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聖書の奥義とは何か③ 創世記4章の奥義 歴史の二流

🔷聖書の知識175ー聖書の奥義とは何か③ー創世記4章の奥義ー歴史の二流


日がたって、カインは地の産物を持ってきて、主に供え物とした。 アベルもまた、その群れのういごと肥えたものとを持ってきた。主はアベルとその供え物とを顧みられた。しかしカインとその供え物とは顧みられなかったので、カインは大いに憤って、顔を伏せた。 カインは弟アベルに言った、「さあ、野原へ行こう。彼らが野にいたとき、カインは弟アベルに立ちかかって、これを殺した。 (創世記4.3~8)


(左)カインとアベルの供え物 * (右)アベルを殺害するカイン(ギュスターブ・ドレ画)


冒頭創世記4章の、いわゆるカインとアベルの物語は、神が創世記3章で堕落した人間を救おうとされて、救援摂理を始められた第一歩であります。しかし、ここでもカインがアベルを殺害することによって、失敗が繰り返され、最初の救援摂理は失敗することになります。


即ち、人類は、神の創造の初めに姦淫(創世記3章)と殺人(創世記4章)の大罪を犯すことになったというのです。UC創始者が「聖書は人類の失敗の記録でもある」と言われましたが、その躓きは創造の始めから始まったのです。


この創世記4章にあるように、神は何故アベルの供え物は顧みられ、カインの供え物は顧みられなかったのでしょうか、そして何故兄カインは弟アベルを殺したのでしょうか。今日まで、この深刻な問に未だ明快に説明できた神学者は誰一人いません。


また聖書には、兄と弟の葛藤が随所に記載され、「わたしはヤコブを愛しエサウを憎んだ」(ロマ9.13)とある通り、兄が弟に仕えるべしという系譜があります。カインとアベル然り、エソウとヤコブ然り、ゼラとベレツ然り、マナセとエフライム然りであり、またヨセフもダビデもソロモンも弟であり、摂理の中心は常に弟でありました。


一体、何故神は兄よりも弟を先に祝福されたのでしょうか、これは聖書の重要な奥義です。


【創世記4章の解釈―救援摂理の始まり】


神の救援摂理は、既に創世記4章から始まっています。ではこの4章のカインとアベルの聖書の記述をどのように解釈すればいいのでしょうか。


先ず、神は何故カインの供え物を退け、アベルの供え物を受け取られたのかという問題です。キリスト教のある解釈によると、カインの供え物は「地の産物」、即ち穀物であり、これは、「血が伴わない」供え物で、信仰のない単なる義務感からの行為であるので、神はよしとされなかったと説明しています。


しかしアベルの供え物は、「群れのういごと肥えたもの」、即ち初子の羊という最良の「血のささげ物」であり、神の啓示に従った信仰によるものであったから、神はよしとされたというのです。


つまり、2人の態度の違いと共に、「血の犠牲か伴うかどうか」が問題であるというのです。


「信仰によって、アベルはカインよりもまさったいけにえを神にささげ、信仰によって義なる者と認められた。神が、彼の供え物をよしとされたからである」(ヘブル11.4)


では原理はどのように解釈しているのでしょうか。


原理ではカイン、アベルの問題を創世記3章の堕落の状態と経路から説明いたします。堕落したアダムの状態を、神とも相対し、またサタンとも相対するという善と悪の中間状態にあると理解し、神は善悪中間状態の、いわば非原理的な人間を、そのまま摂理されることは出来ず、善と悪の2つに分立し、神のみが相対できる善の立場の人間(アベル)を通して摂理されるというのです。そうして、善が悪を屈服させるという摂理をされるというのです。


そのために、神はカインを悪の表示体、アベルを善の表示体として立てられました。では、何故カインを悪の表示体、アベルを善の表示体とされたのでしょうか。それは、堕落の経路から説明されます。


創世記3章のエバは二重の姦淫関係、即ち天使とエバの姦淫関係(霊的堕落)と、エバとアダムの姦淫関係(肉的堕落)を結んだとし、前者の堕落の実をカイン、後者の実をアベルとしました。即ちアダムを善と悪の象徴体に分立し、カインとアベルに分立されました。


何故なら、天使とエバの堕落は天使の嫉妬心とエバの過分な欲望心から出た悪質な不倫の姦淫であり、エバとアダムの姦淫は、本然の関係に戻りたいという、より善なる動機に基づいた姦淫であり、またアダムとエバは本来神が予定された相対関係でありました。


従って、悪質な堕落の最初の実の象徴がカイン、次のより善の実の象徴がアベルとされたというのです。


それに加えて、サタンは常に長子に未練があり、長子カインを取ったというのです。歴史的にも、サタンが、真理を装って疑似理想型世界を先取りして作ってきたのが人類歴史だったのでした(サタン先行論)。即ち、神が作ろうとされた理想世界を先行して原理型非原理世界を標榜したのが、正に共産主義社会であり、共産主義はサタンの集約的な思想であるというのです。


従って、悪の表示体であるカインは神が直接主管できない立場に立っているので、神が主管できるアベルを通して供え物を捧げ、悪が善に屈服した条件を立てなければならないというのです。しかし、カインはアベルの供え物だけを受け取られる神に嫉妬と疑義を呈して怒り、結果的にアベルを殺害することになりました。


堕落は、天使長が神と同じ立場に立ってアダムを愛せず、自分の位置を離れてしまったことに原因がありましたので、復帰は、この堕落性を元返して創造の秩序を回復する(蕩減する)ことにあります。


従ってカインはアベルを愛し、神への仲介者としてアベルを通して供え物を捧げ、善を広めることが使命だったというのであり、カインはアベルと相談することなく自己本位で供え物を捧げて、神に退けられました。ここに歴史の奥義があります。ここに「兄は弟に仕える」と兄と弟の葛藤が随所に記載された聖書の意味があります。


一方、アベルには兄カインへの配慮、謙虚さが要求されました。結局、アベルは、信仰によって神の前に立ったものの、カインとの間で長子の立場を回復するという使命を全う出来なかったのです。従って、殺人したカインに弁解の余地はありませんが、アベルにもその責任の一端があるというのです。


【歴史の二流】


上記したように、人類史は、姦淫と殺人から始まったと聖書は語っています。そして神の救済の歴史は創世記4章から始まり聖書全巻に渡ります。そして創世記4章はカイン型思想(ヘレニズム)とアベル型思想(ヘブライズム)という「歴史の二流」の始まりになりました。聖書には、兄と弟の葛藤が随所に記載され、兄が弟に仕えるという系譜があることは前述した通りです。


つまり、前述のようにサタンは常に先行し、長子を取り、神は弟を取りましたので、その後の復帰歴史はそれを元返して、弟が兄を屈服させて失われた長子の立場を取り戻すという長子権復帰の歴史が展開されます。


従って、個人から世界に至るまで、必ずカインとアベルの二つの型の二流があるというのです。これがカイン・アベルの原則であり、兄のカインの流れがヘブライズム(人本主義)、弟のアベルの流れがヘブライズム(神本主義)の源流になりました。


ヘブライズムの特徴は、旧約聖書に見る古代イスラエル民族の思想方式・文化に源流があり、キリスト教を通じてヨーロッパ文化の核になりました。人本主義のヘレニズムに対して、神本主義、啓示、預言、といった性格が際立っています。啓典の民、啓示の宗教、即ち神からの宗教の本質がここにあります。


またヘレニズムの特徴は、ギリシャ風の文化性を有し、人間中心、理性、論理性が際立ち、ヒューマニズム、人本主義の根本思想であります。


そして世界史は、ヘレニズムとヘブライズムという二つの思想が交互に主権を主張してきた歴史、即ちヘレニズムとヘブライズムの葛藤と融合の歴史でした。


アレクサンドリア大王の東方制服によるヘレニズム化に対して、ローマ帝国でのキリスト教の公認・国教化によるヘブライズムの勃興。次に人文主義ルネッサンスによるヘレニズムの攻勢に対して、宗教改革によるヘブライズムの復権。そして、ヘレニズムの集大成としての共産主義の支配に対して新しいヘブライズム思想の勃興であります。


以上、創世記4章の奥義について、画期的な解釈を見て参りました。そして創世記4章に起因する歴史の二大潮流について概観し、これらの歴史の二流が、何故生まれたのかについて明らかにいたしました。次回は、マリアによる処女懐妊の奥義を考察いたします。(了)

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