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何故悪人が栄え、善人が試練に遭うのか 同性婚容認の札幌高裁判決に思う

◯徒然日誌(令和6年3月20日)  何故悪人が栄え、善人が試練に遭うのかー同性婚容認の札

幌高裁判決に思う 

 

この地上には空しいことが起こる。善人でありながら、悪人の業の報いを受ける者があり、悪人でありながら、善人の業の報いを受ける者がある(伝道者の書8.14)

 

この3月14日、またしても聖書が禁じる判決が出た。同性同士の結婚を認めていない現行民法などの規定は、婚姻の自由(憲法24条1項)や法の下の平等(憲法14条1項)を定めた憲法に違反するとして、北海道内の同性カップル3組が国を訴えた訴訟の控訴審判決が、札幌高裁(斎藤清文裁判長)であった。判決は、婚姻に関する民法の規定は「婚姻の自由」を定めた憲法24条1項(婚姻は、両性の合意のみに基いて成立する)などに反して「違憲」と判断し、憲法24条1項は「同性婚をも保障すると解される」とした。「LGBT理解増進法」の成立に続く由々しき日本の風潮である。 

 

【神の創造の秩序に反する同性婚】 

 

当該裁判は、3年前1審の札幌地方裁判所で、「法の下の平等を定めた憲法14条に違反する」という判断を示した一方で、「憲法13条(個人の尊厳)と24条については違憲には当たらない」とし、また国に賠償を求める訴えは退け、原告側が控訴していたものである。全国5地裁で6件起こされた同種訴訟で、違憲判断は、札幌、名古屋地裁の判決に続き3件目だが、24条1項違反を認めたのは今回が初めてである。 

 

今回の判決は、24条1項は「両性」という文言だけでなく、人と人の自由な「合意」という目的を踏まえて解釈すべきだと指摘し、同性間の婚姻も異性間と同じ程度に保障されているとした。そして、同性婚を認めない現行民法規定は、同性カップルに社会的な著しい不利益(相続、親権など)を及ぼすだけではなく、個人の尊厳を成す「人格が損なわれる事態」になっていると指摘した。また、同性婚を制度として定めても、「不利益や弊害の発生はうかがえない」と述べ、最後に国に対し、「同性婚について異性婚と同じ婚姻制度を適用することを含め、早急に議論し対応することが望まれる」と強く促した。なお、国に賠償を求める訴えは退けた。 

 

この判決は、自然の理に反する同性愛を制度化するもので、国が公に同性婚を認めることは、社会倫理秩序の破壊や、国家の衰亡につながることは明白である。同性婚は弊害がないどころか、性の乱れは国の乱れであり、国民精神の根幹を揺るがす取り返しのつかない弊害をもたらす。そして何よりも日本の伝統文化に馴染まない。昨年6月16日、同性愛にお墨付きを与えたLGBT法がゴリ押しで成立したが、今回の札幌高裁での同性婚を認める判決は、このLGBT法に後押しされてのことであることは明らかである。 

 

また昨年7月にも、職場(経済産業省)の女性用トイレの使用を制限されているのは不当だとして国を訴えた裁判で、最高裁判所は、トイレの使用制限を認めた国の対応は違法だとする判決を言い渡したが、この裁判にもLGBT法の色濃い影が見られる。更に昨年10月25日には、体は男性だが心は女性といったトランスジェンダー(性自認の不一致)が戸籍上の性別を変えるのに、生殖能力を失わせる手術(陰部摘出)を必要とする現行の「性同一性障害特例法」の要件が、憲法に違反するかが問われた家事審判で、最高裁大法廷(裁判長・戸倉三郎長官)は、当該要件は「違憲」であるとする決定を出した。最高裁の裁判官15人の全員一致の判断であり、安易に戸籍上の性別変更が可能になる道を開いた。この判断にあたって、昨今、性的少数者について社会的理解が広まっているとの認識を示し、その理由としてやはりLGBT法の制定を挙げた。まさに空気に左右された決定である。 

 

筆者は、旧統一教会への解散命令請求と並んで、LGBT法は典型的な岸田政権の二大反宗教的政策であり、自然の道理に反する同性愛にお墨付きを与え、左翼活動家に利用されるだけだとして強く反対してきた。それが今回の札幌高裁判決で悪夢が現実になったのである。こうして岸田政権下において、日本は貧しく弱い国にまっしぐらに突き進み、内閣支持率は軒並み10%代に低下した。百田尚樹氏らがLGBT法を強硬した政府自民党に愛想をつかして、「豊かな強い日本」を目指して日本保守党を立ち上げたが、その趣旨たるや大いに理解でき、これを天の警告と考えるべきである。 

 

聖書は「神は人を神のかたちに創造し、男と女とに創造された」(創世記1.27)と述べ、男女をペアとして創造されたことを宣言し、そして「人は妻と結び合い、一体となるのである」(創世記1.24)として、ペアとして創造された男女が結婚すると言っており、これが唯一の創造の秩序である。つまり、聖書が予定する結婚は異性婚であって同性婚ではない。 

 

そして聖書は、「あなたは女と寝るように男と寝てはならない。これは憎むべきことである」(レビ18.22)といい、「姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者は、神の国をつぐことはない」(1コリント6.9~10)と指摘して、同性愛、同性婚を不品行な性的罪として厳しく禁止 している。

 

もとより性的少数者に寄り添い、理解に努めることに異論はない。しかし、同性愛を前提とし、これを制度化する同性婚の容認は到底認められず、 この度の同性婚を認める札幌高裁判決は不道徳国家への「蟻の一穴」と言うしかない。最高裁の賢明な判断を強く要望する。 

 

【何故悪人が栄え、善人が試練に遭うのか】 


ところで筆者は3月16日、「安倍元総理暗殺の真相を求める会」が都内で開催した高田純氏(札幌医大名誉教授)の講演会に参加した。高田氏は著書『奈良の変』の中で、安倍暗殺事件が、旧統一教会に対する逆恨みを動機とした山上単独犯との奈良県警の発表に対して、客観的な映像や医学的・物理的証拠を多数提示し、真の狙撃犯が別にいると明言した。 

 

つまり、山上の空砲と思われる二発の銃声間に別の異なる「シュピッ」という銃声があり、これが致命傷となったのであり、これは奈良県立医科大学の福島英賢教授が最初に発表した「心臓損傷による失血死」との見解とも一致する。まさにプロの組織による巧妙なテロであり、安倍氏の政治理念の阻止を目論む外国勢力や左翼・反安倍勢力を視野に入れて「事件の捜査をやり直すべきだ」と主張している。 

 

確かに高田氏が主張するように、山上被告の最初の供述をそのまま奈良県警がマスコミにリークし、旧統一教会をスケープゴートにするというシナリオが、警察、政府、マスメディア、全国弁連が一体となって展開されたかのように見え、それは解散命令請求で頂点に達した。しかし真実は一つしかなく、「おおいかぶされたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない」(ルカ12.2)とある通り、やがて真実が明らかにされると確信してやまない。 

 

さて聖書に「善人でありながら、悪人の業の報いを受ける者があり、悪人でありながら、善人の業の報いを受ける者がある(伝道者の書8.14)とあり、また「義人がその義によって滅びることがあり、悪人がその悪によって長生きすることがある」(伝道者の書7.15)とある。この場合、「悪人」と「善人」とは、単純な道徳的な善悪というより、神に対する態度であり、神を信じる者と反抗する者という構図である。 

 

この問題は「神義論」(弁神論)と言われ、「全能で善なる神が創造した世界に、何故悪が存在するのか」という矛盾を弁証する神学の分野である。言い換えれば、「何故悪人が栄え、善人が不幸に合うのか」との「苦難の神義論」と呼ばれるヨブの問いであり、イスラエルが、あのバビロン捕囚のどん底で問いかけた問いである。筆者流に言えば、「神は何故UCを打たれ、何故全国弁連を裁かれないのか」ということであり、『奈良の変』が指摘する通り、神はUCをスケープゴートにして「不公平ではないか」という問題提起である。 

 

実は筆者は、いわゆる霊感商法問題が勃発し、全国弁連による訴訟が頻発して、UCとその信徒の人権が踏みにじられた時の対策当事者であった。その時の清平で祈った祈りが、「あなたは何故全国弁連(反対派)を野放しにし、UCとその信徒の人権を顧みられないのですか」という激しい談判祈祷であった。あれから30年経つが、いまだに全国弁連は生きながらえて我が物顔に汚物を撒き散らしている。 

 

そしてこれらの一つの答えが、黙示録6章10節~11節にある。 

 

神の言葉のゆえに、また、その証を立てたために殉教した人々の霊魂が、「主よ。いつまであなたは、さばくことをなさらず、また地に住む者に対して、わたしたちの血の報復をなさらないのですか」(黙示録6.10)と叫んだ時、神は次のように言い渡されたとある。 

 

「彼らと同じく殺されようとする僕仲間や兄弟たちの数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいるように」(黙示録6.11)

 

つまり、神は贖いの条件が満ちるまで、 忍耐強く信仰を堅く保って、神の正しい審判を待ち望むという「堅忍」を求められたというのである。ちなみに「聖徒の堅忍」とは、社会の中に起こる「何故、悪が栄え、善人がしいたげられるのだろうか」という問いの中で、神に選ばれ召された者が、一時的に試練に苦しんでも、やがて回復の恵みを与えられるという「究極的救済の教理」であり、カルバン改革派の教理になっている。 

 

ところで政治の世界に「悪名は無名に優る」という言葉がある。UC創始者は「善は打たれながら発展する」と言われ、「サタンの業も天が許さなければできない。叩かれれば世間はUCに関心が向くので、返ってよい宣伝や伝道になり、霊界が協助する」とも言われた(史吉子著『原理に関するみ言の証』HJ明圓P298)。私たちがこの試練を甘受し、真に主を証する群れとして生まれ変われば、災い転じて福となすという日が必ず到来すると固く信じる。 

 

そして詩篇には次の通りあり、UCと私たちの究極的勝利は神に保証されている。 

 

「悪をなす者のゆえに、心を悩ますな。不義を行う者のゆえに、ねたみを起すな。彼らはやがて草のように衰え、青菜のようにしおれるからである。主に信頼して善を行え。そうすればあなたはこの国に住んで、安きを得る」(詩篇37.1~3)    (了)  

ユニバーサル福音教会牧師.  吉田宏


上記絵画*ギュスターブ・ドレ画(アダムとイブ)

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