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信仰者の特権 信仰者に老いはない

○つれづれ日誌(10月7日) 信仰者の特権--信仰者に老いはない

こうしてあなたは若返って、わしのように新たになる。(詩篇103.5)

[信仰者の特権ー信仰者に老いはない]

ある聖書セミナーの冒頭「信仰者の特権とは何でしょうか」という問い掛けをいたしました。そして筆者は、信仰者の特権とは、「年を取らないことである」と明言いたしました。

何故信仰者は年を取らないのか、それは永遠なる存在とつながり、永遠なるみ言を学び、永遠なるみ旨を有し、永遠に向かって生きているからです。

「神」「キリスト」「み言」「み旨」「霊界」、この5つには永遠という共通項があり、私たちの拠り所であり、目標であり、生き甲斐であり、私たちに若さを与えてくれる源泉です。こうして永遠に向かって生きる私たちには、定年も、リタイアも、老後もありません。

[ある牧師たちの奮闘]

先般、お茶の水クリスチャンセンターで行われた「聖書と日本フォーラム」定例会において、90才で現役のある牧師の発言がありました。曰く、如何にして教勢を二倍にするか、このことを寝ても覚めても考えているということでした。ハーベスト・タイム・ミニストリーズ代表の中川 健一牧師は(73才)は、毎週聖書講座を開催し、YouTubeで発信され、その研究意欲や福音宣教意欲にいささかの衰えもありません。

大和カルバリーチャペル兼東京カルバリーチャペルの大川 従道牧師(78才 )は、日曜礼拝を三回に分けて行う大きなペンテコステ派教会の主任牧師をされていますが、それにあきたらず、昨年77才にして、東京カルバリーチャペルの新規教会をオープンされました。また、世界宣教教育センター所長の奥山実牧師(88 才)は、今も精力的に全国を回り、説教、講演、執筆に余念がありません。

このように、福音宣教に携わる人々は年齢に関係がなく、むしろ年と共に若返り、命尽きるまで神のために働き、またそれが生き甲斐だというわけです。

今、アメリカ大統領選挙の只中ですが、現職のトランプは74才、挑戦者のバイデンは77

才で、まだこれから世界最大の激務であるアメリカ大統領になろうというのです。日本もまた同様です。菅首相70才、麻生財務大臣79才、二階幹事長に至っては81才であります。これらの高齢者が、一国を先頭で担っているというのです。

歴史的には、江戸時代の商人・天文学者・測量家である伊能忠敬も晩成型の人生を辿りました。49才で息子に家督を譲り、50才のとき江戸に出て、一人の学生として一から天文・暦学を学び始めたといいます。そして寛政12年(1800年)から文化13年(1816年)まで、17年をかけて日本全国を測量して「大日本沿海輿地全図」を完成させ、国土の正確な姿を明らかにして74才で死去しました。また葛飾北斎(90才没)は、富嶽三十六景の有名な「神奈川沖波裏」を75才で描きましたが、「未だ未熟で修行途上である」と述懐したと言われています。結構でたらめな生活を送りましたが、90才まで生きました。

[死という最後の未来]

最近、「死という最後の未来」という本が幻冬舎から出版されました。石原慎太郎(88才)と曽野綾子(89才)の対談本です。曽野さんはカトリックの信者、石原氏は法華経の信奉者です。二人は、作家で保守の論客、近眼でインターネットを使わない(使えない)、という共通項はありますが、死生観では総じて対極的な考え方を持っているようです。


修道院が経営する学校で幼稚園から教育を受け、聖心女子大学で学んだ曽野綾子さんは、シスター(修道女)の生き様から大きな影響を受けたと告白しています。

17才で洗礼を受け、33才から17年間、パウロ神学の大家である堀田雄康神父に師事しました。曽野さんは生来の極度の近眼で、0.02以下で50才の時には失明寸前までいったといいます。人の顔もろくろく見えなかったそうですが、50才で手術して奇跡的に見えるようになったと述懐しました。そしてクリスチャンらしく、現世は「永遠の前の一瞬」だとか、死は「永遠に向かっての誕生日」だと言っています。これは霊魂の不滅や死後の世界を前提とした言葉です。

中年期に視力を失いかけた曽野さんですが、生きるも死ぬも神様次第だという淡々とした一種の運命論者で、とにかく神の思し召し(Godswill)に従って気取ることなく今を生きるという感じてす。「8割くらいは運命に流され、2割くらいは自分で舵をとって」と。家事をこなして庭の草むしりをすることが健康法だという曽野さんは、ヨブ記1章21節の「神が与え神が取られる」という聖句が似合う女性です。

一方石原慎太郎氏は、本来の本職は作家ですが、その作家が一番嫌う政治の世界に36才から82才まで46年間在籍しました。4選の都知事を辞して、2012年にはなんと80才で「日本維新の会」を創設し代議士に復活しました。81才で軽い脳梗塞を患いましたが、まだ人生に悔いがあり、書きたいもの、やりたいことがあるので、毎日のウォーキングとストレッチは欠かさないということです。 

彼は法華経を信じており、法華経16番「如来寿量品」を最高の宗教哲学だとし、これを現代訳するのが人生の大仕事だと言っています。海とヨットをこよなく愛した石原氏ですが、しかし石原氏にとって「死」は未知の世界で、死については「最後の未知」と表現しています。そして「狼狽し混乱している」とも言っています。要するに、結局死については何も分かっていないということです。また、石原氏は、神秘を感じる優れた感性の持主ですが、「霊」というもの自体は人間の想念だといい、また霊魂の不滅や永遠の生を信じていません。

ちなみに石原氏は曽野さんと違って10割全て自分で舵をとりたいそうです。曽野さんは他力的、石原氏は自力です。

曽野綾子さんは、2018年1月に西部邁が自殺した際、サンケイ新聞のコメント欄で自殺を戒めた上、「人間には、老いてなお意外な人生の展開があるかもしれない」とコメントしました。まさに私たちの行く手には、人間が差配できない領域があり、Godswillによる「意外な人生の展開」があるかもしれないというのです。あきらめてはなりません。

ちなみに曽野さんは夫の三浦朱門さんの介護を自宅で数年しましたが、人の終末期にやってはいけないことは、点滴、胃ろう、気管切開しての酸素吸入だそうです。先日筆者も、長男夫婦に「一切の延命治療はまかりならぬ」と伝えました。


[健康維持の大原則]


さて、どの本を読み、どの専門家の話を聞いても、結局、健康管理の大原則は次の3つです。食べないこと、運動をすること、ストレスを発散すること、この3つです。これが傷ついたDNAの修復、老化の治療、若返りの要諦だと。

筆者はこれに加えて、「自分の体に合ったサプリメント」をお薦めしたいと思います。健康サプリメントは世に無数に出ていますが、自分に合うものに出会うことが肝心です。

筆者は12年前から、安価なこともあって毎日青汁を飲んでいます。何か一つ健康管理のためにやっていることで精神的な「気休め」になると思ったからです。ところがそれまで毎年一回、恒例行事のように風邪をひいていたのですが、お陰様でこの12年間、一度もひかなくてすんでいます。それまでにもいくつかのサプリメントを試していたのですが、たまたま青汁が筆者の体に合ったという訳です。 

ともかく青汁を飲むことで、風邪を引かないこと、通じがいいこと、そして精神衛生上の気休めになるということ、この3つの効用があり、筆者としては重宝しています。

[信仰こそ若返りの秘訣]

しかしなんと言っても信仰こそ健康と若返りの秘訣です。これに優るくすりはありません。信仰は永遠を対象にしていますので、決して枯渇することはありません。

そして信仰の目的は朽ちない体、即ち「復活の体」(1コリント15:51〜52)をまとうことにあります。「復活の体」とは、キリスト教では「復活のイエスと同じ栄光の体に変えられた体」であると言われています。私たちにとって「復活の体をまとう者」とは、「死から蘇って永遠の命に与かった者」ということに他なりません。

かくして信仰者の特権は、詩篇103篇5節が示す通り、老いないこと、日々若返ることにあったという次第です。(了)


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