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韓鶴子総裁の受難に思う 神の国の方案を示された文鮮明先生

  • 執筆者の写真: matsuura-t
    matsuura-t
  • 6 日前
  • 読了時間: 17分

更新日:3 日前

○徒然日誌(令和7年12月17日)  韓鶴子総裁の受難に思うー神の国の方案を示された文鮮明先生 

 

わたしたちは喜び楽しみ、神をあがめまつろう。小羊の婚姻の時がきて、 花嫁はその用意をしたからである。 彼女は、光り輝く、 汚れのない麻布の衣を着ることを許された。 それから、御使はわたしに言った、「書きしるせ。小羊の婚宴に招かれた者は、さいわいである」(黙示録19.7~9)

 

プロローグー受難の韓鶴子総裁 

 

2025年9月23日、UCを創設した故・文鮮明先生の妻、韓鶴子(ハン・ハクチャ)総裁は政治資金法違反、不正請託禁止法違反などの容疑で韓国検察から逮捕拘束された。だが、韓総裁は、容疑は「虚偽」だとして繰り返し否定している。UC側も「組織的に政治権力と結託したことはなく、特定の政党を支援して利益を得ようとしたこともない」と疑惑を否定している。 

 

今や韓総裁の勾留は85日を越え、老齢(82才)で心臓病を抱える身が案じられる。かって日本でも、天理教の中山ミキ教祖が89才で逮捕勾留されたことがあった。 

 

李在明(イ・ジェミョン)大統領は、李氏を批判し、尹錫悦(ユン・ソンニョル)元大統領を支援した宗教団体をターゲットに弾圧し、UCの他に汝矣島(ヨイド)純福音教会、サラン第一教会、釜山世界路教会、新天地など7つのキリスト教団が弾圧を受け、3人の牧師が拘束された。 

 

さらに2025年12月10日、李大統領は宗教団体が政治に介入している現状を「政教分離の原則が破られている」と問題視し、宗教団体と政治家の不適切な関係について厳正に捜査するよう指示した。しかしアメリカや韓国の保守系キリスト教団体は、李在明政権による一連の「宗教の政治介入」に対する厳しい姿勢を、特定宗教や政敵をターゲットにした「宗教的抑圧」と捉え、強く批判している。 

 

そもそも政教分離とは、国家が特定の宗教を恣意的に優遇したり、弾圧したりすることを禁じることで(国家の中立性)、信教の自由を保障するための「制度的保障」である。従って宗教が自らの宗教信念を実現するために政治(家)に関与することは違法ではなく、むしろ権利であり、李大統領は政教分離の意味を恣意的に曲解している。 

 

ところで、文鮮明先生は生涯6回もの牢獄体験をされたが、いずれも「為にする冤罪」だった。今回、韓総裁も冤罪で牢獄生活を余儀なくされている。聖書に「彼は人に捨てられ、忌みきらわれる者のように侮られた」(イザヤ53.3)とあり、「我々の咎・不義のために砕かれた。彼は自ら懲しめをうけて我々に平安を与え、その打たれた傷によって、癒されたのだ」(イザヤ53.5)とある通り、この夫婦もまた、人類の罪を背負って十字架の道を行かれるのだろうか。 

 

さてこの度、この韓鶴子総裁の受難に際し、筆者は、文鮮明著『平和愛する世界人として』(創芸社)と、韓鶴子著『人類の涙をぬぐう平和の母』(光言社)を読み直した。 

 

『平和の母』冒頭には、「本書の執筆を終えつつある今、ひときわ、慕わしくなる方がいます。夫婦の縁を結び、共に生涯を神様のみ旨をかなえるために生きて、8年前に天の国に召された私の愛する夫、文鮮明総裁です。もしこの本が世に出るのを御覧になっていれば、誰より喜ばれたことでしょう」(『平和の母』P7)とあり、また「文総裁は聖和する前の一年、90才を越えた年齢にもかかわらず、アメリカに8回以上横断しました。2012年9月3日、文総裁は満92才を一期として天に召されましたが、8月13日、『すべて成し遂げた!  すべてを天の前にお返しする。完成、完結した』が最後の祈りになりました」(同書P28)とある。 

 

そして、「文総裁が聖和した後、私は朝夕、霊前に食事を捧げ、本郷苑(墓)まで往復しながら、心の中で夫と多くの会話を交わしました。そうして、夫の考えが私の考えとなり、私の考えが夫の考えとなりました。文総裁が聖和した2012年9月以降、3年間、一度も侍墓を欠かしませんでした」(同書P31)と記し、「侍墓の精誠を捧げた私は、1970年代に夫が横断したアメリカの5600kmの道をたどり、スイスのアルプス山脈にある12の峰を訪れて、祈祷と瞑想をしながら夫と霊的にさらに近く交感しました」(同書P30)と述懐された。なんという美しくも強い夫婦愛であろうか。ちなみに自叙伝『平和を愛する世界人として』には「難しい峠を共に克服してきた妻である韓鶴子に、無限の愛を送ります」(P6)とある。 

 

更に韓総裁は、「神は喜びと栄光の神様ではなく、悲しみと恨の神様となられた」とした上で、「神の願いは、『父なる神』だけでなく『母なる神』、即ち『天の父母様』となり、神個人、神家庭、神氏族、神民族、神国家、神世界になるよう導くことである」と語られ、そして次のように言われた。 

 

「人類の堕落以後、天の父母様の創造理想実現は延長され、今まで、『天の父母様』の立場ではなく、神様の男性格である『天の父』の立場を中心とした、男性中心の歴史が展開されてきました。従って、神様の女性格である『天の母』の立場は隠され、神様は『天の父母様』になることができなかったのです。(故に今)天の父の名のもとに隠された天の母について、『独り娘』という、私のもう一つの名を通して話すのです」(『平和の母』P5)

 

確かに聖書は神を「天の父」(マタイ6.26)と呼び、「ひとり子」(ヨハネ3.16)はいたが「ひとり娘」の記録はない。神が父性と母性の二性性相の中和体としていましたまう以上、天の父と天の母、即ち「天の父母」と呼ぶのがふさわしい。韓総裁は片手落ちだった「天の父」から「天の母」の概念を加えて、文字通り神を「天の父母」として再解釈されたのである。(但し、原理講論には「父母なる神」(P61)、「天の父母」との表現は随所にある)

 

【文鮮明先生と韓鶴子総裁の出会い、そして子羊の婚姻】 

 

前記したように、最近筆者は、今なおソウルの冷たい拘置所にて拘束を余儀なくされている韓総裁に想いを馳せ、自叙伝『平和の母』を読み直して見た。そこには生まれるべくして生まれ、出会うべくして出会って、文鮮明先生と婚姻するまでの必然的な見えざる神の摂理を感ぜざるを得ない記録があった。 

 

韓総裁曰く、「神は何故、善良な韓民族を、これほどの大きな試練と苦痛を通して鍛練されたのか」と問い、「それは韓民族に大きな使命を担わせるためであり、韓民族を選び、独り子と独り娘を誕生させ、世界を救い、人類を愛によって導くためでした」(同書P49)と。

 

<韓鶴子総裁の誕生と背景> 

 

韓鶴子総裁は、1943年1月6日(陽暦2月10日)、平安北道安州で生まれた。父韓承運(ハン・スンウン、1908年安州生れ)は教師をしており、李龍道(イ・ヨンド)の新イエス教の中堅幹部を務めた。母洪順愛(ホン・スネ、1914年定州生れ)は敬虔なキリスト教徒の父洪唯一と母趙元模(チョウ・ウォンモ)の長女であった。ちなみに祖母趙元模の祖先趙漢俊(チョ・ハンジュン)は、タレル江に橋をかける事業を請け負ったが、小銭三文を草履を買うために私的に使ったことが天に引っ掛かり、子孫から(王ではなく)王女を送るとの託宣を受けたという。 自叙伝には次のようにある。


「祖母の先祖である趙漢俊は天の王女を送るという啓示を受けました。天は彼の精誠に応え、そから忠情の家門が続くようにされました。そして信仰の深い祖母から母が生まれ、その母を通して、私が生まれました。世を救う独り娘を送るための天のみ旨が、先祖の趙漢俊から始まり、私で実を結んだのです」(同書P115)

 

即ち、絶対信仰を持つ祖母趙元模、母洪順愛、韓鶴子と三代に渡る一人娘の家門を選ばれたというのである。父韓承運と母洪順愛は、1934年、李龍道が亡くなったあと新イエス会を引き継いだ李浩彬(イ・ホビン)の主礼で結婚式を挙げた。韓総裁誕生の前、既に母には「あなたの赤子が男の子であれば宇宙の王となり、女の子であれば宇宙の女王となる」との啓示が降り、父も二羽の鶴がたわむれる夢を見たという。なお父は清州韓氏の末裔で、清州韓氏の始祖は高麗建国の功臣韓欄(ハルラン)であり、韓欄から33代目が韓鶴子総裁であるという。 

 

1919年、3・1独立運動が終息したあと、神霊的神秘主義運動が韓国キリスト教の一つの特徴になり、1900年初頭から、「再臨主が肉身を持って平壌にくる」と言った啓示が降り、キリスト教徒たちの間で、神霊運動が燎原の火のごとく広がっていた。東の元山では新イエス会の白南柱(ペク・ナムジュ)、李龍道(イ・ヨンド)、黄國柱(ファン・グクチュ)など男性による神霊の役事が、西の鉄山では聖主教の金聖道(キム・ソンド)、腹中教の許浩彬(ホ・ホビン)など女性による神霊の役事が広がった。 

 

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韓総裁の祖母趙元模女史、母洪順愛女史は長老派のクリスチャンだったが、新イエス教に出会って信仰するようになった。洪順愛女史は新イエス教と出会う前、復興伝道師の黄国柱(ファン・グクチュ)の伝道団に加わり、100日間の伝道の旅に出たという。その後、元山の新イエス教に入信し、更に新イエス会と関係のある鉄山の聖主教に通うようになった。聖主教は白南柱も設立に係わった神霊的神秘宗教だが、韓総裁は4才の時、聖主教に母親と行ったと証言している。 

 

1944年、聖主教の教祖金聖道が死んだ後、許浩彬が後を継ぎ腹中教を設立した。1944年、洪順愛女史は、趙元模女史と共に腹中教に入った。「洪順愛さんは新しいもの好きなのか、当時異端と呼ばれた教団を渡り歩いたようです。そして神霊神秘主義教団の教義はどれも似ていたのです」との証言がある。母親は宗教活動に忙しく、そのため韓総裁は祖母に育てられたという。 

 

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その後、洪順愛女史は、南で金聖道の長男鄭錫天(チョン・ソクチュン)氏を通し文先生に会うことになった。ちなみに金聖道の孫、鄭壽源氏はUCの祝福家庭である。「人生の目的が再臨主に会うことである」という洪順愛女史は、再臨主に会いたいという一心で、長老派教会→黄国柱伝道団→新イエス会→聖主教→腹中教と宗教遍歴を重ね、1955年、遂に待ち焦がれた文鮮明先生と出会えたのである。まさに韓総裁の背景には、祖母の趙元模女史、母の洪順愛女史の敬虔なキリスト教信仰の伝統があった。「私は霊的な家庭に生まれ、常に神様と交流する中で育った」(『平和の母』P75)とある通り、韓総裁は祖母と母から信仰の精髄を受け継いだのである。(写真 母

洪順愛とのスナップ)

 

<子羊の婚礼>

 

さて、1948年、祖母と母は韓総裁を連れて、祖母の長男で叔父の洪順貞氏がいるソウルに38度線を超えて南下した。韓総裁5才の時である。この時既に、1947年に南下した父とは別れていた。 

 

南下して叔父の洪順貞を探して会うことができた。ソウルでは孝昌洞(教会本部青波洞の近く)に住み、韓総裁は孝昌小学校に入った。やがて1950年6月25日、韓国動乱が勃発し、漢江の橋は爆破されたが、間一髪、爆破前に渡ることができ、九死に一生を得て全羅道の軍人家族避難民収容所に入った。この一連の南下は想像を絶する道程だったが神が韓総裁を保護したという。 

 

更に1951年大邸に向かい、大邸で既に南下していた鄭錫天氏と会う。その後1954年、一時済州島に渡り新孝小学校に入学、更に春川に戻り鳳儀小学校に入り、1956年卒業した。 

 

1955年12月15日、鄭錫天氏の縁で、母洪順愛は青波洞(チョンパドン)教会を訪問し、遂に夢に描いた再臨主に会うことができたのである。母は感激して入信し、その後春川で開拓伝道を始めた。そして韓総裁は母と一緒に青波洞教会を訪問し、文先生と会うことになった。韓総裁14才の時である。 

 

「韓鶴子と申します」と挨拶した時、文先生は「韓鶴子が韓国の地に生まれた!」と3回発したという。「韓鶴子、これから犠牲にならねばね」との言葉に「はい」と答える韓総裁がいた。 

 

聖女女子中学校では成績優秀でリーダーシップを発揮し、卒業後、1959年カトリック系の聖ヨセフ看護学校に入った。寄宿舎から看護学校に通い、まるで修道女のような清い生活をしながら、聖者聖女伝、小説大地、そして聖書を読み、日曜日には青波洞教会の礼拝に参加した。1959年秋には、青波洞教会で開かれた全国伝道師修練会に参加した。すべては天の独り娘として、天の独り子に出会うための準備だったのである。 

 


そうした中、母は白い礼服を着た女性たちがピンクの花を持って立っている中、韓総裁が文先生に向かって歩いていく夢を見、また一羽の鳳凰が天から降りてきて、別の一羽が大地から飛び立って出会う夢を見た。信徒の間でも、韓総裁は容姿も端麗で気品があり、判断力や観察力も優れているとの評が立った。確かに韓総裁は幼い時から霊的直感力に秀でていた。母の友人呉執事には「エバが16才で堕落したのだから、天の新婦は20才を超えてはならない。鶴子がなる。鶴子がなる」との啓示があり、「宇宙の母、時が満ちた。私はアルパでありオメガである。創成以前から宇宙の母を待っていた」との天の声があった。 

 

1960年2月26日、文先生から呼ばれ、対面した韓総裁は、「天の子女を沢山産む」と堂々と表明したという。事実、韓総裁は夫のために4回の帝王切開をしながらも14人の子(男女各7人)を産んでいる。こうして韓総裁は、「私は文先生を独り子として迎え、神様のみ旨を成し遂げて差し上げると決心しました。行く道がどれほど困難でも、私の代で復帰摂理を終わらせます」(『平和の母』P114)と決意したのである。 

 

黙示録に「小羊の婚姻の時がきて、 花嫁はその用意をしたからである。彼女は、光り輝く、 汚れのない麻布の衣を着ることを許された」(19.7)とある通り、1960年3月27日(陰暦3月1日)午前4時、文鮮明先生と韓鶴子総裁は約婚式に臨み、4月11日、薄氷を踏むような日々を超えて聖婚式が行われた。文字通り「子羊の婚礼」である。 


 

自叙伝『平和の母』には、「イエス様が再臨してまず初めになさることは、新婦を探すことであり、私が聖婚した日、それは神様が勝利された日であり、人類が真の母と共に生きることができるようになった喜びの日です」(『平和の母』P116)とあり、また「聖婚式は私が宇宙の母、平和の母として人類の前に立つ時であり、この独り子、独り娘が聖婚する子羊の婚宴は、アダムとエバが成し遂げられなかった宇宙的な真の夫婦、真の父母の理想を実現する場でした」(P218)とある。 

 

韓総裁は、世を救う固い意志と強靭な信念、すべてをことごとく包み込む海のような慈愛、これらを胸深く刻んで聖婚に臨み、「蕩減復帰摂理の歴史を、私の代で清算します。何よりも、神様の名のもとに起こっている宗教的な分裂は、神様が最も胸を痛められることです。それを必ず解決してみせます」(同書P119)と告白した。 

 

そして「私は地獄のどん底まで経験し、ありとあらゆる苦労を味わいました。信仰的な苦難こそ、神様の恩恵を感じられる最も貴い祝福です」(P130)と言われる韓総裁は、今なおソウルの拘置所にて受難の道を余儀なくされている。この事実は未来永劫に歴史が記憶するところであり、そしてこの受難を越えた時こそ、文字通り万人が認める「平和の母」「宇宙の母」が立つ時である。 

 

【生涯の業績ー平和の方案】 

 

一方筆者は、今回文鮮明著『平和を愛する世界人として』(創芸社)を読み直して、文先生の意外な側面を再認識させられ「目から鱗」の体験をした。 

 

筆者は「文鮮明先生は、何故、メシアと言えるか」との問について、第一に聖書とその奥義を解明されたこと、第二に文先生が韓鶴子総裁と共に無原罪の「真の父母」として立たれ、霊と肉の両面に渡る「重生」(新生)の摂理を成就されたこと、第三に共産主義を屈服させられたこと、の3点を挙げた。(参照→吉田宏著『異邦人の体験的神学思想』P488~P492)

 

このため文先生は、その生涯において、先ず教義を確立し(原理講論、天聖経の他膨大な御言葉集)、全世界195ヶ国に教会を建てられ、そして超教派・超宗教運動、教育学術活動、思想言論活動、世界平和運動など、多岐にわたる諸活動を展開された。その諸活動の中で、今回特筆するのが自叙伝『平和を愛する世界人として』の第七章「理想郷に向かって」に記載されている意外な事業展開である。 

 

①プロサッカーチームの創設 

 

文先生は、1988年のソウルオリンピックの直後、「一和天馬」というプロサッカーチームを創設され、その後、ブラジルで「セネ」と「ソロカバ」というプロサッカーチームを創設された。そして国際的規模の新しいサッカー大会である「ピースカップ大会」を開催された。「サッカーは人生の縮図」と言われ、「サッカーは国際間の平和と協力の増進にも大きな力を及ぼします」と語られた。(『平和を愛する世界人として』P296~P300)

 

②バレエ団の創設 

 

「バレエは神様が人間に下さった美しい体を活かして、神に愛を表現する最高の芸術です」(同書P301)と語られる文先生は、1984年、「ユニバーサル・バレエ団」を創設された。ユニバーサル・バレエ団は、「白鳥の湖」「クルミ割り人形」「ドン・キホーテ」「ジゼル」などの他、創作バレエの「沈清」「春香伝」を公演した。また「芸術は神様の創造の偉業に似ています」(同書P301)と言われる文先生は、「ニューヨークシティ・シンフォニー・オーケストラ」「ニューホープ・シンガーズ」も作られた。 

 

③海洋事業 

 

日の沈まない国と言われたイギリスのように「海を掌握する国が世界の主役になる」と文先生は言われる。海洋国家日本と韓国は、今や太平洋文明圏時代の主役だという。地球の三分の二を占める海は資源の宝庫でもあり、また世界を結束させる求心点であるという(同書P303)。海洋事業は神の理想の実現や、世界平和への貢献を目指すものとされ、文先生は、アメリカを中心にボート事業、マグロ漁業、寿司関連事業など、水産業全般にわたる事業を展開された。 

 

④「パンタナール」開発事業 

 

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文先生は、現代の三大難問である「公害」「環境保全」「食糧問題」の解決のため、ブラジルのパンタナール地域を持続・保全するための活動を20年以上に渡って実践された。文先生は、「パンタナールは南米大陸の子宮であり、パラグワイ川は新しい生命(文明)を生み出す産道である」と言われ、更に、パンタナール・レダは世界最大の湿地地帯で、「万物創生の原点、神の保護地、原焦的・根源的・勝利的聖地」との原理観を語られた。 

 

パンタナールを中心にアマゾン川流域の生物は、創造当時の原型をそのまま保っているという(同書P312)。また、酸素を送り出す「地球の肺」「温室ガス貯蔵庫」であり、日本の本州ほどの面積のパンタナールの湖には、数百種の魚が生息しているという。こうして三大難問解決のために、文先生は「天下第一の労働者」として、自ら釣り、植樹、養殖、フィッシュ・パウダー工場などを展開され、ブラジルのジャルジンには「ニューホープ農場」を作られた。また、パラグアイのチャコ地方の開発に投入され(レダ開拓)、この地域では長期に渡って日本の宣教師らが奮闘している。(参照「パンタナール・レダ開拓の意義」→ https://x.gd/P15X5 )

 

⑤国際平和高速道路構想 

 

文先生は、世界は「国際平和高速道路」(国際ハイウェイ)を通して完全に一体にならなければならないと言われる。国際平和高速道路は、韓国と日本を海底トンネルで連結し、ロシアと北米大陸を隔てるベーリング海峡に橋を架け、全地球を一つにする大事業であり、アフリカの喜望峰からチリのサンティアゴまで、またイギリスのロンドンからアメリカのニューヨークまで自動車で走って行ける毛細血管だという(同書P344)。 

 

シルクロードは、単に絹を売り、香料を買う貿易の道だけではなく、東西が出会い、仏教とイスラム、ユダヤ教、キリスト教が出会う場であり、互いに異なる文化が混交して新しい文化が誕生する場だったのである。これからの21世紀は国際平和高速道路がそれをやりとげるという。まさに「つるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとする」(イザヤ2.4)時であると言われた。(同書P346)

 

文先生は本書の最後に次のように言われた。 

 

「今後国連は、上院と下院の両院体制に変えなければなりません。外交分野の代表者たちが世界の問題を論議する下院と、超宗教的な代表者たちが集まって平和問題を論議する上院がなければなりません。今の時代、世界は宗教によって深い自己洞察の域に達した宗教者の関与を切に求めています」(同書P347)

 

以上の通り、文先生は罪の問題を解決する贖罪者(メシア)としての働きだけでなく、世界平和の具体的な問題解決の方案まで示し、且つ自ら実践されたのである。まさに「世の罪を取り除く神の子羊」(ヨハネ1.29)であると同時に、「神の国」(マルコ1.15)をもたらす偉大な聖人であった。 

 

以上、韓鶴子総裁の獄中路程に想いを馳せ、筆者は、文鮮明著『平和愛する世界人として』(創芸社)と、韓鶴子著『平和の母』(光言社)を熟読したが、『平和の母』は主に誕生から子羊の婚姻まで、『平和愛する世界人として』は第七章「理想郷に向かって」に絞って論評した。 


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「韓鶴子総裁は生まれるべくして生まれ(ひとり娘)、出会うべくして出会った(子羊の婚姻)」というのが筆者の率直な読後感である。そして文鮮明先生は、「世の罪を取り除く神の子羊」(メシア)であると同時に、「神の国の雛型」を汗と泥にまみれて、自ら示されたという事実である。まさにこのカップルは、後にも先にもない、唯一無二の「真の父母」であり、この二人に生きて出会えたことは幸いである。然り、まさにこの二人によって、真の神を教えられ、神の言葉と出会えたのである。文先生は独り子、独り娘について、次のように語られている。 

 

「イエス様は二人目のアダムであり、再臨主は三人目のアダムなのです。そして三人目のアダムが堕落前の立場で来て、堕落前のエバを探し出さなければなりません。堕落していないエバを探し出して、子羊の宴会をしなければなりません。結婚して人類の父母となるのです」(「祝福家庭と理想天国」(1)P584~ 585)   (了)

 

                          牧師・宣教師.   吉田宏

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