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時宜に叶うホワイト牧師とギングリッチ氏のメッセージ、ならびに「対米戦争は何故起こったか」の検証

  • 執筆者の写真: matsuura-t
    matsuura-t
  • 8月28日
  • 読了時間: 15分

更新日:9月9日

◯徒然日誌(令和7年8月27日)  時宜に叶うホワイト牧師とギングリッチ氏のメッセージ、ならびに「対米戦争は何故起こったか」の検証 

 

あなたは行ってスサにいるすべてのユダヤ人を集め、わたしのために断食してください。わたしとわたしの侍女たちも同様に断食しましょう。そしてわたしは法律にそむくことですが、私は王のもとへ参ります。このために死ななければならないのでしたら、死ぬ覚悟でおります(エステル記4.16)

 

プロローグ 

 

前回の徒然日誌で、「靖国神社参拝記」と題して、先の大戦が日本の侵略戦争だったのか、もしくは自存自衛のアジア植民地解放戦争だったのかを検証し、あわせて靖国神社参拝は聖書が禁じる偶像礼拝ではないことを論証した。 

 

今回は、時局問題として、ソウルで開催された「第二回世界宗教指導者会議」(2025年8月20日)におけるポーラ・ホワイト牧師のビデオメッセージ、並びに元米下院議長ニュート・ギングリッチ氏の世界日報への寄稿文(2025年8月23日)について解説し、歴史問題としては、「あの無謀な対米戦争が何故起こったか」を検証する 

 

【ホワイト牧師、ギングリッチ氏の発言について】 

 

ホワイト牧師のメッセージ、並びにギングリッチ氏の寄稿文を読んで、筆者は旧約聖書のエステル記のエステルとモルデカイを想起した。エステル記には、前476年にモルデカイの養女ユダヤ人エステルがペルシャの王クセルクセスの新王妃になり、ユダヤ絶滅の危機を救う物語が記録されている。(参照→ https://x.gd/fi4of )

 

エステルの従兄で養父でもあるベニヤミンびとのユダヤ人「モルデカイ」と大臣「ハマン」との間に確執があり、ハマンは王クセルクセスに讒言しユダヤ人絶滅を企んだ。しかし、エステルは、「この時のためにこそ、あなたは王妃の位にまで達したのではないか」(エステル4.14)とのモルデカイの励ましにより、「このために死ななければならないのでしたら、死ぬ覚悟でおります」(エステル4.16) と命がけで決意し、王に嘆願してハマンの陰謀を訴えた。こうしてモルデカイとエステルの知恵深く勇敢な行動でユダヤ人が救われたという。ユダヤ人はモルデカイとエステルによって民族滅亡の危機から逃れた事を記念する「プリムの祭り」を毎年祝っている。 

 

筆者は、トランプ大統領の信任が厚く、世界の「宗教の自由の守護者」たらんとする米政府信仰局長ポーラ・ホワイト牧師と、一週間に一度はトランプ大統領とコンタクトを取っていると言われるギングリッチ氏の二人は、いまや文字通り宗教の自由の守護者であり、心なしかエステルとモルデカイにダブって感じられるのである。 

 

<ホワイト牧師のメッセージ骨子> 

 

ホワイト牧師はメッセージの中で、 聖書の「主を神とする国民は幸いである」(詩篇33.12)を引用して、アメリカはこの精神の上に、信仰を実践する権利を強く守っていくと述べ、特に日本や韓国のような親密な友好国に対し、すべての人々の宗教の自由を守るよう呼びかけた。UC解散裁判の判断が年内にもなされるこの時、実にこのメッセージほど時宜に叶った力強いものはなく、日本の政府、文科省、裁判所ら関係者が、自分の問題として受けとめることを祈念する。


この解散の件で、オールドメディアと霊感弁連は「山上家の家庭崩壊は教団のせい」とでっち上げてきたが、山上徹也の妹は「私たちの家庭は教団に壊されたわけじゃない」と証言しているという。しかも山上家はUCから9年間、毎年500万円も返済を受けており、経済的に追い詰められていたという話も完全に崩壊した。山上容疑者の公判は未だ開かれず、安倍元首相暗殺の動機は依然として謎のままである。金沢大学教授の仲正昌樹氏は、山上を「やむにやまれぬ理由で前首相の暗殺に至った悲劇の人」にし、テロリストを英雄に押し上げようとしているとマスコミを批判した。


 

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さてポーラ・ホワイト牧師はビデオメッセージで5箇所も聖書を引用して自らの信念を語った。 ホワイト牧師は、韓鶴子総裁の揺るぎない勇気と主への信仰に深い感謝の意を述べた上、北朝鮮で母と祖母に育てられた韓総裁の幼少期が、祈りとイエス・キリストへの完全な信頼に満ち溢れていたこと、文鮮明師が興南強制収容所に2年8ヶ月間送られ、神を否定するマルクス主義の思想を学ぶことを強制されたこと、文師は国連軍により収容所から救済され、神を否定する共産主義に対抗する世界的なキリスト教運動を築くために生涯を捧げたこと等を語った。 

 

またホワイト牧師は、韓総裁の母と祖母は異端の疑いで平壌で逮捕されたが、釈放を信じて共に祈り、南へ逃れ、遂にUCに出会って入会したと証言した。とりわけホワイト牧師は、韓鶴子女史がイエスに従い、イエスを愛していることに特別の信頼を置いている。 

 

ホワイト牧師は、「主を神とする国民は幸いである」(詩篇33.12)との精神の上に、アメリカはあらゆる信仰を歓迎し、信仰を実践する権利を強く守り、特に日本や韓国のような親密な友好国に対し、すべての人々の宗教の自由を守るよう呼びかけると表明した。そして8月13日の天苑宮入宮式に参加した感動を「天の幕屋の美しさ」と評し、また北朝鮮との和解と南北問題解決に向けて、韓総裁と一緒に北朝鮮に行きたいとも表明した。そして、次のようにメッセージを締め括った。 

 

「トランプ大統領からホワイトハウスの信仰担当官に任命され、神に仕える中で、大統領と我が国が、神の愛と恵みを通して、国々と世界の人々を平和のうちに一つにするという、神から与えられた役割を果たせるよう、尽力していきたいと考えています」 

 

<ギングリッチ氏の寄稿文骨子> 

 

一方、ギングリッチ氏は世界日報に寄稿し(8月23日)、その中で韓国の李在明大統領が訪米し、トランプ大統領に会うに際し、信教の自由の問題と、韓国で宗教の自由が脅威にさらされている現状を主要な議題の一つとすべきだとした。この寄稿は、トランプ政権が日韓に及ぼす影響を考えると、極めて重要な意味を持つ。以下はその骨子である。 

 

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米国は、朝鮮半島の人々の自由を守ることに関心を持ち、米国民がそのために多大な犠牲を払ってきた。ギングリッチ氏の父が朝鮮戦争に従軍したことを告白し、この3年間の戦争で、3万6274人の米国人が命を落とし、10万3284人が負傷したという。また米国は自由のために、現在も2万8000人以上の兵士を韓国に駐留させているとした。 

 

しかし韓国での最近の宗教の自由への攻撃には警戒していると述べた。新政権は宗教指導者に対する衝撃的な攻撃を開始したとし、1000人以上の警察官や検察官が、保守派宗教指導者の自宅や宗教的聖域にずかずかと侵入したと指摘した。即ち、汝矣島純福音教会の李永勳牧師、極東放送の金章煥理事長、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の共同創設者・韓鶴子総裁ら保守派宗教指導者が家宅捜索を受け、宗教的信念を信奉する自由と権利が政府によって踏みにじられたと非難した。 

 

韓国政府が宗教の自由を攻撃する一方で、世界中で左派による宗教迫害がますますあからさまになっているとし、日本とフランスでは深刻な宗教迫害が行われているとした。トランプ政権は、礼拝の権利と宗教的信念を表明する権利を強化するための措置を講じるなど、あらゆる場所で礼拝の自由の権利が強化され、世界でトランプ政権は宗教的迫害に真正面から立ち向かっているとした。(以上が寄稿文)

 

実際、2025年8月25日、ホワイトハウスで、トランプ大統領と李在明大統領による初の米韓首脳会談が開催される直前、トランプがXに衝撃の投稿をした。 

 

「韓国で一体何が起こっているんだ?  まるで粛清か革命のようだ。そんな状況下では韓国でビジネスはできない。今日はホワイトハウスで新大統領と会う予定だ」 

 

トランプ大統領が、韓国の李在明政権による尹元大統領への一連の強制捜査を「粛清か革命だ」と批判し、「米軍基地への不法侵入」疑惑や「教会襲撃」を許さないと強調した、ジャック・スミスの「司法の武器化」を引き合いに出して「そんな国との民主主義同盟はあり得ない」と批判した。 

 

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特に注目すべきは、トランプ大統領が安倍晋三元首相とUCへの弾圧の関連性を明確に把握している点である。トランプは李大統領との会談中、安倍氏の親友としての関係を強調した。安倍暗殺がUCへの弾圧の引き金となったことを認識し、韓国のUCへの強制捜査や日本の解散命令問題を、安倍氏の遺産に対する攻撃と見なしている節がある。この一連の韓国での1000人の特別検察官による「司法の武器化」大騒動が、皮肉にも日本のUC解散命令問題の解決を加速させる可能性を高めたことは特筆される。 

 

以上がホワイト牧師とギングリッチ氏のメッセージだが、まさに2人の言動は、かのエステルとモデルカイが死をかけて王に進言してユダヤ人の自由と生命を守った「エステル記」の記録に重なって見える。これは筆者の思い込みなのだろうか。 

 

【日本は何故アメリカと無謀な戦争をしたのか】 

 

さて先の大戦における筆者の最大の疑問は「何故日本は無謀にもアメリカと戦争をしたのだろうか」ということであった。当時、日本とアメリカには10倍以上の国力の差があり、アメリカを敵に回して戦うことは自殺行為にも等しかった。また日本の指導者はそのことを重々知っていたのである。しかし日本はアメリカと戦ってしまった。ここには、幾度かの成功やミス、ボタンの掛け違いが重なり、気がつけば戦争に引きづり込まれていた日本の近現代史の現実がある。筆者は、歴史の背後に厳然と存在する神の摂理的な深謀遠慮を感ぜざるを得ないことを告白する。 

 

以下、満州事変(1931年)を直接の発端として、満州国建国、リットン調査団の報告を不服とする国際連盟の脱退(1933年)、盧溝橋事件から日中戦争への拡大(1937年〜1945年)、そして真珠湾攻撃を合図に大東亜戦争(対米戦争)に突入という戦争の流れを概観し、如何に霊妙な摂理的背景があったかを検証する。 

 

<満州事変> 

 

対米戦争への端緒は、関東軍による「柳条湖事件」である。柳条湖事件とは、満洲事変の発端となる鉄道爆破事件のことであり、1931年9月18日、満洲の遼寧省瀋陽市近郊の柳条湖付近で、関東軍が南満洲鉄道の線路を爆破した事件である。当時張作霖の後を継いだ張学良が満州を支配していたが、張学良は蒋介石の国民党と結託して反日に傾いていた。また左派勢力に煽られた抗日運動が活発化し関東軍や在満邦人の強い反発をかっていた。満州事変は、こうした状況に危機感を持った石原莞爾らが、自作自演で行った鉄道爆破であった。 

 

ちなみに石原莞爾は「戦争の天才」「帝国陸軍の異端児」と呼ばれたほど軍内では変わった性格を見せており、アジア主義や日蓮主義の影響を受けていた。『世界最終戦論』で知られ、関東軍で板垣征四郎らとともに満洲事変を起こした首謀者である。 

 

当時日本は日露戦争の勝利で、ロシア帝国の南下を抑えることに成功し、日本は朝鮮半島の権益を確保したうえ、新たに東清鉄道の一部である南満洲鉄道を獲得した。またロシアから関東州(旅順・大連を含む遼東半島南端部)の租借権を獲得するなど満洲における権益を得ることとなった。即ち満州は日露戦争以来、日本の特殊権益地帯であり、対ソ戦略拠点としても、重要資源供給地としても、日本の生命線とされていた。 

 

日本は満州事変を皮切りに、満州全域を掌握し、清の12代皇帝愛新覚羅溥儀を立てて満州国を建国した。だが、リットン調査団は、「柳条湖事件における日本軍の活動は自衛とは認められず、また、満洲国の独立も自発的とはいえない」として満州国を認めなかった。ただ「事変前の状態に戻ることは現実的でない」として日支間の新条約の締結を勧告した。日本は「満洲国が国際的な承認を得る」という1点だけは譲れないとしてこれに反発し、結局、1933年、日本は国際連盟を脱退した。 

 

<盧溝橋事件ー 日中戦争へ> 

 

満州事変は、日本政府の不拡大の方針に反して石原莞爾ら関東軍が独断で始めたのだが、結果的に大きな戦果を挙げたことが、返って悪しき先例となり、関東軍は政府に反して華北地方にも侵攻し「華北分離工作」を諮った。その背景には、日清、日露、第一次世界大戦のいずれにも勝ってきたという軍部の奢りが見え隠れする。 

 

華北分離工作とは、1935年から活発化した、関東軍主導による、中国の河北省など華北一帯を、中華民国政府から分離独立させ、日本の支配下に置こうとした軍事的・政治的な工作である。こうして満州国独立にとどまらず、中国侵攻に転化し、泥沼の日中戦争へと入っていくことになった。即ち、関東軍はさらに権益を拡大することが必要であると考え、満州国に隣接する、華北5省(河北省・チャハル省・綏遠省・山西省・山東省)を中国政府から分離させて傀儡政権を造り、日本が実質支配するという、満州国の拡大版をつくることを狙ったのである。 

 

このような中で、1937年7月7日、北京郊外の盧溝橋で日中両軍が衝突し、以後泥沼の日中戦争に入っていく。当該 「盧溝橋事件」はいずれかから日本軍への発砲で始まった偶発的な衝突であったが、日本軍は全面的な戦闘に突入する口実とし、日中戦争の契機となった。日本政府は自衛のための出兵としてはじめ北支事変と称し、第2次上海事件以降の1938年9月からは支那事変と呼んだ。 

 

こうして満州事変の勃発(1931年9月)から、第2次大戦の終結(1945年8月)まで、長い戦争が展開されたのである。 

 

<日中戦争から対米戦争へーその摂理的意味> 

 

このように、日中戦争が大東亜戦争(太平洋戦争)へとつながっていくのだが、この戦争は、中国や東南アジアへ軍隊を進めた日本と、これに反対する米英などの対立がきっかけで起きた戦争である。前述したように、背景には日清、日露、第一次世界大戦に勝って、強大化してきた日本への警戒心が米英にあった。1941年12月8日、日本軍は南部仏印進攻と共に、ハワイの真珠湾攻撃を敢行、遂に太平洋戦争が勃発した。日本はこの戦争を「大東亜戦争」と呼んだ。つまり、東アジアから東南アジアにかけての大東亜の国々を、欧米の植民地支配から解放する自存自衛戦争と位置付けたのである。 

 

ではどのようにして無謀な対米戦争へと至ったのだろうか。

 

欧米が支援する蔣介石率いる中華民国との日中戦争が泥沼化する中で、1639年、ヒットラー率いるドイツと英仏の間で第2次世界大戦が勃発し、日本は独伊と同盟を結び(3国同盟)、東南アジアの資源を確保するため仏領インドシナ北部に軍を進めた(北部仏印侵攻、その後さらに南部仏印侵攻)。こうして日独伊三国同盟(枢軸国)と、英仏米の同盟(連合国)との対立は決定的となった。


更に日本が南部仏印侵攻するに至って、アメリカは態度を硬化させ、日本に対し仏領インドシナと中国からの軍の撤退を強く要求し、石油やくず鉄の輸出を禁じる経済制裁を発動した。この石油の禁輸措置は石油の85%をアメリカからの輸入に頼っていた日本にとって致命的な打撃だったが、日中戦争で十数万の犠牲を払って獲得した中国の権益を放棄することは到底できない相談だった。日米は外交交渉をつづけたが、1941年11月、アメリカから更に厳しい要求、即ち中国からの撤退(満州事変以前に戻る)と三国同盟からの離脱を要求した「ハル・ノート」が出されると、日本側は交渉妥結の見込み無しと判断して、遂に開戦を決断した。まさに勝つ見込みがゼロの追い込まれての苦渋の決断である。日本軍はアメリカに一撃を与えて講和に持ち込もうとしたのである(一撃講話論)。日本は戦争の目的として「自存自衛」、ついで「大東亜共栄圏の建設」を掲げた。当時アジアの国々は日本をただ一つの例外として、欧米の収奪的な植民地支配に甘んじていたのである。 

 

その後日本は、初戦では仏印進攻、真珠湾攻撃、マニラ、シンガポール、ジャワ占領と有利に戦争を進めたものの、 ミッドウェー海戦での大敗北(1942年)を皮切りに、 ガダルカナル島撤退、アッツ島玉砕(1943年)、インパール撤退、マリアナ沖海戦敗北、サイパン島玉砕、レイテ沖海戦壊滅(1944年)、硫黄島陥落、沖縄戦敗北、東京大空襲、広島、長崎に原爆投下 ポツダム宣言受諾(1945年)と無条件降伏の道を余儀なくされたのである。 

 

では何故対米戦争に至ったのか。左派からは、満州事変、盧溝橋事件、泥沼の日中戦争に見られる帝国主義的領土拡大の侵略的野心や戦勝からくる軍部の慢心が指摘されている。一方、世界恐慌で経済が悪化していた上、アメリカの対日石油輸出禁止が決定打となり、やむなく欧米の植民地支配からアジアを解放する自存自衛の戦争に踏み切ったとする論客もいる。さらには、目障りな黄色人種の日本を一度徹底的に叩いておきたいというアメリカの思惑があり、故意に日本を挑発したとの論もある。 

 

いずれもその真理の一端をいい得ているが、筆者はこの戦争に「十字架と復活」というキリスト教の思想を見る。満州事変に端を発する対米戦争は、人間の思惑を越えた様々な必然や偶然が重なって、我知らずのうちに起こった戦争、目に見えない摂理に支配された宿命的な戦争に見える。 

 

前回の徒然日誌で、内村鑑三の弟子矢内原忠雄東大教授の「神の国」演説を紹介して論評した。彼は軍部の奢りで戦争にひた走る日本を憂いて、「今日が我が日本の告別式であります。日本の理想を生かすために、ひとまずこの国を葬って下さい」と演説し、東大を追われる羽目になった(但し、戦後東大総長として復活した)。 

 

まさに彼は預言者のように、満州事変から日中戦争へ、日中戦争から対米戦争へとひた走る日本のいく末を見通し、イエス・キリストの十字架での葬りと、死からの復活に思いを寄せて「一旦、この国を葬ってください」と語ったのである。つまり、古く罪深い日本が死んで、「新しく清い日本に生まれ変われ」という意味である。 

 

この点、『長崎の鐘』の著者永井隆が原爆被害者の追悼文に書いた言葉と符合する。そこには原爆によって犠牲になった長崎の浦上は、神への「贖罪の羊」であり、天に召された浦上天主堂8000人のクリスチャンは、日本が生まれ変わるための「燔祭」であり、この尊い犠牲によって戦争が終結したと書かれている。 永井隆曰く「浦上が選ばれて燔祭に供えられたる事を感謝致します。この貴い犠牲によりて世界に平和が再来し、日本の信仰の自由が許可されたことに感謝致します」 と。 

 

しかし、まさに歴史は矢内原の預言の如く、また永井の言葉の如く展開するのである。自覚していたか無自覚だったかはともかく、気がつけば無謀な対米戦争に巻き込まれ、300万人超の犠牲を代償に無条件降伏を余儀なくされた日本近現代史は、一旦死んで新生するための神の見えざる深謀遠慮だったと言えなくもない。 

 

それが証拠に、戦後日本は生まれ変わり、世界有数の民主主義国家、技術・経済大国に発展した。無謀な対米戦争の代償に、戦後ソ連ではなくアメリカの後見で復興したことは幸いだった。そして、イギリスに代わって、再臨期に神の最終摂理を担う母国となり、印を押された144000人(黙示録7.14)を立てて、その如くの役割を果たしてきたのである。 

 

以上、今回、重要な二つの出来事、「ホワイト牧師とギングリッチ氏のメッセージ」、並びに「対米戦争は何故起こったか」について論考した。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とはドイツの宰相ビスマルクの言葉だが、まさに至言である。「愚者」は自分で失敗して初めて失敗の原因に気づくが、「賢者」は歴史を学ぶことで多くの経験を身につけることができるという。まさに歴史は知恵と教訓の宝庫である。(了)

 

                            牧師・宣教師   吉田宏

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​ユニバーサル福音教会牧師
​家庭連合ポーランド宣教師
   吉田 宏

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