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聖書を何故学ぶのか① 比較宗教の薦め

◯つれづれ日誌(令和3年11月10日)-聖書を何故学ぶのか① 比較宗教の薦め


このようにして律法は、信仰によって義とされるために、わたしたちをキリストに連れて行く養育掛となったのである。しかし、いったん信仰が現れた以上、わたしたちは、もはや養育掛のもとにはいない(ガラテヤ3.24~25)


今回は、もう一度原点に立ち返って、「何故、聖書を学ぶのか」、つまり聖書を学ぶ意義について、改めて再確認したいと思います。そして、特に「比較宗教」の視点から、聖書を学ぶ意義、真理探求の方法を考えたいと思います。


【何故、聖書を学ぶのか】


聖書を読む意味はどこにあるのでしょうか。無論、それは聖書を通して神とキリストを知り、信仰と霊的生活の糧にすることに他なりません。しかし、ここでは信仰実践の現場におけるその効用について考えてみたいと思います。


即ち、聖書を読む意味、聖書を読むことの効用を論じ、次に如何なる姿勢と方法で読むべきかを考えたいと思います。


<聖書を読む3つの理由>


聖書を読む意味については、多々あると思いますが、とりあえず以下の3点を指摘したいと思います。


先ず第一に、原理のより深い理解に到るために聖書の学びは不可欠だということです。


聖書的伝統(霊性)は、一本の木に例えられるでしょう。根っ子が神であり、全てはそこから流れてきます。神が根っ子であれば、旧約聖書は幹、新約聖書・キリスト教史は枝葉に当たり、原理はその果実ということになります。神から始まり、旧約、新約、キリスト教と流れてきた養分は、果実である成約の「新しい真理」(原理)に流れ着くというのです。その養分の上に立ってこそ、つまり聖書的霊性を相続してこそ、原理という果実の味の深さが分かるというのです。


パウロは、「律法(旧約聖書)は、私たちをキリスト(新約聖書)に連れて行く養育掛となった」(ガラテヤ3.24)と語りましたが、新旧聖書は私たちを成約原理に導く養育係と言えるでしょう。原理講論は「聖書の新しい解釈論」であり、聖書の奥義を明らかにした神学書に他なりません。そして文鮮明先生も韓鶴子女史も劉孝元先生も、かってはキリスト者であり、聖書の研究者でありました。こうして原理自体が聖書的伝統の上に立っているというのです。


第二に、聖書は「伝道のツール」として有益です。既に確固たる「市民権」を得ている聖書は、神の言葉を伝える最強の武器であります。原理講論が「聖書の奥義を明らかにした書」であれば、聖書の新しい解釈を通じて聖書の奥義、即ち原理を正しく伝えることができるというのです。特に宗教人へのアプローチには欠かせません。


更に第三に、正しい聖書的霊性の相続は、異端・分派・異教思想を見分ける智慧になるということです。


そもそも宗教には分派がつきものであり、キリスト教の歴史は異端・分派との戦いの歴史でもありました。かのおとなしそうな天理教でさえ、なんと50以上の分派があるというのです。従って私たちは、何が原理にかない、何が原理と違っているかを見分ける力を持たなければなりません。そしてその際の最良の教科書が聖書的霊性に他なりません。


そうして私たちは、ぶれることのない「イスラエルの残れる者」として立ち、更に進んで良き「アポロジスト」(護教家)になりたいものです。


<如何に読むべきか>


では、聖書は如何に読めばいいのでしょうか。


聖書は神の言葉でありますので、なんと言っても「祈り」を持って読まなければ理解できません。神への信仰と敬虔な祈りなしに読むことはできません。


そして聖書は霊でありますので、「神の霊・聖霊」の導きが無ければ真に読むことは出来ません。ヨハネ16.13に「真理の御霊(聖霊)が来る時には、あなた方をあらゆる真理に導いて下さる」とある通りです。こうして聖書は祈りと聖霊の導きによって読むことができるというのです。


かの文豪の太宰治は、たかだか60ページのマタイ伝を読むのに3年を要したと述懐しました。この事実は、即ち聖書は霊でありますので、特に異邦人にとっては霊的な障壁に阻まれるということを示しています。


このように、聖書は祈りと聖霊の導きの中で読むということを前提に、更に、「対比」によってより深い聖書的真理の理解に至ることができるというのです。即ち、聖書は宗教教理でありますので、聖書の学びを「比較宗教」の視点から研究することが有益です。以下、特にこの点を掘り下げて考えてみたいと思います。


<対比-比較宗教>


比較宗教学の祖マックス・ミューラーは、「一つの宗教しか知らないものは、いかなる宗教も知らない」と述べました。つまりミューラーは、一つの宗教を正しく理解するためには、もう一つの宗教を研究し、これと対比することによって、即ち比較宗教によって、より正しく理解できると言っているのです。 従って、原理と他宗教との対比の中で読むことによって、原理の理解は深まります。


パウロはキリスト教に改宗する前、律法の大家でありました。古代最大の教父アウグスティヌスは、先ずマニ教を学び、次にプラトンなどのギリシャ哲学に精通し、その上でキリスト教神学を確立していきました。内村鑑三も神道、仏教、そして武士道に精通し、西欧哲学にも明るかったと言われています。


勿論、原理だけを学ぶことでも充分とは言えますが、神道でも仏教でもキリスト教でもイスラム教でも、原理の他に何か一つの宗教に精通し、その宗教教理の、どこが原理と同じでありどこが違うのか、どちらがより深いのかといった対比の中で、より一層深い原理の理解に至るというのです。もちろん、原理と聖書の対比が最も良いと言えますので、聖書との対比によって原理への理解は一段と深まるというのです。 従って私たちは、原理を聖書との対比の中で、いわば弁証法的に学ぶ時、聖書を深く理解出来る共に、何よりもより深く正しい原理の理解に到達できるというのです。ここにも聖書を学ぶ意義があります。


【教相判釈とは何か】


さて仏教に「教相判釈」(きょうそうはんじゃく)という言葉があります。これは一種の比較宗教(比較教義)と言えるでしょう。


実は筆者は最近、小原克博氏(こはら かつひろ、1965年生 )の「平安時代の宗教」と題する動画の講座を視聴しました。主に比叡山の開祖最澄と高野山の開祖空海についての解説であります。小原克博氏は、牧師、兼同志社大学神学部教授で、キリスト教(一神教)の研究者です。この講座で「教相判釈」という仏教用語を説明され、その中で、比叡山を開いた最澄は、中国隋の天台大師智顗(ちぎ-538年~597年)が法華経を中心とした教判(教相判釈)を立てて樹立した「天台宗」を相続したと語られました。


<教相判釈>


教相判釈とは、仏教の諸教説を、それが説かれた時を中心に、形式、方法、順序、内容などに基づいて判定し解釈することであり、何が仏教の究極の教えであるか、仏の真の意図はどこにあるかを探りました。そして比叡山を開いた最澄は、天台智顗に師事し、仏教諸説・諸教を比較対照し、その結果として天台教学の法華経を最高教学としました。後述するように日蓮はこれを更に徹底して、法華経如来寿量品に顕れる「妙法蓮華経」5字こそ末法の究極の教法と結論づけました。


つまり教相判釈とは、釈尊が悟りを開いてから涅槃に入るまでの40年もの間に説かれた多数の教えを、形式・方法・順序・意味内容・教義内容等によって分類し、体系化し、その高低、優劣を価値づけることをいいます。仏教経典は非常に数が多く、その内容や説き方も一様ではありませんが、釈尊によって説かれた教説の内容や説かれた順序についての体系化をするもので、これは釈尊の教えの究極を見出し位置づけるための「経典解釈学」または「比較教義学」ということができるでしょう。


特に中国の学僧たちは,これこそが釈迦の真意を伝えたものと信ずる一つの経典を選択し,これを中心におき,他の経典群をその周辺におくという方法を採りました。これを教相判釈、略して教判という訳です。天台大師智顗が法華経を中心とした教判を立て、天台宗を樹立したのをはじめとし、三論、浄土、華厳、禅、法相、密教等の諸宗が相次いで成立しました。


<五時八教の教判>


特に、天台智顗が唱えた「五時八教の教判」は有名で、これは「一切経」を五時・八教に分けたもので、日本天台宗の最澄もこれを輸入し、延暦寺の中心思想となりました。延暦寺は当時仏教教学と学問の聖地であり、この延暦寺から浄土宗の法然、浄土真宗の親鸞、日蓮宗の日蓮、臨済宗の栄西、曹洞宗の道元などの高僧が出たことはよく知られています。


彼らは比叡山延暦寺で一切経を学び、これぞと確信する教典を掲げて独立し、民衆の魂の救済を、「念仏」や「題目」といった平易なワンフレーズで語りました。国家鎮護の仏教から民衆救済の仏教への転換です。


左から、最澄肖像・空海肖像・日蓮肖像


<比較宗教のモデル>


なお、典型的な比較宗教のモデルとしては、仏教、儒教、道教を対比した空海の「三教指帰」(さんごうしいいき)、日蓮の「5重の相対論」があります。三教指帰は空海24歳の時書かれた本で、儒教、道教、仏教を比較し、結局仏教が最も優れた教えであることを述べています。しかし、この書の隠れた真の意図は、仏教への出家の決意表明でありました。


当時、日本で唯一最高学府の大学を、周囲の反対を押し切って中退して栄達への道を自ら閉ざし、仏教へ帰依することを選択したというのです。空海は三教指帰の最後に「冠のひもやかんざしで象徴される官位など、捨て去らないで良いものでしょうか」と明記しています。つまり、自らは官界に入ることを望まず、むしろ世俗を超えた仏法に身を投ずる覚悟であるという、青年空海の内心を宣したのです。


空海は、嵯峨天皇、橘逸勢(たちばなのはやなり)と並んで三筆と言われた書道の達人でしたが、その文筆力も秀逸でした。三教指帰の中で、「文は、先ず筆者の心に感動するものがあって、それを紙の上に書き記したものだ」と語っています。昔、気迫のある文章を見て、ある国王が病気から立ち直ったとあり、また包囲している敵の城中に矢文を射たところ、敵の大将はその手紙を読んで号泣し、ついに自害したという故事を紹介しています。


また日蓮は仏教について、「内外」(仏教と他宗教)、「大小」(大乗仏教と小乗仏教)、「実権」(法華経と方便経)、「本迹」(法華経本門15~28、迹門1~14)、「種脱」(文底の観心と文上の教え)の5重の相対を論じ比較した上、法華経如来寿量品に顕す事の一念三千たる「妙法蓮華経」5字こそ末法の究極の教法と結論づけ、この唱題により全ての人が成仏出来るとしました。日蓮正宗、創価学会などがこの信奉者です。


【聖書批評学】


一方、キリスト教にも「聖書批評学」という聖書自体を分析、比較する分野があります。これも広い意味で比較宗教と言えなくもありません。 それまで、聖書は神聖な神の言葉であり、これを分析し批評し評価することなど神を冒涜することだといった考え方がありました。


しかし18世紀以降、ヨーロッパの合理主義精神の元で、聖書文書について、その本文を、筆者、成立年代、執筆の意図、構成、文体などを確定する作業がはじまりました。即ち、聖書を神の言葉として信仰的に受け入れるだけでなく、歴史的、客観的に研究しようとする「聖書学」が生まれてきたのです。


そしてこの聖書分析の手法として、「下層批評」(本文批評)と「上層批評」(高等批評)があります。


<本文批評>


先ず「本文批評」(ほんもんひひょう)ですが、これは、ある文書の現存する写本や古刊本から、可能な限り、その文書のもともとの原文を確定していく作業のことです。つまり、古い時代の文書は、多くの場合、人の手によって写される写本の形で伝わりましたが、写本の際には、単なる誤記・脱字のミスだけでなく、誤記・脱字の範囲を超えて意図的に原本から外されたり書き換えられたりすることもありました。


こうして書き写された文書は、他の写本に写され、この繰り返しの結果として、内容が異なる様々な異本が生まれることになったという訳です。 そこで、どれが真正なものかを判別しなければならず、そこで「本文批評」という学問分野が生まれて来ることになります。そして本文批評の結果「標準聖書」が編纂され、それが各国語に翻訳されました。


即ち、本文批評とは、写本の中から標準聖書を探し出す学問です。従って本文批評によって、可能な限り原本に近い定本を確定しました。


<高等批評>


また「高等批評」とは、文書の起源や歴史の批判的研究であり、近代聖書学によって使われた手法であり、上層批判とも言われています。


先ず初めに、ルナン、ハルナック、シュトラウスなど歴史意識に目覚めた聖書学者の中から、イエス伝を再構成しようという学者が現れました。 新約聖書を良く調べると4つある福音書は皆違っていて、どれが本当か判断が難しく、容易なことではないことが分かりました。ここから聖書の内容自体を吟味する聖書研究が始まり、本文批評に対し「高等批評」と言われました。


即ち、聖書が「いつ、誰が、どういう状況の中で、如何なる目的で、誰に向けて」書かれたかのか、などを研究テーマとするもので、ドイツのウエルハウゼンが代表的神学者です。特にモーセ五書の起源を説明しようと試みる「文書仮説」は高等批評の典型となる研究であります。


なお、ここでいう「批評」とは批判という意味ではなく、理性の目で歴史学的、科学的、文献学的に検証しようとする学問的態度を意味しています。しかし、福音派は高等批評を認めていません。


<様式学派、編集史学派>


上記に加え、「様式学派」「編集史学派」と言われる研究グループが生まれました。


プルトマンらは、口伝(言い伝え)はいくつかの「様式」として存在し、教会の実存状況を論じることが必要という「様式学派」を形成しました。様式学派は、福音書はイエスを史実的に描写したというよりも、「イエスをメシアとして宣言し、宣教(ケリュグマ)したもの」であるとの結論を出しました。その様式史研究を更に発展させて編集史研究を創始したのがコンツェルマンです。


彼は文献の背後にある教会の実存状況の中だけでなく、そのような状況の中で、どのような聴衆に如何なる目的でメッセージを送ろうとしたのか、「聖書記者の主体性」の方に着目しました。 各文献の著者は、新しい状況の中で、それ以前にあった文献や伝承に手を加え、新しい時代状況と対象に合ったメッセージに編集するという作業を担ったというのです。


つまり、その積み重ねによって聖書ができ上ったので、聖書を読み解くには「編集史という視点」から読み解かなければならないとしました。これを「編集史学派」といい、現代の最先端の研究方法であります。 これによって、何がイエスの真言で、何が著者の手による編集句かが相当の確度で判別できるようになりました。 即ち、何がイエスの真言で、何が著者の手による編集句か、伝承断片を福音書という一個の文書に如何に編集したか、福音記者を「編集者」としてみて、その神学を解明しようとしたものです。


【確定された成約のみ言】


こうして、比較宗教の様々な有り様を見てきましたが、振り返って見れば、上述した仏教の教相判釈も、キリスト教の聖書批評も、結局、釈迦やイエスが、自ら書いた文書を残さなかったこと、また生前に教義として確定していなかったことに起因するものです。


しかし幸いにも原理は、文先生自身が、生前に書き残したり、語ったりして、自ら確認し確定したものであり、従って、仏教のような教相判釈も、キリスト教のような聖書批評学も不必要だというのです。


以上、今回は聖書を学ぶ意義を再確認し、また如何に聖書を読み、如何に研究すべきかを考察しました。何かの参考になったでしょうか。(了)




上記絵画*マリアとマルタの家のキリスト(ヨハネス・フェルメール画)部分

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