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ウクライナ戦争の本質① ギリシャ正教との接点を探る
○つれづれ日誌(令和4年4月6日)-ウクライナ戦争の本質① ギリシャ正教との接点を探る 現下、一番注目されているのは、何と言っても「ウクライナ戦争」であります。この問題については、マスコミやネットなどで、既に色々な観点から報道されていますので、ここでは、プーチンの思想的背景...


祈りについて考える 聖者の祈り・神秘体験
○つれづれ日誌(令和4年3月30日)-祈りについて考える-聖者の祈り・神秘体験 最近筆者は、内的、霊的問題を解決する決め手は、「先ず、祈りから始めよ」が最良の道だと心底思うようになりました。得てして、理性や思考は所詮自我の範囲にあり、その認識には限界があります。理性を越えた...


死を考える 聖者最後の言葉、他
○つれづれ日誌(令和4年3月23日)-死を考えるー聖者最後の言葉、他 われらは無益なしもべなり。なすべきことをなしたるのみ(ルカ17.10) 最近、関東在住の同郷の同級生から久方の電話があり、ある同級生の訃報が入りました。故人は住友商事で長年勤めましたが、膵臓癌で息を引き取...


政治(家)と宗教(信仰)の関係についての考察
○つれづれ日誌(令和4年3月16日)-政治(家)と宗教(信仰)の関係についての考察 先般、家庭連合(旧統一教会)への発言問題に端を発して、筆者と青山繁晴参議院議員との間で、書簡のやり取りがありました。 後述するように、青山議員は言論界出身の保守の論客であり、70名以上の議員...


長崎キリシタンの里訪問記 大浦天主堂、長崎西坂公園、浦上天主堂
○つれづれ日誌(令和4年3月9日)-長崎キリシタンの里訪問記ー大浦天主堂、長崎西坂公園、浦上天主堂 人若し我に従わんと欲せば、我を捨て十字架をとりて我に従うべし(マルコ8.34) 令和4年3月7日、筆者は縁あって、かねてから念願していた信徒発見で有名な「大浦天主堂」、26人の殉教の聖地「西坂公園」、そして長崎の鐘の舞台「浦上天主堂」を訪問することができました。潜伏キリシタンらの巡礼の旅であります。 そこで、今回、このツアーで見たこと、感じたことを皆様と共に共有したいと思います。 なお、日本のキリシタンの殉教の歴史や潜伏キリシタンなどについての詳細は、ホームページ「長崎・天草潜伏キリシタン世界遺産に見る信仰の聖地」に3回に渡って掲載していますので、ご参照下さい。 【大浦天主堂】 最初の訪問場所の「大浦天主堂」は、ユネスコ世界遺産に登録された教会堂で、ゴシック調の国内現存「最古の教会堂」であり、1953年、国宝に指定されました。 1865年2月19日、献堂式が挙行され、「二十六聖殉教者聖堂」と命名され、処刑された西坂に向かって建築されました。...


礼拝改革への一里塚② 朝の祈祷会体験記 (お茶の水クリスチャンセンターにて)
◯つれづれ日誌(令和4年3月2日)-礼拝改革への一里塚②ー朝の祈祷会体験記(お茶の水クリスチャンセンターにて) 主を仰ぎ見れば 古きわれは 現世(うつしよ)と共に 速く去りゆき われならぬわれの あらわれきて 見ずや天地ぞ あらたまれる...


礼拝改革への一里塚① ベテル・キリスト賛美教会、及び新宿純福音教会の礼拝に参加して
◯つれづれ日誌(令和4年2月23日)-礼拝改革への一里塚ーベテル・キリスト賛美教会、及び新宿純福音教会の礼拝に参加して ヤコブは朝はやく起きて、まくらとしていた石を取り、それを立てて柱とし、その頂に油を注いで、その所の名をベテルと名づけた。(創世記28.18~19)...


韓半島平和サミットを視聴して
◯つれづれ日誌(令和4年2月16日)-韓半島平和サミットを視聴して わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならない。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる。(ガラテヤ6.9) この2月11日~13日、THINK TANK...


石原慎太郎の死に思う プロテスタント(改革派)との対比において
◯つれづれ日誌(令和4年2月9日) 石原慎太郎の死に思う プロテスタント(改革派)との対比において 令和4年2月1日、かの石原慎太郎が89才で死去いたしました。この日は、奇しくも天一国10年の始まりで、文鮮明先生聖和10周年でした。心なしか、何か時代の節目を感じるものです。...


真如苑の寒中修行礼拝に参加して 今、元気な宗教
◯つれづれ日誌(令和4年2月2日)-真如苑の寒中修行礼拝に参加してー今、元気な宗教 去る1月20日、知人のお誘いで、半蔵門にある真如苑会館を訪問いたしました。都心の一等地に8階建てのビルを構え、5階の大礼拝堂は1000名を越える集客の立派なものでした。...


東京告白教会訪問記 カルヴァン研究の第一人者「渡辺信夫牧師」の開拓教会
◯つれづれ日誌( 令和4年1月26日)-東京告白教会訪問記ーカルヴァン研究の第一人者「渡辺信夫牧師」の開拓教会 私は進歩しつつ書き、書きつつ進歩する人の一人であることを告白する(アウグスチヌス書簡第7) 上記のフレーズはジャン・カルヴァン著『キリスト教綱要』第一篇の冒頭に書...


カトリックのマリア信仰 女神信仰の系譜
◯つれづれ日誌(令和4年1月19日)-カトリックのマリア信仰-女神信仰の系譜 アヴェマリア、恵めぐみに満ちた方、主はあなたとともにおられます。 あなたは 女のうちで祝福され、 ご胎内の御子イエスも祝福されています。 神の母聖マリア、わたしたち罪びとのために、...


セカンドチャンス論の検証
○つれづれ日誌(令和4年1月12日)ーセカンド・チャンス論の検証 こうして、彼は獄に捕われている霊どものところに下って行き、宣べ伝えることをされた。(1ペテロ3.19) 今回は、いわゆる「セカンド・チャンス論」について論考いたします。 【セカンドチャンスの考察】...


朝鮮半島におけるキリスト教③ 何故韓国はキリスト教国家なったか
◯つれづれ日誌(令和4年1月5日)-朝鮮半島におけるキリスト教③ー何故韓国はキリスト教国家なったか ユダヤ人には、ユダヤ人のようになった。ユダヤ人を得るためである。律法のない人には律法のない人のようになった。律法のない人を得るためである。弱い人には弱い者になった。弱い人を得...


朝鮮半島におけるキリスト教② 日本の統治時代 と迫害
◯つれづれ日誌(12月29日)-朝鮮半島におけるキリスト教②ー日本の統治時代と迫害 前回、李氏朝鮮(1392~1910)時代のキリスト教迫害について述べましたが、今回は李朝終焉後、太平洋戦争終結までの、日本統治時代におけるキリスト教の取締りについて見ていきます。なお、李氏朝...


朝鮮半島におけるキリスト教① 李王朝時代の迫害
◯つれづれ日誌(令和3年12月22日)-朝鮮半島におけるキリスト教①ー李王朝時代の迫害 一粒の麦が地に落ちて死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。 (ヨハネ12.24) 筆者は2年前の12月、クリスマスを記念して、「クリスマスって何だ?」とのタイトルで「聖書の知識5」を発信...


長崎・天草潜伏キリシタン世界遺産に見る信仰の聖地③ 島原の乱の舞台「原城跡」 、初期宣教とキリシタン大名高山右近
◯つれづれ日誌(12月15日)-長崎・天草潜伏キリシタン世界遺産に見る信仰の聖地③-島原の乱の舞台「原城跡」 、初期宣教とキリシタン大名高山右近 遥かなるパライソ(天国)を身近に、今ぞ見きこの喜びに心高まる(雲仙殉教祭)...


長崎・天草潜伏キリシタン世界遺産に見る信仰の聖地② 『沈黙』の舞台外海(そとめ)の出津(しつ)集落(長崎市)
◯つれづれ日誌(令和3年12月8日)-長崎・天草潜伏キリシタン世界遺産に見る信仰の聖地②-『沈黙』の舞台外海(そとめ)の出津(しつ)集落(長崎市) ザビエルが、1549年に鹿児島の地を踏んで始まったキリスト教の宣教は、1612年の徳川幕府の天領禁教令、1614年の全面的禁教...


「長崎・天草潜伏キリシタン世界遺産」に見る信仰の聖地① - 大浦天主堂と信徒発見 、九州・長崎地方のキリシタンと潜伏キリシタン
◯つれづれ日誌(令和3年12月1日) 「長崎・天草潜伏キリシタン世界遺産」に見る信仰の聖地① - 大浦天主堂と信徒発見 、九州・長崎地方のキリシタンと潜伏キリシタン 筆者はかねてより、禁教時代の長崎を中心としたキリスト教の迫害、特に「潜伏キリシタン」について、強い関心があり...


聖書を何故学ぶのか③ 聖書の課題について
◯つれづれ日誌(11月24日)-聖書を何故学ぶのか③ 聖書の課題について わたしはまた、御座にいますかたの右の手に、巻物があるのを見た。その内側にも外側にも字が書いてあって、七つの封印で封じてあった。.....巻物を開いてそれを見るのにふさわしい者が見当らないので、わたしは...


聖書を何故学ぶのか② 聖書の特性とその影響
◯つれづれ日誌(11月17日)-聖書を何故学ぶのか② 聖書の特性とその影響 聖書は全て神の霊感を受けて書かれた(2テモテ3.16) 前回、聖書を学ぶ意義を吟味し、その上で、如何に学べばいいのかを、特に比較宗教の視点から論じました。そこで今回は第二弾として、聖書の本質的な特徴...


聖書を何故学ぶのか① 比較宗教の薦め
◯つれづれ日誌(令和3年11月10日)-聖書を何故学ぶのか① 比較宗教の薦め このようにして律法は、信仰によって義とされるために、わたしたちをキリストに連れて行く養育掛となったのである。しかし、いったん信仰が現れた以上、わたしたちは、もはや養育掛のもとにはいない(ガラテヤ3...


詩篇に見るダビデの悔い改め
○つれづれ日誌(令和3年11月3日)-詩篇に見るダビデの悔い改め そのとががゆるされ、その罪がおおい消される者はさいわいである。主によって不義を負わされず、その霊に偽りのない人はさいわいである。(詩篇32.1) 【総選挙が終わって】...


納骨式及び秋季特別大役事に思う
○つれづれ日誌(10月27日)-納骨式及び秋季特別大役事に思う 私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません 眠ってなんかいません 千の風に 千の風になって あの大きな空を吹きわたっています (千の風になって)...
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