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宗教政治フォーラムに参加して

○つれづれ日誌(10月12日)-宗教政治フォーラムに参加して

10月12日、九段下のアルカディア市ヶ谷において、「宗教政治フォーラム」の集会が30名限定で行われ、元大学教授で宗教学者の島田裕己氏が「コロナの時代に宗教が直面する危機と今後」と題して講演と質疑応答が行われました。

宗教政治フォーラムとは、超宗教の集まりで、主に幸福実現党(幸福の科学)とUCの有志が中心となって、「宗教政治研究会」を毎月一回のペースで開催してきましたが、それをより具体化したものです。今後、宗教の大同団結を目指し、より多くの宗教家を結集していく母体になればこれに過ぎたる幸いはありません。

[講演と質疑]

島田氏の講演の中で、キリスト教、仏教、神道をとわず、総じて一部の例外を除いて、世界的に宗教は衰退の一途をたどり、信徒数が減っていることが指摘されました。

特に仏教は、浄土真宗を例外として半減するのではないかと危惧され、特にコロナの影響で礼拝や集会が制限され、全体的に宗教はかなり厳しい局面を迎えていることが指摘されました。また、神道関係者から、信徒数の激減で、神社や教団運営が困難になり、特に神社では6割が年収300万円以下になっているとの発言がありました。まさに宗教冬の時代の到来です。

<幸福の科学及びUCからの質疑>

幸福実現党の後援会長から発言があり、たびたびの挑戦にも関わらず、未だに一人も国政に当選者を送れていない現実を自ら自省しつつ、幸福の科学について外からどう見えるのか、率直な意見を島田氏に求める場面がありました。

島田氏曰く、活動自体とても活発に見えるし、数千冊の出版をしている実績は驚くべきことだと評価した上、ややエンタメ的なパフォーマンスに偏っているのではないかと、上滑りに見える活動に辛口のコメントがありました。

次に、東京のUC教区長から質疑があり、宗教政治フォーラムへの激励と抱負を述べた上、やはり同様の質問が寄せらました。即ち、島田氏から見ると現在のUCの姿がどのように見えるか、との質問であります。 

島田氏曰く、自分は学生時代、東大で原理研究会から誘われ講義所で原理を一時間ほど聞いたことがあること、学内で原研メンバーが民青から殴られている場面を目撃したこと、などの思い出が語られました。その上で、最近のUCはおとなし過ぎるのではないか、昔のなりふり構わぬ元気なUCはどこに行ったのかといった苦言がありました。確かに以前はトラブルもあったが活気もあったという訳です。

ちなみに大川隆法総裁は、やはり学生時代に、UCが主宰するアメリカセミナーに参加して原理講義を聞いています。また、佐藤優氏も学生時代に原研メンバーと深く議論したことがあり、原理講論を高く評価しています。

<筆者の質問>

筆者は島田氏に、以下のような骨子の質問をいたしました。

確かに、島田氏が指摘される通り宗教冬の時代を迎えています。しかし筆者は決して悲観していないこと、そればかりか復活の希望を持っていることを先ず述べました。

何故なら、キリスト教の歴史はリバイバル(霊的覚醒)の歴史であるからです。特にアメリカのキリスト教は、教会が形骸化したり、信仰が萎んだりした時には、必ず信仰のリバイバルが勃興しました。(このアメリカのリバイバルについては、聖書の知識19に詳述しています)

そうしてこれらを述べた上、何故日本のキリスト教は、ザビエル以来500年余、クリスチャン人口が1%を越えたことがないのか、即ち「何故日本でキリスト教が根付かなかったのか」その原因について質問いたしました。

島田氏曰く、日本には神道、仏教などの高等宗教が歴史的に根を張っていること、特に戦後は創価学会や浄土真宗などの土着新興宗教が現世利益の大衆ニーズを汲み取り、キリスト教の出番を阻んだことが指摘されました。

そして、日本的な村社会は、家族共同体の伝統文化の埒外にあるキリスト教、乃至はクリスチャンの居場所を排除しました。日本ではこれらの共同体の中でクリスチャンとして存在することは、村八分になりかねず、極めて難しい環境にあるというのです。これらが複合的に絡んで、日本でキリスト教が根付かなかったという訳です。

[思想的、布教的視点からの考察]

上記の「何故日本でキリスト教が根付かなかったか」について、以下、その思想的、布教戦略的視点から考えていきたいと思います。

先ず第一によく言われるのは、キリスト教の一神教の神観が、日本の多神教的土壌に合わないということです。この点、韓国には「ハナニム」(ひとりのお方)という神観念があり、中国には「天」という考え方があるというのです。それが、韓国ではクリスチャン人口が33%、中国では6%というのに、日本ではザビエル以来1%を越えたことがないことの理由だという訳です。

第二には、キリスト教の聖別思想、即ち、物事を善と悪、神とサタンに分別する思考が、日本の「和」を大切にする土壌と合わないというのです。確かにキリスト教の歴史は、血みどろの戦いの歴史だったという側面があり、逆に日本では話し合いや和解を重視いたしました。

和は、清浄思想と並んで、日本人の精神的特性をよく言い表しています。ただ、和は白黒つけず曖昧で、足して2で割ると言ったいい加減さがあると指摘されています。

第三は、キリスト教が先祖供養に否定的だったことであります。先般筆者は、愛国的なクリスチャンや牧師の集まりである「聖書と日本フォーラム」の定例会にて、「日本において、自然、先祖、天皇という3つの単語を否定して宗教は成り立たない」と明言しました。

さほどに先祖への崇敬は、日本人の心に深く浸透しているのです。この先祖崇敬(崇拝)は縄文弥生時代以来の日本人の基層にある情操であり、神道、仏教、儒教などの主要宗教は皆、先祖祭祀の儀礼、儀式を有しています。

我がUCでも、類似の先祖解怨、先祖祝福、霊界解放の儀式があり、UC創始者は「UCは、先祖を祭ることを認めるのです」と語られました。

この点、特にプロテスタントは、先祖崇拝は偶像礼拝につながるとの理由で否定的であり、靖国神社参拝に反対しています。ただ、カトリックには「煉獄」という教理があり、キリスト者において未だ天国に行けない死者の霊が救われるために、地上人が代祷し代償できるとしています。

ちなみにカトリック信者の曽野綾子さんは、個人としては靖国神社に参拝しており、2007年6月に李登輝が靖国神社に参拝した際も、夫の三浦朱門さんと共に同行しています。

以上、3点を指摘しましたが、これに加えて、上記島田氏が指摘した通り、有力宗教の厚い壁とその共同体があるということでありましょう。

そして原理創始者は、神の摂理の深謀遠慮の観点から、次のような興味深い言葉を語られたことがあります。

「神が日本にキリスト教を根付かせないようにしたのです。日本と韓国が対立しないため、相対国(母国)としての日本にするためです。神は調和する宗教(多神教)を日本に根付かせました。これからは日本に一神教を根付かせるために神が摂理されるこてでしょう」

また、このような趣旨を講話の中で語られました。

「イギリスが失敗してエバの位置を離れて摂理が極東の日本に来ました。その際、日本が多神教の非キリスト教国であることで、神は強く反対されました。しかし私は、必ず日本を教育すると神に約束して、神は日本をエバ国家にすることを承諾されたというのです」

[土着化とは何か]

ちなみにキリスト教の土着化(文脈化)とは、キリスト教自体の本質や根本教義を「決して変えることなく」、如何に土着の文化風習と適合していくかということであります。また土着化とは、キリスト教布教方法の有力な手段であると言われています。その典型例がマリア信仰とクリスマスであります。

特にマリア信仰は、古代地中海世界に根強くあった「女神信仰、地母神信仰」をマリアによって巧みに取り込んで土着化に成功したと言われています。またクリスマスも、古代ローマ帝国にあった太陽信仰のミトラ教「冬至の祭」をキリスト教的に取り込んだものであります。この冬至を期して太陽が長くなっていくので、生命の復活と考えられました。

このように、異教徒の国にキリスト教が受け入れられるためには、土着宗教や伝統文化風習を理解し、これに寄り添い、これを取り込むという考え方が必須です。そのためには、とりわけ日本では、少なくとも「自然、先祖、天皇」という日本の伝統的価値を尊重し敬意を払うことが大切だと言えるでしょう。

無論、土着化と言っても宗教教義の根幹については決して曲げてはならないことは言う迄もありません。土着化することでむしろ相手を土着化させねばならないというのです。かくしてキリスト教は早晩1%の壁を大きく越えることが可能になると確信いたします。(了)

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