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エズラの律法復興に学ぶ - 各地に「成約聖書勉強会」を!

  • 4 日前
  • 読了時間: 12分

○徒然日誌(令和8年3月18日)  エズラの律法復興に学ぶー各地に「成約聖書勉強会」を!

 

エズラは心をこめて主の律法を調べ、これを行い、かつイスラエルのうちに定めとおきてとを教えた。(エズラ7.10)

 

プロローグーエズラの帰還

 

旧約聖書のエズラ記の著者とされる祭司エズラは、イスラエルでは「第二のモーセ」と呼ばれ、ダビデと並んで評価されている。クリスチャンが、旧約聖書に登場する偉人を挙げるとすれば、たいていアブラハム、モーセ、ダビデ、イザヤといった名前があがるのだが、しかし、ユダヤ人が聖書の偉人と言う時、ほとんどの場合、「エズラ」の名前が真っ先に挙げられるという。エズラとはヘブライ語で「神の助け」を意味する。

 

エズラは、ペルシャ宮廷の律法の書記官であり、神を畏れ、義を追い求め、王や王の側近からも厚い信頼を受けていた。バビロン捕囚の間は、神殿は崩壊して祭司としての務めはなく、その間、モーセの律法を熱心に学んだ律法学者であったが、前458年、主の御手に導かれ、約5千人の帰還者と共に、1600kmの旅程を4ヶ月をかけてエルサレムに帰還した。信仰が停滞していたイスラエル信仰共同体を建て直し、神の律法を回復するためである。

 

エズラはアルタクセルクセス1世から公式の任務を与えられた。王はエズラにエルサレムへ行く許可、銀と金の持参、神殿礼拝の支援、ユダヤの律法を施行する権限を与え、「あなたの神の律法を知らない者には教えよ。従わない者には裁きを行え」(エズラ7.25~26)とある通り、司法権まで与えた。当時、ペルシア帝国は、征服した民族に対して宗教自治を認める寛容政策を取っていたからである。即ち、バビロンが「裁きの器」であるとするなら、ペルシアは「回復の器」であった。

 

エズラが研究した律法とはトーラー、即ち「モーセ五書」(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)のことであり、特に、契約と律法遵守、偶像禁止や異邦人との混交禁止(申命記7.3)を強調した申命記を重視したと言われている。申命記は神との契約に従えば祝福され、背けば呪われるという申命史観の原型となった書で、この歴史観で書かれたと考えられる書に、ヨシュア記、士師記、サムエル記、列王記がある。

 

イスラエルがバビロン捕囚から解放され(前538)、ゼルバベルがエルサレムに帰還し神殿を再建したあと(前515年)、ゼルバベルから遅れること80年、祭司エズラが帰還した(前458年)。エズラは、預言者ではないが、バビロン捕囚から解放されてエルサレムに帰還したイスラエルの民の、み言(律法)による霊性復興を為し遂げ、ユダヤ教の祖と言われる律法改革者、宗教改革者である。もし神がモーセを通してユダヤ人にトーラーを授与できなかったなら、エズラを通して与えただろうと言われている。

 

歴史は、神の働きの足跡であり、エズラ記は、イスラエルの霊的、信仰的復興の歴史を記している。今回、エズラを通して、悔い改めの力、み言葉の力、リバイバルの原則について考えたい。そしてエズラによる霊性の復興は、大試練の中にあるUCとその信徒のこれ以上ないモデルとなり励ましとなる。

 

【エズラのみ言による霊性改革】

 

エズラは、主の宮で律法の書を発見してヨシヤの宗教改革を助けた祭司ヒルキアの曾孫で、遡ればモーセの兄である大祭司アロンにつながる祭司の血筋にある。エズラの一族には、トーラーの知識とモーセから伝えられた父祖たちの伝統が深く浸透していた。

 

エズラは、旧約聖書の中で「祭司・律法学者・宗教改革者」として登場し、バビロン捕囚後のイスラエルの信仰を回復させた中心人物で、彼の働きは主に エズラ記 (7章~10章)と ネヘミヤ記 (8章~10章)に記されている。エズラ記は、エズラの帰還(7章~8章)、民の雑婚の罪を告白するエズラ(9章)、民を清めるエズラ(10章)という構成になっている。

 

聖書はエズラについて、次のように記している。

 

「このエズラはバビロンから上って来た。彼はイスラエルの神、主がお授けになったモーセの律法に精通した学者であった」(エズラ7.6)

 

また「天の神の律法の学者である祭司エズラ」(エズラ7.21)、「主の戒めの言葉、およびイスラエルに賜わった定めに通じた学者で、祭司であるエズラ」(エズラ710)とある。そして次のように記されている。

 

「エズラは心をこめて主の律法を調べ、これを行い、かつイスラエルのうちに定めとおきてとを教えた」(エズラ7.10)


 

<律法の回復>

 

前記エズラ記7章10節にある通り、エズラは、律法を研究し、自ら行い、民に教え、律法によってユダヤ民族をまとめなおそうとした。まさにエズラは神の言葉(律法)をこよなく愛し、神の言葉に生きたみ言の人であった。エズラは神のみ言(律法)を情熱的に愛し、全力でみ言の回復に尽くし、当時のユダヤ教の確立に大きな影響を与えた。モーセが律法を与え、預言者が神の言葉を告げ、エズラが律法を研究し教えたのである。

 

エズラは神とみ言への愛を復活させるために、全地域の離散したユダヤ人共同体に、「トーラー研究学校」(イェシバ)を作り、み言を祭司の独占から解き放った。また、「シナゴーグ」を制度化し、さらに、120人の長老と賢者からなる「大集会」の創始した。大集会のメンバーにはネヘミヤ、ダニエル、ハガイ、ゼカリヤも含まれ、この大集会はサンヘドリン(宗教的・政治的・司法的な最高法院)の先駆けとなった。

 

 なお、神のみ言への愛と情熱を綴った詩篇119篇はエズラの作品だと言われており、この詩から神の言葉への限りない愛情を見ることができる。そこには、おきて、さとし、定め、戒め、み言葉、あかし、約束、さばき、という神の諭しを示す8つの言葉が使われ、限りない主の御言葉への愛が溢れている。私たち信徒も、神の言葉を愛していこう。

 

「いかに幸いなことでしょう。主の律法に歩む人は。いかに幸いなことでしょう。主の定めを守り、心を尽くしてそれを尋ね求める人は」(詩篇119.1~2)

 

<律法の研究・行い・教育ーシナゴーグの原型>

 

エズラが行った業績の第一は、律法を研究し、行い、教えることを実践したことである。即ち、聖書を研究し、自ら実践し、民に教育するという三段階であり、これは聖書教師の原型となった。ネヘミヤ記 8章には、律法を朗読しイスラエルに教えた時の情景が記されている。

 

「祭司エズラは七月の一日に律法を携えて来て、男女の会衆およびすべて聞いて悟ることのできる人々の前にあらわれ、水の門の前にある広場で、あけぼのから正午まで、男女および悟ることのできる人々の前でこれを読んだ。民はみな律法の書に耳を傾けた。すなわち神の律法を明瞭に読み、その意味を解き明かしてその読むところを悟らせた。」(ネヘミヤ8.2~8)

 

そして、「エズラは、大いなる神、主をほめ、民は皆その手をあげて、『アーメン、アーメン』と言って答え、こうべをたれ、地にひれ伏して主を拝した」(ネヘミヤ8.6)とある。

 

こうしてエズラは初めの日から終りの日まで、毎日神の律法の書を読み、人々は七日の間、祭を行い、八日目になって、おきてにしたがって聖会を開いた。そしてエズラは「この日はあなたがたの神、主の聖なる日です。嘆いたり、泣いたりしてはならない」と言った。これはイスラエル史上最初の大規模な聖書集会と言わている。

 

この聖書集会はシナゴーグのモデルとなった。正確に言えば、シナゴーグは捕囚期に原型ができ、エズラによって制度化された。シナゴーグ(会堂)は「律法(み言)」を学び、朗読し、解釈する場、即ち神殿のように祭儀(いけにえ)を行う場所ではなく、「み言の共同体」として機能した。以後、イスラエルの宗教が、祭儀の宗教から「書物の宗教」となり、宗教指導者の任務がもっぱら聖書の解釈に集中し、それらの機能が祭司や預言者から「学者」(ラビ)に移行する。

 

ちなみにシナゴーグとはギリシャ語で「集まり」「会衆」を意味する言葉であり、機能的には「礼拝・学校・集会所」が重なったような場所だった。そしてこのシナゴーグは受難期におけるUC信徒のよいモデルとなる。

 

<民の罪を告白するエズラ>

 

エルサレムにエズラが着いた時、祭司や宗教的指導者がほとんどいなかったイスラエルの民は、父祖たちの神から遠く離れてしまっていた。エルサレムの住民の多くは異教の慣習に浸り、神の命令に背いて外国人の妻を娶っていた。そのような結婚の結果、子どもたちはイスラエルが代々受け継いできた偉大な霊的財産を理解することなく成長していたのである。即ち、当時、異民族との雑婚の問題が、信仰の最大の妨げになっていた。

 

エズラは、「雑婚」(異教徒との結婚)の罪があることを知り憂慮した。ソロモンの例でもそうだったが、異民族との結婚は、偶像礼拝をもたらすからであり、エズラは、雑婚の罪があることを知り愕然とした。「わたしはこの事を聞いた時、着物と上着とを裂き、髪の毛とひげを抜き、驚きあきれてすわった」(エズラ9.3)とある。そして夕方のささげ物の時刻(午後3時)になってエズラは祈り始め、神の前にひれ伏し、神のあわれみにすがり、次のように告白した。

 

「 われわれは再びあなたの命令を破って、これらの憎むべきわざを行う民と縁を結んでよいでしょうか。あなたはわれわれを怒って、ついに滅ぼし尽し、残る者も、のがれる者もないようにされるのではないでしょうか。ああ、イスラエルの神、主よ、あなたは正しくいらせられます。われわれはのがれて残ること今日のとおりです。われわれは、とがをもってあなたの前にあります」(エズラ9.14~15)

 

<雑婚の罪を分別するエズラ>

 

エズラが神の宮の前に泣き伏して祈り、かつ懺悔していた時、「雑婚の罪」を悲しんでいた人々が集まって来て、エヒエルの子シカニヤが、サマリア人など異教徒の妻と子どもを「離縁」することを提案した(エズラ10.3) 。エズラがおふれを出し、3日後に、民はエルサレムに集まってきた。

 

あいにくの大雨だったが、集会は予定通りに開催され、エズラは、民の罪(外国の女と結婚したこと)を糾弾し、その罪を認め、主に告白すべきだと勧告したのである。さらに、霊性を聖く保つために、外国の妻を離別すべきだと命じたところ、会衆は、「あなたの言われた通り、われわれは必ず行います」(10.12)と大声で応答した。民は、大雨の中で罪を告白し、悔い改めを実際の行動で示したのである。

 

それにしても、雑婚した妻子を離別して追い出すとは何という過酷な行為だろうか。イスラエルの聖絶思想と並んで驚くべき分別のみ業である。当時、バビロン捕囚解放後の小さな群れで(第1次帰還者は約4万人)、国の再建の途上であり、これら国の乱れを看過することは民族崩壊につながるという切羽詰まったが事情があったのである。また神がこれを要求するほどまでに、雑婚による信仰の乱れが深刻であったということだと思われる。従って、この非妥協的精神こそ、バビロニアの異教文化の中にあってイスラエル宗教の純粋性を保持させた力であった。

 

一方、タマル、ラハブ、ルツは異邦人であったがメシアにつながる聖なる家系を形成したという事例がある。エズラの分別が排他的聖性であったとすれば、ルツらの事例は改宗した者の普遍的救いを示すもので、両者はキリストにおいて統合される。

 

以上、エズラの主な役割と業績を述べたが、エズラは、①律法学者として律法の研究と教育、②指導者として信仰の建て直しと復興、③異教(雑婚)との分別、④制度の構築(シナゴーグ、 トーラー研究学校、大集会)、⑤聖書の編集(ユダヤ教の土台)、という各分野で顕著な実績をあげた。

 

このようにエズラは、ユダヤ人社会の宗教と法の掟を整理し、後にユダヤ民族の信仰や生活の基準となる「ユダヤ教」の土台を築いたのである。バビロン捕囚後、イスラエルは民族崩壊寸前、律法忘却、異民族婚という状態だったが、エズラはトーラーの公的朗読、律法教育、宗教改革を行い、イスラエル民族を「律法共同体」として再建した。エズラ記は霊的覚醒の書と言われ、エズラは、「悔い改めの力」と「み言葉の力」による宗教改革者であり、リバイバリストだったのである。

 

【エズラ改革はUCの見本】

 

リバイバルの原則とはなんだろうか。それはエズラが示した通り、「悔い改めの力」と「み言の力」である。イスラエルが雑婚の罪を悔い改め、分別して復興したように、私たちも悔い改めという謙虚な心情から再出発したい。

 

そして何と言ってもみ言、即ち神の言葉の復興である。私たちは現代のトーラーである聖書と原理の理解を深化させなければならない。神を中心に信徒が交わり、み言を学ぶ現代のシナゴーグを全地に作るのであり、これこそ新しい教会の型である。(参照-信徒の交わり、公堂の教会→ https://x.gd/kjV4n )

 

本来、教会(エクレシア)とは神に呼び出された「信徒の集まり」であり、建物のことではない。「信徒の交わり」があるところ、そこは立派な教会であり、イエス・キリストも「ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである」(マタイ18.20)と言われる通り、二人三人でもキリストに与るところは、すべからく教会である。

 

前述したように、バビロン捕囚で神殿を破壊されたイスラエルは、各地にみ言葉(律法)を学ぶシナゴーグ(会堂)を作って信仰共同体を維持し、信徒の団結は強固になった。UCは建物を失っても、どこよりも強い「信徒の交わり」という宝がある。そしてますます神の言葉を研鑽していかなければならない。

 

筆者は、み言を学ぶ機会を作って欲しいという信徒のリクエストもあり、かってやっていた「新生聖書勉強会」を復活させ、今回、新たに「成約聖書勉強会」を持つことにした。成約聖書勉強会は、①旧約、新約、成約を一つの神の言葉(摂理)と捉え、聖書と原理の対比の中で、原理のより深い理解に至らせる、②神の言葉は最大の財産であり、人生の宝であるという思想を体恤する、③聖書と原理、キリスト教とUCの橋渡しを目指す、との3点を趣旨とする。そこで3人以上の信徒が集って勉強会を開く場があれば、何処にでも出かけて行きたいと思っているので、気軽に一報されたし(→連絡先-電話 090-3504-6430、 h-yoshida@coda.ocn.ne.jp、講師料不要)。教材は聖書と原理講論の他に、拙著『異邦人の体験的神学思想』やホームページ「令和リバイバル」(→ https://x.gd/RZQs7 )の記事(現在508本)を考えている。かって文鮮明先生は、本来、旧約、新約、成約の垣根はないと言われたことがある。


 

「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」(論語)とあるように、真理を知る(学ぶ)ことの価値と喜びに優るものはない。第3次アメリカのリバイバリストのドワイト・ムーディーは「次のリバイバルは、聖書研究によるリバイバルであろう」と明言したが、福音のリバイバルは「神の言葉の研究から」との標語のもとに、願わくば聖霊に満ちた勉強会を各地に持ちたいと思料する。然り、神の言葉は最大の財産であり、人生の宝である。神の言葉に出会った私たちは幸いであり、神の言葉をこよなく愛していこう。

 

以上、「エズラの律法復興に学ぶー各地に成約聖書勉強会を!」と題して、エズラの律法改革を検証しつつ、み言によるUCとその信徒の霊性復興を論じた。

 

「いかに幸いなことか、主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人」(詩篇1.1~2)      (了)

 

                          牧師・宣教師.    吉田宏

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​新生聖書勉強会

​ユニバーサル福音教会牧師
​家庭連合ポーランド宣教師
   吉田 宏

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