高市首相誕生に思う - 安倍元首相の正統な相続人
- matsuura-t

- 13 時間前
- 読了時間: 17分
◯徒然日誌(令和7年10月22日) 高市首相誕生に思う - 安倍元首相の正統な相続人
だれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない。もしそんなことをしたら、新しいぶどう酒は皮袋をはり裂き、そしてぶどう酒は流れ出るし、皮袋もむだになるであろう。 新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである。(ルカ5.36~38)
プロローグー内村鑑三著『求安録』『後世への最大遺物』
10月21日、日本の憲政史上、初めての女性首相が誕生した。いや実質的に見れば、日本の歴史上、初めて国の統治者に女性が就いたと言ってもいい。瑞穂の国、アマテラスの国、母性国家日本の快挙であり、全てのものが新しく変わると感じたのは筆者一人ではあるまい。まさに「新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである」(ルカ5.38)とある通りである。今回はこの高市早苗女性首相誕生の意義と展望について論考する。
だがその前に、拙著『異邦人の体験的神学思想』改訂版刊行と「成約聖書勉強会」について報告すると共に、内村鑑三の著書『求安録』と『後世への最大遺物』について言及したい。
この度、『異邦人の体験的神学思想』(グッドタイム出版)の改訂版(第二版)を出す予定である。アマゾンでも品切れで40人以上待たせており、またありがたいことに小山田秀生先生から信徒の教材に最適だと評価して頂き、田中富弘会長も高く評価されている由、沖憲之青葉台教会長から聞いている。
筆者はこの改訂版を記念して、「成約聖書勉強会」(仮称)を発足する構想を持っている。 何故なら、最近筆者は内村鑑三の著書を読み直しているところ、「聖書研究会は自分が亡くなれば解散するように遺言したが、新たに成約時代の聖書研究会を発足して欲しい」という内村の「静かで細い声」(1列王記19.12)を感じたからである。成約版聖書勉強会をやりなさいとの声ならぬ声である。
成約聖書勉強会は、聖書と原理の橋渡しを主題にした『異邦人の体験的神学思想』を教材にし、聖書の研究者や有識者信徒も研究成果を発表する機会にすればいいのではないかと思っている。また「推進委員会」(仮称)を設けて全国にも支部を作って、是非とも成約の福音のリバイバルを起こしたいという構想を持っている。(この点、読者の意見をお聞きしたい)
さて先日、筆者は内村鑑三の著書『求安録』(岩波文庫)に目を通した。『求安録』は、『基督信徒のなぐさめ』に続いて出された内村鑑三の代表的著作であり、「第一高等中学校不敬事件」の後、全国に「枕する処なき」との試練に遭遇した内村が、熊本英語学校に講師として過ごした32才の時の作品である。
この作品は「如何に心の平安(peace)を探し求めるか」(上の部)、そして「何に於いてその平安を獲得したか」(下の部)、という著者の信仰体験の記録であり、また同時に得られた平安の理由を究明せんとした組織的な信仰論でもある。この流浪・窮乏の時代とも呼べる時期に、内村は、『基督信徒のなぐさめ』、『求安録』、『余は如何にして基督信徒となりし乎』『後世への最大遺物』『代表的日本人』など、多くの著作・論説を発表した。
そして筆者は、『求安録』(岩波文庫)の末尾にある鈴木俊朗氏の「解説」を読んで、目から鱗の一文との出会いをして、大いに啓発された。即ち、1919年(大正8年)1月24日の内村59才の日記に、『求安録』を読んだ支那人の回心について、次のような一文がある。(『求安録』岩波文庫P135~136)
「神戸在留広君の言に依れば、東人◯◯◯君は日本語を能く語り得る支那人であるが、彼は今より三年前、或る古本屋にて金五銭にて『求安録』の古本一冊を買求め、これを読みて自己の罪を悟り、悔い改めて基督信者と成り、続いて他の同国人を導き、今や一小教会を設立するに至りしとのことであった。
余はこの実験談を聞いて思うた、為すべきは信仰的著述である。この一人の支那人を救うを得て、我が著述の為に費せし努力は悉く償われたりと。何も何十版を重ねて世の熱狂的歓迎を博するに及ばない、此の一人を得ば足りるのである。ああ神よ、今より二十六年前、熊本市外託磨ヶ原槇樹(たくまがはらまきのき)の下に於いて、古き支那鞄を台にして書きし此の書が、今日此の果を結ぶに至りしは如何なる恩恵ぞ。感謝、感謝」
また『求安録』第十七版が刊行された時、内村は次のように日記に書いた。(1920年5月19日の日記)
「『求安録』第十七版がでた。明治二十六年(1893年)八月一日、初版が出て以来二十八年、随分長い年月である。此の間に多くの新説が唱へられた。然れども古くして常に新しきは『十字架贖罪の福音』である。余は今日と謂えども猶ほ『求安録』に於いて述べし福音を説きつつあるのである。余は此の福音を委ねられて永遠の福音を神より託されたのであると思ふ(黙示録14.6)」
内村は黙示録14章6節「あらゆる国民、部族、国語、民族に宣べ伝えるために、永遠の福音をたずさえてきて、大声で言った」(黙示録14.6~7)を引用し、「永遠の福音を神より託された」と自己認識したのである。
ところで、福音宣教には、大きく路傍伝道、訪問伝道、渉外伝道(因縁伝道)、文書伝道、伝道集会、そしてSNSを使っての伝道がある。内村は「口をきく者」(説教者)でもあるが、何よりも「筆をとる者」、即ち文筆家であり、これこそまさに内村流の文書伝道である。内村の『求安録』を読んで回心した前述の支那人の証は、文書伝道の好例で心を打つものがある。
筆者は神の霊に導かれて、内村鑑三の年齢に遅れること40年、古稀を過ぎて二冊の宗教本、即ち『久保木修己著「愛天愛国愛人」を読み解く』と『異邦人の体験的神学思想』を出版し、ホームページに487本の文書(現時点)を書き記した。筆者はこれを以て文書による福音宣教と考え、時宜に応じてSNSに投稿し、神とキリストの証言者たらんと、微々たる奉仕をしているものである。
さて内村鑑三は、34才の時『後世への最大遺物』という本を出しているが、最近読み直して深い示唆を受けたので概略を紹介したい。
この短編は、1894(明治27)年の夏、箱根で開催されたキリスト教青年会第6回夏季学校にて、内村鑑三が行った講演録であり、「不敬事件」で第一高等中学校を追われた大変厳しい生活の中で語られたものである。人はその生涯の中で、野心的な個人的欲望ではなく、為に生きる「清い欲望」を持ち、神と祖国の為に後世への記念物として何が遺せるか、また何を遺すべきかを問うたものである。
先ず後世への遺物として、天国建設のための「金」や人々のための「事業」があると内村は言う。だが金も事業も遺せない人でも「思想」や「教育」は遺せるという。
江戸時代の思想家頼山陽(らいさんよう)は著書『日本外史』を書いたが、この本は、後に明治維新の思想的支柱になったという。また、イギリスのジョン・ロックという病弱な哲学者が著した『人間悟性論』は、フランスに渡り、モンテスキューやルソーに影響を与え、フランス革命につながり、ヨーロッパ中の国の有り様に影響を与え、アメリカ合衆国建国の遠因にもなったというのである。思想を文字に著し、世に示すことは、元手のいらない後世への大きな事業であると言うのだ。
しかしながら、お金を集める、事業をなす、思想を著す、教育を施す、これらは大変有益なものには違いないが、最大遺物とは言えないと内村はいう。そして最後に、誰でもが為せる「後世への最大遺物」があるというのである。では最大遺物とは何であるか。それが「高尚なる勇ましい生涯」であるとした。
「高尚なる勇ましい生涯」とは、この世の中は悪魔が支配する世の中ではなく、神が支配する世の中であるということを信ずること、失望の世の中ではなく希望の世の中であることを信ずること、即ち、悲嘆の世の中でなくして歓喜の世の中であるという考えを生涯に実行して、その生涯を世の中への贈物としてこの世を去るということであるとした。即ち、如何にして試練や苦難を克服したかというその遺物は、誰にも遺すことのできる遺物ではないかという。
新渡戸稲造、李登輝、そして内村鑑三はイギリスの歴史家トーマス・カーライル(1795~1881)の著書を愛読していて、その業績を大変尊敬していたが、しかし内村は、カーライルの業績(『衣装哲学』など多くの著書)よりはその生き様や有り様に注目した。それはカーライルが著した代表作『フランス革命史』にまつわる話である。
カーライルがほぼ生涯をかけてその原稿を書き上げた時、友人のミルに評価を求めるために貸したという。ミルは自宅に持ち帰り、さらにそこに訪れた友人が興味を示したため、一晩の約束で又貸しをした。ところが、その友人は夜中に読んで寝りこけ、朝になって散らばっていた原稿を家政婦がストーブの焚つけに使って、数十年心血注いだ『革命史』の原稿は一瞬のうちに灰になってしまったというのである。
それを知ったカーライルは放心状態になり、しばらくは何も手につかなくなってしまったという。しかし、そこで彼は、天の声か心の声か、次のような言葉に励まされ、書き直していくのである。
「トーマス・カーライルよ、汝は愚人である、汝の書いた『革命史』はそんなに貴いものではない。第一に貴いのは汝がこの艱難に忍んで、そうして再び筆を執ってそれを書き直すことである、それが汝の本当に立派なところである。それゆえにもう一度書き直せ!」
つまり、カーライルの偉いことは『革命史』という本のためにではなく、火にて焼かれたものを再び書き直したということであるという。仮にその本が残っていなくても、彼は実に後世への最大の遺物を遺したのである。いくらやりそこなっても、いくら不運にあっても、勇気を起こして再びやり遂げたということ、これが後世への最大遺物であるという。
内村鑑三がこの講演で一番言いいたかったことは、何をなしたかといった成果を形に遺していくことも立派なことだけれども、どう生きたか、何を考えたか、どんな苦労を克服したかという「生き様こそが最大遺物」であるというのであり、そしてそれは誰もが遺すことのできる遺物であるというのである。さて、私たちは何が遺せるだろうか。然り、「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない」(ヘブル13.5)とある通りである。
なお、本講演・本著『後世への最大の遺物』から影響を受けた著名人には、天野貞祐、青木義雄、矢内原忠雄、森敦、小山内薫、志賀直哉、有島武郎、正宗白鳥、柳宗悦、武者小路実篤などがいる。
【歴史上初の女性首相の誕生ー見えざる御手】
さて前置きが長くなったが、今回のトピックは、いうまでもなく高市早苗総裁が第104代日本国総理大臣に就任したことである。自民党196人、日本維新の会35人、他数名計237票で衆議院一回目の投票で過半数を越え、一発で総理に指名された。 以下、ここに至る奇跡的な顛末を記す。総裁選出から総理指名まで、まさに見えざる神の御手に導かれた期間であった。
<高市自民党総裁選出>
10月4日、高市早苗氏が第29代自民党総裁に選出された。立党70年で初めて女性総裁の就任である。決戦投票で 高市氏は計185票(国会議員票149、都道府県連票36)、小泉氏は計156票(国会議員票145、都道府県連票11)で、高市氏はオールドメディアと岸田・石破氏など左派系議員が押した小泉氏を破って新総裁に選ばれたのである。
筆者は、①安倍晋三元首相は高市氏を強く推薦されており、高市氏が安倍氏の正統な相続人であること、②高市氏にははっきりした政治理念と哲学があること、③UCに対して偏見がないこと、この3つの理由で高市氏に一票を投じたので、高市氏当選は感慨深いものがあった。筆者は10月8日、次のように「X」に投稿した。
「総裁選でハッキリしたのはオールドメディアの終焉である。小泉氏を有利に煽った旧メディアは惨敗した。もう一つが安倍元首相の復活である。高市氏の勝利でアベイズムは復活する。この勝利はまさに神の御手の介入だった」
つまり、はっきりしたことは、一つはオールドメディアの終焉である。兵庫県知事選挙でもそうだったが、今回小泉氏を持ち上げ、小泉氏の勝利を煽ったオールドメディアは惨敗し、SNSが完勝した。UCも旧メディアにはひどい目に逢ってきた。そしてもう一つが安倍元首相の復活である。安倍氏が強く推薦していた高市氏が勝利することによって、アベイズムは力強く復活するだろう。その意味で、オールドメディアを初め誰もが予想しなかったこの奇跡的勝利は、神の見えざる手の介入があったと筆者は感じている。
<自公連立の解消>
10月10日、26年続いた自民党と公明党の連立が解消するという驚くべき事件が起きた。公明党の斉藤鉄夫代表は自民党の高市早苗総裁と会談し、連立を離脱する方針を一方的に伝えたのである。10月15日、筆者は次の通り「X」にポストした。
「自公の離婚は一利あって百害無し。これは善悪分立の神の摂理、見えざる神の手の介入である。離婚により、自民は真性な保守政党として再生し、公明は健全野党に復帰できる機会になる。今回の離婚は自公双方にとって益になる」
この自公の連立解消は、既に賞味期限が切れて、金属疲労を起こしていたとは言え、小選挙区で創価学会票に依存していた自民党議員は選挙への不安を隠さない。一方、国を守る為の法律を作ろうとしても、親中の公明党に阻まれ、骨抜にされてきた苦い過去があり、逆に連立解消でスッキリしたとして歓迎する声は少なくない。自民党は本来の保守政党の矜持を取り戻すチャンスであり、保守票が戻って来るので返って議席数は増えるという試算もある。現に高市事務所経由の自民党員が、10日余りで15000人も増加し、高市フィーバーの予感がする。
いずれにせよ、防衛、外交、憲法、国家観など基本的政策が水と油のように異なる自民党と公明党は、そもそも連立するのは無理であり、今回の連立解消(離婚)は双方にとって幸いだったと確信する。筆者には、自ら手を下すことなく離婚できた高市氏が、見えざる強運の持ち主に見える。この離婚劇の本質は、前回の徒然日誌(令和7年10月15日) で論考した通り、まさに善悪分立の神の摂理だった。
<自維連立と高市総理の誕生>
少数与党高市自民党は、善きにつけ悪しきにつけ、他党と連立しなければ国会を運営できない。公明党と連立解消した今は尚更である。
当初、国民民主党が連立の相手として有力だったが、連合の圧力や玉木雄一郎党首の優柔不断もあって連立を決めかねないでいる時、日本維新の会が、急転直下連立に入ることになった。こうして高市自民党は維新と政策で鋭意協議して合意し、自維は連立した。維新は衆議院に35議席あり、自民の196議席を足せば221議席になるので、過半数の233まであと2議席である。
ちなみに維新が連立の条件として自民示した12項目の政策は、①経済財政政策、②社会保障政策、③皇室・憲法改正・家族制度の見直し、④外交安全保障政策、⑤インテリジェンス政策、⑥エネルギー政策、⑦食料安保・国土政策、⑧経済安全保障政策、⑨人口政策・外国人政策、⑩教育政策、⑪統治機構改革、⑫政治改革(企業団体献金の廃止、 議員定数の削減)である。
こうして自維が連立したが、この連立劇もまさに意外な展開だった。高市総裁の選任といい、自公連立解消といい、自維連立といい、まさに意外な展開の連続というしかなく、見えざる御手の介在を感ぜざるを得ないものがある。
そして10月21日、高市総裁は晴れて国会で総理に指名された。首相指名選挙で衆院は過半数233票を上回る237票を獲得し一回で決着し、参院は決選投票で125票を獲得し一位となり、衆参両院は高市氏を第104代首相に指名した。
これは国民の誰もが感動せざるを得ない瞬間だった。10月15日、筆者は「X」で「リンカーンの血がアメリカを清めたように、安倍さんは日本を再生させるために贖罪の羊となった。その安倍さんの唯一正統な相続人は高市さん」と投稿したが、この高市早苗総理の誕生を誰よりも祝福されているのは、まさに安倍元首相であるだろう。こうして安倍元首相は高市総理に再臨復活したのである。
作家の門田隆将氏は、「遂に憲政史上初の女性総理、高市早苗首相が誕生した。どんな攻撃にも、誹謗中傷にも怯まず、自らが信じた道を歩み続けた稀有な政治家である。この覚悟の政治家を国民の1人として応援していきたい」とエールを送った。
【日本復活の鐘ー高市総理の誕生】
聖書に「新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである」(ルカ5.36)とあるが、岸田、石破政権ですっかり地に落ちてしまった古い自民党は、分別され新しい自民党となって、高市早苗という新しい血(精神)を受けなければならない。あるいは新しい血によって古い自民党は清められなければならない。

<意外な素顔>
高市氏は、1961年奈良県で生まれ、神戸大学経営学部を卒業し、1984年松下政経塾に入塾した(第5期生)。1987年、渡米し、米民主党下院議員パトリシア・シュローダーの事務所でCongressional Fellow(アメリカ連邦議会立法調査官)として勤務し、議員立法のための調査や分析を行っている。
1993年(32才)、第40回衆議院議員総選挙に奈良県全県区から無所属で出馬し、得票数トップで初当選し、新進党へ参加した。1996年(平成8年)の第41回衆議院議員総選挙では、小選挙区比例代表並立制導入に伴い、奈良1区から新進党公認で出馬し、再選されたが、同年11月5日に新進党を離党し、12月27日自民党に移籍した。
2003年(平成15年)の第43回衆議院議員総選挙では、奈良1区で民主党の馬淵澄夫氏に敗れ、比例代表での復活当選もならず落選した。
2004年(平成16年)、43才で自民党議員の山本拓氏と結婚し(2017年離婚、2021年再婚)、同年4月、近畿大学経済学部教授に就任した。その後、衆議院議員(8回)、自民党政調会長(2012年)、内閣特命担当大臣(3回)、総務大臣(2014年、最長在任期間)を歴任した。
学生時代の高市氏は、すでに強烈な個性と自由奔放な精神を持っていたという。神戸大学時代には男子中心のヘヴィメタルバンドに参加し、なんとドラム担当になった。本人も当時を振り返り、「大学時代の目標は、ドラムの音を日本中に響かせることだった」と笑顔で語っている。
さらに大学時代には、スキューバダイビングやバイクなど、当時の女性としては珍しい趣味にも夢中になった。危険を恐れず、自分の興味を突き詰める姿勢が、後の型破りな女性政治家というイメージを作り上げた。まさに、青春時代のビートが、今の彼女の政治哲学を形づくったという。また1989年、テレビ朝日やフジテレビでキャスターを務めている。
最初の1992年の参議院選挙(奈良選挙区)で落選した高市氏だが、翌年の1993年、再び挑んだ衆議院選挙では、自転車にまたがり、奈良県中の村々を走り回り、 型破りな選挙スタイルで見事に初当選した。この出来事は後に「奈良の奇跡」と呼ばれ、「変革は、叩く音から始まる!」というキャッチコピーが大きな波紋を呼んだ。
<サッチャーを尊敬する高市早苗>
実は高市氏は、イギリスのマーガレット・サッチャー(1925年~2013年)を自らの政治の師匠として最も尊敬している。サッチャーは、イギリス病と言われて、長らく低迷していた英国経済を、市場原理の導入で回復させ、「福祉国家」から「自立国家」へと転換させた首相である。
歴史的にイギリスは、黄金時代を築いたエリザベス1世(在位1558年~1603年)やビクトリア女王(在位1837年~1901年)に象徴されるように、奇しくも女王が立った時に繁栄期を迎えている。そしてサッチャー首相(在任1979年~1990年)の誕生でイギリス経済は甦った。このイギリスと日本は、同じ島国の海洋国家であること、共に立憲君主制をとって皇室(王室)を大事にしていることで親和性があり、サッチャーと高市早苗氏には類似性がある。
ちなみにサッチャーの生家は代々メソジストの熱心な信徒であり、サッチャーは敬虔なクリスチャンであった。彼女の政治政策は、もっぱらキリスト教信仰に源泉があると言われている。 サッチャーは『回想録』の中で、「私は、熱烈に宗教的な家庭に生まれました。家庭はメソジズム(ジョン・ウェスレーによって興されたキリスト教信仰覚醒運動)を中心に回っていたのです。日曜日は、ウェスレー派メソジスト教会の礼拝に欠かさず出席し、信仰に明け、信仰に暮れる一日を過ごしました」と語っている。そして生家の家訓であった「質素倹約」「自己責任」「自助努力」の精神はサッチャーに色濃く受け継がれた。
サッチャーは、ひときわ強い信仰を持ち、「イギリスの戦後政治指導者で、彼女ほど公の場で政治と宗教の関係について語った政治家はいない」と言われ、「サッチャーの政治信念の深さと強靭さを、宗教的な確信を抜きに説明できない」と言われている 。
高市氏は、このようなサッチャーを研究し、その自叙伝を読み、熱心に学んだ。当然サッチャーのキリスト教精神からも多くを学んでいるはずであり、高市氏の政策「自立と勤勉の倫理」にも反映されていると思われる。ただ、高市氏の国家観・歴史観の淵源は日本の多神教的な宗教的伝統思想、いわゆる「日本教」(筆者は「日本的霊性」と呼んでいる)にあると思われ、高市氏にサッチャーの神、即ち「唯一の神」の観念が入れば鬼に金棒になる。このような高市氏の女性首相誕生は、日本に思わぬ運勢をもたらし、何かが大きく変わるのではないかとの予感がする。(日本的霊性→ x.gd/nE507 )
願わくば高市総理が、サッチャーの「キリスト教的霊性」を引き継ぎ、高市氏の持つ「日本的霊性」(日本教)に接ぎ木して、母性国家日本の初の女性首相として、その使命を果たされることを祈るばかりである。(了)
牧師・宣教師 吉田宏







