top of page

​他のアーカイブ記事は下のカテゴリーメニューを選択し、一覧表示の中からお選び下さい。

​他の記事は下のVマークをタップし、カテゴリーを選択し完了をタップ。記事一覧が表示されます。

新約聖書の解説㉔ ヨハネの第二の手紙

🔷聖書の知識151ー新約聖書の解説24ーヨハネの第二の手紙


なぜなら、イエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白しないで人を惑わす者が、多く世にはいってきたからである。そういう者は、惑わす者であり、反キリストである。(1.7)


「ヨハネの第二の手紙」は公同書簡と呼ばれる書簡の一つで、13節のみで構成され、旧約・新約を通じて聖書中最短の書です。


【概観】


著者は1節で「長老のわたし」と名乗っており、これは使徒ヨハネを指す言葉て、本書簡は、ヨハネの第一の手紙、第三の手紙とならんで使徒ヨハネによるものと思われます。


この手紙は「選ばれた婦人とその子たち」(1.1)へ宛てられていますが、この「婦人」は、固有名詞というより「教会」の比喩表現であろうと考えられます。


つまり、婦人とは教会、その子どもたちとは、信者のことを意味し、この教会は選ばれた教会であり、よく知られていた教会であると思われます。


「私はあなたがたを愛しています」(1.1)とあるように、使徒ヨハネは「愛の使徒」「真理の使徒」と呼ばれました。


本書簡では、互いに愛し合うことの大切さ(1.5)を説き、偽教師に警戒するよう勧め(1.7)、偽り者を

家に入れることや挨拶することを戒めています(1.10)。


「イエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白しないで人を惑わす者が、多く世にはいってきたからである。そういう者は、惑わす者であり、反キリストである」(1.7)


ここで排撃されている偽教師は、グノーシス主義や仮現説的な思想と推測されます。


【使徒ヨハネとは】


ここで、使徒ヨハネについて言及しておきたいと思います。使徒ヨハネは、異説はあるものの、ここでは、ヨハネによる福音書、ヨハネの手紙1.2.3、そしてヨハネの黙示録は皆、使徒ヨハネによって書かれた書であるとの前提で話しを進めることにいたします。


さて使徒ヨハネは、新約聖書に登場するイエスの12使徒の一人で、ゼベダイの子ヨハネと呼ぶこともあります。聖人の概念を持つ全ての教派で、聖人として崇敬されています。


使徒ヨハネは兄の大ヤコブとともにガリラヤ湖で漁師をしており、もともと洗礼ヨハネの弟子だった(ヨハネ1.35~37)のですが、ナザレのイエスと出会い、その最初の弟子の一人となりました。当時はまだ紅顔の美青年でしたが、ペテロとともにイエスに最も愛された弟子と言われます。


ペトロ、兄弟ヤコブととも3弟子の一人とされ、イエスの変容の場面(マダイ17.1~8)や、ゲッセマネにおけるイエス最後の祈り(マダイ26.36~37)の場面では、彼ら3人だけが伴われています。


また「ルカによる福音書」ではイエスから最後の晩餐の準備をペトロとヨハネの2人が仰せつかっています(ルカ22.8~13)。最後の晩餐では、ヨハネはイエスの隣に座り、イエスによりかかっていたと福音書に記され、絵画では、女性のような優しい姿でイエスに寄り添うように描かれます。その席上で、イスカリオテのユダが裏切ると先ずヨハネに教えたと記述されています(ヨハネ23~27)。


更に「ヨハネによる福音書」ではイエスが十字架にかけられたときも、母マリアと共に、弟子としてただ一人「愛する弟子」(ヨハネのこと)が十字架の下にいたと書かれ、この時、母マリアの世話を頼まれています(ヨハネ19.26~27)。このためキリスト磔刑図においては、伝統的にイエスの母マリアとヨハネを左右に配する構図が存在しています。


また、同書ではイエスの墓が空であることを聞いてペトロとかけつけ、真っ先に墓にたどりついたのもこの「イエスが愛しておられた弟子」(ヨハネ20.3)であり、ヨハネは初代教会においてペトロとともに指導的立場にありました。


伝承によれば使徒ヨハネは、ドミティアヌス帝による迫害によってパトモス島に流され、そこで90年ころ「ヨハネの黙示録」を書き、小アジアのエペソに戻って「ヨハネによる福音書」と「ヨハネの手紙」を書いたとされています。


イエス昇天後、アジアで布教活動を行いますが、イエスの母マリアを連れエフェソに移り住んだヨハネは、のちにパトモス島に幽閉されます。十二使徒達が悲惨な死に方で殉教していく中、ヨハネだけが殉教を免れたとされています。ただ、ドミティアヌス帝による害の際にヨハネは煮えたぎる油が入った大釜に入れられて殉教する所でしたが、奇跡的に助かったとされています。 パトモス島へ島流しにあったヨハネは、そこで神の啓示に出会って「ヨハネの黙示録」を書き上げました。釈放されたヨハネは小アジアのエペソに戻って「ヨハネによる福音書」と「ヨハネの手紙」を書き、90才ころそこで没したと言われています。正にヨハネは「イエスが愛しておられた弟子」(ヨハネ21.20)でした。 なお、絵画でヨハネの側に鷲が描かれていますが、4人の福音記者にそれぞれ生物が当てはめられています。マタイは天使、マルコは獅子、ルカは雄牛、ヨハネは鷲となっています。 以上、「ヨハネの第二の手紙」を解説しました。次回は、「ヨハネの第三の手紙」を解説いたします。(了)



上記絵画*イエスの変容(カール・ブロッホ画)復活の朝、墓へと走る使徒ペテロとヨハネ

bottom of page