自公連立解消に思う - 創価学会の理念とその課題
- matsuura-t

- 10月15日
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◯徒然日誌(令和7年10月15日) 自公連立解消に思うー創価学会の理念とその課題
そのときエリヤはすべての民に近づいて言った、「あなたがたはいつまで二つのものの間に迷っているのですか。主が神ならばそれに従いなさい。しかしバアルが神ならば、それに従いなさい」(1列王18.21)
プロローグー自公連立解消に思う
公明党の斉藤鉄夫代表は10日、自民党の高市早苗総裁と会談し、靖国問題、外国人問題、企業・団体献金の規制の3点を挙げ、連立を離脱する方針を一方的に伝えた。26年間続いた自公の協力体制は解消され、日本の政治は新たな局面を迎えた。

この自公の連立解消は、既に賞味期限が切れて、連立の意義が薄らいでいたとは言え、永田町には激震が走っている。小選挙区で1万~2万票があると言われる創価学会票に依存していた自民党議員は打撃を受けると戦々恐々としている。一方、逆に連立解消でスッキリし、自民党は本来の保守政党の矜持を取り戻すチャンスであるとして歓迎し、保守票が戻って来るので返って議席数は増えるという試算もある。現に高市事務所経由の自民党員が、数日間で7000人も増加し、高市フィーバーの予感がする。
かって石原慎太郎から「必ず、公明党は足かせになる」と言われ、「踏まれても蹴られてもついてゆきます下駄の雪」と、政権に食らいついて離れない公明党は揶揄された。そんな下駄の雪が、四半世紀が過ぎた今になって「政策、理念の一致があって初めて連立政権が成立する」などと言い出し、連立を解消した。何故か。
作家の門田隆将氏や北村晴男議員は、10月6日、国会内で斉藤代表と呉江浩(ご こうこう)中国大使と面会したことなどを問題視し、タカ派の高市氏を嫌う中国に忖度したと言い切る。両氏は、公明党は中国習近平の代理人だとし、今こそ保守団結をと訴える。実際、斎藤氏は次々回の総理指名では連立交渉もあり得ると発言しているので、中国に厳しい高市総裁だけは駄目だということだろうか。またある論客は選挙で致命的な3連敗を喫し、「存亡の危機」の中にあって、創価学会から解消するよう指示されたのではないかとした。所詮公明党は創価学会の渉外部長に過ぎないからであるという。
北村春男議員は、「公明党は、国を守る為の法律を作ろうとしても必ず骨抜きにする。公明党が政権与党にいれば、仮にスパイ防止法が出来たとしても、必ず骨抜きにしてくる。だから公明党が政権与党から外れることは願ってもないことだ」と離脱を歓迎し、多くの保守論客は「公明党連立離脱は安倍元首相がやりたかったことで、保守・現実派の夢が叶った」とした。
つまり、安保政策、憲法問題、国家観など基本的政策が水と油のように異なる自公の連立は、そもそも無理であり、毒まんじゅうのように、じわじわと相互を汚染するという。自民党は「超リベラル」に換骨奪胎されて魂が抜き取られ、公明党は権力に毒され「平和と福祉の党らしさ」を失うというのである。現にここ3回の選挙(衆議院選挙、都議会選挙、参議院選挙)で双方惨敗し、連立のうま味は無くなっていた。また「選挙区では自民党、比例区では公明党」と腹にもないことを言わなければならないことは、双方にとって重荷になっていた。故に今回の離婚は、むしろ喜ばしいという。
だが筆者は、これを善悪分立の神の摂理と見る。高市氏が、オールドメディアをはじめ大方の予想を裏切って、自民党総裁に選出された劇的勝利を見て、筆者は見えざる「神の手の介入」を感じたのである。誤解を恐れずに申せば、亡き安倍晋三さんが高市早苗という女性に復活したのであり、筆者のインスピレーションは強くこれを示唆している。
即ち、今回の離婚(連立解消)は、公明党という異邦人女性との結婚で、じわじわと汚染され左傾化した自民党に一石を投じて分別し、神の摂理を担い得る日本を再創造するための神の介入である。かってイスラエルの預言者エズラが「あなたがたは罪を犯し、異邦の女をめとって、イスラエルのとがを増した」(エズラ10.10)と叱責した通りである。
この離婚により、自民党は真性な保守政党として再生し、公明党は健全野党として、本来の役割を果たす政党に復帰できる機会になる。故に今回の連立解消は自民党、公明党双方にとって益になると筆者は思料する。高市早苗総裁には和製サッチャーとして、万難を乗り越えて日本を再生して欲しい。
【連立解消の聖書的考察、及び創価学会の宗教政策】
以下、自公の離婚(連立解消)の聖書的意味、及び公明党の母体である創価学会の宗教政策について考察する。
<預言者エリヤの分別と自公の離縁>
筆者は今回の自公の離婚劇(連立解消)に際し、1列王記18章の「預言者エリヤの物語」を想起した。イスラエル最大の預言者の一人であるエリヤは、バアル崇拝(偶像崇拝)に強く反対したヤハウェ信仰の守護者として旧約聖書に描かれている。
エリヤはギレアド(ヨルダン川東の山地)に住んでいたが、北イスラエル7代目の王アハブ(在位前869年~前850年)の時代に預言活動を開始した。ちなみにアハブ王の妻イゼベルは異邦人(フェニキア人)で、異教のバアル信仰をイスラエルに持ち込み、王や民衆にバアルを拝むようしむけ、またエリヤなど預言者たちを迫害した聖書最大の悪女の一人である。
こうして王国はバアル神の偶像崇拝に汚染され、怪しげな性的祭儀が横行した。このバアルは農業の収穫を増す嵐と雨の神で、人々の多産を可能にする多産神でもあるとされ、バアル礼拝では官能主義を根底に、神殿での儀式的な売春行為がなされていたという。また、恐ろしいことに、バアルを宥めるための捧げ物として、子どもを生贄(いけにえ)として火で焼くことまでしていたという。
エリヤ曰く、「わたしの言葉のないうちは、数年雨も露もないでしょう」(列王紀上17.1)と。こうしてエリヤの言葉の通り、3年間、イスラエルには雨も露もない干ばつと飢饉が続いた。3年目にエリヤは王アハブに「わたしは雨を地に降らせる」(1列王18.1)と預言した。
エリヤはバアル崇拝を分別するためアハブ王に願って、バアルの預言者450人、アシラの預言者400人、イゼベルの食卓で食事する者たちを集め、どちらが真の神であるかの競争を行った。そしてエリヤは次のように民に分別を迫ったのである。
「そのときエリヤはすべての民に近づいて言った、『あなたがたはいつまで二つのものの間に迷っているのですか。主が神ならばそれに従いなさい。しかしバアルが神ならば、それに従いなさい」』」(1列王18.21)
バアルの預言者たちとエリヤはカルメル山(イスラエル北西部ハイファ地区にある山)に祭壇を築いて、それぞれの神に祈ったところ、バアルからは何の答えも無く、エリヤの神(ヤハウェ)のみが天から火を降らせるという奇跡をなした。預言者エリヤ祈って曰く、「主よ、イスラエルでは、あなたが神であることを今日知らせてください。主よ、わたしに答えてください」(1列王18.36~37)と。
「そのとき主の火が下って燔祭と、たきぎと、石と、ちりとを焼きつくし、またみぞの水をなめつくした。民は皆見て、ひれ伏して言った、『主が神である。主が神である』。エリヤは彼らに言った、『バアルの預言者を捕えよ。そのひとりも逃がしてはならない』。そこで彼らを捕えたので、エリヤは彼らをキション川に連れくだって、そこで彼らを殺した」(1列王18.38~40)
こうしてバアルの預言者とエリヤの戦いで、エリヤは勝利し、間もなく、雲と風が起り、空が黒くなって大雨が降ってきた。まさにこの物語はバアル神という偶像を分別し、イスラエルを清める神の摂理だった。
筆者はこの物語の中に、この度の自公の離縁が、善悪混沌とした中間状態を分別して、真性かつ健全な保守自民党を分立する神の摂理を見る。またそれは公明党をも本来の公明党に戻すことになり、双方にとって有益である。そしてこのエリヤの役割を背負ったのが、まさに高市総裁だと思料するのである。高市早苗総裁、日本のサッチャーたれ!
<創価学会と宗教政策>
さて筆者はこの機会に、公明党の母体である創価学会について、その歴史、教理、活動、そして課題について、改めて論じることにしたい。何故なら、創価学会(=公明党)は、善きにつけ悪しきにつけ、日本最大の教団として日本の宗教界に多大な影響を有し、公明党を知るためには創価学会を知ることが必須であるからである。
創価学会は仏教界から問題視され、日本の保守層からも反日団体(親中派)として敬遠され、また共産党やマスコミからは激しいバッシングを受けてきた。この点、UCも日本基督教団などキリスト会から異端とされ、社会的に厳しく叩かれており、その意味では、まさに創価学会もUCも同じ受難を負う運命にある。
法華経の行者日蓮は、他宗を「真言亡国・禅天魔・念仏無間・律国賊」(『日蓮聖人御書全集』諌暁八幡抄P743)と断じて他宗派を激しく批判したように、当初、創価学会は他宗教を厳しく批判・排斥した歴史を持つ。この点UCは、他宗教を批判したことは一切なく(但し、教義論争はある)、むしろ全宗教間の対話と一致に心血を注いできた歴史があり、超教派・超宗派活動は最も力を入れてきた分野である。
この点、カトリックも第2バチカン公会議(1962年~1965年)で、「キリスト者間の一致」について信者のあるべき姿勢を提示した。そしてエキュメニズム(教会一致運動)へ舵を切り、「分かれていった兄妹たち」、即ち、ユダヤ教、ギリシャ正教、プロテスタントなどとの対話に門戸を開いた。従ってこの際創価学会は、唯我独尊的な孤高の宗教として、他宗教を邪教扱いするだけではなく、宗教一致の戦線に加わらんことを祈念する。
なお筆者は創価学会について、「つれづれ日誌(令和5年) 佐藤優著『池田大作研究』を聖書観で読み解く」で3回に渡り多角的に論じているので、参考にして欲しい。→ ① https://x.gd/8ZD7V ② https://x.gd/zEvm6 ③ https://x.gd/r7Xqp
【創価学会の核心ー日蓮、戸田城聖、池田大作】
さて2023年11月15日、創価学会の池田大作名誉会長が亡くなった(95才)。創価学会では、池田大作氏は(以下、「池田大作」と呼ぶ)、牧口常三郎、戸田城聖と並んで「永遠の師」と位置付けられ、「池田本仏論」も登場するほど絶大な影響力を死にいたるまで持ち続けた。
池田大作(1928年~2023年)は、1960年に32才の若さで創価学会会長に就任し、1964年には宗門から法華講総講頭に任じられている。奇しくも久保木修己元UC会長は33才で会長に就任している。
会長在任中の約20年間(1960年~1979年)に、戸田城聖から引き継いだ75万世帯の創価学会を700万世帯まで飛躍拡大させ、その間、1964年に公明党、1971年に創価大学、1975年にSGI(創価学会インタナショナル)を設立し、前人未到の成果をあげた。一方、強引な勧誘(折伏大行進)、言論出版妨害事件(1964年)、月間ペン事件(1978年)などのスキャンダルや「宗門との致命的な確執」もあり、マスコミや世論から激しいバッシングに晒されたこともあった。
作家でキリスト教徒の佐藤優氏は、『池田大作研究』(朝日新聞出版)という558ページの本を書き、池田大作及び創価学会について、その生涯、思想と信仰、教義、世界化などについて述べている。佐藤優氏は本書のテーマを、「創価学会の内在的論理を明らかにすること」、「日本発の世界宗教への道を追うこと」とし、そのためには、池田大作の人と思想を知ることが必須であるとした(佐藤優著『池田大作研究』序章)。
<公明党の反戦思想の原点>
公明党の反戦平和の思想的原点は池田大作の絶対平和主義にある。故に、先ず池田大作が何故戦争を嫌う「絶対平和主義者」になったのかを検証したい。この絶対平和思想こそ、公明党が憲法9条改正に反対し、親中派として自民党の足を引っ張ってきた要因であるからに他ならない。
創価学会の「精神の正史」と言われる池田大作著『人間革命』1巻冒頭には、「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない」と記している。これらの言葉に象徴される池田大作の反戦平和思想は、その生い立ちに源泉があると言ってもいい。
池田大作は、1928年1月2日、東京都大田区大森で、海苔製造業を営む父母を持つ8人兄妹の5男に生まれた。 家業は関東大震災で大きな打撃を被った上、池田大作が尋常小学校2年の時、父子之吉がリューマチで病床に伏し、赤貧のどん底に陥った。長兄の喜一は経済的理由で中学校中退を余儀なくされ、池田大作も中学進学を断念することになり、おまけに結核を患った。そして第二次世界大戦が本格化し、兄4人は兵隊に出征し、長兄はビルマで戦死したのである。
池田大作は、戦前、伊勢神宮の神札を祭ることを拒否したために、治安維持法違反及び不敬罪の容疑で逮捕拘束され獄中生活を余儀なくされた牧口常三郎や戸田城聖のトラウマや、また4人の兄を戦争に駆り出され、空爆で全てを失った悲惨さから、先の大戦を日本帝国主義の侵略戦争とし、中国や朝鮮半島で残虐行為を行ったとして断罪した。
そしてこれらの原体験が、池田大作の反戦平和思想につながり、ひいては「平和の党」公明党の憲法改正反対などの政策につながることになる。評論家の竹田恒泰氏は、池田大作の指導者としての資質と業績を高く評価しながらも、「日本の国防問題で犯した罪は大きい」と断じた。
<池田大作と戸田城聖>
ところで、公明党の創立者池田大作の信仰的原点は戸田城聖にある。
池田大作は、戸田城聖と運命の出会いをする直前、内村鑑三の『代表的日本人』を読んでいたく共感している。その第5章「日蓮上人」の冒頭に「宗教は人間の最大の関心事であります。死の存するところに宗教はなくてはならないものです」(『代表的日本人』岩波文庫P141~142)とあるが、池田大作は『私の履歴書』に次のように記している。
「森ヶ崎海岸にて、孤独の友と生と死を語った。貧窮の友は、キリスト信者になるという。先日、内村鑑三の『代表的日本人』を読んだが、あの実に重要なる死の問題、死のあるところ宗教はあらねばならぬとあった。だが私はキリスト教には魅せられない」(P88~89)
内村鑑三は、「日蓮の論法は粗雑であり、語調全体も異様です。日蓮はたしかに、一方にのみかたよって突出した、バランスの欠く人物でした」(『代表的日本人』P171)と日蓮の欠点を指摘しつつも、日本人の中で日蓮ほどの独立不羈の人物を考えることはできないとし、「日蓮こそその創造性と独立心によって、仏教を日本の宗教にした」(同P176)と高く評価した。
内村は、ひとり世に抗し、幾多の迫害の中でも独立精神を忘れず、自らの信仰的確信を貫いた日蓮の姿に、キリスト教におけるマルティン・ルターにも比肩する宗教改革者の生き様を見た。この内村の日蓮観に池田大作はいたく共感したという。こうして人生哲学を深めたとは言え、未だ無宗教者の池田大作は、内村鑑三の宗教観に強く触発され、その日蓮観に共感したものの、かの友のようにキリスト教に向かわず、日蓮仏法に帰依することになる。
池田大作が内村のキリスト教に憧れつつも、結局日蓮仏法に帰依したのは、何といっても戸田城聖との運命の出会いである。池田大作は、1947年(19才)、東洋商業学校を卒業後、同年8月14日 、小学校時代の同級生の女性から「仏教や哲学のいい話がある」と誘われ座談会に出席し、戸田城聖の説法を聞くことになった。池田大作は戸田の自由闊達で活力に満ち、ユーモアに富んだ話を聞いていたくスパークし、信仰の道を決意することになり、同年8月24日、創価学会に入信手続きを行ったという。『私の履歴書』には次のように記されてある。
「深い思いにふけり、自己の心の山々の峰をいかに越えようか、と考えながらも結論が得られずに悩んでいた私にとって、戸田先生との邂逅は決定的な瞬間となってしまった。正直いって、その時の私自身、宗教、仏教のことが理解できて納得したのではなかった。戸田先生の話を聞き、姿を見て、この人ならと信仰の道を歩む決意をしたのである」(履歴書P94~96)
こうしてこの人と同じ信仰に入ろうと決意した池田大作は、変えられて、ルビコン川は渡られたというのである。 以後1958年4月2日、戸田が死去(58歳)するまで約10年間、文字通り「異体同心」「師弟不二」の関係で戸田と運命を共にした。
ところで、池田大作に決定的な影響を与えた戸田城聖(1900年~1958年)とは如何なる人物なのだろうか。
戸田は小学校教員時代に校長だった牧口常三郎から折伏を受けて日蓮正宗の信者になり、「生命論」を提唱した。「生命論」は戸田が獄中で得た悟りをもとに月刊誌『大白蓮華』に発表したもので、創価学会が現代に即した法華経を展開するための核心的な理論となった。
戸田は、神社の礼拝を拒否し、1943年(43才)の夏弾圧されて、牧口と共に、以来2年の拘置所生活を余儀なくされたが、この冷たい拘置所にて、人生の根本問題である生命の本質について開眼した。
戸田は、ひたすらに、法華経と日蓮大聖人の御書を拝読し、これを身をもって読みきりたいと念願して、南無妙法蓮華経のお題目を唱え抜いた。そして唱題の数が二百万遍になんなんとする時、いまだかつて測り知り得なかった不可思議な境地が眼前に展開したという。戸田が生命の本質について開眼した瞬間であり、まさに信仰的神秘体験であった。
この「獄中悟達」は、かって空海が室戸洞窟で「虚空蔵求聞持法」の真言を百万回唱えて遭遇した神秘的信仰体験や、久保木修己会長の厚木大山での断食5日目に起こった神秘体験と瓜二つであり、この戸田の獄中悟達は、1951年2月、新宿から新大久保へ向かう途中で霊的体験に遭遇した「路上悟達」と並んで、創価学会の確信と言われている。
<破門について>
そして池田大作にとっても、創価学会にとっても(従って、公明党にとっても)、重大事件として特筆されるのは、無断本尊模刻問題や教義上の問題での日蓮正宗大石寺との確執、僧俗和合の破綻や池田氏の大石寺批判などもあり、1991年11月28日、日蓮正宗が創価学会とSGIの破門に及んだことである。 1992年8月11日には信徒としての除名処分も受けた。これで、日蓮正宗の信徒団体として出発したはずの創価学会は、名実共に日蓮正宗富士大石寺と決別することになった。 この訣別は今回の自公の離婚劇を彷彿とさせる。
即ち創価学会は、日蓮大聖人が出世の本懐として1279年(弘安2年)10月12日に顕した「一閻浮提総与(いちえんぶだいそうよ)の御本尊」を失うことになった。日蓮正宗ではこの本門戒壇の大御本尊は、日蓮作成の曼荼羅の中でも究極の大曼荼羅と位置づけられ、広宣流布の暁には日本国民一同が信奉すべき本尊と定めている。
創価学会はこの「一閻浮提総与の御本尊」を、「宇宙根源の法であるとともに大聖人の御生命それ自体であり、人法一箇の大御本尊ともいう」 として生命視してきた。即ち、この本尊は「末法の本仏」である日蓮の悟りそのものであり、本仏としての日蓮の境界を「人法一箇の大法」として顕わされたものとし、この本尊に朝夕に勤行唱題することによって、「成仏」という永遠に崩れぬ境涯を得ることができるというのである。
しかしながらこの御本尊は、今や学会と敵対する日蓮正宗大石寺が所持し、大石寺奉安堂に安置されているというのである。いわば、学会が信仰の対象として生命視する大御本尊が宗門に人質にされて失われているに等しく、これは創価学会の大きなジレンマというしかない。
そして遂に、2014年の会則改正により、本門戒壇の大御本尊について「弘安2年(1279年)の本門戒壇の大御本尊は受持の対象とはしない」と公式発表され、大きく独自路線に舵を切った。これはまさに今まで信奉してきた大御本尊の否定であり、これでは創価学会の正統性に問題が生じるのではないか、今後何を拠り所としていくのかと、老婆心ながら危惧するものである。
<日蓮上人>
さて我が日蓮は、「鎌倉松葉谷草庵焼き討ち」「伊豆流罪」「小松原の法難」「龍ノ口での斬首の危機」など様々な迫害を受け、遂に「佐渡流罪」にされた。佐渡流罪のどん底にあって、「天も捨てたまえ、諸難にもあえ、身命を期とせん」(開目抄)とある通り、日蓮は迫害を法難と捉え、むしろ「法華経を広める者の証」とした。この日蓮の試練に対する姿勢は、未曾有の大艱難にあるUCとその信徒にとっても見習いたい精神である。
内村鑑三著『代表的日本人』の5章「日蓮上人」には、16才で得度した日蓮の最大の問題意識は、「仏教に無数の教派が何故存在するのか。いずれの宗派が、自分が従う仏陀の道か」(同書P150)ということであったとある。そして日蓮は天台宗比叡山にて万巻の仏教の経典を読みあさり、十数年の勉学の果てに「法華経こそ仏陀の教えの中核、永遠の真理、仏陀の本然と悟りの力の秘義がある」(同書P153)との確信に至り、「南無妙法蓮華経」の6文字こそ根本であるとした。
まさに日蓮は、ルターが聖書一書のために身を捧げたように、経典と法のために自分の生命を賭して立ったのである。内村曰く、「ルターにとって聖書が尊いのと同じように、法華経は日蓮にとり尊いものでした。一書のために死をいとわない精神は、多くの英雄にまさる尊い英雄であります」(同書P174)と。まさに日蓮は経典崇拝者であったが、偶像崇拝者ではなかったのである。
そうしてこの確信をひっさげ、32才の日蓮は、1253年4月28日の明け方、安房国清澄山の頂きから朝日の昇る東に向むかって、法華経の教えこそが一切経の根本の法であると「南無妙法蓮華経」と三遍の題目を唱えて立宗宣言をした。奇しくも32才の文鮮明先生は、日蓮立宗宣言から700年後の1952年5月10日、『原理原本』の執筆を脱稿され、その日、釜山の水晶山でみ言宣布の祈りを捧げ、福音宣教の宣言をされたのである。
<世界宗教へ>
ともかく創価学会は、1991年の破門以来、日蓮正宗から独立し、日蓮系新宗教として再出発した。池田大作は1991年12月15日、「日蓮世界宗創価学会」と揮毫をしたため、創価学会こそが日蓮の仏法を世界に広宣流布していく教団であることを示した。特に池田大作が強調したのが、「御書根本」「日蓮大聖人直結」であり、それは創価学会が成し遂げた宗教革命が、日蓮の教えの原点に立ち返り、その本質的な意義を現代に展開するものであることを意味しているという。まさにルターの聖書のみ、信仰のみの世界である。
ちなみに「御書」には、日蓮の著書や信者に宛てた手紙など多数の文献が編纂されているが、日蓮の著書のうち、「立正安国論」「開目抄」「観心本尊抄」の3編が最も重要で日蓮仏法の根幹である。 ただ、創価学会の日蓮仏法は、 輪廻転生思想、霊界と唯一神の否認、人間主義、現世利益主義などの特色があり、聖書観・原理観と異なる点が少なくない。
1995年には創価学会インタナショナルとして「SGI憲章」を制定したが、その第七項には「SGIは仏法の寛容の精神を根本に、他の宗教を尊重して、人類の基本的問題について対話し、その解決のために協力していく」とある。
以上、自公連立解消(離婚)の政治的、聖書的意義について述べると共に、公明党の母体である創価学会の歴史と理念について論考した。創価学会には、ここ3回の選挙の公明党惨敗が象徴するように、信者の高齢化が進み、集票力(信者数)は激減しているという課題もあるが、願わくばSGI憲章の「他の宗教を尊重して、人類の基本的問題について対話する」との趣旨が実際化されることを祈念する。(了)
牧師・宣教師 吉田宏



