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日光聖書セミナーに参加して③ 手束正昭氏の聖霊論を読み解く

○つれづれ日誌(7月28日)-日光聖書セミナーに参加して(3)-手束正昭氏の聖霊論を読み解く


その後わたしはわが霊をすべての肉なる者に注ぐ。

あなたがたのむすこ、娘は預言をし、あなたがたの老人たちは夢を見、あなたがたの若者たちは幻を見る。その日わたしはまたわが霊をしもべ、はしために注ぐ。(ヨエル2.28~29)


7月23日 から8月8日までの日程で始まった東京オリンピックですが、無観客という異常事態での、当に満身創痍のオリンピックで、見ている方も何か痛々しさを感じる大会になりました。 しかし選手の心意気、特に日本選手のゴールドラッシュには、荒野の中に泉を見るようであります。


今更ながら、中国武漢発コロナの深刻さが身に染みます。一体神は、世界に何を警告したいのでしょうか。


さて前回、手束正昭牧師の講演内容を中心に、手束氏の神学思想(養子論的・聖霊的キリスト論)や実践課題(カリスマ運動)を概観しましたが、今回、これを更に踏み込んで考察したいと思います。


手束氏は「日本の宣教にとって、養子論的キリスト論に込められた『聖霊による可能性の宗教』こそ、日本の霊の壁を打ち破るもので、聖霊カリスマ運動を広げることがリバイバルの秘訣である」と述べされました。


つまり、養子論的キリスト論といい、聖霊カリスマ運動(聖霊の第三の波運動)といい、結局その究極的目的は「聖霊の賜物を通しての『キリスト教のリバイバル』(霊的復興)」にあると言えるでしょう。そこで先ず「リバイバルとは何か」についておさらいをしておきたいと思います。


【リバイバルとは何か、そして聖霊の第三の波とは何か】


<リバイバルとは何か>

リバイバルとは、第一に、キリスト教信徒が霊的に覚醒されること、即ち「信仰の復興」です。第二に、それが信者の劇的な増加、「教会の成長」をもたらすことです。


使徒行伝2.4のペンテコステは、キリスト教最初のリバイバルです。イエス・キリストが十字架で亡くなって、弟子たちが四散したあと、イエスの復活に出会って悔い改めた弟子たちが呼び集められ、使徒行伝2・4の「異言を伴うベンテコステ」につながっていきました。このリバイバルから教会は出発したのです。


又、近世の宗教改革に端を発する霊的覚醒は、やはりリバイバルであります。とくにルターの思想はその後のリバイバルの先駆けとなりました。そして最も典型的なリバイバルが、アメリカで数次に渡って勃発したキリスト教の復興運動であります。


東洋に目を転じますと、北朝鮮では1907年の平壌リバイバルに端を発したキリスト教霊的集団の勃興、1950年の朝鮮戦争勃発後、北から避難してきた大量のクリスチャンによるリバイバル、1970年から20年間に及ぶ韓国でのクリスチャンの激増がありました。


<リバイバルのパターン>

リバイバル運動は、1人又は数人の牧師の回心、無名のキリスト者の回心から草の根運動として始まっています。イギリスのジョン・ウェスレーやアメリカのチャールズ・フィニー、ドワイト・ムーディーなどはリバイバリストとして有名で、使徒的教会への原点回帰を目指しました。


その思想は単純で、a.悔い改め(repent) b.回心(convertion)、c.新生(born again)、の3つであります。そしてその際、聖霊の役事が重要な役割を担いました。


<典型的なアメリカのリバイバル>

アメリカキリスト教(プロテスタント)の最も注目すべき特色は、周期的に信仰を改革し、回復させるリバイバル(大覚醒)の勃興であります。過去、3回のリバイバルと、それに続くペンテコステ運動がありました。


第1次リバイバル(1730~1740ーホイットフィールド、ジョナサン・エドワーズ)、第2次リバイバル(1800~1840年ーチャールズ・フィニー)、第3次リバイバル(1850年~1900ードワイト・ライマン・ムーディー)、そしてこれに続くペンテコステ運動の勃興(1906年~)であります。


<ペンテコステ運動、聖霊の第三の波>

三回のリバイバルのあと、1906年ロサンゼルスのアズサ通りで異言を伴う聖霊運動のリバイバルが起こりました。ホーリネス派の影響を受けたチャールズ・パーハムの弟子であるウイリアム・シーモア(黒人)による3年間に渡るアズサ・ストリートでのリバイバルです。


この聖霊の賜物重視の運動は世界に広がり、いわゆるペンテコステ派は多くの信者を獲得しました。聖霊の賜物とは、「異言・癒し・奇蹟・悪霊の追い出し」などを伴う神の霊の働きであります。世界最大のメガチャーチと言われる趙ヨン基牧師の「純福音教会」、大川従道牧師が率いる「大和カルバリチャペル」はペンテコステ派の流れを汲み、日本では1919年と1930年に超教派的なホーリネス・リバイバルが起こっています。


このシーモアのペンテコステ運動は、その後、1960年聖公会司祭ベネットから始まったカリスマ運動(聖霊の第2の波)、1980年代からのカリスマ運動(聖霊の第3の波)に大きな影響を与えました。現代、ペンテコステ派、カリスマ運動(聖霊の第2の波、聖霊の第3の波)を合計すると約5億4千万人にもなり、全プロテスタントの70%に登ると言われています。


さて1840年~1850年、メソジスト教会の中から、世俗的傾向に抵抗して本来の潔めや聖霊の働きを重視し、原点回帰の教会刷新を唱えるホーリネス会が興り、やがて「ホーリネス教会」(きよめ派)が生まれました。これがいわゆる「福音派の誕生」であります。折からアメリカにおいて、回心と聖霊を強調する超教派的な第一次、第二次リバイバルの影響もあり、福音派を形成していきました。


この福音派は、1880年代にはバプティスト派、会衆派、長老派など超教派的に広がり、独立したグループになっていきました。従って、今までのメソジスト教会までを「伝統的な教会」とし、ホーリネス教会から以後を「福音派の教会」と言うことができ、広い意味でのリバイバル運動と言えるでしょう。これはペンテコステ運動、カリスマ運動に繋がっていくことになります。


尾形守著『リバイバルの源流を辿る』によると、どのリバイバルも「悔い改めの祈り」から始まり、聖霊ご自身が源であるとし、そして、リバイバルは「どん底や絶望的な行き詰まり、人間の無力さやへりくだりをとことん経験した無名のキリスト者の回心から始まっている」と指摘しました。尾形守氏はリバイバルの要件として次の3点をあげています。


a.徹底した祈りと悔い改め、b.聖霊の働き、d.福音のみ言葉とそれに伴うしるしによる伝道。


こうしてリバイバルは、全て例外なく「悔い改め」から始まりました。洗礼ヨハネもイエス様も、宣教の第一声は「悔い改めよ」でした。


<リバイバルへの批判意見>

しかし、リバイバルへの非難と反対運動は常に見られました。リバイバル運動が、教会の不一致や混乱を招き平和を乱すという訳です。


教義や神学、典礼を重んじるエキュメニカル派は、リバイバルを否定的に見る傾向が強いようです。牧師の按手の条件とされる神学修得の軽視や、必ずしも伝統的な教義に回帰しないことを理由に、リバイバルを「一時的な熱狂運動」として理解している面があります。 (以上、HP「聖書の知識34ーリバイバル(霊的覚醒運動とは何か」参照)→


<聖霊の第三の波とは>

前述しましたように、1960年頃、聖霊のパプテスマを体験する人々により、「カリスマ運動」、別名「聖霊刷新運動」(=ネオ・ペンテコステ運動)が起こりました。これに火をつけたのが、聖公会司祭のデニス・ベネットでした。


シーモアのベンテコステ運動の特徴が「御霊の賜物」(1コリント12.7~11)の強調にあるのに対して、19世紀に起こった聖霊刷新運動は「聖霊の実」(ガラテヤ5.22~23)を強調しました。前者は力を、後者は愛の側面を強調したと言えるでしょうか。(手束正昭著『キリスト教の第三の波』P14)


そして聖霊の第三の波とは、フラー神学校の教授ピーター・ワーグナーによる造語で、1980年代から1990年代にかけて起きた福音派(日本では聖霊派にあたる)の聖霊運動を指しています。


即ち、1900年代にアメリカで起きたペンテコステ運動を「聖霊の第一の波」、1960年代アメリカを中心に起きたカリスマ運動を「聖霊の第二の波」と呼び、1980年代になり「聖霊の第三の波」の動きが本格化し始めました。


第三の波の大きな特徴として明確な聖霊信仰があり、ディビッド・バレットは1988年の時点で第三の波の中にいる人たちの数を2700万人と推定しています。


カリスマの本来の意味は、賜物、即ち「神の恩寵」であります。カリスマには、「預言・奉仕・教え・寄付・慈善・指導」などの自然的な賜物(ロマ12.6~8)と、「癒し・力ある業・霊の力・異言」などの超自然的な賜物(1コリント12.7~10)の二つがあると言われていますが、カリスマ運動は超自然的賜物にも与っていこうとするものであります。


1コリント13章の異言・預言・知識の賜物が「廃れる」という暗示は「全きものが来る時」、即ちキリストの再臨される時であって、再臨の終末の時までは超自然的カリスマが現れ続け、人々を導くというのです。(同著P17)


ただ、信仰が悔い改めと魂の救いに留まっている限り歓迎されますが、癒しが強調されると批判が起こってきます。こうしてカリスマ運動は、常に批判されてきました。手束氏の場合も同様です。しかし今手束氏は、聖霊の第三の波、カリスマ運動の旗振り役として、理論と実践の先頭に立たれています。


【手束正昭のカリスマ運動の原点ー聖霊体験】


<『恩寵燦々』を読んで>

手束氏の自叙伝『恩寵燦々』には、試練や苦難、不幸や挫折の背後に、自らを摂理され、計らわれる神の恩寵があるという思想が一貫して流れています。背後にある神の導き、神の恵みをこの書を通して伝えたいと語りました。


満州で死に損ね瀕死の体で帰国した幼少期、ぼろぼろの三畳一間に下宿した高校時代、義母への思いやりを逆恨みされたこと、許しを乞う悔い改めの手紙が誤解と非難を買ったこと、高砂教会の新築に思わぬ反対にあったこと、カリスマ運動への信者の反乱と分裂、こよなく愛した信者に裏切られたこと、そして5歳の長男の瀕死の大火傷。手束氏はなんと多くの挫折と痛恨を味わったことでしょうか。


しかし振り返れば、これらは全て、より高い次元に自らを引き上げる神の恩寵だったというのです。「試練というものはない。あるのは試練をまとった恩寵である」と語りました。


筆者はこの書を読んで「目から鱗」でした。楽しい思い出よりもいやな思い出が、幸せよりも苦しみの方が多かった筆者の半生は、当に呪われた人生と言えなくもありません。


しかし、その試練も、やがて恵みに変えて下さる神(神の言葉)と出会った時、過ぎし日の受難の意味がよく分かりました。文字通り、手束氏が辿った道は筆者とダブルものがあり、共感できる場面が多くありました。


<聖霊の恩寵運動(カリスマ運動)の原点>

カリスマ運動とは、聖霊の満たしには異言のしるしがともなうというペンテコステ運動が浸透していき、教派を超えて、聖霊のしるしを強く求め、異言や癒やしの奇跡など、「聖霊の賜物を重視する信仰刷新運動」のことをいいます。

さて、手束氏はカリスマ運動「聖霊の第三の波」のリーダーの一人ですが、なんといっても手束氏の原点は、1975年7月27日、加古川市の国民宿舎「美登呂荘」での修養会における「聖霊体験」であります。


義父にあたる三島実郎牧師に促され、ヤコブ書5:14の「あなたがたの中に、病んでいる者があるか。その人は、教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリブ油を注いで祈ってもらうがよい」に従って、手束氏は病気の信者に油を注ぎ手を置いて祈りました。


その瞬間、バリバリの音と共に、天の一角が崩れて煙のような霧のようなものが二階「鳩の間」いっぱいに注がれているのが見えました。そしてその場の信者が全員、ワッと泣いたというのです。放心状態の手束氏は、車座の部屋の中心に澄みきった陽炎(聖霊の象徴)が臨在しているのを目撃しました。


この体験は当に使徒行伝のペンテコステと瓜二つで、紛れもない聖霊降臨だと確信したというのです。確かに音を聞いたのも、陽炎を見たのも手束氏一人でしたが、これは自らに内在する聖霊体験の布石が既にあったからだと証言しました。


手束氏はこれに先立つ1975年5月17日、ベンテコステ記念礼拝の準備のため、ベネット著『聖霊とあなた』を読み、その指導に従って実践いたしました。即ち、先ず深い悔い改め(repent )→主へ願うこと(ask)→願いが叶ったことを信じること(believe)→そしてこれを告白(confession)するというものです。


この瞬間、手束氏は酒に酔った状態になり、体が左右に揺れたというのです。修養会での聖霊降臨を体験する2ヶ月前のことで、これが第一回目の聖霊体験でした。手束氏はこの時、「内在する聖霊」を自覚したというのです。


そして手束氏の三回目の聖霊体験は、1975年10月23日~26日の「聖霊セミナー」で起こりました。即ち26日、講師の先生により牧師として按手を受けた時のことです。その瞬間、何か熱いもの、油注ぎのようなものを感じました。天からの神の霊と、内側の御霊が出会って霊的ショートを起こして火花を起こし、ザアーと聖霊が鳩のように降って来るのが見えたというのです。


この時、自らの聖霊体験と共に、高砂教会が「リバイバルの源、信仰復興の拠点となれ」と言われているような気がし、当にこれが高砂教会への二回目の聖霊降臨、油注ぎだった述懐しました。


更に手束氏は、美登呂荘の聖霊体験後、祈ることが慕わしくなり、半年後には異言で祈るようになったと言い、また病気(脳梗塞や心臓病)の癒しもできるようになったというのです。


しかし未だこの時は、今後に起こる来るべき試練、選ばれし者の栄光と苦難を予想できなかったのです。


<神学に裏付けられた聖霊体験>

さて前回述べましたように、手束氏は、神学の本領は聖霊論にあるとするティリッヒの『組織神学第三巻』(聖霊論)を学生時代に学び、修士論文は「パウル・ティリッヒのキリスト論―その今日的意義」と題するティリッヒ研究の本格的なものでした。


ティリッヒのキリスト論は、「養子論的なネストリウス主義」に立つものでしたが、手束氏はネストリウスの研究をした結果、むしろネストリウスの方が正しく、聖書に則しているとの結論でした。


このように、実際の聖霊体験に遭遇する以前から、養子論的聖霊論に親しんでおり、手束氏の聖霊体験には、こうした神学的な裏付けがあるしっかりしたものであり、決して浮わついた一時的な狂信ではなかったのです。こうしてカリスマ運動家手束正昭が誕生しました。


しかし高砂教会において、手束氏の聖霊を強調したカリスマ的な教会の在り方に反対者が出て、教会を二分する迄になりました。飼い犬に手を噛まれるとはこのことてす。また悪いことに、外野の他の牧師からも反対があり、結局教会は分裂いたしました。


この時、カリスマ運動に神学的にもしっかりした理論付けが必要だと痛感し、教会誌を通じてカリスマ運動の論陣を張っていきました。これをまとめたのが、ベストセラーとなった『キリスト教の第三の波』であるというわけです。手束氏は、反対派のお陰でベストセラーが生まれたとして、反対派に感謝したと告白しました。


そう言えば、キリスト教神学自体、異端との戦いの中で生まれており、当に「異端は神学の母」であります。そもそも、異端・分派・分裂は宗教のつきものであり、宿命と言ってもいいでしょう。


キリスト教自体、ユダヤ教から分裂して派生した宗教であり、またルターの宗教改革はカソリックからの分派に他なりません。無論、分派・分裂はないにこしたことはなく、手放しで歓迎できるようなことではありませんが、一方ではそう目くじらを立てるようなものでもありません。カソリックはプロテスタントのお陰で返って内部が引き締まり、教勢は拡大しました。高砂教会も分裂後、前にもまして急成長したというのです。


<養子論的聖霊論について>

さて、聖霊の働きが、教会の刷新や成長を開くという確信を持った手束氏ですが、では手束氏の考える聖霊論とは如何なる神学でしょうか。ここで著書『キリスト教の第三の波』及び『続 キリスト教の第3の波』を参考に簡潔に述べたいと思います。


イエスは、罪の赦しをもたらす「贖罪者」でありますが、一方では聖霊の全き満たしの内に神に服従していかれた「模範者」であるとしました。即ち、イエスと私たちの間には、罪を赦す方と赦される者としての非連続があると同時に、私たちもそのようになり得るべき模範者としての連続があり、その分岐点に聖霊が立っているというのです。即ち、この非連続の連続を成立せしめる鍵が聖霊であり、ナザレのイエスにおいて無比なる仕方において働いていた聖霊の豊かさこそが 、「彼をしてキリストたらしめた」というのです。(著書『続 キリスト教の第3の波ーカリスマ運動とは何か』P35)


カルビンは「聖霊は、キリストご自身に、我々を有効に結びつける絆である」と語りました。つまり、プロテスタントの聖霊理解は、「聖霊は人々をキリストに導きつなぐ手段的なものであり、キリストの贖罪と復活に目を開かせることが主目的で、あくまでもキリストに従属するもの」だというのです。


しかし手束氏は、イエスは昇天後、聖霊として帰ってきて働きをされる方で、キリストの補助としての聖霊ではなく、現在も働くキリストとしての聖霊、即ちキリストの代わりを務める聖霊だとしました。(『キリスト教の第三の波』P152)  更に、聖霊をして私たちの内に住まわせ、私たち自身をキリストの姿に変え、キリストのなした同じみ業をなし得る力ある存在へと至らせるとも言われています。


確かに、聖霊の導きなくば「イエスは主である」と告白できません。しかし、その補助的役割を越えて、聖霊はキリストご自身の働きを現在において代務する、そして内住して、私たち自身を「キリストご自身と同じ者へと造り変える」と明言され、 私たちがキリストの栄光の姿にな ること、それが、神が私たちに意図しておられる最終目的だというのです。


そしてイエスは、私たちを救う贖罪者てある以上に、私たちの到達すべき目標、模範としての受肉者であり、これが、主の受肉の偉大な秘義だとし、聖霊の内住の大胆な主張により、カリスマ運動は世界的なリバイバルを起こしているとされました。


以上が、あらかたの手束氏の聖霊観であり、カリスマ運動の神学の骨格であります。


しかし上記の聖霊論に対して、聖霊に本来の役割を越えた過剰な任務を与えていないか、聖霊がキリスト以上の神になっていないか、つまり、聖霊万能主義、聖霊救済主義に陥っていないかとの疑問が出てきそうであります。 聖霊はあくまでも、「キリストの証し主・真理への導き手・癒し主・悔い改めに導く霊」としての助け主であり、罪を贖ない、罪を取り除くことができるのは、キリストであって、聖霊にはその代行ができないというものです。


そして、「私たち自身をキリストご自身と同じ者へと造り変え、 私たちがキリストの栄光の姿にな る」との認識は、聖霊に過分な役割を与えるだけでなく、人間の傲慢を助長しないかとの疑問が出てきます。


ちなみに筆者は、原理創始者の口から、ついぞ癒しや奇跡の言葉を聞いたことも、癒しを自ら行われたことを見たこともありません。(無論、特別な弟子に癒しの業をさせられたことはあります) それは、神の超自然的なみ業よりも、先ずなすべきは蕩減の道、犠牲の道を満たすことであり、この宿命的原則を外して真の救いはないとの創始者の確信によるものでした。 それに加え、イエスの失敗は、奇跡を多用したことにあるとも語られました。


聖霊による救いか、キリストによる救いか、そもそも聖霊とは何か、どのような霊として認識すればいいのか、これらが問題になるでしょう。この点については、最後の「聖霊の本来的役割と新しい聖霊論」で論じることにいたします。


【養子論的(聖霊論的)キリスト論について】


手束氏の主張する「聖霊論」は、聖霊によって神性を帯びる(聖化・栄化)ことができるという人間の驚くべき可能性を示唆し、上記でも述べたところです。


イエスはその本質において神と一つでありますが、これは創造者なる神の変身、「肉体に変化し給う神」という意味ではなく、被造物即ち人間でありつつも、その意思において神と全く一つという意味であるというのです。この全き神への服従は、主イエスの中に常に比類なく豊かに聖霊が満ち溢れていたが故になし得たというのです。即ち、イエスにおいて 圧倒的に働いた聖霊の満たしこそが、彼をしてキリスト足らしめたといいます。


聖霊によって誕生したイエスですが、このようにキリストの人間性を強調して「その内なる聖霊の働きがイエスをして神の子たらしめた」とするキリスト論を養子論的キリスト論と呼んでいます。そしてこの養子論は、異端とされた養子論とは異なり、霊のキリスト論とも呼ばれています。(同著P33)


手束氏は『続 キリスト教の第3の波』で養子論的キリスト論について、次のように語っています。


「養子論的キリスト論は『霊のキリスト論』とも呼ばれ、それは聖霊論的キリスト論である。つまり、従来の『養子論』は、人間なるイエスがある時を境にして(例えば洗礼を受けた時)、聖霊の圧倒的な注ぎを受けて神の養子として引き上げられたというものです。この養子論の系譜にありつつも、その『生涯の発端から』聖霊の圧倒的な注ぎを受けて神の養子として引き上げられていたというのが『霊のキリスト論』であり、養子論的でありつつ、いわゆる養子論とは異なる使徒教父たちに強く見られルキリスト論である。そして『受肉論』が神とキリストの連続性を見ているのに比べて、『養子論』の場合はむしろキリストと私達の連続性、しかも聖霊の役割の大きさということが注目される」(P17)


主イエスの人間性とそれに付帯する聖霊の働きを強調すること、即ち、ネストリウス主義に立つことは、主イエスにおいて実現した神の無限の豊かさを私たち自身のものとして、私たち自身をキリストご自身と同じ者へと造り変える道を開くと、手束氏は主張しました。


確かに原理では、メシアとは第二アダムであり、創造目的を完成した無原罪のアダム(命の木)であるとし、メシアによって新生され原罪を贖われた信徒は、やはり創造目的を完成したアダム、つまり「小メシア」になるべき存在としていますので、この意味で「私たち自身をキリストご自身と同じ者へと造り変える」という手束氏の主張は妥当なものと思われます。しかし、イエスが、その発端から聖霊の特別な介入で神の子(神の養子)として既に引き上げられていたとする考え方には議論の余地があろうかと思われます。


ともあれ「聖書に帰れ」というルターの主張は同じですが、教理を変えるわけでも、教派を離脱する必要もなく、「聖霊による賜物が現にあること、聖霊による喜びと平安がもたらされていること、聖霊によって教会が変革されているという事実、個々の信徒が変えられているという事実」が重要だというのです。


前回も述べましたが、手束氏は、神学の本領は聖霊論にあるとするティリッヒの『組織神学第三巻』(聖霊論)を学生時代に学びました。ティリッヒの『霊のキリスト論』は使徒教父達のキリスト論に根拠を置いたものであり、護教家達から始まるロゴス・キリスト論とは一線を画する養子論的色彩の濃いものであったと言われています。


手束氏は、ネストリウス派が431年のエペソ会議で異端とされたのは、教会内からの「カリスマ的信仰へのパージ(追放)」でもあったと主張し、そして今日のカリスマ運動は、ネストリウス主義の再興であるとし、初代教会の信仰からずれてしまった現代のキリスト教の原点復帰としての「神の革命」の働きであると明言されました。(『恩寵燦々』P201)


以上が手束氏の養子論的聖霊論の骨子ですが、いずれにせよこれらの点については、筆者の勉強不足もあり、今後の検討事項としたいと思います。


【聖霊の本来的役割と新しい聖霊論】


この項では、そもそも聖霊とは何か、如何なる役割を担う霊であり、旧約の「神の霊」と新訳の「聖霊」とはどこがどう違うのか、そして新しい聖霊論とは何か、について考察したいと思います。


<神の霊について>   

先ず聖書に出てくる「神の霊」について考えたいと思います。

「神の霊」の働きを考えるとき、a.旧約時代の神の霊、b.新約時代のイエスの復活までの聖霊、c.イエス復活以後の聖霊、という区分けをすることができるでしょう。

神の霊は実在する霊の働きであり、現に筆者自身がある種の「神の霊の注ぎ」を感じています。そして神の霊は次のように王・預言者・義人らに注がれました。


「主の霊があなた(サムエル)の上に激しく下り」(1サムエル10・6)


「主の霊が激しくダビデに降るようになった」(1サムエル16・13)


「終わりの時に、全ての人にわが霊を注ぐ」(ヨエル書 2・1)


そして神の霊とは,基本的に「神の愛の活動する力」と言えるでしょう。 聖書に出てくる「霊」という語は,ヘブライ語のルーアハ、ギリシャ語のプネウマを翻訳したもので、ほとんどの場合,これらの語は「神の活動する力」を指して用いられています。


<神の霊と聖霊の区別とは>

講論P265~266には、「聖霊とは真の母として来られた方で、霊的イエスの霊的相対(新婦)となる霊であり、霊的真の母としての『女性神』である。霊的真の父母としてのイエスと聖霊によって、霊的重生されるのがクリスチャンである」という記述があり、聖霊とはイエスが霊的に復活されて以後、霊的相対(新婦・妻) として復帰された霊だと読むことが出来ます。


しかしイエスの復活以前にも聖霊という言葉があり(マタイ1.18、ルカ1.35、ルカ3.22)、ここで使われている聖霊という言葉は、上記イエスの復活により復帰されたイエスの霊的相対者としての聖霊とは違った霊ではないかということです。 いわゆる「聖霊」ではなく「聖なる神の霊」を意味するということにならざるを得ません。


又旧約聖書には聖霊と言う表現はなく、「神の霊」「主の霊」「聖なる霊」という言葉で各所に出てきます。(創世記1.2、1サムエル10.6、1サムエル16.13など) つまり、聖書に出てくる、a.旧約の神の霊、b.イエスの復活以前の新約の聖霊、c.復活以後の聖霊、の3つは、どこが同じであり、どこが違うのかが問題になります。


この点、「旧約の霊」について次のように言うことができます。


「旧約聖書においては、神の霊はイエスが誕生する前から存在しているので、イエスの相対者という限定された存在ではありません。 また、それは被造物に働きかけてそれを形成し生命を与える力(創2・7、詩104・29~30)でもありますので、全ての力の根本にある力(万有原力)と言ってもいいかもしれません。


旧約における神の霊は 第一に世界と人間に創造的、生命付与的に働きかける『神の力』を意味し、第二に人間を人格的に鼓舞し目覚めさせて、歴史形成に資することを目的とする『神の働き』を意味しています」


一方、新約では、聖霊(聖なる霊)によって処女マリアがイエスを身ごもり、イエスが洗礼を受けた時には聖霊がイエスの上に下り、荒野でサタンの試練を受けた時には彼を支え、悪鬼を追い出し神癒として病人を癒し彼に奇跡を可能にするなど、生涯を通じて彼を支えています。やはり聖霊は「神の力」なのです。この場合「聖なる神の霊」と呼んだ方が正解でしょう。


又、イエスの復活以後においては、聖霊は「別の助け主」であり(ヨハネ14.16~26)、使徒たちが、頻繁に聖霊の賜物を受けるのはイエスの復活の後であり、この聖霊こそ、原理で言うイエスの霊的相対圏に立つ母なる霊であります。


以上から、旧約の神の霊及びイエスの復活以前の新約の聖霊は、イエスが復活昇天する前から存在しているので、イエスの相対者という意味での聖霊ではなく、「神の人格的、非人格的な全ての根本にある神の力の作用」あるいは「神の意を受けた天使や善霊を通しての働き」、つまり「聖なる神の霊」であるということになります。


一方、イエスの復活、昇天以後の新約における聖霊は、イエスの相対としての霊的母としての霊と考えられ、ベンテコステ以後は継続的に聖霊が働くようになりました。


創始者は、「聖霊は、サライ・リベカ・ラケルの総合霊、それにマリアの霊が加わったもの」という表現をされています。従ってマリア信仰は聖霊のある面の役割を示したものと言えなくもありません。


<聖霊について>

では、キリスト教において、新約聖書に出てくるイエス復活以降の聖霊について、その在り方、働き、役割などについて考察することにいたします。伝統的なキリスト教は聖霊をどのように考えているのでしょうか。


前述してきましたように、存在論的には、西方教会でいう「聖霊」は、「父なる神」と、「子にして神であり人でもあるイエス・キリスト」と共に、三位一体の一つの位格(人格)であると位置付けられ、「聖霊なる神」とされています。


即ち、カトリック教会、聖公会、プロテスタント、正教会、非カルケドン派において、聖霊は三位一体の一つの位格(神格)であると位置付けられます。これらはニカイア公会議(325年)の頃からコンスタンティノポリス公会議(381年)の頃にかけて、こうした三位一体論の定式が整理されていきました。


この三位一体の教理は「一つの神の本質のうちに、父・子・聖霊の3つの位格(人格)の神がある」というものです。前述しましたように、この「父・子・聖霊は各々が独立した神であるが、そこに三人の神がいるのではなく、いるのは一人格の一人の神である」という三位一体の教理は理性の範疇を越えた奥義であり、神秘だとされ、大神学者も明確に説明出来ない難問だとされています。(シーセン著「組織神学」P224)


この三位一体の論議は別の機会に譲るとして、ともかくキリスト教では聖霊は「第三位格の神」と位置付けられています。


マタイ28.19は「父・子・聖霊の御名(単数)によってバプテズマを授けるように」と教えており、これは三位一体のひとりの神を集合的に捉えていると言われています。従って、聖霊がイエス様の新婦的存在であるという認識はありません。


<聖霊の働きと役割>

では、聖霊の働きと役割とは何でしょうか。幾つかの聖句から考えていきたいと思います。


「イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を神から受けて注いで下さった」(使徒2.33)→この聖句は、復活されたイエスが、その相対圏にたつ聖霊を神の祝福のもとに復帰されたことを示しています。


「また、聖霊によるのでなければ、誰もイエスは主であると言うことはできません」(1コリント12.3)→これは主の証し人としての働きで、これが聖霊の最大の役割です。


「真理の御霊(聖霊)が来る時には、あなた方をあらゆる真理に導いて下さる」(ヨハネ16.13)→これは真理に導く働きです。


「わざによってではなく、ただ神のあわれみによって、再生の洗いを受け、聖霊により新たにされて、わたしたちは救われたのである」 (テトス3.5)→これは悔い改めに至らせ新生させて下さる働きです。


「あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか。(1コリント3.16)→これは聖霊が内住され導かれることを意味します。


「またほかの人には、一つの御霊によっていやしの賜物、 またほかの人には力あるわざ、またほかの人には預言、またほかの人には霊を見わける力、またほかの人には種々の異言、またほかの人には異言を解く力が、与えられている」(1コリント12.8~10)→これは聖霊が、様々な賜物を与えられ、癒しや奇跡の働きをされることを示しています。


「二人は聖霊によって送り出され、セレウキア下り、そこからキプロスにむかった」(使徒14.4)→これは聖霊は宣教の助け手、導きの霊であります。


以上のように、聖霊の働きと役割は、a.主の証し人であり(1コリント12.3)、b.内住し人を真理に導き(ヨハネ16.13)、c.悔い改めと新生の役事をされ(テトス3・5)、d.慰労・癒し・奇跡の業をなされ(1コリント12.8~10)、e.助け手として宣教を導びかれる(使徒14.4)、という5点にまとめることができるでしょう。


更に3点に絞れば、①主を証し、真理に導く霊、②悔い改めに導く霊、③癒しと奇跡の霊、ということになります。無論、手束氏も指摘されていますように、聖霊が単に「助け手」という範疇を越えて、時としてより主体的な働きをする場合もあると思われますが、聖霊の本質的役割は「キリストを証す霊」と言えるでしょう。


上記の聖霊の働きと役割は、成約時代の聖霊観にも当てはまります。我々は、この成約における実体聖霊の慰労と癒しの賜物を信じ、祈り、願うことを通じて、大きな恵みを享受できることは明らかであります。


<聖霊は救いに如何に関わっているか>

ところで聖霊は神学上、「救済論」の文脈で語られることが多々あります。救いは、キリストの十字架の贖罪によって既に成就したとされますが、その救いの各人への適用には、聖霊が新生・聖化・栄化の全ての局面で神の恩寵として深く関与するというものです。


この点、「聖霊が内住して、私たち自身を造り変え、聖化され栄化されていく」という手束氏の聖霊論と符号するものがあります。


即ち、私たちの個々人の救いは、召し・信仰・悔い改め・新生・回心・聖化という救いの内的プロセスと、それを保証する祈祷・礼拝・み言・典礼儀式という具体的方法の両面でなされていくというのです。(梅本憲二著「やさしいキリスト教神学」P115~136)


ジェーコブズ著「キリスト教教義学」(P286)には、「聖霊が、み言を通して、人の心に回心を起こされる」とある通り、聖霊の恩寵により救いのプロセスを成就すると言われています。しかも、この内的プロセスは、義認から回心が順番に起こる場合もあれば、同時に起こる場合もあり、その前後を一概には言えません。ともかく、ここに至って私たちは聖霊の証印を押され(エペソ1.13)、「救いの確証」に辿り着くという訳です。


ちなみに、聖化とは、新生され原罪を清算されたクリスチャンが、残存する悪い性質を清算して更に清められ、信仰者として霊的に成長していく漸進的な過程(堕落性の清算)であります。(2コリント4.16)


上記ジェーコブズは「義認と新生は神のみ業である。しかし聖化は、そこに新生を通して与えられた力により、新生者が協力する」(同著P294)と語り、聖化の局面では人間の行為の必要性を認めています。


また、栄化とは、再臨により神性を持った完成された「復活の体」になること(人格完成)であります。ここに至って、原理創始者の言われる通り、各人が「小メシア」として、もはや宗教も信仰も祈りも不要になるというのです。


上記に見てきたように、救いのプロセスに聖霊が密接に関与いたします。聖霊の働き、聖霊の賜物が、救いの完成に不可欠であるということです。この事実は、成約時代にも適用される真理であります。


<新しい視点>

ここで、聖霊についての原理観を述べておかなければなりません。


即ち前述しましたように、「イエス様を真の父、聖霊を真の母とし、この霊的な父母の愛を受けて霊的に新生されるのがクリスチャン」だとするのが原理観です。講論P265には、「聖霊は、真の母(霊的母)として、又後のエバとして来られた方であるので女性神です」と記され、「聖霊によって信徒は新婦として立つようになり、慰労と感動の働き、悔い改めの業をされる」とあります。


このように聖霊は、イエスの相対者、新婦としての人格的な母性の霊であります。従って、三位一体でいう位格の一つとしての「聖霊なる神」とは異なると言わざるを得ません。


即ち聖霊は神そのものではなく、キリストの新婦の霊、キリストによって復帰され、神に祝福された「人格的な母性の霊」であるという結論になります。


イエスは天(陽)で働かれますが、聖霊は地(陰)において業(役事)をされる母性の霊であるといえるでしょう。上記しましたように、創始者は、「聖霊は、サライ・リベカ・ラケルの集合霊」と言われ、それにマリアの霊が加わった霊と言われたことがあります。


神の霊は、旧約時代から神の活動力として働かれましたが、新約時代は、この神の霊に加えて、イエスの新婦たる聖霊がより主体的に働かれる時代圏だというのです。


以上、リバイバルとは何かに始まり、養子論的聖霊論、カリスマ運動、聖霊論などについて考察してきました。今回は私たちの救いに関わる重要な問題を扱いましたので、やや専門的な長文になったことをお詫びいたします。皆様の上に、神の豊かな霊が注がれますように。異論・反論は歓迎いたします。(了)



上記絵画*ペンテコステ(ファン・バウティスタ・メイノ画)

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