🔷長野教会の売却処分は令和の宗教弾圧ーイスラエルの神殿崩壊に学ぶ
🔷徒然日誌(令和8年11月4日) 長野教会の売却処分は令和の宗教弾圧ーイスラエルの神殿崩壊に学ぶ
祝福あれ、あなたは私たちの神、主、全世界の王。あなたは私たちに命を与え、私たちを生かし支え、この時に至らせてくださいました。(ユダヤ教祈祷文 「シェへヘヤーヌ」)

プロローグー長野教会売却に思う
先だって、筆者は家庭連合の長野本部教会が清算人によって売却されたという報を受け、眠れない夜が続いた。これを受けて、10月29日、次のように「X」に投稿した。
「統一の長野教会が清算人によって売却されたという。しかも、他の全国の教会でも売りに出されているという。一体、こんな理不尽なことが許されていいのか。法人名義の不動産を売却して清算の原資に当てる必要はないはずだ。何故なら、不動産を売却せずとも、債務(献金などの返還)は、法人が所有する預貯金で十分まかなえるからである。弁護士からもそのように聞いている。そうであっても、不動産を処分するのは、一体何のためか、理解に苦しむ。
かって大本教の教会をダイナマイトで爆破し、二度と立ち直れないようにしたというが、今回もどす黒い力が背後で蠢いているのだろうか。まさに宗教弾圧とはこのことであり、心ある言論人は、日本の未来のためにも立ち上がらなければならない」
上記のように投稿したところ、たちまちの内に目を通した方3万人、「いいね」した方2千人を越え、多くの方から「共感」「同意」のコメントが寄せられた。みんながこの問題に如何に関心があり、深刻に心を痛めているかがよく分かった。そこで今回、この問題を、信徒として、そして日本国民としてどう考えればよいかを考えたい。
1、不動産(教会)を売却する必要性があるのか否か
一体、不動産(教会)を売却して現金化する必要性と妥当性があるのだろうか。筆者の見るところ、献金返還を含む家庭連合の清算すべき全債務は(清算人への報酬を含め)、100億円以内に収まるのではないかと思料している。このことは弁護士とも議論して確認している。
一方、清算人(清算人代表伊藤尚弁護士)は少なくとも預貯金450億円を保全したと報じられており、清算手続きに関する専用ホームページ上で明らかにしている。であれば、特段、教会など不動産を売却して換金せずとも十分債務を賄え、清算業務に支障はないはずである。

なお清算人の公表資料によれば、2026年3月4日の解散時点での資産は、現金・預貯金約450億円、不動産約382億円、総資産約834億円となっている。
➀反対派の虚言に洗脳される
清算人は、教団へ債権を持つ人は、2026年5月20日~2027年5月20日までに申し出るよう求めているが、献金被害と称する申し出は、2026年9月24日時点で281人で、 清算人代表伊藤尚弁護士
予想を大きく下回っている。被害弁連が必死で被害者を掘り起こしているにも係わらずである。しかも申し出た人全員に返還する訳ではない。つまり、不動産を処分せずとも清算業務に支障をきたすことは全くないのである。

実際、家庭連合が橋下綜合法律事務所内に設置した献金被害をめぐる「補償委員会」の取り扱い案件について、橋下徹氏はテレビでの宮根氏とのやりとりで、次のように発言している。
宮根氏「これは、橋下さんとこの事務所の弁護士さんがかかわっていらっしゃる?」
橋下弁護士「そうなんです。その時のだいたい届け出の人数も、これぐらい(281人)だったんですよ。で、なかには全然請求として成り立たないものもたくさんありました。」
つまり、債権申出者こそ281人だが、請求が通るのはそのなかの一部に過ぎないということだ。しかも、実は281人全員が高額献金被害の申請者ではない。職員の賃金債権、売買代金債権、教会施設の賃料債権などあらゆる債権が含まれている。高額献金被害の申立てはかなり割り引いて考えねばなるまい。(月刊Hanada令和8年12月号、小川榮太郎「鈴木エイトよ 言論で戦ってみろ」p.83)
確かに、宗教法人法49条の2には、清算人の職務として、a.現務の結了、b.債権の取立て及び債務の弁済、c.残余財産の引渡しが定められ、法人に帰属する財産を管理・処分する権限があるとされている。だが、上記した通り、債務の弁済は預貯金で十分賄えるのであり、にもかかわらず、何故不動産(教会)を売却処分するのか、これが問題になる。
おそらく清算人は、被害弁連の紀藤正樹氏の「潜在的な被害額は1200億円程度」との発言や、鈴木エイト氏の「潜在的な被害金額は1兆円」といったことを真に受け、「被害額は膨大な数が見込まれる」と考えていた可能性がある。故に不必要な不動産(教会)の売却に踏み切ったのではあるまいか。小川榮太郎氏は日本全体が反対派の虚言に洗脳されていたとして、次のように述べている。
「紀藤氏やエイト氏の家庭連合バッシングにテレビが全面的に便乗し、その強烈な煽りを食らって、岸田政権および自民党、文部科学省、東京地裁、東京高裁、果ては最高裁判所までもが巻き込まれ、結果として教団と信徒に甚大な被害を与えてしまった。それが実態ではなかったのか。」(月刊Hanada令和8年12月号p.86)
②維持管理費や賃料などの支出を止めるため?
何故不動産(教会)を売却処分するのか、その理由の一つに維持管理費や賃料などの支出を止めるためということが考えられる。 2026年6月の報道によると、家庭連合が借りていた不動産の賃料などは、毎月約1億5,000万円に上っていたとされているが、既に清算人は、賃貸物件の契約解除を行っている。また、家庭連合所有の自動車600台の内、90%以上を売却したという。そして更に不動産(教会)を売却するというが、不動産所有に係わる維持費用などは、預貯金に比してたかが知れている。
なお、賃貸契約終了後、再度信徒(会)で同じ不動産を賃借りする教会が多々あると聞いており(藤沢教会など)、新潟県長岡家庭教会は、賃貸契解約後に大家さんの好意で、何と家賃半額で再契約をしたという。
③債務を弁済するため?
債務の弁済であるが、これは上記した通り、わざわざ不動産(教会)を売却して現金化せずとも、弁済原資は預貯金として450億円が既に保全されており、これで十二分に弁済できる。また不動産所有に係わる維持費も預貯金で十分賄えるのであり、あえて不動産を処分する必要性も緊急性もない。
④礼拝施設は信仰の象徴
特に教会などの礼拝施設は、信仰を維持するための必須の施設であり、信徒のなけなしの寄付で建てられた教会施設は、信仰の象徴的意味があり、これが失くなることの精神的苦痛には甚大なものがある。
特に長野教会は、日本でも模範的な教会であり、「悲しいです。信徒達が献金して献堂した思い出のある場所です」といった多数の声が寄せられている。また筆者が所属している青葉台家庭教会も大手不動産業者に売却されたということを教会長から聞いたが、無念の思いと共に、激しい憤りを禁じ得ない。ちなみにこの青葉台教会は篤志家の寄付によるものだった。
今後も約200もの教会が順序売却されるという。 不動産の売却そのものは、宗教法人の清算手続として法律上可能だとしても、預貯金だけで債務を賄える以上、個々の不動産をなぜ売却するのか、その必要性と妥当性について、清算人は十分に説明する責任があり、少なくとも今回の教会売却は、明らかに信徒の内心の信仰の自由を侵害していると言える。ある信徒は筆者のXの投稿記事に反応して、次のようにコメントしている。
「信者にとって教会は、単なる不動産ではなく、祈りと信仰を育んできた大切な場所です。債務の返済に預貯金で対応できるのであれば、なぜ教会まで処分する必要があるのか。財産処分の必要性と妥当性について、徹底した説明が求められます。信教の自由と信者の人権を守る視点を忘れてはなりません。」
なお宗教法人法51条第1項は、「解散した宗教法人の残余財産の処分は、規則で定めるところによる」とあり、この場合の「規則」とは、解散した宗教法人自身が、宗教法人法に基づいて制定し、所轄庁の認証を受けている規則を意味する。
つまり、損害賠償への対応など債務の弁済をすべて終えたうえで、さらに財産(預貯金・不動産)が残る場合には、残余財産として法人規則で定める相手に帰属させることになっている。
2、不動産(教会)処分は信教の自由への挑戦ー国際法と国内法から考える
今回の教会(礼拝堂)売却処分は、信教の自由を侵害している可能性が高い。売却に合理的な必要性と妥当性がないばかりか、現に信徒は礼拝の場を失い、精神的苦痛は甚だしく、事実上、信教の自由は損なわれている。 一体、信教の自由とは何か、信教の自由はどのように法律で定められているか、以下、この問題を論考する。
➀国際法における信教の自由

「国連憲章」、「世界人権宣言」、「国際人権規約」などの国際法では信教の自由をどのように位置付けているのだろうか。
信教の自由(Freedom of Religion or Belief)は、国際法において、最も重要な基本的人権として明確に保障されている。しかも、単に「宗教を信じる自由」だけではなく、宗教を選ぶ自由、変更する自由、信仰を公に表明する自由、礼拝・布教・教育を行う自由、さらには宗教を信じない自由も含まれている。
「国連憲章」第1条第3項には、「人種、性、言語又は宗教による差別なくすべての者のために人権及び基本的自由を尊重するように助長奨励する。」とあり、また55条にも「人種、性、言語又は宗教による差別のないすべての者のための人権及び基本的自由の普遍的な尊重及び遵守」とある。つまり、信教の自由は国連が設立当初から掲げている基本理念である。
また1948年12月10日、国連総会で採択された「世界人権宣言」(Universal Declaration of Human Rights)では、次の通り信教の自由を直接規定している。 「すべて人は、思想、良心及び宗教の自由を享有する権利を有する。この権利は、宗教又は信念を変更する自由並びに単独で又は他の者と共同して、公的に又は私的に、布教、行事、礼拝及び儀式によって宗教又は信念を表明する自由を含む。」(世界人権宣言第18条)
更に「国際人権規約」では、「すべての者は、思想、良心及び宗教の自由についての権利を有する。この権利には、自ら選択する宗教又は信念を持ち又は採用する自由並びに単独で又は他の者と共同して、公に又は私的に、礼拝、儀式、行事及び教導によってその宗教又は信念を表明する自由を含む。」(国際人権規約第18条)と謳われている。
この国際人権規約は 1966年12月16日に国連総会で採択され、信教の自由を国際法上、具体的に保障し、条約としての法的拘束力があり、日本は1979年に批准している。
このように、信教の自由は「人権の中の人権」であり、最大限、尊重されなければならない。現に今回の家庭連合解散は信教の自由違反として、世界から非難を浴びていることは周知の事実である。(参照-信教の自由の歴史的考察ー旧統一教会の解散は信教の自由侵害に当たるか→ https://x.gd/KGO2U )
②日本国憲法及び国内法における信教の自由
日本国憲法及び国内法において信教の自由はどのように規定されているのだろうか。
信教の自由は基本的人権の中でも特に重要な精神的自由権として保障されている。しかも、これはキリスト教、仏教、神道などの既成宗教だけに認められる権利ではなく、社会的に批判されている宗教、新宗教、少数宗教、さらには国家や多数派が異端と考える宗教の信者にも保障される権利である。最も重要なのは、日本国憲法第20条であり、次のように規定されている。
「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。」(日本国憲法20条)
つまり、a.何を信じるか、何を信じないか、どの宗教を選択するかという信仰の自由、b.信仰を内面に持つだけでなく、それを外部に表現する宗教行為の自由、c.同じ信仰を持つ人々が集まり、宗教団体を結成し、維持し、活動する宗教的結社の自由であり、家庭連合の解散は明らかに憲法に違背する。(参照- 国策裁判の憲法問題-小林節慶應大学名誉教授の指摘→ https://x.gd/oVmOp )
この憲法の信教の自由を具体化する法律として、宗教法人法は、「憲法で保障された信教の自由は、すべての国政において尊重されなければならない。従って、この法律のいかなる規定も、個人、集団又は団体が、その保障された自由に基いて、教義をひろめ、儀式行事を行い、その他宗教上の行為を行うことを制限するものと解釈してはならない。」(宗教法人法第1条第2項)とある。
なお 宗教法人法第81条は、解散要件として、「法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をした場合」とあるが、家庭連合がこの要件に当たらないことは明らかである。(参照-検証-解散決定の致命的欠陥ー日本の司法の欠陥とUC解散判断の背後にあるもの→https://x.gd/yqeZG )
確かに宗教法人の法人格を解散させることと、信者個人の信仰そのものを禁止することは、法的に別の問題であり、宗教法人が解散しても、信者がその宗教を信じる自由、礼拝する自由、宗教活動を続ける自由まで当然に消滅するわけではない。しかし、礼拝の場を失っただけではなく、解散というレッテルで地域や職場や親族から締め出されるなど、実際には甚だしく信仰の自由が損なわれ、人権侵害が行われている。 (月刊Hanada令和8年12月号p.90)
従って、法人の解散が信者の宗教活動に及ぼす実際上の影響を決して無視できない。また、清算人による財産処分についても、信者の宗教活動への影響を含め、法律に従った適正な清算が行われているかが問われている。

それにしても、2026年3月4日、高裁の解散決定後1時間後には、警護人に守られて約400人の清算人団が全国各地にある約400か所の教団施設に立ち入って調査したが、この光景は異様だった。
あらかじめ解散決定が決められており、周到な準備のもとに財産等が保全されたのであり、まさに「令和の大本弾圧事件」であり、 教会本部を保全する清算人
権力の怖さをまざまざと感じさせられた。
小川榮太郎氏など、この光景を見て、旗幟鮮明に家庭連合擁護に踏み切った言論人は少なくない。
3、イスラエルの神殿破壊・ディアスポラからの再起に学ぶ
さて教会(礼拝の場)を失った家庭連合信徒だが、私たちはユダヤ人の歴史から多くを学ぶことができる。
ユダヤ人は、過去2回に渡って、信仰の拠り所である神殿を破壊された。1回目はバビロニアによる神殿破壊である。紀元前586年、バビロニアのネブカドザル王はエルサレムを攻撃し、ソロモン王が建てた第一神殿を破壊し、王族や指導者などをバビロンに連行した。この出来事は、ユダヤ人ディアスポラの歴史における大きな事件である。
2回目はローマ帝国によるエルサレム神殿(第二神殿)の破壊である。紀元66年、ユダヤ人はローマ帝国に対して大規模な反乱を起こしたが(第一次ユダヤ戦争)、紀元70年、ローマ軍のティトゥス将軍によってエルサレムは陥落し、第二神殿が破壊された。さらに、紀元132~135年にはバル・コクバの反乱が起こるが、ローマ皇帝ハドリアヌスにより鎮圧され、その後、ユダヤ人はエルサレムへの立ち入りを事実上禁止され、ディアスポラ(散らされたもの・離散)の民として世界に散らされたのである。
こうして神殿を失ったユダヤ人は、信仰の拠り所を失い、神殿祭儀を中心とする信仰生活が困難になったが、モーセ五書(トーラー)や律法への意識が強まり、安息日や割礼など、民族的・宗教的アイデンティティーが重視された。そして何よりも「シナゴーグ」(集会の家)を作って信仰を維持、発展させたのである。

ちなみにシナゴーグ(Synagogue)とは、ヘブライ語では「集会の家」を意味し、a.ユダヤ教における礼拝の場、b.聖書(トーラー)の学習の場、c.そして地域コミュニティの交流が行われる場(会堂)のことである。紀元前6世紀の「バビロン捕囚」の時期に、エルサレム神殿が破壊されて礼拝の場所を失ったユダヤ人たちが、各地で律法を学び祈る集会を開いたことが起源とされ、その後、紀元1世紀にエルサレム神殿がローマ帝国によって完全に破壊されて以降、シナゴーグがユダヤ教信仰とアイデンティティ維持の中心となった。(参照-イスラエル神殿の崩壊とバビロン捕囚ーイスラエルのシナゴーグに学ぶ→https://note.com/yoshida1946/n/n49a2a4d148a9 )
こうしてユダヤ人は、神殿を破壊され、ディアスポラの民になっただけでなく、全世界から嫌われ、追われ、数千年に渡って悲惨な迫害に晒された。その迫害の頂点こそ、ヒットラーナチスによる600万人のホロコースト(大量虐殺)である。そのホロコーストの首謀者アドルフ・アイヒマンの裁判で、ある証言者は次のようにユダヤ法廷で証言した。
「数千の幼児が親から引き離され、薄暗くじめじめした、汚い部屋に追い立てられ、幼児たちは必死に抗って泣き叫んだが、アウシュヴィッツに送られ、そこで殺され、灰になった。」(ダニエル・ゴーディス著『イスラエルー民族復活の歴史』ミルトスp.243)
だが、ユダヤ人は神を見失うことなく、1948年に建国し、不死鳥のように甦った。ユダヤ教の祈祷に「シェヘヘヤーヌ」という次のような美しい祈りがある。
「祝福あれ、あなたは私たちの神、主、全世界の王。あなたは私たちに命を与え、私たちを生かし支え、この時に至らせてくださいました。」
イスラエルの民が神殿破壊やディアスポラなど、想像を絶する受難を経験しながらも、「神に命を与えられ、今日まで守られてきたことを感謝する」という信仰告白である。 ユダヤ教の祭日を迎えたときや人生の特別な喜びや記念すべき出来事を迎えたとき、祈ると言われている。
無論、再臨期を迎えて、かってイエス・キリストを受け入れなかったユダヤ教リーダーたちの失敗の轍をふんではならないことは言うまでもない。イスラエルの悔い改めは、かってそうであったように、歴史を変えるリバイバルになるだろう。(参照-反ユダヤ主義とは何かーアウシュビッツとイスラエルの回復→https://note.com/humble_lion7426/n/n55743e05e74f
結びー過ちを改める勇気を
以上、「長野教会の売却処分は令和の宗教弾圧ーイスラエルの神殿破壊に学ぶ」とのテーマで、清算人による不動産(教会)売却処分は、まさに宗教弾圧であることを指摘した。そして神殿を破壊され、ディアスポラの民イスラエルが如何にして信仰を維持・発展させ、再起していったかを述べた。小川榮太郎氏は、月刊Hanada令和8年12月号「鈴木エイトよ 言論で戦ってみろ」の最後に、次の言葉で結ばれている。
ーー与党自民党、司法関係者をはじめ、日本社会はもういい加減気付いてほしい。家庭連合がカルトなのか、鈴木エイト氏や紀藤正樹氏が常軌を逸しているのかということに。紀藤氏や鈴木氏の被害実態の主張は、全く出鱈目だった。過ちを改めるに遅いということはない。安倍氏暗殺事件の直後の空気に呑まれ、家庭連合をカルト集団だと信じ込ませた勢力の思惑に皆が乗ってしまったことを、いま責めても仕方がない。法的に可能な手法によって、解散命令の非を改める勇気と良識を、政府与党と司法関係者に、私は求めたいーー
「主は天から人の子らを見渡し、探される。目覚めた人、神を求める人はいないか、と」(詩篇14.2) (了)
吉田宏記



