです。
以上の通り、ヨセフ物語の前半を見て参りました。次回は後半の、ヤコブ一家がエジプトに下りヨセフと再会して、エジプトに定着していく経緯を見ていきたいと思います。(了)
*上記絵画:ポテパルの妻の誘惑(レンブラント・ファン・レイン画)



